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第七話 邂逅と予兆
第七話 七
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二戦目は一対一で助言をしあいながら戦いの形をとることになった。先ほどのおさらいを兼ねて、あかりは結月と、秋之介は昴と組み合う。
「あかりの素早さは、活かせる。霊剣も強力だけど、言霊も同時行使できない?」
結月からの助言にあかりは渋い顔をした。
「慌てちゃうと言葉が出てこないんだよね……」
「そう」
結月はしばらく中空を見つめていたが、やがてあかりに視線を戻した。
「あかり、最近、咒言単体の修行はしてる?」
「してないわけじゃないけど、咒言とか祝詞とかを覚えるのは苦手だよ」
ばつが悪くなってあかりが目を逸らしながらぼそぼそと答えると、結月はひとつ頷いた。
「なら、今からやろう。おれが見る」
咒言を唱えて霊符を発動させる霊符使いの結月は言わずもがな咒言に明るい。そんな彼が修行に付き合ってくれるというのならこんなに心強いことはなかった。普段は気が進まない咒言の修行も、今回ばかりは楽しみになりつつあり、あかりの顔は自然とほころんでいた。
「わかった」
結月が昴に一声かけ、あかりと結月は裏庭に面する稽古場にあがった。あかりが自室から必要な道具一式を持ってくると、さっそく咒言の修行が始まった。
正面に広がる裏庭からは秋之介の叫び声と昴の厳しい声が聞こえてくる。結月はそちらを一瞥したが、すぐにあかりに向き直った。
「あかりが憶えてる咒言、どのくらいある?」
あかりは視線を右上に投げて、思いつく限りを口にした。
「えーっと、朱咲護神、身上護神、心上護神とかはよく使うかな。あとは病傷平癒とか……」
「うん、基本はできてる。だったら、応用を覚えよう。例えば……」
結月は筆を手に取って、半紙に流麗な文字を書きつける。あかりは結月の手元を覗き込んで書かれた咒言を読み上げた。
「『業邪焼払』?」
「業も邪気も焼き払う、っていう意味」
人や妖を攻撃するのではなく、あくまでも彼らに憑く悪意あるものを祓うという考え方は実に結月らしい。できることなら誰も傷つけたくない、あかりにもそんな真似はさせたくないという彼の優しさがうかがい知れた。
「あかりも書く? その方が覚えやすい、かも」
「うん、書いてみる」
結月の書いた字を手本にして、あかりは何度か『業邪焼払』と書き取った。結月ほどきれいには書けないが、こめられた意味を意識して一文字ずつ丁寧に筆を運ぶ。あかりの真剣な横顔を目にして、結月は目を細めた。
「次は?」
満足いくまで書き取り練習をしたあかりがふっと顔を上げた。視線がかちりと交わると、結月ははっとして次の咒言を創り、同じように半紙に書いた。
「それにしても結月の字ってきれいだよね」
書き上げられた新たな咒言を見て、あかりが呟く。結月は筆を置くと「そう?」と小首を傾げた。あかりが結月に微笑みかける。
「うん。文字には人柄が出るっていうけど、本当だと思うよ」
止め跳ね払いを再現しつつも流れるような文字は美しく、真面目で繊細な結月らしさを表しているようだとあかりは思っていた。
あかりはあかりで丁寧さが伝わる読みやすい文字をしている。結月はあかりが文字を書いた半紙を撫でながら「そうだね」と小さな微笑を浮かべた。
「柔らかさもあって、力強さもある。おれは、あかりの字、好き」
「私も結月の字、好きだよ。見るとほっとするんだよね」
あかりの朗らかな笑顔に、結月の視線が縫い留められる。あかりは不思議そうな顔をした。
「どうかしたの?」
「……ううん。修行、再開しよう」
結月は緩く首を振ると、再び筆を手にする。あかりもまた結月の講義に再度集中した。
結果的に五つの咒言を教えてもらい、あかりがそれらをしっかり覚えるまで結月は根気強く付き合ってくれた。それが終わる頃には模擬実戦開始から一刻ほどが経過し、お昼時になっていた。
「疲れたー。昴、厳しすぎ」
「厳しいのは秋くん思ってこそだよ」
両手を頭上で組んで伸びをする秋之介は言葉の割に疲れてはいなさそうだった。昴も修行の疲れを感じさせない軽やかな笑顔だ。
対して、ほとんど動かずに話を聞き、字を書いていたあかりの方がよほどぐったりとしている。案じた結月があかりの顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「うん……。祝詞もそうだったけど、咒言を覚えるのもやっぱり大変だね」
あかりは疲れた笑みを浮かべた。見かねた昴がにこりと笑う。
「お疲れ様。あかりちゃんのためにも、すぐに昼食にしようか」
『昼食』の単語にあかりの顔がぱっと輝き、三人はおかしそうに吹き出した。
「食事を楽しめるあかりちゃんを見てると、今はまだ平和な方なんだなって気がするよね」
昴が快晴の空を見上げて、誰にともなく呟いた。耳を震わせた秋之介が「そうだな」と同意する。結月もあかりの表情を捉えて、「うん」と頷いた。
現実は厳しいが、あかりの笑顔はそれをも忘れさせるほどに眩しい。この平和の象徴を守り、失いたくない。あかりの笑顔は結月たちにとって、希望の光そのものなのだから。
一方で光を意識するほどに、影が存在を主張する。拭いきれない胸のざらつきもまた確かに存在するのだった。
「あかりの素早さは、活かせる。霊剣も強力だけど、言霊も同時行使できない?」
結月からの助言にあかりは渋い顔をした。
「慌てちゃうと言葉が出てこないんだよね……」
「そう」
結月はしばらく中空を見つめていたが、やがてあかりに視線を戻した。
「あかり、最近、咒言単体の修行はしてる?」
「してないわけじゃないけど、咒言とか祝詞とかを覚えるのは苦手だよ」
ばつが悪くなってあかりが目を逸らしながらぼそぼそと答えると、結月はひとつ頷いた。
「なら、今からやろう。おれが見る」
咒言を唱えて霊符を発動させる霊符使いの結月は言わずもがな咒言に明るい。そんな彼が修行に付き合ってくれるというのならこんなに心強いことはなかった。普段は気が進まない咒言の修行も、今回ばかりは楽しみになりつつあり、あかりの顔は自然とほころんでいた。
「わかった」
結月が昴に一声かけ、あかりと結月は裏庭に面する稽古場にあがった。あかりが自室から必要な道具一式を持ってくると、さっそく咒言の修行が始まった。
正面に広がる裏庭からは秋之介の叫び声と昴の厳しい声が聞こえてくる。結月はそちらを一瞥したが、すぐにあかりに向き直った。
「あかりが憶えてる咒言、どのくらいある?」
あかりは視線を右上に投げて、思いつく限りを口にした。
「えーっと、朱咲護神、身上護神、心上護神とかはよく使うかな。あとは病傷平癒とか……」
「うん、基本はできてる。だったら、応用を覚えよう。例えば……」
結月は筆を手に取って、半紙に流麗な文字を書きつける。あかりは結月の手元を覗き込んで書かれた咒言を読み上げた。
「『業邪焼払』?」
「業も邪気も焼き払う、っていう意味」
人や妖を攻撃するのではなく、あくまでも彼らに憑く悪意あるものを祓うという考え方は実に結月らしい。できることなら誰も傷つけたくない、あかりにもそんな真似はさせたくないという彼の優しさがうかがい知れた。
「あかりも書く? その方が覚えやすい、かも」
「うん、書いてみる」
結月の書いた字を手本にして、あかりは何度か『業邪焼払』と書き取った。結月ほどきれいには書けないが、こめられた意味を意識して一文字ずつ丁寧に筆を運ぶ。あかりの真剣な横顔を目にして、結月は目を細めた。
「次は?」
満足いくまで書き取り練習をしたあかりがふっと顔を上げた。視線がかちりと交わると、結月ははっとして次の咒言を創り、同じように半紙に書いた。
「それにしても結月の字ってきれいだよね」
書き上げられた新たな咒言を見て、あかりが呟く。結月は筆を置くと「そう?」と小首を傾げた。あかりが結月に微笑みかける。
「うん。文字には人柄が出るっていうけど、本当だと思うよ」
止め跳ね払いを再現しつつも流れるような文字は美しく、真面目で繊細な結月らしさを表しているようだとあかりは思っていた。
あかりはあかりで丁寧さが伝わる読みやすい文字をしている。結月はあかりが文字を書いた半紙を撫でながら「そうだね」と小さな微笑を浮かべた。
「柔らかさもあって、力強さもある。おれは、あかりの字、好き」
「私も結月の字、好きだよ。見るとほっとするんだよね」
あかりの朗らかな笑顔に、結月の視線が縫い留められる。あかりは不思議そうな顔をした。
「どうかしたの?」
「……ううん。修行、再開しよう」
結月は緩く首を振ると、再び筆を手にする。あかりもまた結月の講義に再度集中した。
結果的に五つの咒言を教えてもらい、あかりがそれらをしっかり覚えるまで結月は根気強く付き合ってくれた。それが終わる頃には模擬実戦開始から一刻ほどが経過し、お昼時になっていた。
「疲れたー。昴、厳しすぎ」
「厳しいのは秋くん思ってこそだよ」
両手を頭上で組んで伸びをする秋之介は言葉の割に疲れてはいなさそうだった。昴も修行の疲れを感じさせない軽やかな笑顔だ。
対して、ほとんど動かずに話を聞き、字を書いていたあかりの方がよほどぐったりとしている。案じた結月があかりの顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「うん……。祝詞もそうだったけど、咒言を覚えるのもやっぱり大変だね」
あかりは疲れた笑みを浮かべた。見かねた昴がにこりと笑う。
「お疲れ様。あかりちゃんのためにも、すぐに昼食にしようか」
『昼食』の単語にあかりの顔がぱっと輝き、三人はおかしそうに吹き出した。
「食事を楽しめるあかりちゃんを見てると、今はまだ平和な方なんだなって気がするよね」
昴が快晴の空を見上げて、誰にともなく呟いた。耳を震わせた秋之介が「そうだな」と同意する。結月もあかりの表情を捉えて、「うん」と頷いた。
現実は厳しいが、あかりの笑顔はそれをも忘れさせるほどに眩しい。この平和の象徴を守り、失いたくない。あかりの笑顔は結月たちにとって、希望の光そのものなのだから。
一方で光を意識するほどに、影が存在を主張する。拭いきれない胸のざらつきもまた確かに存在するのだった。
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