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第二話 本当の居場所
第二話 一〇
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ぼんやりとした現実とはっきりとした夢の間を行ったり来たりすること、二週間。
いくら夜に活動していることに慣れていても、短時間睡眠で動けていても、ここまで連続するとさすがの美桜にも堪えた。夜半には目が冴えてしまい眠れず、昼間はうつらうつらした浅い眠りのために過去の罪を見せつけられるかのような悪夢を見る。夢の内容は様々であったが決まって思い出したくない過去のことばかりで、何度も何度も同じような夢を見た。
しかし、今見ている夢はいつもと少しだけ趣が異なっていた。
相手の懐目がけて飛び込んで心臓を一突き。短刀を引き抜き、血の雨を被りながら背後から迫ってきていた敵を横一閃になぎ払う。続いて右手から現れた敵の洗練さのない攻撃を跳躍してかわし、相手の背後に降り立ちざま短刀を振りかぶる。前から飛び出てきた新たな敵も流れで下から斬り上げた。
美桜は屍の円の中心に立っていた。
これが過去にあったことなら、美桜は無感情で無表情のまま、屍を背に歩き出すはずだ。だが、美桜が歩き出すことはない。否、できなかった。
遺体に成り果てたと思っていた一人が美桜の足首を掴んでいたからだ。
「……え」
(私が、確かに殺したはずなのに)
異変はそれだけではない。
山となった屍の何十対という目が一斉に美桜に向けられ、ぶつぶつとした呟きがまるで唱和のようにその場に反響した。
「…………死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね…………」
それは一体誰の声だったのだろう。
殺してきた数多の妖か、それとも自分か。
怨嗟の声を聞きながら、美桜はその場に泣き崩れた。
「ごめんなさい……っ。ちゃんと死ねなくて、ごめんなさい……!」
そこで美桜は夢から覚めた。どうやら午後の家事が一段落して居眠りしてしまったらしい。眠気を飛ばそうと美桜は緩く頭を振ったが、夢で見た生気のない目と呪詛のような声、足首を掴む手の冷たさが妙に生々しく残っていた。
(……。あとは……夕飯の支度だけね)
日の暮れかけた外を見て、そろそろ紫苑が帰ってくる時間だとぼんやり考える。空はどんよりとした厚い雲に覆われており、近くで雨の匂いがした。
(紫苑とまともに会話をしたのはいつだったかしら……)
会話どころか、目を合わせないようになってからも久しい。紫苑はしきりに美桜のことを案じている素振りを見せるが、美桜はその優しさを拒絶していた。今朝も紫苑は美桜に何か言いたそうにしていたが、当の美桜は気づかないふりをしていた。
かまどに火を熾し、野菜を洗う。体は疲れていても刷り込まれた動作をなぞるように勝手に動いた。鈍重な思考のまま、美桜は包丁を手に取り、そしてぴたりと動きを止めた。
そう、怨嗟の唱和は美桜にとってまさしく呪詛そのものだったのだ。
霞む視界には鈍色に光る包丁の刃だけが映っている。疲れ切った脳が霞がかった思考を生み出した。
(ちゃんと、死ななくちゃ……)
多少作りは違うものの包丁だって短刀と同じ刃物だ。急所は心得ている。
(今なら、自死をしても折檻はされない。止める人も、いない)
美桜はのろのろと包丁を持った腕を上げた。狙うのはいつかと同じ首に走る動脈だ。
包丁の刃がぎらりと光り、軌道はぶれることなく美桜の首に迫る。
(今度こそ、ちゃんと死んで……)
「美桜っ‼」
鋭い叫び声と同時に後ろから強い力で右手を掴まれ、その勢いのまま美桜は後ろに体勢を崩す。地面に倒れこむ寸前に握っていた包丁が弾き飛ばされて、美桜の手の届かない遠くへと滑っていった。
「……っ」
「……」
「……美、桜。何、してるの……?」
背後から問うた紫苑の声は恐怖に小さく震えていたが、美桜はただただ前を向いたままだった。先ほどまでの取り憑かれたような思考と現実を認識した思考が混ざり合う。それは紫苑への質問の答えというよりかは美桜の独白に近いものだった。虚ろな瞳のまま、感情ののらない平板な声で美桜はぶつぶつと呟く。
「死、のうと……してて。でも、また、失敗して……」
「……」
「もう、疲れて、嫌で……。終わりに、したくて、できなくて……」
「……」
「死に、たかった、のに……」
美桜の意思を言葉として聞いてしまった紫苑はその場で硬直してしまう。拘束が緩んだことで、美桜はまるで幽鬼のようにゆらりと立ち上がると勝手口の方へと歩いていった。
すでに外は暗く、雨が降り出していた。
紫苑は弾かれたように立ち上がると美桜の背を追って勝手口を飛び出した。
「……っ、いない……!」
妖ほど夜目が効かない人間の紫苑にとっては、雲の向こうに月も星も隠れている夜は暗闇も同然だ。しかし美桜は違う。本性に戻れば夜目が利くし、運動能力も飛躍的に上がる。
人里離れた木々ばかりのこの場所で、視界も足場も悪い中、たった一人を探し出すのはなかなかに難しいことだ。
(でも、だから何だって言うんだ)
もう失いたくない。奪われたくない。
あの日、美桜の命をつなぎとめたときに決めたではないか。責められても恨まれても、それでも二人笑い合って生きる日々を信じようと。
もし美桜が希望を見出せないのなら、他でもない自分が希望になろう。絶望のただ中にいるのなら、誰より自分が寄り添い続けよう。
(絶対に、美桜をひとりにはしないから)
紫苑は雨夜の中にその身を躍らせた。
いくら夜に活動していることに慣れていても、短時間睡眠で動けていても、ここまで連続するとさすがの美桜にも堪えた。夜半には目が冴えてしまい眠れず、昼間はうつらうつらした浅い眠りのために過去の罪を見せつけられるかのような悪夢を見る。夢の内容は様々であったが決まって思い出したくない過去のことばかりで、何度も何度も同じような夢を見た。
しかし、今見ている夢はいつもと少しだけ趣が異なっていた。
相手の懐目がけて飛び込んで心臓を一突き。短刀を引き抜き、血の雨を被りながら背後から迫ってきていた敵を横一閃になぎ払う。続いて右手から現れた敵の洗練さのない攻撃を跳躍してかわし、相手の背後に降り立ちざま短刀を振りかぶる。前から飛び出てきた新たな敵も流れで下から斬り上げた。
美桜は屍の円の中心に立っていた。
これが過去にあったことなら、美桜は無感情で無表情のまま、屍を背に歩き出すはずだ。だが、美桜が歩き出すことはない。否、できなかった。
遺体に成り果てたと思っていた一人が美桜の足首を掴んでいたからだ。
「……え」
(私が、確かに殺したはずなのに)
異変はそれだけではない。
山となった屍の何十対という目が一斉に美桜に向けられ、ぶつぶつとした呟きがまるで唱和のようにその場に反響した。
「…………死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね…………」
それは一体誰の声だったのだろう。
殺してきた数多の妖か、それとも自分か。
怨嗟の声を聞きながら、美桜はその場に泣き崩れた。
「ごめんなさい……っ。ちゃんと死ねなくて、ごめんなさい……!」
そこで美桜は夢から覚めた。どうやら午後の家事が一段落して居眠りしてしまったらしい。眠気を飛ばそうと美桜は緩く頭を振ったが、夢で見た生気のない目と呪詛のような声、足首を掴む手の冷たさが妙に生々しく残っていた。
(……。あとは……夕飯の支度だけね)
日の暮れかけた外を見て、そろそろ紫苑が帰ってくる時間だとぼんやり考える。空はどんよりとした厚い雲に覆われており、近くで雨の匂いがした。
(紫苑とまともに会話をしたのはいつだったかしら……)
会話どころか、目を合わせないようになってからも久しい。紫苑はしきりに美桜のことを案じている素振りを見せるが、美桜はその優しさを拒絶していた。今朝も紫苑は美桜に何か言いたそうにしていたが、当の美桜は気づかないふりをしていた。
かまどに火を熾し、野菜を洗う。体は疲れていても刷り込まれた動作をなぞるように勝手に動いた。鈍重な思考のまま、美桜は包丁を手に取り、そしてぴたりと動きを止めた。
そう、怨嗟の唱和は美桜にとってまさしく呪詛そのものだったのだ。
霞む視界には鈍色に光る包丁の刃だけが映っている。疲れ切った脳が霞がかった思考を生み出した。
(ちゃんと、死ななくちゃ……)
多少作りは違うものの包丁だって短刀と同じ刃物だ。急所は心得ている。
(今なら、自死をしても折檻はされない。止める人も、いない)
美桜はのろのろと包丁を持った腕を上げた。狙うのはいつかと同じ首に走る動脈だ。
包丁の刃がぎらりと光り、軌道はぶれることなく美桜の首に迫る。
(今度こそ、ちゃんと死んで……)
「美桜っ‼」
鋭い叫び声と同時に後ろから強い力で右手を掴まれ、その勢いのまま美桜は後ろに体勢を崩す。地面に倒れこむ寸前に握っていた包丁が弾き飛ばされて、美桜の手の届かない遠くへと滑っていった。
「……っ」
「……」
「……美、桜。何、してるの……?」
背後から問うた紫苑の声は恐怖に小さく震えていたが、美桜はただただ前を向いたままだった。先ほどまでの取り憑かれたような思考と現実を認識した思考が混ざり合う。それは紫苑への質問の答えというよりかは美桜の独白に近いものだった。虚ろな瞳のまま、感情ののらない平板な声で美桜はぶつぶつと呟く。
「死、のうと……してて。でも、また、失敗して……」
「……」
「もう、疲れて、嫌で……。終わりに、したくて、できなくて……」
「……」
「死に、たかった、のに……」
美桜の意思を言葉として聞いてしまった紫苑はその場で硬直してしまう。拘束が緩んだことで、美桜はまるで幽鬼のようにゆらりと立ち上がると勝手口の方へと歩いていった。
すでに外は暗く、雨が降り出していた。
紫苑は弾かれたように立ち上がると美桜の背を追って勝手口を飛び出した。
「……っ、いない……!」
妖ほど夜目が効かない人間の紫苑にとっては、雲の向こうに月も星も隠れている夜は暗闇も同然だ。しかし美桜は違う。本性に戻れば夜目が利くし、運動能力も飛躍的に上がる。
人里離れた木々ばかりのこの場所で、視界も足場も悪い中、たった一人を探し出すのはなかなかに難しいことだ。
(でも、だから何だって言うんだ)
もう失いたくない。奪われたくない。
あの日、美桜の命をつなぎとめたときに決めたではないか。責められても恨まれても、それでも二人笑い合って生きる日々を信じようと。
もし美桜が希望を見出せないのなら、他でもない自分が希望になろう。絶望のただ中にいるのなら、誰より自分が寄り添い続けよう。
(絶対に、美桜をひとりにはしないから)
紫苑は雨夜の中にその身を躍らせた。
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