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第二章
辺境伯の実態
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私の専属で世話をしてくれるのは、従者ではなくオメガの奴隷だった。
驚きはしたが、ヴェイルハート家でいる時も自分のことは自分でしていたので、特に問題はない。
けれど、まさか抑制剤を飲ませてもらえないとは考えが及ばなかった。
奴隷のオメガでさえ服用していないのは、大丈夫なのだろうか……。
考えるほどドミナクス辺境伯という人柄が見えなくなってしまう。
明日からの不安を少しでも払拭したくて、そっと窓を開けて夜空を見上げてみた。
「良かった。ここからは綺麗に空が見える」
満月を見ると、自然とエルネスト王子殿下を思い出してしまう。本来なら、今頃は私の身元も王子殿下への気持ちも全て打ち明けていたはずだった。
エルネスト王子殿下が私に何を言おうとしていたのかは、結局分からず終い。
未練はしばらく引きずりそうだ。
南の空に浮かぶ星を眺め、気持ちを落ち着けようと意識する。
ここでエルネスト王子殿下に手紙を書いてみようかと思いついた。幸いして、簡単な机と椅子がある。
問題は書いた手紙をどこに隠すかだが……部屋を見渡してもここには収納できる家具が何も置かれていないのだった。
鞄しか隠せないが、一番安全なのもここかもしれない。
私は持ってきたエルネスト王子殿下のプレゼントの中から、白いはねペンと青いインクを取り出した。
———拝啓、親愛なるエルネスト王子殿下
もう二度と会えないと分かっていても、私はこの先も貴方を忘れることは出来ないのでしょう。
夜が来るたび、楽しかった日々を思い出さずにはいられません。
星の光は永遠に私を励ましてくれます。いつか報われる日が来るのではないかと、希望を見させくれるのです。
叶わなくとも、貴方の夢を照らさずにはいられません。
天を仰ぎ見ると、宝石を散りばめたように煌めく星々。
そこに一つ輝く赤い星はまるで私の心臓のようで、貴方に見つけて欲しくて一生懸命光を放っているのです。
貴方に忘れられるのを恐れて、輝き続けるのです。
♦︎
書いた手紙をしばらく眺め、小さく折り畳んで鞄の底に隠した。
インクと羽ペンもしっかりと衣類に包んで鞄にしまうと、ようやく私はベッドに横たわった。
胃の痛みは馬車でいた時ほどではなくなっていたが、マットに体を委ねると随分楽になった。
目を閉じても頭が冴えて寝つけそうにない。馬車の中でたっぷり寝たのもあるが、やはりドミナクス辺境伯が気になって考えすぎているのも要因になっている。
さっきチラリと見た姿だと、癇癪持ちの初老の男性といった印象だ。
しかし夜着でも貴族らしい厳格なオーラを纏っていたように思えて、次に顔を合わせるのは少し怖いと思った。
それにここに来ていきなり知った抑制剤の件……。
明日もしもドミナクス辺境伯の前でヒートを起こしてしまえば、私はどうなってしまうのだろうか。
あの奴隷の子が喋れるなら色々と聞きたかったのに……。
初日から予想だにしない事態が立て続けに起こり、頭で理解が追いつかない。
けれど翌朝、さらに驚愕の光景を見てしまうこととなる。
なかなか寝つけず、目覚めはそれほど良くなかったが、何か大きな荷物を落としたような、それとも大きな家具を壁にぶつけてしまったかのような物音と振動で飛び起きた。
いきなり心臓が大きく伸縮し、ドアを凝視してもそれ以来音はせず、逆に鎮まり返った。
「何かあったのかな……」
不安を覚え、呼吸が薄くなる。
少しして、部屋の外から鍵を開ける金属音が聞こえた。私はそれで、この部屋は外から施錠されていると知った。何やらとても慌てて手間取っている様子が窺える。
そして勢いよく開いたと思えば、昨日の奴隷の子が皿の乗っているトレーを持ち、飛び込んできたのだ。
テーブルにガシャンと乱暴に置くと、皿のポタージュは飛沫し、パンは床に転げ落ちた。
しかし奴隷の子はこちらを見ようともせず、パンを拾おうともせず、また慌てて部屋から立ち去ろうとした……その体に、私は見てしまった。新しい傷ができている。今の物音がそうだったのか、破れた服に血が滲んでいた。
「待って!!」
咄嗟にベッドから飛び起き、奴隷の子を引き留める。
背後から腕を掴んだからか、大きく体が爆ぜ、奴隷の子は私の手を振り払って蹲り、両腕で頭を覆った。
「ごめんなさい、私です、私。驚かせてごめんなさい」
徐に怯える奴隷の子。やはり、ここは何かおかしい。こんな暴力が日常的に行われているのか。
背中を摩ってあげたいけれど、どこもかしこも傷だらけで迂闊に触れない。
注意深く肩に触れ、落ち着くまで絶えず声をかけた。
時間をかけ、少しずつ深い呼吸ができるようになったのを見届けると、「朝ごはんを運んできてくれたのですね?」と改めてお礼を伝える。
奴隷の子は床に転げたパンを見て、涎を垂らした。
「お腹空いてるのですか? 半分、食べますか?」
私は硬くなった白パンを拾い、半分千切って手渡した。
奴隷の子は私の手から奪うと、無我夢中で口に捩じ込んだ。
「そんなに慌てなくても、ゆっくり食べても良いですよ」と声をかけたが、入り口を気にしながら早く飲み込もうと必死になるあまり、盛大に咽せてパンを飛ばしてしまう。それでも直様、床に散ったパンを拾い集めてまた口に捩じ込んだ。興奮して鼻息荒く、眸は血走っている。まるで野生の動物のような獰猛さすら窺え、思わず身震いしてしまった。
しかし奴隷の子が入り口を気にしていた訳はやがて判明する。
「貴様、儂の許可なく食べるとは何事だ!!」
入室するや否や奴隷の子を蹴り飛ばしたのは、ドミナクス辺境伯だった。
驚きはしたが、ヴェイルハート家でいる時も自分のことは自分でしていたので、特に問題はない。
けれど、まさか抑制剤を飲ませてもらえないとは考えが及ばなかった。
奴隷のオメガでさえ服用していないのは、大丈夫なのだろうか……。
考えるほどドミナクス辺境伯という人柄が見えなくなってしまう。
明日からの不安を少しでも払拭したくて、そっと窓を開けて夜空を見上げてみた。
「良かった。ここからは綺麗に空が見える」
満月を見ると、自然とエルネスト王子殿下を思い出してしまう。本来なら、今頃は私の身元も王子殿下への気持ちも全て打ち明けていたはずだった。
エルネスト王子殿下が私に何を言おうとしていたのかは、結局分からず終い。
未練はしばらく引きずりそうだ。
南の空に浮かぶ星を眺め、気持ちを落ち着けようと意識する。
ここでエルネスト王子殿下に手紙を書いてみようかと思いついた。幸いして、簡単な机と椅子がある。
問題は書いた手紙をどこに隠すかだが……部屋を見渡してもここには収納できる家具が何も置かれていないのだった。
鞄しか隠せないが、一番安全なのもここかもしれない。
私は持ってきたエルネスト王子殿下のプレゼントの中から、白いはねペンと青いインクを取り出した。
———拝啓、親愛なるエルネスト王子殿下
もう二度と会えないと分かっていても、私はこの先も貴方を忘れることは出来ないのでしょう。
夜が来るたび、楽しかった日々を思い出さずにはいられません。
星の光は永遠に私を励ましてくれます。いつか報われる日が来るのではないかと、希望を見させくれるのです。
叶わなくとも、貴方の夢を照らさずにはいられません。
天を仰ぎ見ると、宝石を散りばめたように煌めく星々。
そこに一つ輝く赤い星はまるで私の心臓のようで、貴方に見つけて欲しくて一生懸命光を放っているのです。
貴方に忘れられるのを恐れて、輝き続けるのです。
♦︎
書いた手紙をしばらく眺め、小さく折り畳んで鞄の底に隠した。
インクと羽ペンもしっかりと衣類に包んで鞄にしまうと、ようやく私はベッドに横たわった。
胃の痛みは馬車でいた時ほどではなくなっていたが、マットに体を委ねると随分楽になった。
目を閉じても頭が冴えて寝つけそうにない。馬車の中でたっぷり寝たのもあるが、やはりドミナクス辺境伯が気になって考えすぎているのも要因になっている。
さっきチラリと見た姿だと、癇癪持ちの初老の男性といった印象だ。
しかし夜着でも貴族らしい厳格なオーラを纏っていたように思えて、次に顔を合わせるのは少し怖いと思った。
それにここに来ていきなり知った抑制剤の件……。
明日もしもドミナクス辺境伯の前でヒートを起こしてしまえば、私はどうなってしまうのだろうか。
あの奴隷の子が喋れるなら色々と聞きたかったのに……。
初日から予想だにしない事態が立て続けに起こり、頭で理解が追いつかない。
けれど翌朝、さらに驚愕の光景を見てしまうこととなる。
なかなか寝つけず、目覚めはそれほど良くなかったが、何か大きな荷物を落としたような、それとも大きな家具を壁にぶつけてしまったかのような物音と振動で飛び起きた。
いきなり心臓が大きく伸縮し、ドアを凝視してもそれ以来音はせず、逆に鎮まり返った。
「何かあったのかな……」
不安を覚え、呼吸が薄くなる。
少しして、部屋の外から鍵を開ける金属音が聞こえた。私はそれで、この部屋は外から施錠されていると知った。何やらとても慌てて手間取っている様子が窺える。
そして勢いよく開いたと思えば、昨日の奴隷の子が皿の乗っているトレーを持ち、飛び込んできたのだ。
テーブルにガシャンと乱暴に置くと、皿のポタージュは飛沫し、パンは床に転げ落ちた。
しかし奴隷の子はこちらを見ようともせず、パンを拾おうともせず、また慌てて部屋から立ち去ろうとした……その体に、私は見てしまった。新しい傷ができている。今の物音がそうだったのか、破れた服に血が滲んでいた。
「待って!!」
咄嗟にベッドから飛び起き、奴隷の子を引き留める。
背後から腕を掴んだからか、大きく体が爆ぜ、奴隷の子は私の手を振り払って蹲り、両腕で頭を覆った。
「ごめんなさい、私です、私。驚かせてごめんなさい」
徐に怯える奴隷の子。やはり、ここは何かおかしい。こんな暴力が日常的に行われているのか。
背中を摩ってあげたいけれど、どこもかしこも傷だらけで迂闊に触れない。
注意深く肩に触れ、落ち着くまで絶えず声をかけた。
時間をかけ、少しずつ深い呼吸ができるようになったのを見届けると、「朝ごはんを運んできてくれたのですね?」と改めてお礼を伝える。
奴隷の子は床に転げたパンを見て、涎を垂らした。
「お腹空いてるのですか? 半分、食べますか?」
私は硬くなった白パンを拾い、半分千切って手渡した。
奴隷の子は私の手から奪うと、無我夢中で口に捩じ込んだ。
「そんなに慌てなくても、ゆっくり食べても良いですよ」と声をかけたが、入り口を気にしながら早く飲み込もうと必死になるあまり、盛大に咽せてパンを飛ばしてしまう。それでも直様、床に散ったパンを拾い集めてまた口に捩じ込んだ。興奮して鼻息荒く、眸は血走っている。まるで野生の動物のような獰猛さすら窺え、思わず身震いしてしまった。
しかし奴隷の子が入り口を気にしていた訳はやがて判明する。
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入室するや否や奴隷の子を蹴り飛ばしたのは、ドミナクス辺境伯だった。
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