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第四話 過去との決別
第四話 一一
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美桜が振り返るとちょうど紫苑が立ち上がるところだった。
「紫苑、何していたの?」
「あ、美桜ちゃん」
紫苑の傍らで立ったまま膝に手を当てていた楓がぱっと振り向く。
紫苑は美桜に怪我がひとつもないことを確認して、ほっと僅かに表情を和らげた。
「戸塚の居場所を卜占で探ってた」
純子が口を割らない以上、ひとまず彼女を倒してから、地道に戸塚を探すしかないと考えていた美桜は目を丸くした。
「わかったの?」
紫苑はこくりと頷くと、林の出口の先へと鋭い視線を投げかけた。
「おそらく戸塚は駅に向かって逃げてる。急いで追いかけよう。……美桜、まだ走れる?」
「ええ」
「じゃあ俺はここに残って、倒した式神たちを一応見張ってるよ」
「わかった。行こう、美桜」
この場を楓に任せると、紫苑はさっと走り出した。美桜もすぐに紫苑の後に続く。
林を抜けると、膝下までもの草丈のある雑草が生い茂る野に出た。遮るものがないため、美桜たちはすぐに戸塚の後姿を見つけることができた。一方で、戸塚は逃げることに必死なようで、未だに美桜たちの気配に気づいていないようだ。
美桜と紫苑は目配せし合って、互いにこくりと頷いた。言葉を交わさずとも十分だった。
美桜は強く地を蹴ると高く跳躍し、戸塚の前に回って短刀を振り上げた。
「終わりにしましょう」
「なっ⁉」
戸塚はただ愕然とするばかりで身動ぎひとつできないでいた。式神に頼り続けていた戸塚自身の戦闘能力はそう高くはない。不意を突いた美桜の一刀は戸塚にとっては致命的なものだった。
美桜は着地しながら戸塚を地面に押し倒すと、その勢いのまま彼の首の真横に短刀を突き立てる。ひゅっと喉を鳴らし、青ざめる戸塚を美桜は冷たいまなざしで見下ろしていた。
「もう私たちには関わらないと誓って」
「……ふん」
戸塚は嘲笑に鼻を鳴らし、顔を歪める。美桜は地面から短刀を引き抜くと、今度は刃をぴたりと戸塚の首にあてた。
「私があなたを殺せないと、あなたは侮っているようだけれど、勘違いしないで」
美桜の纏う空気が凍えそうなほどに冷たくなる。びくりと戸塚が体を揺らすとその拍子に刃が触れたのか、戸塚の首筋からつーっと血が伝った。
「殺す気がなくても、怪我をさせることくらいなら厭わないわ」
自らは前線に立たず、式神任せにするくらいだから、戸塚が臆病者であることは美桜にもわかっていた。ここまで脅せば戸塚も諾と答えるだろうという美桜の予想はあたった。
「……わかっ、た」
抵抗する術がないことを戸塚自身も理解しているからか、彼は呻くように呟いた。
二の舞にならないように、美桜は周囲に戸塚の式神がいないことを確認してから彼の上から退いた。
戸塚はのろのろと上半身を起こしたものの、茫然自失として地面に座り込んだまま何事かをぶつぶつと呟いていた。
「……、……」
項垂れているため戸塚の表情は読めないが、漂う空気は昏く重い。諦念と憔悴を滲ませているのだろうと思う一方で、どうにも美桜の胸はざわついて落ち着かない。
いよいよ怪訝に思った美桜が戸塚のほとんど音にならないささやき声に耳を傾けた、その時。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前!」
九字を切る紫苑の鋭い声が響く。同時に美桜は紫苑に強く腕を引かれ、瞬きの間に彼の胸の内にいた。
一体何が起こったのか、美桜が状況を理解しようととっさに顔を上げると、紫苑は厳しい視線を美桜の背後に向けていた。そしてそちらの方から重たいものが落ちたようなどさりといった音と男の苦しげなうめき声が聞こえてきた。
「う、ぅ……」
ほとんど反射的に背後を振り向いた美桜は目を見開き、固まった。
そこでは血の気が引いた青白い顔を苦痛に歪め、左胸を強く抑える戸塚が地面に倒れこんでいた。彼はまさに虫の息で、焦点の定まらない瞳を虚空に向けている。
「え……」
言葉を失った美桜はただただ目の前の光景から目を離せずにいた。
(私は彼を殺さなかったはず、なのに。どうして……?)
そのとき混乱する美桜を確かな現実に引き戻す声が落ちてきた。
「……美桜」
美桜がゆるゆると顔を紫苑の方へ向けると、紫苑は緊張を解かないまま硬い表情で美桜を見つめ返した。
「大丈夫だった? 痛いところや苦しいところはない?」
美桜は戸惑いながらも頷きを返す。
「ええ、私は何ともないわ……」
「そう、良かった……」
紫苑は明らかにほっとした様子で詰めていた息を吐く。
「けれど、これは……?」
ちらりと美桜が戸塚に視線を投げると、紫苑はすっと表情を消し、冷徹な瞳で戸塚を見下ろした。
「戸塚は美桜に呪詛を向かわせようとしていた。だから僕が呪詛返しをした。……因果応報、自業自得だよ」
紫苑は吐き捨てるようにそう言った。
「とはいえここに放置しておくわけにもいかないから、一応は東の陰陽省に身柄を引き渡そうと思ってる」
さすがに戸塚を擁護する気にはなれなかった美桜は静かに「そう……」とだけ答えた。
戸塚は従わないならと美桜を殺そうとしたのだろう。しかし思いがけず紫苑が呪詛返しをしたことで、抱いた殺意の分だけその呪いに自らの身命を蝕まれている。この分だと死ぬ確率の方が高く、万が一生きられたとしても元の状態に戻れるかは微妙なところだった。
いずれにせよ、美桜にとっての脅威は去った。
美桜は紫苑の胸の内で硬く目を瞑った。すると頭上から静かな声が降ってきた。
「終わったね」
「ええ、そうね……」
こうして美桜と紫苑は因縁絡む過去と決別を果たしたのだった。
「紫苑、何していたの?」
「あ、美桜ちゃん」
紫苑の傍らで立ったまま膝に手を当てていた楓がぱっと振り向く。
紫苑は美桜に怪我がひとつもないことを確認して、ほっと僅かに表情を和らげた。
「戸塚の居場所を卜占で探ってた」
純子が口を割らない以上、ひとまず彼女を倒してから、地道に戸塚を探すしかないと考えていた美桜は目を丸くした。
「わかったの?」
紫苑はこくりと頷くと、林の出口の先へと鋭い視線を投げかけた。
「おそらく戸塚は駅に向かって逃げてる。急いで追いかけよう。……美桜、まだ走れる?」
「ええ」
「じゃあ俺はここに残って、倒した式神たちを一応見張ってるよ」
「わかった。行こう、美桜」
この場を楓に任せると、紫苑はさっと走り出した。美桜もすぐに紫苑の後に続く。
林を抜けると、膝下までもの草丈のある雑草が生い茂る野に出た。遮るものがないため、美桜たちはすぐに戸塚の後姿を見つけることができた。一方で、戸塚は逃げることに必死なようで、未だに美桜たちの気配に気づいていないようだ。
美桜と紫苑は目配せし合って、互いにこくりと頷いた。言葉を交わさずとも十分だった。
美桜は強く地を蹴ると高く跳躍し、戸塚の前に回って短刀を振り上げた。
「終わりにしましょう」
「なっ⁉」
戸塚はただ愕然とするばかりで身動ぎひとつできないでいた。式神に頼り続けていた戸塚自身の戦闘能力はそう高くはない。不意を突いた美桜の一刀は戸塚にとっては致命的なものだった。
美桜は着地しながら戸塚を地面に押し倒すと、その勢いのまま彼の首の真横に短刀を突き立てる。ひゅっと喉を鳴らし、青ざめる戸塚を美桜は冷たいまなざしで見下ろしていた。
「もう私たちには関わらないと誓って」
「……ふん」
戸塚は嘲笑に鼻を鳴らし、顔を歪める。美桜は地面から短刀を引き抜くと、今度は刃をぴたりと戸塚の首にあてた。
「私があなたを殺せないと、あなたは侮っているようだけれど、勘違いしないで」
美桜の纏う空気が凍えそうなほどに冷たくなる。びくりと戸塚が体を揺らすとその拍子に刃が触れたのか、戸塚の首筋からつーっと血が伝った。
「殺す気がなくても、怪我をさせることくらいなら厭わないわ」
自らは前線に立たず、式神任せにするくらいだから、戸塚が臆病者であることは美桜にもわかっていた。ここまで脅せば戸塚も諾と答えるだろうという美桜の予想はあたった。
「……わかっ、た」
抵抗する術がないことを戸塚自身も理解しているからか、彼は呻くように呟いた。
二の舞にならないように、美桜は周囲に戸塚の式神がいないことを確認してから彼の上から退いた。
戸塚はのろのろと上半身を起こしたものの、茫然自失として地面に座り込んだまま何事かをぶつぶつと呟いていた。
「……、……」
項垂れているため戸塚の表情は読めないが、漂う空気は昏く重い。諦念と憔悴を滲ませているのだろうと思う一方で、どうにも美桜の胸はざわついて落ち着かない。
いよいよ怪訝に思った美桜が戸塚のほとんど音にならないささやき声に耳を傾けた、その時。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前!」
九字を切る紫苑の鋭い声が響く。同時に美桜は紫苑に強く腕を引かれ、瞬きの間に彼の胸の内にいた。
一体何が起こったのか、美桜が状況を理解しようととっさに顔を上げると、紫苑は厳しい視線を美桜の背後に向けていた。そしてそちらの方から重たいものが落ちたようなどさりといった音と男の苦しげなうめき声が聞こえてきた。
「う、ぅ……」
ほとんど反射的に背後を振り向いた美桜は目を見開き、固まった。
そこでは血の気が引いた青白い顔を苦痛に歪め、左胸を強く抑える戸塚が地面に倒れこんでいた。彼はまさに虫の息で、焦点の定まらない瞳を虚空に向けている。
「え……」
言葉を失った美桜はただただ目の前の光景から目を離せずにいた。
(私は彼を殺さなかったはず、なのに。どうして……?)
そのとき混乱する美桜を確かな現実に引き戻す声が落ちてきた。
「……美桜」
美桜がゆるゆると顔を紫苑の方へ向けると、紫苑は緊張を解かないまま硬い表情で美桜を見つめ返した。
「大丈夫だった? 痛いところや苦しいところはない?」
美桜は戸惑いながらも頷きを返す。
「ええ、私は何ともないわ……」
「そう、良かった……」
紫苑は明らかにほっとした様子で詰めていた息を吐く。
「けれど、これは……?」
ちらりと美桜が戸塚に視線を投げると、紫苑はすっと表情を消し、冷徹な瞳で戸塚を見下ろした。
「戸塚は美桜に呪詛を向かわせようとしていた。だから僕が呪詛返しをした。……因果応報、自業自得だよ」
紫苑は吐き捨てるようにそう言った。
「とはいえここに放置しておくわけにもいかないから、一応は東の陰陽省に身柄を引き渡そうと思ってる」
さすがに戸塚を擁護する気にはなれなかった美桜は静かに「そう……」とだけ答えた。
戸塚は従わないならと美桜を殺そうとしたのだろう。しかし思いがけず紫苑が呪詛返しをしたことで、抱いた殺意の分だけその呪いに自らの身命を蝕まれている。この分だと死ぬ確率の方が高く、万が一生きられたとしても元の状態に戻れるかは微妙なところだった。
いずれにせよ、美桜にとっての脅威は去った。
美桜は紫苑の胸の内で硬く目を瞑った。すると頭上から静かな声が降ってきた。
「終わったね」
「ええ、そうね……」
こうして美桜と紫苑は因縁絡む過去と決別を果たしたのだった。
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