【完結】『拝啓、親愛なる王子殿下』代書屋オメガの秘めたる愛を綴ります。

亜沙美多郎

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第二章

没収

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 滑らかな絹の肌触りに、ふんだんに使われたレース。
 私のイメージが青だと言って施された薔薇の刺繍。
「エノ様……」
 頬を寄せ、匂いを嗅いだけで、彼の存在が心の中に蘇る。
 ゆっくりと鼻から百合の香りを吸い込み、体内に染み込ませる。
 全身がエルネスト王子殿下に包み込まれているみたいな安らぎが訪れた。

「不思議だ。体の痛みまで消えていくように感じる」
 ドミナクス辺境伯のオモチャになってからというもの、不眠に悩まされ、食欲もみるみる失っていった。
 目を閉じればあの男の顔が間近に迫り、魘されて汗だくで目が覚めてしまう。

 ここへ来てから、まだ満月が一周しただけとは思えない。もっと長い間苦しんできたと思ってしまうが、振り返ってみればそんなものか。
 楽しい日々はあっという間に過ぎていくのに、辛く苦しい時間はその何倍も長く続くように感じてしまう。
 この間にエルネスト王子殿下を忘れたわけではなかったのに、自分を励まそうと持ち込んだプレゼントを見る心の余裕を失っていた。

 頬の下にハンカチーフを敷き込み、エルネスト王子殿下の匂いを嗅いでいると、自然と睡魔がやってきた。
 こんなに深い眠りにつけたのは久しぶりだ。もっと早くこうするべきだった。
 夢も見ないほど、熟睡した夜だった。

 日頃の疲労の蓄積で、朝になっても私は眠り続けていた。
 それで、ハンカチーフを隠すのを忘れてしまったのだ。

 頬で痛みが走り、驚いて目を見開くと、いきなり胸ぐらを掴まれ体を大きく揺すられた。
 寝起きで焦点も定まらないうちから頭が大きく揺さぶられ、吐き気を覚え小さく嘔吐えずいた。

「貴様、部屋に入った瞬間から他のアルファの匂いをさせるとは!! いい根性だな!!」
 怒りのままに叫んだドミナクス辺境伯の唾液が顔に飛び散る。
 それでとんだ失態を犯したことに気がついた。

 エルネスト王子殿下のアルファ性は、父やフィリオンですら圧倒されるほど強いものだった。
 私には心地良さしか感じない上、昨晩はエルネスト王子殿下の匂いなしにはいられなかった。
 それで、つい、迂闊にも部屋にドミナクス辺境伯以外のアルファの匂いを充満させてしまったのだ。

 慌てて隠そうにも、ハンカチーフは既にドミナクス辺境伯の手に渡ってしまっている。
 手を伸ばそうにも、アルファの力で上体を押し付けられて身動きが取れなかった。
「あ、それは……」
 背中の傷がシーツで擦れて皮が剥けたのが分かった。
 激痛が走り、返してくださいという言葉が喉で詰まる。
 ドミナクス辺境伯はハンカチーフを強く握りしめて手を震わせている。
 破り捨てられるかもしれないと懸念したが、その上質さには、流石の高位貴族だけあり、すぐに気付いたようだった。

「これはこれは、伯爵家がオメガに持たせた物にしてはカナリ上質な絹を使っているな。こんな物をお前に持たせておくのは勿体無い。儂が頂いておく」
 ドミナクス辺境伯は、他のアルファの匂いがついていても気にしないのか、それよりも金目の物に目がないだけなのか。ハンカチーフをジャケットのポケットに入れ、ベッドから降りる。
 ドミナクス辺境伯の圧から解放され、押さえつけられていた背中がじんわりと和らいだ。

 今朝は鞭を持っていないようだ。
 性欲が満たされない代わりに暴力でアルファ性を満たしているドミナクス辺境伯が、手ぶらで部屋へ来るのは珍しい。
 ベッドを降りると、狭い部屋をうろうろと歩き回っている。
 私にどんなお仕置きをするのか、考えているのかと思ったが、そうではなかった。

「まだ、匂うな」
 ポツリと呟く。
 動揺を悟られてはいけないが、僅かに反応してしまった。
 昨夜、ハンカチーフを取り出した時に、鞄をしっかりと閉じたのかを思い出せない。
 もしも鞄が空いていれば、そこからもエルネスト王子殿下の匂いが漏れている可能性は高い。
 どうかベッドの下に意識が向きませんようにと祈るしかなかった。

 けれども、あっさりとその希望は崩れてしまう。
 ドミナクス辺境伯が屈んでベッドの下を覗き込んだ。
「ここから強く匂う気がする……あれか」
 私の鞄を引き摺り出し、全開にすると、不自然に包まれた衣類に手をかける。

 ここまでくれば、隠せるはずもなかった。
 鞄が開いていた時点で誤魔化しようもない。ドミナクス辺境伯は、衣類から覗かせている羽ペンを引き抜き「気に入った」一言溢し、続けてインク瓶も手に取る。
「それは、おやめください!!」
 エルネスト王子殿下とお揃いの羽ペンに、特別に作ってくれたインク。これで手紙を書くのが唯一の楽しみと言っても過言ではない。それを没収されるのだけはなんとしてでも阻止したい。
 返してもらえるのなら、どんな折檻も受ける覚悟だった。

 体を無理やり動かし、ドミナクス辺境伯が持つ羽ペンとインク瓶を奪おうとした。
 ベッドから転がり落ちるようにドミナクス辺境伯に覆い被さったが、片腕だけで投げ飛ばされた。
 同時にインク瓶も飛ばしてしまった辺境伯は、そちらに意識が注がれたが勢いで蓋が開き、中のインクが部屋に飛び散った。
「くそっ、惜しいことをしてしまった。あとは……なんだ、この小汚い鳥の人形は。これだけは平民並みに質素だな」
 もっと高級な物が見つかると期待していたようだが、出てきたのは木彫りの鳥の人形。
「ゴミだな」落胆の色を隠しもせず、「あっ」という間に窓から投げ捨てられた。

「嘘……」
 呆然と窓の外に視線を移したところで、落ちた場所も確認できず、エルネスト王子殿下からのプレゼントは手元から無くなってしまった。

 ドミナクス辺境伯は、結局何の用事で部屋を訪れたのかは分からなかったが(ただの気まぐれかもしれない)思わぬ高級品が手に入り、意気揚々と部屋から出ていった。

 私は唯一の心の支えが無くなってしまい、張り詰めていた糸が切れてしまった。
 もう枯れていたと思っていた涙が溢れて止まらなかった。
 エルネスト王子殿下を諦めろと、神様から言われているような気さえした。

 私のために誂えてくれたハンカチーフも、お揃いの羽ペンも、お守りの木彫りの鳥も、全て失ってしまった。

 ふと、床に転がっているインク瓶が目に留まる。
 どうやら、中身が無くなってしまったと判断し、このまま捨てていったらしい。
 這いつくばってインク瓶を手にとる。
 底にほんの少しだけ、インクが残っていた。
「よかった……」感嘆のため息が漏れる。転がった蓋を閉め、サラが鞄に入れてくれたリネン袋にそっとしまった。

 ドミナクス辺境伯からは、夜にたっぷりをお仕置きをされた。
 理由は勿論、他のアルファの匂いのついた物を隠し持ってきたから。
 殴る、蹴る……顔は腫れ上がり、全身の打撲の痕は一生消えないかと思うほどだった。
 
 途中で意識を失った私は、暗闇の中でエルネスト王子殿下の笑顔を見た。
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