47 / 85
第三章
自分の心と向き合う
しおりを挟む
エルネスト王子殿下への返事を書くにあたり、あの青いインクに似た色はないかと、クロマに買い物へ出かけたが、やはり気に入るものには出会えなかった。
せっかく青のイメージだと言ってくれていたので、名前だけではなく全て青で統一したいと思ったけれど、青ならなんでもいいわけではない。
特別に作ってくれたインクは、一色なのに何色も混ざっているように感じる。不思議な魅力に惹きつけられる青だ。
似てる色とはいかずとも同じように惹かれる色があれば……と、クロマが贔屓にしている店に連れていってもらったが、どれも納得がいかなかった。
クロマの勧めもあり、ひとつだけ濃紺のインクを買い、店を出た。
「あのインクは相当腕のたつ職人だろうなぁ。私でも初めて見た」
クロマでもあのインクを見た時は見惚れてしまったと言った。
ドミナクス辺境伯に見つかっていなければ、今でも充分な残量だったと思うと悔しかった。
「でもこのインクも気に入りました。買ってくれてありがとうございます」
「礼なんて言わないでくれ。住まわせてもらっているからって給料も受け取らないんだから。インク一本で礼なんて言われたら良心が痛む」
「私こそ、助けてもらって治療もしてもらって、仕事も名前ももらって、……数えきれないほど頂いています。これ以上の望みなんてありません」
「エクラは貴族とは思えん、欲のない人間だな。変わったお貴族様だ。私でさえ、欲しいものくらいあるってのに」
「……貴族として暮らしていたのは、幼少期だけですから」
その後の暮らしは言うまでもない。
なんなら、今が一番恵まれている。周りを囲む人も生活も、治安も。ここは全てが守られている。
「私を助けてくれたのがクロマさんで、本当に良かったって、度々思うんですよ。本当にありがとうございます」
「なんだ、急に改まって。私はそういうのに慣れてないから礼なんて言わなくていい。ほら、帰って手紙書くんだろ」
「はい。昨日の残りのジンジャークッキーを食べてから書きます」
エルネスト王子殿下が私の好きな菓子を覚えてくれていた。サラが作ってくれる菓子の中でも、私は甘いものよりスパイスやジンジャーが入った焼き菓子が好きだった。
エルネスト王子殿下にその話をしたことはなかった気がするけれど、私の食べっぷりが物語っていたのか。
この街に来てからは、チップが毎日パンを持ってきてくれるから、すっかり菓子を食べる習慣がなくなっていた。
久しぶりに食べたジンジャークッキーはサラの味によく似ていた。昔食べていたものよりも素材が良いのか、洗練された味だが、一口食べただけで草原の丘が頭の中に広がる、懐かしい味だった。
もうあの草原の丘には行けないのが寂しく感じる。
エルネスト王子殿下と出会った場所だから……と言うのもあるが、それがなかったにしてもサラと毎日のように出かけ、多くの時間を過ごした思い入れのある場所だ。
私は自室にハーブティーとジンジャークッキーを持ち込んでインク瓶と並べて置いた。
木彫りの鳥の人形を手に取り、気持ちを落ち着かせる。
「欲のままに、書いても良いんだよね?」
鳥は返事をくれないが、見守ってくれている気がする。
ドミナクス辺境伯のところでいるときも、お守りの加護を受けていたのかもしれない。
あの壮大な庭に捨てられたにも拘らず、私の許へと帰ってきてくれた。
今、再びエルネスト王子殿下が近くに存在しているのは、この鳥が引き寄せてくれたのと思ってしまう。例えこの店に来たのは偶然だったとしても、こじつけでも良いからずっと寄り添ってくれていたこの鳥の人形に意味を与えたくなってしまう。
私の手の平にしっとりと寄り添ってくれるこの子が、心の拠り所なのは言うまでもなかった。
「そうだ。この鳥のことも手紙に書きたいな。インクは……使い切ったことにするしかない。ドミナクス辺境伯に撒かれたなんて書けるはずない。日記を毎日つけていたことにしようか……。後は、あの草原の丘に一緒に行けたら嬉しいこと、満月の夜に行けなかった謝罪も書きたい。後は……あの日、私の本音は貴方を好きだと伝えたかったと」
今なら素直に書ける気がする。
それは他の貴族男性のおかげとも言える。
私のように、本命のご令嬢と結ばれなかった方たちが手紙の中ではっきりと『愛している』と綴ったり、彼女にしか分からない言い回しで愛を伝えたりする……その代書をやってきたからこそ、手紙の中に想いを綴ることに抵抗がなくなった。
これまでの経験が、全て自分のためだったみたいだ。
今日、この日のために、今までの恋文の代書は練習の積み重ねだったように思える。
恋文を送った方たちは、誰一人として自分の気持ちを贈って後悔などしていなかった。むしろ送る前は不安そうだったのに、伝えた後は全員が満足していた。
「手紙を送って良かった」と口を揃えて話してくれた。
「私も、後悔したくない」
エルネスト王子殿下から頂いたインクにペン先を浸すと、どうにか名前くらい書ける程のインクが付いた。
『拝啓、親愛なるエルネスト王子殿下———』
慎重に、筆を滑らせた。
せっかく青のイメージだと言ってくれていたので、名前だけではなく全て青で統一したいと思ったけれど、青ならなんでもいいわけではない。
特別に作ってくれたインクは、一色なのに何色も混ざっているように感じる。不思議な魅力に惹きつけられる青だ。
似てる色とはいかずとも同じように惹かれる色があれば……と、クロマが贔屓にしている店に連れていってもらったが、どれも納得がいかなかった。
クロマの勧めもあり、ひとつだけ濃紺のインクを買い、店を出た。
「あのインクは相当腕のたつ職人だろうなぁ。私でも初めて見た」
クロマでもあのインクを見た時は見惚れてしまったと言った。
ドミナクス辺境伯に見つかっていなければ、今でも充分な残量だったと思うと悔しかった。
「でもこのインクも気に入りました。買ってくれてありがとうございます」
「礼なんて言わないでくれ。住まわせてもらっているからって給料も受け取らないんだから。インク一本で礼なんて言われたら良心が痛む」
「私こそ、助けてもらって治療もしてもらって、仕事も名前ももらって、……数えきれないほど頂いています。これ以上の望みなんてありません」
「エクラは貴族とは思えん、欲のない人間だな。変わったお貴族様だ。私でさえ、欲しいものくらいあるってのに」
「……貴族として暮らしていたのは、幼少期だけですから」
その後の暮らしは言うまでもない。
なんなら、今が一番恵まれている。周りを囲む人も生活も、治安も。ここは全てが守られている。
「私を助けてくれたのがクロマさんで、本当に良かったって、度々思うんですよ。本当にありがとうございます」
「なんだ、急に改まって。私はそういうのに慣れてないから礼なんて言わなくていい。ほら、帰って手紙書くんだろ」
「はい。昨日の残りのジンジャークッキーを食べてから書きます」
エルネスト王子殿下が私の好きな菓子を覚えてくれていた。サラが作ってくれる菓子の中でも、私は甘いものよりスパイスやジンジャーが入った焼き菓子が好きだった。
エルネスト王子殿下にその話をしたことはなかった気がするけれど、私の食べっぷりが物語っていたのか。
この街に来てからは、チップが毎日パンを持ってきてくれるから、すっかり菓子を食べる習慣がなくなっていた。
久しぶりに食べたジンジャークッキーはサラの味によく似ていた。昔食べていたものよりも素材が良いのか、洗練された味だが、一口食べただけで草原の丘が頭の中に広がる、懐かしい味だった。
もうあの草原の丘には行けないのが寂しく感じる。
エルネスト王子殿下と出会った場所だから……と言うのもあるが、それがなかったにしてもサラと毎日のように出かけ、多くの時間を過ごした思い入れのある場所だ。
私は自室にハーブティーとジンジャークッキーを持ち込んでインク瓶と並べて置いた。
木彫りの鳥の人形を手に取り、気持ちを落ち着かせる。
「欲のままに、書いても良いんだよね?」
鳥は返事をくれないが、見守ってくれている気がする。
ドミナクス辺境伯のところでいるときも、お守りの加護を受けていたのかもしれない。
あの壮大な庭に捨てられたにも拘らず、私の許へと帰ってきてくれた。
今、再びエルネスト王子殿下が近くに存在しているのは、この鳥が引き寄せてくれたのと思ってしまう。例えこの店に来たのは偶然だったとしても、こじつけでも良いからずっと寄り添ってくれていたこの鳥の人形に意味を与えたくなってしまう。
私の手の平にしっとりと寄り添ってくれるこの子が、心の拠り所なのは言うまでもなかった。
「そうだ。この鳥のことも手紙に書きたいな。インクは……使い切ったことにするしかない。ドミナクス辺境伯に撒かれたなんて書けるはずない。日記を毎日つけていたことにしようか……。後は、あの草原の丘に一緒に行けたら嬉しいこと、満月の夜に行けなかった謝罪も書きたい。後は……あの日、私の本音は貴方を好きだと伝えたかったと」
今なら素直に書ける気がする。
それは他の貴族男性のおかげとも言える。
私のように、本命のご令嬢と結ばれなかった方たちが手紙の中ではっきりと『愛している』と綴ったり、彼女にしか分からない言い回しで愛を伝えたりする……その代書をやってきたからこそ、手紙の中に想いを綴ることに抵抗がなくなった。
これまでの経験が、全て自分のためだったみたいだ。
今日、この日のために、今までの恋文の代書は練習の積み重ねだったように思える。
恋文を送った方たちは、誰一人として自分の気持ちを贈って後悔などしていなかった。むしろ送る前は不安そうだったのに、伝えた後は全員が満足していた。
「手紙を送って良かった」と口を揃えて話してくれた。
「私も、後悔したくない」
エルネスト王子殿下から頂いたインクにペン先を浸すと、どうにか名前くらい書ける程のインクが付いた。
『拝啓、親愛なるエルネスト王子殿下———』
慎重に、筆を滑らせた。
296
あなたにおすすめの小説
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由
スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの二人は、スキルを得た事で魔王討伐に旅立つ勇者と彼の帰還を待つだけのただの親友となる。
勇者と親友の無自覚両片想いのじれったい恋愛の物語。
孕めないオメガでもいいですか?
月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから……
オメガバース作品です。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。
貧乏子爵のオメガ令息は、王子妃候補になりたくない
こたま
BL
山あいの田舎で、子爵とは名ばかりの殆ど農家な仲良し一家で育ったラリー。男オメガで貧乏子爵。このまま実家で生きていくつもりであったが。王から未婚の貴族オメガにはすべからく王子妃候補の選定のため王宮に集うようお達しが出た。行きたくないしお金も無い。辞退するよう手紙を書いたのに、近くに遠征している騎士団が帰る時、迎えに行って一緒に連れていくと連絡があった。断れないの?高貴なお嬢様にイジメられない?不安だらけのラリーを迎えに来たのは美丈夫な騎士のニールだった。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる