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第一章
突然の訪問者
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サラは足音をほぼ立てない。
私は長年の付き合いで、なんとなく「今、入ってくる」と予感している。
彼女の訪問が、気持ちいいほど毎日時間に正確なのも関係しているのだが。
しかし今は違う。
一歩一歩が重い。一定のリズムを崩さず、廊下に長く余韻を残す足音だ。
ソファーから起き上がり、ドアを見詰める。
この離れに住んでいるのは私とサラだけだ。こちらに近付いていると言うことは、この部屋にしか来ない。
予想通り、部屋の前でピタリと止まると、ノックを二回し、「エクラ、入るぞ」低く落ち着いた声で言った。
ドア越しにアルファの圧を感じる。とてもアルファ性の高い男性だ。
けれど誰なのかは分からない。家族で記憶にあるのは父の声くらいだが、父ではないのは確かだ。
でもサラが通したということは、とても大事なお客様なのかもしれない。
「……どうぞ」
一気に緊張感が高まる。
抑制剤がまだ効いていて良かった。それだけが救いだった。
ゆっくりとドアが開き、男性と目が合う。
その人は一瞬目を瞠ったが、直ぐに厳格な表情を和らげ、ふわりと微笑んだ。
「久しぶりだな、エクラ。もう俺の顔を見ても誰だか分からないだろう」
「……フィリオンお兄様?」
「あぁ。大きくなったな……と言いたいところだが、華奢なのは変わらないか」
次男のフィリオンだった。
昔から自分に厳しく、私に優しい兄だった。
フィリオンは後ろ手にドアを閉めると、その場に立ったまま話し始めた。
「久しぶりに会えたのに思い出話も出来ないのは寂しいが、お父様がお呼びだ」
「急に、何故です?」
「それは俺から言うことではない」
良い内容ではないと、フィリオンの眸を見れば伝わってくる。
沈黙が気まずい空気を作る。
「とにかく、お父様を待たせてはいけない。一緒に来てくれ」
「あのっ、少しだけお待ちください。もうすぐ抑制剤が切れてしまいますので。追加の薬だけ飲ませてください」
ドアを開けるフィリオンを引き留めた。
慌てて棚の引き出しから一番強い抑制剤を取り出し、粉を一気に口中に流し入れる。
咽せそうになるのを我慢しながら水で流し込んだ。
「すみません。お待たせしました」
「うむ」
フィリオンの一歩後ろを歩いて移動する。
するとこちらを振り返り「何故後ろを歩く。隣じゃないと話しにくい」と腕を引かれた。
「申し訳ございません」
「エクラ。そんな緊張しないでくれ。兄弟じゃないか。そりゃ、まともに会ったのだって十年ぶりだが、俺はそんなに怖い人間か? それとも、離れている時間がそうさせてしまったのか?」
私のバース性が発症してからも、学校に通っている間は本邸で住んでいた。けれど両親から二人の兄を誘惑されては堪らないと言われ、食事の席すら外されていた。
あれが十三歳の頃だから、十年以上……とまではいかないが、でもそのくらい離れていたように感じる。
三歳年上のフィリオンは、最後の記憶から随分かけ離れた印象に変貌していた。
騎士団長に相応しい体格。髪は短く切り揃えられていて、鍛え上げられた身体は私の三倍は分厚い。
隣で歩いて見上げても、彫りの深い顔のほんの一部しか見られない。
子供の頃よく繋いでくれていた手は、今は剣を握るためにある。
この八年と少しの時間は色んなものを変えてしまったが、フィリオンの優しさだけはあの頃のままなのが嬉しかった。
「久しぶりに家族とお会いしたので、戸惑っています。あ、いえ、すみません。家族だなんて烏滸がましいですね。こうして住まわせてもらえているだけでも、感謝しています」
「何を言っているんだ。エクラは俺の家族で、可愛い弟だ。これからもな」
大きく分厚い手で撫でられる。ゴツゴツとした手の平は、日頃の鍛錬を彷彿させた。
本邸に近寄るのも八年ぶり。フィリオンは気を遣って絶えず話しかけてくれるが、ここはまだ独りぼっちに慣れていなかった頃過ごした場所だからか、近付くほどに胃がキリキリと痛む。
馴染みが無さすぎて、他人の家にお邪魔している気分になった。
フィリオンも本邸に入ってからは無言で父の待っている書斎へと向かう。
書斎には限られた人しか入れないはずだ。要するに、そこに私を入れる程の要件だと判断できる。
二階に上がり、少し進むと少しだけドアが開いている部屋から灯りが漏れていた。
喉の奥がきゅっと締まった。
「失礼します、お父様。エクラを連れて参りました」
フィリオンがドアを開け、手で『中に入って』と促した。
私は長年の付き合いで、なんとなく「今、入ってくる」と予感している。
彼女の訪問が、気持ちいいほど毎日時間に正確なのも関係しているのだが。
しかし今は違う。
一歩一歩が重い。一定のリズムを崩さず、廊下に長く余韻を残す足音だ。
ソファーから起き上がり、ドアを見詰める。
この離れに住んでいるのは私とサラだけだ。こちらに近付いていると言うことは、この部屋にしか来ない。
予想通り、部屋の前でピタリと止まると、ノックを二回し、「エクラ、入るぞ」低く落ち着いた声で言った。
ドア越しにアルファの圧を感じる。とてもアルファ性の高い男性だ。
けれど誰なのかは分からない。家族で記憶にあるのは父の声くらいだが、父ではないのは確かだ。
でもサラが通したということは、とても大事なお客様なのかもしれない。
「……どうぞ」
一気に緊張感が高まる。
抑制剤がまだ効いていて良かった。それだけが救いだった。
ゆっくりとドアが開き、男性と目が合う。
その人は一瞬目を瞠ったが、直ぐに厳格な表情を和らげ、ふわりと微笑んだ。
「久しぶりだな、エクラ。もう俺の顔を見ても誰だか分からないだろう」
「……フィリオンお兄様?」
「あぁ。大きくなったな……と言いたいところだが、華奢なのは変わらないか」
次男のフィリオンだった。
昔から自分に厳しく、私に優しい兄だった。
フィリオンは後ろ手にドアを閉めると、その場に立ったまま話し始めた。
「久しぶりに会えたのに思い出話も出来ないのは寂しいが、お父様がお呼びだ」
「急に、何故です?」
「それは俺から言うことではない」
良い内容ではないと、フィリオンの眸を見れば伝わってくる。
沈黙が気まずい空気を作る。
「とにかく、お父様を待たせてはいけない。一緒に来てくれ」
「あのっ、少しだけお待ちください。もうすぐ抑制剤が切れてしまいますので。追加の薬だけ飲ませてください」
ドアを開けるフィリオンを引き留めた。
慌てて棚の引き出しから一番強い抑制剤を取り出し、粉を一気に口中に流し入れる。
咽せそうになるのを我慢しながら水で流し込んだ。
「すみません。お待たせしました」
「うむ」
フィリオンの一歩後ろを歩いて移動する。
するとこちらを振り返り「何故後ろを歩く。隣じゃないと話しにくい」と腕を引かれた。
「申し訳ございません」
「エクラ。そんな緊張しないでくれ。兄弟じゃないか。そりゃ、まともに会ったのだって十年ぶりだが、俺はそんなに怖い人間か? それとも、離れている時間がそうさせてしまったのか?」
私のバース性が発症してからも、学校に通っている間は本邸で住んでいた。けれど両親から二人の兄を誘惑されては堪らないと言われ、食事の席すら外されていた。
あれが十三歳の頃だから、十年以上……とまではいかないが、でもそのくらい離れていたように感じる。
三歳年上のフィリオンは、最後の記憶から随分かけ離れた印象に変貌していた。
騎士団長に相応しい体格。髪は短く切り揃えられていて、鍛え上げられた身体は私の三倍は分厚い。
隣で歩いて見上げても、彫りの深い顔のほんの一部しか見られない。
子供の頃よく繋いでくれていた手は、今は剣を握るためにある。
この八年と少しの時間は色んなものを変えてしまったが、フィリオンの優しさだけはあの頃のままなのが嬉しかった。
「久しぶりに家族とお会いしたので、戸惑っています。あ、いえ、すみません。家族だなんて烏滸がましいですね。こうして住まわせてもらえているだけでも、感謝しています」
「何を言っているんだ。エクラは俺の家族で、可愛い弟だ。これからもな」
大きく分厚い手で撫でられる。ゴツゴツとした手の平は、日頃の鍛錬を彷彿させた。
本邸に近寄るのも八年ぶり。フィリオンは気を遣って絶えず話しかけてくれるが、ここはまだ独りぼっちに慣れていなかった頃過ごした場所だからか、近付くほどに胃がキリキリと痛む。
馴染みが無さすぎて、他人の家にお邪魔している気分になった。
フィリオンも本邸に入ってからは無言で父の待っている書斎へと向かう。
書斎には限られた人しか入れないはずだ。要するに、そこに私を入れる程の要件だと判断できる。
二階に上がり、少し進むと少しだけドアが開いている部屋から灯りが漏れていた。
喉の奥がきゅっと締まった。
「失礼します、お父様。エクラを連れて参りました」
フィリオンがドアを開け、手で『中に入って』と促した。
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