【本編完結】朱咲舞う

南 鈴紀

文字の大きさ
上 下
367 / 388
第二六話 繋がる想い

第二六話 一八

しおりを挟む
 雨は断続的に降り続け、眩しい太陽と雄大な青空を隠してからひと月が経とうとしていた。
ざあざあと降りしきる雨が身を打つ。小さな傷に雨がしみてじくりと痛み、葉月も終わりとはいえ例年ならまだ暑い時期であるにも関わらず身体は四肢の先からひんやりと冷え切っていた。
(まるで三年前のようだわ……)
 あのときもひと月以上の雨が続き、陰の国の侵攻に遭った。あの戦いで、あかりは大事なものを失った。愛していた両親も家臣も町民も、思い出深い南の地という土地も。三年が経っても心の傷が癒えきることはなく、それはきっとこの先も変わらないだろう。
(でも、この雨はその時とは違う。終わりの始まりの雨……。きっと最後の戦いになる)
 これ以上大事なものを失わないために、戦い、生き抜くと誓った。過酷な運命に抗った先、希望に満ち溢れた平和な世界で笑顔で一緒に生きようと約束したのだ。
 司の卜占ではこの戦いはあかりに『悲痛な結末』をもたらすと出たらしい。もちろん怖い。だけれど幾重にも重ねてきた約束があかりを支えていた。
(何があっても諦めない……! 私は私の望む未来を手に入れるために、希望を信じることを決して止めない!)
 顔を空から正面に戻すと、側に立つ結月と目が合った。
「あかり、大丈夫? 疲れてない?」
 淡々としているがあかりには結月が自分のことを心配してくれていることが手に取るようにわかった。そんな結月にあかりは強く微笑みかける。
「大丈夫。……諦めないって決めてるから」
 あかりは希望を真っ直ぐに信じる赤い瞳をきらめかせた。結月は魅入られるようにその瞳を見つめ返し、ふっと幽かに微笑んだ。
「……うん。おれも、あかりと同じ。約束があるから、頑張ろうって思える」
 つい先ほどまで陰の国の式神と式神使いと対峙していたために乱れた息を整え終えたあかりは結月に頷いて止めていた足を動かした。ここで悠長にしている場合ではない。最前線に飛び込んで戦わなくてはいけないのだから。
 全ては望む未来のために。いくつもの約束を守り、果たすために。

(どうしよう。失敗は許されないのに、このままじゃ……)
『あかり』
 涼やかで可憐な少女の声が落とされる。あかりははっと我に返った。
(朱咲様……)
『大丈夫じゃ。そなたの声は、祈りは、ちゃんと妾に届いたぞ。力が、足りないのだろう? ならば妾の神の力をそなたに分け与えよう。ただし……』
『神の力は人の身には余るものじゃ。強すぎる浄化の力はそなたをも巻き込んで、大事な何かを奪い去るやもしれん』
『……それでもなお、そなたは妾の手をとれるか?』
 ほんの一瞬、脳裏に過ったのは幼なじみ三人の顔だったが、あかりはすぐに(はい)ときっぱり答えた。
 迷ってはいけない。躊躇ってもいけない。この選択は正しいものではないかもしれないが、ここで朱咲の手をとらなければ望む未来へは進めない。たとえ一か八かの賭けになったとしても。
(大事な何かが失われたとしても、きっと私は取り戻すことを諦めないでしょう。それに結月と秋と昴がいる限り、大丈夫だと思えます。私は、私自身と私の大切な人たちのことを心から信じています)
 あかりの答えをきいた朱咲はどこか哀しげな微笑みの吐息をこぼした。
『そうか。そなたの決意は固いのだな。ならば妾もそれに応えるまでじゃ』
(朱咲様、ありがとうございます)
 霊剣を持つ手に温かな体温がふっと触れた気がした。
 直後、霊剣のまとう狐火がごうっと音を立てて燃え盛り、目を焼くような赤の光が閃いた。
(この一声で戦いを終わらせる!)
 空しいだけの哀しみの連鎖を止める。そしてこれからの未来に幸せと笑顔が満ち溢れるように心から祈る。
「青柳、白古、朱咲、玄舞、空陳、南寿、北斗、三体、玉女」
 九字を切り、あかりは霊剣を振りぬいた。この世の全ての邪気が祓われるように、明るい未来が切り拓かれるように。
「急々如律令‼」
 闇夜を切り裂いて照らすような強く明るい赤の光は、まるで昇りたての朝の太陽のようだった。

 鈴の音が高らかに鳴り、赤の世界の終わりを告げる。赤の光は収束し、青、白、黒の光が待つ場所へ還っていく。
その四色の光に導かれるようにして、あかりは一歩、また一歩と踏み出す。
「あかりちゃん」
 穏やかで柔らかな声に、歩調は軽やかになる。
「あかり」
 逞しく力強い声に、背を押される。
「あかり」
 優しくてあたたかな声に、手を伸ばす。
 今度はもう、大丈夫。
帰りたい場所、そこに待つ三人のかけがえのない大切で大好きな幼なじみの声も顔も姿も……。名前も、思い出せたから。
「昴、秋、結月……!」
 あかりはまばゆい光の向こうへ駆けて行った。
しおりを挟む

処理中です...