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23 王の帰還
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「大丈夫か?」
赤王にそっと入れてもらった瞬間、その瞳で見てきた全てがクロの脳裏に飛び込んで来た。それは記録であり、記憶になり、そしてーーー。
「や、いや!いやだーー!」
荒々しく伸ばされた手で髪を掴まれて引き倒され、目の前に老齢のカサついた指が迫る。
「クロ!」
「ぎゃああああーーーっ!」
挿し込むような痛みが目に走り、その場に倒れ悲痛な悲鳴を上げるクロを抱きしめた腕は若くしなやかな筋肉張る腕で、肩に寄せる立ち耳はふわふわとした耳毛を持つ。宥めるようにクロの身体を打つ尾はいつも柔らかい。
「あ、あ、あ、あ……」
泣きながら初めて見たのは、シンラの尖った獣の耳と精悍な顔、そして安心できる大きな尻尾。
「クロ、見えるのか?」
頷くと抱き締めて喜んでくれたシンラの目に、涙が溜まるのを見た。
「シンラ様。直樹、僕の名前は直樹です」
そして明を見上げた。明が秀麗な美しい眉を歪めて腰を落とす。顔を覆って涙を隠しているようだ。
「明さん」
「あれから二十年だぞ、直樹。お前は何を憶えている?」
あれから……?
ああ、と直樹はシンラの尾をおずおずと握る。フルトリとハトリがお茶を出してくれ、直樹はシンラの横に座った。
「二十年……ですか。僕は三十五歳なんですね」
「十ばかりの子供ではないのか!まさか……王!」
フルトリが倒れ込みそうになり、ハトリがそれを支える。
「神王は不老不死だ。幼い見た目だが、直樹は十五だった。こちらでは成人したての年頃だぞ」
直樹が神王として即位してからしばらくは平穏だった。ただ交合は拒否し続けていた。
「気を入れて目を向ければ、文官も武官も引き下がるのが分かっていましたから、何もなく無事でした」
初めて文官長に呼ばれたのは、夜だった。
「髪を掴まれ引き倒されて、痛みが走り目を……」
シンラの尻尾を握り締めてカタカタと震える直樹は、シンラの手が肩を温めてくれ、緊張と恐怖を吐き逃す。
「そのあとは、シンラ様に助けられました。川に落ちたのでしょうか。ずぶ濡れの僕はシンラ様に……」
口付けをされた件になり、直樹は真っ赤になり更に力を入れてシンラの尻尾を握ってしまう。
「いたたた、痛い」
「あ……ごめんなさい。シンラ様」
シンラは『クロ』と呼ばれていた時の記憶つまり二十年の記憶がないことに安堵していた。野合による野合、切り刻まれ腸を出され無残な殺され方をしても生きていたのは、クロが、いや、直樹が神王であったためだ。
「直樹、お前が王ならば、俺たちは対等だ。シンラと呼び捨てにして敬語はなしにしてくれないか。俺はその方が嬉しい」
直樹は大きな黒い瞳で見上げ、迷って周りを見渡した挙句明が頷いてから、
「シ、シ、シンラ……ですか?」
と呼んでくれた。その瞳に映る自身が紅顔しているのが見える。
「ですか、ではないな」
「難しい……です。シンラは恩人だから」
二人で笑っていたが、
「森の知恵者とも話したが、直樹、お前を一度黒の宮に連れて行かねばならん」
と赤王明の言葉に、直樹が硬直した。
「え……?」
「文官長に会う」
赤王明の言葉に悩んで苦しんだのち夕方には渋々頷いた直樹を、シンラが赤王の竜の背に乗せた。
「シンラ……行きたくない。一緒に来て」
対等に話せるようになった直樹が赤王に抱き止められたがシンラに手を伸ばして、シンラも手を伸ばしかけジジに無言で止められてしまう。
「直樹、済まないが、これも勤めだ」
「……」
ジジが横に座り、赤竜が飛び上がる。
「何故、ジジ様が?」
「私は随分前の黒王です。女性を愛したため、色が抜けましたが。一人では心許ないでしょう。今から文官長に会いに行くのですから」
ジジの言葉に驚いたか、なにより直樹の瞳をくりぬいて皆を従わせていた黒国文官長は、瀕死らしいとのこと。
だからこそ黒国が混乱しないために、宮にいく必要がある。
そう言われても、直樹にとっては即位してからすぐ記憶が途切れた知らない場所で、知らない人々がいるだけだ。
「シンラ……」
お前は黒国の王だと、竜の背の上で明に何度も言われた。
でも……森に帰りたかった。シンラの側にいたかったのだ。
森が切れたところに黒の宮がある。森の宮からそれほど遠くないところにある黒の宮は、屋上に人が集まり、赤竜の飛翔に驚き黒い髪が靡くのを見て平伏した。
「退かれよ。森で保護していた黒王を連れて来たと文官長に伝えよ!私は森の知恵者ジジである」
普段おっとりとしているジジがピシリと言い放ち、直樹の手を引いてくれる。ジジの横には何処からか現れた黒豹の神獣が付き従っている。
「私の心象のままの城です。私の後の王はなんと心象の貧しいこと。直樹にはそぐいませんね」
明は屋上で待つようでジジと二人切り、直樹にあてがわれていた王の寝室を開いた。
「なんですか、この臭い……」
直樹は寝台の上にいる腐肉に怯える。そこからすえたような臭いがしていた。服に見覚えがある。腐り落ちる指にも。
「無様な姿ですね、文官長。黒王の帰還です。王、何か話しますか?」
直樹は力強いジジの乾いた掌を握り返し頷いた。
「文官長、僕はあなたの求める王ではありませんでした。でも、僕は僕なりにこの国でちゃんとしようとしていました」
話し合ってくれていたら、理解してもらえたかもしれない、直樹はあの時話し合いに向かっていたのだ。目をくり抜かれるとは知らずに。
「……好きに……すれば……よい……わしは……」
まるで大気が震えて響くような声の後、文官長は溶け落ち、白骨だけが寝台に残り、それも直樹が悲鳴を上げているうちにぐずぐずと崩れていく。直樹の声を聞いて部屋に入った文官が息を呑み、やはり低い悲鳴を上げた。
無益の王三代に仕えた老齢の文官長は、天帝に逆らい死んだ。
赤王にそっと入れてもらった瞬間、その瞳で見てきた全てがクロの脳裏に飛び込んで来た。それは記録であり、記憶になり、そしてーーー。
「や、いや!いやだーー!」
荒々しく伸ばされた手で髪を掴まれて引き倒され、目の前に老齢のカサついた指が迫る。
「クロ!」
「ぎゃああああーーーっ!」
挿し込むような痛みが目に走り、その場に倒れ悲痛な悲鳴を上げるクロを抱きしめた腕は若くしなやかな筋肉張る腕で、肩に寄せる立ち耳はふわふわとした耳毛を持つ。宥めるようにクロの身体を打つ尾はいつも柔らかい。
「あ、あ、あ、あ……」
泣きながら初めて見たのは、シンラの尖った獣の耳と精悍な顔、そして安心できる大きな尻尾。
「クロ、見えるのか?」
頷くと抱き締めて喜んでくれたシンラの目に、涙が溜まるのを見た。
「シンラ様。直樹、僕の名前は直樹です」
そして明を見上げた。明が秀麗な美しい眉を歪めて腰を落とす。顔を覆って涙を隠しているようだ。
「明さん」
「あれから二十年だぞ、直樹。お前は何を憶えている?」
あれから……?
ああ、と直樹はシンラの尾をおずおずと握る。フルトリとハトリがお茶を出してくれ、直樹はシンラの横に座った。
「二十年……ですか。僕は三十五歳なんですね」
「十ばかりの子供ではないのか!まさか……王!」
フルトリが倒れ込みそうになり、ハトリがそれを支える。
「神王は不老不死だ。幼い見た目だが、直樹は十五だった。こちらでは成人したての年頃だぞ」
直樹が神王として即位してからしばらくは平穏だった。ただ交合は拒否し続けていた。
「気を入れて目を向ければ、文官も武官も引き下がるのが分かっていましたから、何もなく無事でした」
初めて文官長に呼ばれたのは、夜だった。
「髪を掴まれ引き倒されて、痛みが走り目を……」
シンラの尻尾を握り締めてカタカタと震える直樹は、シンラの手が肩を温めてくれ、緊張と恐怖を吐き逃す。
「そのあとは、シンラ様に助けられました。川に落ちたのでしょうか。ずぶ濡れの僕はシンラ様に……」
口付けをされた件になり、直樹は真っ赤になり更に力を入れてシンラの尻尾を握ってしまう。
「いたたた、痛い」
「あ……ごめんなさい。シンラ様」
シンラは『クロ』と呼ばれていた時の記憶つまり二十年の記憶がないことに安堵していた。野合による野合、切り刻まれ腸を出され無残な殺され方をしても生きていたのは、クロが、いや、直樹が神王であったためだ。
「直樹、お前が王ならば、俺たちは対等だ。シンラと呼び捨てにして敬語はなしにしてくれないか。俺はその方が嬉しい」
直樹は大きな黒い瞳で見上げ、迷って周りを見渡した挙句明が頷いてから、
「シ、シ、シンラ……ですか?」
と呼んでくれた。その瞳に映る自身が紅顔しているのが見える。
「ですか、ではないな」
「難しい……です。シンラは恩人だから」
二人で笑っていたが、
「森の知恵者とも話したが、直樹、お前を一度黒の宮に連れて行かねばならん」
と赤王明の言葉に、直樹が硬直した。
「え……?」
「文官長に会う」
赤王明の言葉に悩んで苦しんだのち夕方には渋々頷いた直樹を、シンラが赤王の竜の背に乗せた。
「シンラ……行きたくない。一緒に来て」
対等に話せるようになった直樹が赤王に抱き止められたがシンラに手を伸ばして、シンラも手を伸ばしかけジジに無言で止められてしまう。
「直樹、済まないが、これも勤めだ」
「……」
ジジが横に座り、赤竜が飛び上がる。
「何故、ジジ様が?」
「私は随分前の黒王です。女性を愛したため、色が抜けましたが。一人では心許ないでしょう。今から文官長に会いに行くのですから」
ジジの言葉に驚いたか、なにより直樹の瞳をくりぬいて皆を従わせていた黒国文官長は、瀕死らしいとのこと。
だからこそ黒国が混乱しないために、宮にいく必要がある。
そう言われても、直樹にとっては即位してからすぐ記憶が途切れた知らない場所で、知らない人々がいるだけだ。
「シンラ……」
お前は黒国の王だと、竜の背の上で明に何度も言われた。
でも……森に帰りたかった。シンラの側にいたかったのだ。
森が切れたところに黒の宮がある。森の宮からそれほど遠くないところにある黒の宮は、屋上に人が集まり、赤竜の飛翔に驚き黒い髪が靡くのを見て平伏した。
「退かれよ。森で保護していた黒王を連れて来たと文官長に伝えよ!私は森の知恵者ジジである」
普段おっとりとしているジジがピシリと言い放ち、直樹の手を引いてくれる。ジジの横には何処からか現れた黒豹の神獣が付き従っている。
「私の心象のままの城です。私の後の王はなんと心象の貧しいこと。直樹にはそぐいませんね」
明は屋上で待つようでジジと二人切り、直樹にあてがわれていた王の寝室を開いた。
「なんですか、この臭い……」
直樹は寝台の上にいる腐肉に怯える。そこからすえたような臭いがしていた。服に見覚えがある。腐り落ちる指にも。
「無様な姿ですね、文官長。黒王の帰還です。王、何か話しますか?」
直樹は力強いジジの乾いた掌を握り返し頷いた。
「文官長、僕はあなたの求める王ではありませんでした。でも、僕は僕なりにこの国でちゃんとしようとしていました」
話し合ってくれていたら、理解してもらえたかもしれない、直樹はあの時話し合いに向かっていたのだ。目をくり抜かれるとは知らずに。
「……好きに……すれば……よい……わしは……」
まるで大気が震えて響くような声の後、文官長は溶け落ち、白骨だけが寝台に残り、それも直樹が悲鳴を上げているうちにぐずぐずと崩れていく。直樹の声を聞いて部屋に入った文官が息を呑み、やはり低い悲鳴を上げた。
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