1 / 3
1.スーサ国
しおりを挟む――おかしい。
呼吸のたびに痛む胸を自覚しながら、ダニエルは手にした剣で魔物を切り伏せた。何万回とも振り続け、しびれて感覚はないが悠長なことは言っていられない。動かなくなった肉塊を蹴り飛ばして活動範囲を確保しつつ、同時に高速に迫る尾を視界の端に収める。
舌打ちをするヒマすらなく、自身が守っている者を問答無用で足蹴にする。
「……う、」
衝撃で呻いた君主が生存していたことを確認して一瞥する直後、尾になぎ払われる周囲。死した者も生きている者も、魔物も人もすべて。
おびただしい血の海にたたずむ竜は、明らかにこちらを敵視している。だが本来は気性の荒い種族ではなく、第一に他の魔物と行動を共にしないはず。基本的に魔族同士は群れにならない。普段ならば、人間と魔物は遭遇することすら稀だ。
「く、そッ……!」
ダニエル含めた君主の一行が巣を侵したとは考えにくい。人の分け入ることができない崖の狭間に巣を作る。
なにが起こっている?
謀られたように襲撃される数は片手では足りない。
ふ、と。
視線を上げた竜の先を辿って、ダニエルは息をのんだ。
自分たちを挟んで向こう、見知らぬ出で立ちの人間と共に在るのは小さな竜。大量の体液に塗れてピクリとも動かないのは、君主と似たような状況か。もしくはすでに息を引き取っている可能性もある。
推測するに、子か。捕えられ、痛めつけられ、怒り狂っている。
腹に響くほどの慟哭と共に光る背部を認め、物言わぬ肉塊の陰に反射的に君主を蹴り上げる。ついで覆い被さるようにして少しでも降り注ぐ火の粉を避けるが、どこまで防げるか。火竜の業火は金剛石どころかすべてを焼き溶かすと言われている。
いっそこのまま、瀕死の王をここに置き竜と対峙しつつ時間を稼いだ方がいいのではないかと頭をかすめ――いや、少数ではあるが魔族の残党もいる。得策ではない。
鉄くささと焼け焦げる臭いが、鼻を突き噎せる。被った血糊も一瞬で気化され、粘性を伴う。窺う周囲は、先ほどまで息のあったはずの者も肉片か消し炭と化している。戦力としては期待できない。元々王の動かせる手勢は少ない上に、実力者達がこぞって姿を消している間に行われた不意打ち。内情を知り、どう考えても謀られている。
せめて竜だけでもなんとかできないものかと弱まった火力に顔を上げれば、親の火口は子を捕えている人間に向けられている。
「まっ……!」
そのまま火を噴けば、子竜が巻き添えを食らう。
聞こえるはずもない中、声を上げ手の伸ばしたダニエルに一瞬、猛禽類の瞳が向いた気がした。残るは、炎に巻き上げられ炭となった元人と見えぬ壁に守られた子竜。突風と共に大きな体躯がその元に降り立つ。自力で持ち上げた子の首を支え労る姿に、人も竜も存外変わらないことを知らされる。むしろ人の方が不躾で血も涙もないことが多い。
親子の感動的な再会を目の当たりにしていれば、動く気配に気づくのが遅れた。
「……勘弁、してくれ」
いつの間にか大群の兵士に囲まれている。国旗と出で立ちから窺うに隣国兵らしい。
「周到な、ことだ……」
嫌に耳障りな吐息を自覚しながら嘆いたダニエルに、腕の中の君主が低く唸る。ここまで来れば、竜をはじめ魔族をけしかけた黒幕は自ずと想像つく。
だが理由がわからない。領土を広げるためか。もしくは他に目的があるのか。
呼吸すら怪しい中、酸欠の頭は満足に回らない。ダニエルは考えることを放棄した。まずは、目の前に迫る人の壁。
「生きてた、んすか……」
「むさ苦しい、野郎の胸で、死ねるか」
互いに散々な言い草だ。
「あんたを差し出せば、見逃してくれると思います?」
眼前を睨みつけて提案しながら、そんな生易しい相手ではないだろうと息をつく。
「お前は満足しない、だろうよ……」
軽口を叩きつつ、走らせる視線でザッと相手方の戦力を謀る。刃こぼれのない真新しい剣や弓、そして馬上から槍。余裕そうに持ち上げられる口角に、今さらながら苛立ちという感情を思い出す。対してこちらは深く負傷した王と、体力幾ばくも残っていない自らのみ。原型を留めず、心赴くままに嬲られるだろう。
「……あんた、どのくらい動ける」
最悪自分が周囲の兵を引きつけている間、隙を見て逃げ出せるか。可能性としては低いが、王の側近が気づいて引き返してくることを祈るしかない。
潜めた声にダニエルの決意を正確に読み取ったであろう。だが王はケロリと答える。
「無理だ。一歩も動けん」
続けられる言葉に、眉をひそめる。
「美談としては、及第点だ。だが、残念ながらそれは望んでいない。むしろこのまま俺の首を落とし、持って逃亡する方が好みだ。血なまぐさくてな」
クツリと喉で笑った男は、その瞳に愉快そうな光を宿した。
「――まあ、不要だが」
それはスローモーションのように。
喧騒溢れる中、異色の声音が耳を打つ。
「よくやった」
薄汚れた布きれが舞い降りる。
ローブを纏った老人の姿には覚えがあった。
ギラついた紫の瞳が、ダニエルを真っ直ぐに射る。
ちいさい陰が、眼前に迫る武装した騎士の集団との間に分け入り対峙する。
「あとは任せておけ」
「……ま、」
危険を覚えて伸ばしたダニエルの手は空を切る。
通る声が鋭く響く。
「くたばれクソッタレ」
コツ。
老人がひとつ杖で地を小突き、同時に白い光に塗れた一面。
「他に質問のある者」
「はい」
全身筋肉痛の中で挙手をしつつ、ダニエルは自らに視線が集まるのを興味なく流す。
「いつから作物は植えられますかね」
提起しながらも、当分は無理だろうなと思案する。
この地は血を吸いすぎている。むしろ新たな土地を開墾した方が早いだろう。
「しばらくは……だいぶ無理だな」
ため息をつき砕けた調子で返答したのはこの国の王様。本当ならば階級どころか出自も不明なダニエルが、馴れ馴れしく言葉を交していい身分ではない。むしろこの場にいることすら場違い。だが、それを咎める人間はいない。そもそもが動ける者自体が少ないのだ。
「あー……こんなことしてないで、畑耕そう」
残念ながら、耕す畑は荒らされてほとんど残っていない。
今後の国の方針を決める重大会議をこんなこと呼ばわりし、王はひとりごとのようにこぼす。つられるようにして見上げた先は、先日火竜に体当たりで破壊された天井。覗くは、青々とした空。確かに絶好の気候ではある、が。
「いや、あんたはまず身体治せよ」
死闘で瀕死だった王は、農作業をしたいとのたまう。
現在でも至る所に包帯を巻き、腕は片方を吊っている。先ほど足を引きずって歩いているのを見た。それこそ、先だっての戦いで自身が生命を賭して救った命である。間一髪で魔術師の介入がなければ、隣国騎士によってダニエル共々殲滅されていただろうことは容易に想像できるはずだ。目も眩むほどのまばゆい光の後、気づけば手当てされていた。兵士たちがどこに行ったのか、何がどうなったのか皆目見当つかなかった。
眉をひそめた言葉に、王を除いた一同が首肯する。
「聞こえない、聞こえないぞ!」
「ガキみたいに悪知恵しか働かない、部下の話をこれっぽっちも聞かない跳ねっ返りで手に負えない王は、少しくらい動けない方が周りが楽ってことっす」
不可抗力とはいえ、数え切れないほど蹴飛ばした。もしかしたら敵からの負傷よりも、ダニエルが負わせた打ち身の方がひどいかもしれないが、今のところお咎めなしなので問題ない。
たたみ掛けたダニエルの発言に目を丸くした王は周囲を見渡す。同情の余地なしと首肯する部下たち。
「そうだ、ダニー! お前も俺と同等もしくはそれ以上に負傷したはずなのに、なぜ動けている!」
「残念ながら、あんたに愛称で呼ばれるほど親しくありません」
ピシャリと言い放って、国の最高権威ににっこりと微笑んでやる。
「あんたより、俺の方が動いても周囲も面倒じゃないってことです」
『スーサ国』。
大きいか小さいかと問われれば、極小。豊富な水源に囲まれ農業が発達し、のんびりした国民性。いつまでも続くかと思われていた日常の均衡は、ひとりの王族の手によって遭えなく崩れ去った。
謀反を企て多くを切り捨て頂点に立った愚王を憂い、最後の希望として担ぎ上げられたのはちいさな農村出身の男。草むしりの好きだった前王末弟の一粒種。
それが、現在の王とは名ばかりのリチャードである。
はじめは愚王討伐への賛同を示していなかったものの、妻子を目の前で惨殺されたことから、農具を持ち畑を耕していた手は、剣を握り人をなぎ払うようになった。詳しい経緯は途中から招集されたダニエルには解らない。
確かなのは、内紛でリチャードが王として立ちまとめた直後、狙ったように襲撃をかけた魔物達が恐ろしく統率がとれていたという事実。通常では、個々に生息しているというのに、だ。さらに隣国からの攻めと相次ぎ、疲弊し動ける兵の数はわずか。
そこまでして現王が立ち向かうのは、ひとえに『妻や子の愛した国を守りたい』ただそれだけだというのが泣ける話。
王自らが先陣切り、半ばおとりのようにして隣国を退けて、やっと迎えた本日という日。
先は、まだ長い。
「無茶をするの」
細く注意深く息をついて軋む肋骨に奥歯を噛みしめれば、やや掠れた声が掛けられる。
いつの間に。
決め事はいくつかあったが各々体調を整えるようにと会議を締めくくられ、解散となった。
「ローレンス殿」
ダニエルの肩ほどしかない背は深くフードを被り、その表情は窺えない。細い枯れ枝のようなシワのある指で己の白い髭を弄ぶ。
「外は粗方治したが、中はまだだぞ」
王が喚いた通り、ダニエルも傷を負った。見た目としては王の方が重傷であるが、実際は内臓や骨の損傷などは自分の方が深いらしい。それを隠しているのは、どこに潜んでいるも知れない刺客を欺くためでもある。先日退けられたのは、ただの幸運でしかない。懐刀である魔術師が撃退した手は、今後通用しないと考えた方がいい。
「あれだけの魔術を使って、さらに俺や王を治療したあんたの方が無茶だろう」
迫り来る隣国の騎士達の武装も数も、こちらとは雲泥の差だった。ダニエルが気づかないだけで、あちらにも魔術師が居たかもしれない。考えようによっては、魔物を使役していた可能性もある。それを、この男はたった一人で。しかもこの瞬間にも魔術を展開して周囲の警戒を怠っていないはずだ。
「なんの事か、さっぱりだのぉ」
とぼけた魔術師は、ひとつちいさな物体を投げて寄越した。
「緊張を緩めて、少しは甘味でも楽しんでみたらいかがか?」
0
あなたにおすすめの小説
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる