【本編完結】春待つ桜 君待つ紫苑

南 鈴紀

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第三話 束の間の平穏

第三話 七

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 それから長く長く感じられる時間がじりじりと過ぎ、子の刻に差しかかろうかという頃になって、玄関の戸が引き開けられる音がした。美桜はすぐに玄関へと走った。
「紫苑!」
「遅くなってごめんね。ただいま、美桜」
 果たしてそこには間違いなく紫苑本人が立っていた。
「いいえ、帰ってきてくれたならそれでいいの……。おかえりなさい、紫苑」
 緊張が緩み、今になって涙が滲む。涙ぐむ美桜の頭を紫苑はあやすように左手で撫でた。
「不安だったよね。本当にごめん」
 美桜は小さく頭を振った。
 紫苑は美桜が落ち着くのを待ってから、薄暗い玄関から行灯の灯りが灯る居間へ移動した。そしてそこで美桜ははっと目を見開いた。
「紫苑、怪我してるの?」
 暗い玄関では気づかなかったが、紫苑の右上腕は着物ごとすっぱりと切れていた。既視感のありすぎる傷口に美桜はすぐに直感する。
(短刀による傷……?)
 美桜が深く考える前に、紫苑が口を開いた。
「仕事で少し下手を打っただけ。大した怪我じゃないから大丈夫だよ」
 紫苑の言う通り、傷口から呪詛の類の気配はしないし、出血もほとんど止まっている。それでも痛みはあるのだろう。先ほど美桜の頭を撫でるとき利き手の右腕ではなく左腕を持ち上げたことがその証左だ。
「だからといって、このままではいけないわ。待っていて、手当てをしましょう」
 紫苑が何かを言う前に美桜は救急箱を持ってくると、慣れた手つきで傷口の消毒をし、包帯を巻いていった。
 式神に降されたばかりのころ、美桜はよく怪我をしていた。そのときは自分で対処するしかなく身に着けた処置だったが、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
「他には怪我をしていない?」
「うん、ありがとう。だけど……」
 伸びてきた紫苑の左手がふわりと美桜の右手に触れる。
「……やっぱり、冷たい」
 急に縮まった距離に美桜の心音がとくんと跳ねる。数日前のことが思い起こされ、瞬時に頬に熱が上るも、美桜の指先は先ほどまでの緊張と不安の余韻で冷えたままだ。
 紫苑は自身の熱を分け与えるかのようにそのまま指先を絡めると、軽く腕を引いた。力はさほど強くなかったが突然のことに美桜の体勢はあっけなく崩れて、紫苑の胸に倒れこむ形となる。
 とくとくと心臓が早鐘を打つ音がするが、それは一体どちらのものだろう。
 心音と体温が混じりあい、思考が熱に溶けていく。
 冷たかった美桜の指先はじんわりと熱を帯び始めていたが、紫苑は指を離すどころか反対にきゅっと力を強めた。それに応えるように美桜もつながれた手に力をこめる。
(あたたかい……。紫苑はちゃんとここにいるわ)
 ようやく安堵し、美桜は甘えるように紫苑に体重を預ける。紫苑はゆっくりと右腕を動かすと優しく美桜の身を抱き寄せた。
 心地よい温もりに包まれてうとうとし始める美桜を見て、紫苑は小さく笑みをこぼす。
「おやすみ、美桜」
 額に熱が落とされる感覚を最後に、美桜は紫苑の腕の中で眠りについた。
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