あやかし家族 〜五人の兄と愛され末妹〜

南 鈴紀

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第二話 家族

第二話 四

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「普通の暮らし、ですか……」
「何か問題でもあるの?」
 神楽に答えようとする千里は先ほどまでの滑らかさが一転して言い淀んでいる。
「ええ、まあ……。保護はしましたけど、鈴音の処遇は決まっていないんですよね。ひとまずこの本部で預かればいいだろう、と上には言われましたが……」
 どうやら相当な急務だったようで、鈴音に関する情報もほとんどなければ、今後の処遇も考えられていなかったらしい。
 確かに妖保護部隊本部でなら最低限の衣食住を保障することは可能だろう。ただしそれは自分のことをある程度は自分で世話できるという前提条件あってこそだ。それこそ普通の暮らしをしていたら自然に身に着くことも、今の鈴音には全くといっていいほど備わっていない。いくら聞き分けがいいからといって命令なしでは行動できないようでは本部で預かるのは難しい。本部の負担になる以前に、それでは鈴音のためにもならない。
 だからといってすぐに妙案が浮かぶわけもなく、千里は頭を悩ませていた。遥杜たちも考える素振りを見せていたが、雅仁だけはにやにやと薄く笑っていた。
 鴇羽が頬を膨らませて雅仁を上目遣いで軽く睨んだ。
「まさちゃんも、笑ってないで何か考えてよぅ」
「おや、そうかい? 三人以上いるから文殊よりすごい知恵が出てくるとばかり思っていたよ。しかし、可愛い弟のお願いは断れないからね」
 そして三拍おいてぱんっと大きく手を打ち鳴らした。
「ああ、ではこういうのはどうだろう! うん、我ながら良い案ではないかな」
「え、早」
 ほくほく笑顔の雅仁を見遣る遥杜の顔は引きつっており、『嫌な予感がする』と書いてある。雅仁は気づいていて無視しているのか、端から気にしていないのか、皆の胡乱気な視線などないもののようにへらへらと笑いながら、真っ直ぐに鈴音を見た。
「鈴音、処遇が決まるまでの間ぼくたちのもとへ来ないかい?」
 ぴんと空気が張りつめる。触れれば切れてしまいそうな緊張感の中、鈴音だけは当事者であるにもかかわらず表情を変えずに淡々と答えた。
「その命令は、今きいてるよ」
 彼らの話を聞くうちに、鈴音は現状を把握し、徐々に自ら置かれた立場を理解していた。
 『ぼくたちのもとへ』と雅仁は言ったが、そもそも昨日ここに来てから今に至るまで雅仁の命令があったから鈴音は本部に身を置いているのである。雅仁は現在鈴音がいる妖保護部隊本部で一番偉い人であり、予定通り本部預かりとなるなら監督責任は雅仁になるはずだ。新たな命令をきいたところで変わることなどないのだから、その命令に意味はない。
 鈴音が口を閉ざすと、雅仁はぱちりと目を瞬いて「ああ、誤解させたようだね」と鷹揚に頷いた。
「ぼくの言い方が悪かったね。保護部隊本部の預かりということでなく、わかりやすく言うなら……そうだね、『仮の家族』にならないかい、ということだよ」
「仮の、家族」
「そうそう。普通の暮らしを体験して最低限の常識を身につける期間だと思えばいいよ」
 なるほど、それなら新しい命令も理解できる。内容はわかったと鈴音はこくりと頷く。
「それが、次の命令?」
 当然肯定されるとばかり思っていたが、雅仁はすっと目を眇めた。
「ふむ、鈴音もこだわるねぇ。それならこれがぼくからの最後の命令ということにしよう」
 細められた金色の瞳は厳かな光を湛えている。
 この命令は必ず成し遂げなければいけないものだと直感した。どんなに無理難題を言いつけられても、一生かかってもできないようなことだとしても、鈴音には『やる』という選択肢しかない。それこそ神に誓う覚悟で。
 その神は静かに、清らかな声を響かせた。
「鈴音、命令に縛られるのをやめなさい」
「……」
「自分がどうしたいのか考えなさい、どう思っているのか向き合いなさい。自分の責任で、自分で決めて、自分の人生を歩みなさい」
 感情を失くし、言葉を失くし、自分を失くした。
 ないものだらけの鈴音では胸に芽生えた高揚感と不快な騒めきの混じり合った今の気持ちを正確に捉え、言葉に変換することは困難である。
 未知の命令は残酷で、けれど泣きたいくらいに優しいもので。
「わたし、は」
 鈴音が手を伸ばして伸ばして、でも届かなくて、いつしか諦めて。けれど最後まで求めていたはずだった厳しさと温もりが、ここには、ある。
(家族。……お父さんとお母さん)
 鈴音にとって家族とは幸せの象徴だった。決して裕福な暮らしではなかったが、両親からの惜しみない愛があったから慎ましやかな生活でも不幸だと思ったことはなかった。だからこそ優しい父母を亡くして、あたたかな日常を失って、鈴音は深い絶望を知った。あたり前だった日々の続きはもう紡がれないのだと。
 でも、もし、彼らと家族になれたなら、あたたかな日常の続きを再び紡ぐことができるだろうか。幸せだと、心から笑える日が来るだろうか。
 ずっと昔に失くしていた思いの一欠片を心の奥底で見つける。色褪せた願いが言葉に変わり、輝きを取り戻す。
「家族と、幸せに、生きること……また、願っても、いいの、かな」
 ぽつりぽつりと途切れがちで、消え入りそうなほど小さな声だった。自分の希望を口にすることは慣れていないので、間違っていたらどうしようとそわそわと落ち着かない。
「それは誰もが抱くことを許される願いだ。自信を持っていい。であるなら鈴音はどうしたい?」
 力強い雅仁の声に背を押されて、鈴音は顔を上げ、はっきりと望みを、意思を口にした。
「一時、仮でいいの。わたしを、家族にしてほしい」
 雅仁は満足げに慈愛に満ちた優しい微笑みを浮かべて、はっきりと宣言した。
「その望み、聞き届けた。兄として、鈴音の願いを必ず叶えると約束するよ」
 雅仁の金の双眸がきらりと煌めく。
 それは闇夜に冴える穢れない月の光のようだった。
 それは、覚めないと思い続けていた悪夢に射す一点の光のようだった。



 鈴音の一時的な処遇が決まり、そのまま雅仁が鈴音を連れ帰ることになった。家は同じなので当然遥杜も着いていこうと腰を上げる。
「遥杜、待ちなさい」
 鈴音の様子を夜通し見ていた神楽はおそらく徹夜明けだと思って油断した。職務に忠実な神楽が任務後の遥杜を放っておくことなどありえないのだ。
 にこりと笑ってごまかそうと試みる。
「神楽さん、疲れてるでしょ? 俺はほら、この通り元気だし心配しなくても……」
「私を騙せるとでも思っているの? いいから大人しく診察を受けなさい」
「……わかったよ」
 自分以上に良い笑顔でぴしゃりと言い退けられては、さすがの遥杜も諦めて従うしかなかった。
 遥杜の様子をうかがっていた千里が苦笑しながら小さく手を挙げる。
「なら、僕も残りますよ」
「千里は相変わらず過保護よね。小さい頃ならまだしも、遥杜だってもう子どもではないのに」
「いくつになっても弟は可愛い弟のままですよ。……それに、少し話しておきたいこともあるので」
 神楽は呆れかえっていたが千里は穏やかに笑んで流した。遥杜が心配だというのは本心だが、今ばかりは体が弱いことではなく『少し話しておきたいこと』の方が気がかりなのだろう。
 内容は大方予想がつく。
「俺は千里兄さんがいても気にしないよ」
「あら、そう。遥杜がそう言うなら、私がとやかく言うことではないわね」
 神楽もあっさり頷くと、雅仁たちには退室してもらい、医務室には遥杜、千里、神楽の三人となった。
 神楽は診察をしながら、ついでに説教もしてきた。
「また無茶したのですって? 瑠璃が心配してたわよ」
「見張り役の男のこと? だって瑠璃を斬りつけようとしてたからさ」
 思い出したらまた腹が立ってきた。むっとしながら答えると、神楽は呆れたとでもいいたげなため息を落とした。
「加減して峰打ちにしたけれど、結局蹴って気絶させたらしいじゃない。福塚ともやり合っていたのに、馬鹿ね」
「そりゃ斬った方が楽だけど、それだと瑠璃が可哀想じゃん。……もともと荒事が苦手なのに血まで見せらんないよ」
 神楽がじっと目をのぞきこんでくる。左目を観察した後、丁寧な手つきで遥杜の長い前髪を退けて右目を凝視する。右目は左目と同じく茶色をしているはずだ。そのためか神楽の診察もすぐに終わった。
「今回はこの程度で済んだけれど、度を超えた無理をしては駄目よ。特に鈴音を預かることになったからには日常生活でも気が抜けないのだから」
「言われなくても俺が一番わかってるよ」
 遥杜は軽く笑ってみせる。するとそれまで口を挟まず隣で座っているだけだった千里が静かな声を落とした。
「遥杜は、これでいいんですか」
 鈴音を家で預かることによって一番困ることになるのは遥杜だろう。雅仁もそれは理解しているはずだが、その上で鈴音を引き取る決定をしたのか。兄ではあるが雅仁の真意は読めないことも多い。だが意味のないことはしない人ではあるので、その点は信用していた。
「あんまり気分は良くないけど、俺が人間だって時点で今更でもあるんだよね。それに雅仁兄さんが決めたことだから、とりあえずはこれでいいんじゃない?」
 人間への消えない憎悪や嫌悪、家族への情や恩義。鈴音が半妖であるから余計に混乱する。まとまらない感情を抑え込むように、遥杜は朗らかに答えた。
「そうですか。なら、いいんです」
 千里もそれ以上は追及する気はないようで、席を立つ。遥杜もそれに続いて退室しようとすると神楽にまたも呼び止められた。
 診察は終わったはずだがまだ何か用があるのだろうか。訝しんでいると神楽に飴を握らされた。
「甘いものは心を落ち着かせるというわ。困ったらいつでもここへいらっしゃい」
「……うん、ありがとう」
 遥杜に残された血縁者はもういないし、神楽は雅仁たちのような家族でもないけれど、もし遥杜に祖母がいたら彼女のような存在なのかと時々思うことがある。遠くから優しく見守ってくれていざというときは支えになってくれる。少しお小言は多いが、こうして飴をくれることもある。それにほっとする自分がいた。
 それを神楽に直接伝えたら何と言われるかはわからないが、年齢だけで見ればあながち間違いでもないので『そうかもしれないわね』と笑ってくれるような気がした。
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