31 / 52
第三話 束の間の平穏
第三話 七
しおりを挟む
それから長く長く感じられる時間がじりじりと過ぎ、子の刻に差しかかろうかという頃になって、玄関の戸が引き開けられる音がした。美桜はすぐに玄関へと走った。
「紫苑!」
「遅くなってごめんね。ただいま、美桜」
果たしてそこには間違いなく紫苑本人が立っていた。
「いいえ、帰ってきてくれたならそれでいいの……。おかえりなさい、紫苑」
緊張が緩み、今になって涙が滲む。涙ぐむ美桜の頭を紫苑はあやすように左手で撫でた。
「不安だったよね。本当にごめん」
美桜は小さく頭を振った。
紫苑は美桜が落ち着くのを待ってから、薄暗い玄関から行灯の灯りが灯る居間へ移動した。そしてそこで美桜ははっと目を見開いた。
「紫苑、怪我してるの?」
暗い玄関では気づかなかったが、紫苑の右上腕は着物ごとすっぱりと切れていた。既視感のありすぎる傷口に美桜はすぐに直感する。
(短刀による傷……?)
美桜が深く考える前に、紫苑が口を開いた。
「仕事で少し下手を打っただけ。大した怪我じゃないから大丈夫だよ」
紫苑の言う通り、傷口から呪詛の類の気配はしないし、出血もほとんど止まっている。それでも痛みはあるのだろう。先ほど美桜の頭を撫でるとき利き手の右腕ではなく左腕を持ち上げたことがその証左だ。
「だからといって、このままではいけないわ。待っていて、手当てをしましょう」
紫苑が何かを言う前に美桜は救急箱を持ってくると、慣れた手つきで傷口の消毒をし、包帯を巻いていった。
式神に降されたばかりのころ、美桜はよく怪我をしていた。そのときは自分で対処するしかなく身に着けた処置だったが、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
「他には怪我をしていない?」
「うん、ありがとう。だけど……」
伸びてきた紫苑の左手がふわりと美桜の右手に触れる。
「……やっぱり、冷たい」
急に縮まった距離に美桜の心音がとくんと跳ねる。数日前のことが思い起こされ、瞬時に頬に熱が上るも、美桜の指先は先ほどまでの緊張と不安の余韻で冷えたままだ。
紫苑は自身の熱を分け与えるかのようにそのまま指先を絡めると、軽く腕を引いた。力はさほど強くなかったが突然のことに美桜の体勢はあっけなく崩れて、紫苑の胸に倒れこむ形となる。
とくとくと心臓が早鐘を打つ音がするが、それは一体どちらのものだろう。
心音と体温が混じりあい、思考が熱に溶けていく。
冷たかった美桜の指先はじんわりと熱を帯び始めていたが、紫苑は指を離すどころか反対にきゅっと力を強めた。それに応えるように美桜もつながれた手に力をこめる。
(あたたかい……。紫苑はちゃんとここにいるわ)
ようやく安堵し、美桜は甘えるように紫苑に体重を預ける。紫苑はゆっくりと右腕を動かすと優しく美桜の身を抱き寄せた。
心地よい温もりに包まれてうとうとし始める美桜を見て、紫苑は小さく笑みをこぼす。
「おやすみ、美桜」
額に熱が落とされる感覚を最後に、美桜は紫苑の腕の中で眠りについた。
「紫苑!」
「遅くなってごめんね。ただいま、美桜」
果たしてそこには間違いなく紫苑本人が立っていた。
「いいえ、帰ってきてくれたならそれでいいの……。おかえりなさい、紫苑」
緊張が緩み、今になって涙が滲む。涙ぐむ美桜の頭を紫苑はあやすように左手で撫でた。
「不安だったよね。本当にごめん」
美桜は小さく頭を振った。
紫苑は美桜が落ち着くのを待ってから、薄暗い玄関から行灯の灯りが灯る居間へ移動した。そしてそこで美桜ははっと目を見開いた。
「紫苑、怪我してるの?」
暗い玄関では気づかなかったが、紫苑の右上腕は着物ごとすっぱりと切れていた。既視感のありすぎる傷口に美桜はすぐに直感する。
(短刀による傷……?)
美桜が深く考える前に、紫苑が口を開いた。
「仕事で少し下手を打っただけ。大した怪我じゃないから大丈夫だよ」
紫苑の言う通り、傷口から呪詛の類の気配はしないし、出血もほとんど止まっている。それでも痛みはあるのだろう。先ほど美桜の頭を撫でるとき利き手の右腕ではなく左腕を持ち上げたことがその証左だ。
「だからといって、このままではいけないわ。待っていて、手当てをしましょう」
紫苑が何かを言う前に美桜は救急箱を持ってくると、慣れた手つきで傷口の消毒をし、包帯を巻いていった。
式神に降されたばかりのころ、美桜はよく怪我をしていた。そのときは自分で対処するしかなく身に着けた処置だったが、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
「他には怪我をしていない?」
「うん、ありがとう。だけど……」
伸びてきた紫苑の左手がふわりと美桜の右手に触れる。
「……やっぱり、冷たい」
急に縮まった距離に美桜の心音がとくんと跳ねる。数日前のことが思い起こされ、瞬時に頬に熱が上るも、美桜の指先は先ほどまでの緊張と不安の余韻で冷えたままだ。
紫苑は自身の熱を分け与えるかのようにそのまま指先を絡めると、軽く腕を引いた。力はさほど強くなかったが突然のことに美桜の体勢はあっけなく崩れて、紫苑の胸に倒れこむ形となる。
とくとくと心臓が早鐘を打つ音がするが、それは一体どちらのものだろう。
心音と体温が混じりあい、思考が熱に溶けていく。
冷たかった美桜の指先はじんわりと熱を帯び始めていたが、紫苑は指を離すどころか反対にきゅっと力を強めた。それに応えるように美桜もつながれた手に力をこめる。
(あたたかい……。紫苑はちゃんとここにいるわ)
ようやく安堵し、美桜は甘えるように紫苑に体重を預ける。紫苑はゆっくりと右腕を動かすと優しく美桜の身を抱き寄せた。
心地よい温もりに包まれてうとうとし始める美桜を見て、紫苑は小さく笑みをこぼす。
「おやすみ、美桜」
額に熱が落とされる感覚を最後に、美桜は紫苑の腕の中で眠りについた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる