あやかし家族 〜五人の兄と愛され末妹〜

南 鈴紀

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第四話 変化

第四話 五

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「え~ん! やっぱりこうなったぁ……っ。まさちゃんのせいだからねっ」
「まさ兄ってば、せん兄がいなくなった途端遊びだすんだもん……」
「おや、朝から随分と不機嫌だね」
 朝食の準備中、雅仁がふらりと居間へ現れると、鴇羽は雅仁の背をぽかぽか叩き、瑠璃は一切雅仁と視線を合わせようとしなかった。
「それは不機嫌にもなるでしょう」
 鍋の様子を見ていた千里はちらと居間の方を振り返って雅仁へと冷たい視線を送る。
「兄さんが本気を出せば終わったかもしれないのに、終始ふざけていたんですから。そのせいで僕まで休日出勤ですよ」
 雅仁はへらへらと薄笑いを浮かべながら反論する。
「ぼくが本気を出しても終わらなかった可能性が大いにあったわけだ。それがわかっていたからできもしないことを請け合わなかっただけぼくは誠実だと思うけれど?」
「開き直らないでください。たとえそうだったとしても少しは頑張る姿勢を見せてほしかったですよ、全く……」
 雅仁の顔を見たくないとでもいうように、千里はさっさと口論を切り上げて鍋に向き直った。具材を突く箸の動きは心なしか荒い。
 朝からひりつく空気の中、のろのろと起き出してきたのは遥杜だった。
「おはよ……」
「はるちゃん、おはよう」
 いつになく気怠げな遥杜は取り繕う元気もないのか、鈴音に対して軽く頷いただけである。彼は黙って周囲にさっと目を走らせて、最後に雅仁に目を留めた。
「……雅仁兄さん、今度は何した?」
「まるですべての元凶がぼくにあるかのように言うね」
「大体そうじゃん」
「うーん、傷つくなぁ」
 なおも笑顔を崩さない雅仁に、鴇羽と瑠璃はますます腹を立てていた。
「はるちゃん、もっと言ってやって!」
「まさ兄、全然反省しないんだよ」
「何の話かわかんないけど、やっぱり雅仁兄さんのせいじゃん」
「ああ、やっぱり聞いてなかったんですね」
 出来上がった煮物を卓へ運びながら、千里はあくまで穏やかに言う。雅仁への怒りが抑えられなくても、きちんと切り替えて弟妹へ接するあたり千里はさすがである。
「何か話してた?」
「昨日の雅仁兄さんの仕事ぶりが悪くて今日は休日出勤になるって話を昨夜しましたよ。遥杜は生返事をしてたのでもしかしたら聞いてないのかもと思ってましたが」
「ああ、ごめん。昨夜は疲れ切ってて……」
 ばつが悪そうな顔をする遥杜に、千里は労りの微笑みを見せる。
「昨日の任務の後では仕方ないことです。僕がもう少し立ち回りよく動けたら遥杜の負担を減らせたのに……」
「それは違うって昨日も言っただろ。あの状況では最善の策だった、結果誘拐は阻止できたんだから」
「そう言ってもらえると救われます」
「で、休日出勤なんだっけ。なら俺も……」
「いえ、遥杜は予定通り休みにしてください。今朝だって万全ではないでしょう。代わりに鈴音と留守を任されてほしいんです」
 遥杜の体調が回復していないことだけが理由なら、遥杜は大丈夫だと言い張って仕事に行こうとしただろう。けれど千里に畳みかけるように鈴音の見守りまで言いつけられるとさすがに断れないのか、大人しく頷いた。
 朝食後、雅仁は数日ぶりに職場に行くのは面倒だとごねていた。鈴音が一緒でないとやる気が出ないなどとぶつぶつ呟いていたら、鬼のような形相をした千里に無言で職場に連行された。鴇羽と瑠璃は諦めがついたのか朝の不機嫌さはなくなり、鈴音と遥杜に笑顔で手を振って家を出ていった。
 鈴音は自室に置いていた冊子をとってから居間に戻った。冊子にはこの数日で神楽から習ったことが書き留めてある。数冊に分けた冊子のうち、この桃色の表紙のものは言語についてまとめている。基本的な単語と文法を復習しながら、神楽に借りた単語帳で新しい単語を覚える。
 遥杜も居間にいるが彼は読書をしていた。
 お互い静かに過ごしているので勉強するには最適な環境のはずだが、鈴音はいまいち集中できずにいた。
(糸、どうしよう)
 組み紐づくりのため町に糸を買いに行くつもりだったが、雅仁たちは仕事となってしまった。唯一残った遥杜もあまり体調は良くなさそうで、人間のいる町は嫌いだと知っているのに誘うのも気が咎める。
 鈴音が遥杜に話しかけると最近は微妙な反応が多い。鈴音はどう思われても今更気にしないが、遥杜が本当に嫌がることはしたくないので声をかけるべきか躊躇うのだ。
 早く組み紐は作りたいが、糸の買い付けは次の休みにする方が賢明な判断かもしれない。今日は大人しく家で予復習でもしていようと、手元に集中しようとしたときだった。
「……集中できないの?」
 まさか遥杜の方から声をかけてくるとは思わず、鈴音は丸くした目をぱちぱちと数回瞬いた。
「うん。町に用があったんだけど、今日は行けそうにないから、どうしようかなって思ってたの」
 つい考えそのままを口に出してしまったが、遥杜のことだから『千里兄さんがいるときにした方がいいと思うよ』『鴇羽と瑠璃なら喜んで一緒に行ってくれるんじゃないかな』などとやんわり断るに違いない。前回町に行くとなったとき、行かないと即答したくらいだ。
「町か……」
 遥杜は小さく呟いて逡巡した。
「いいよ。一緒に行こうか」
 そしてあっさりと町への同行を申し出てくれた。

 着流しで帯刀していると目立つからと、遥杜は隊服に着替えた。鈴音も撫子色の羽織を重ね、縫い付けられている猫耳頭巾を被って町へ出かけた。
「あ、良かったのかな」
 毎朝通うようになった道を逸れたあたりで、鈴音はふと声をあげた。
「何が?」
「町に行くのは危ないって、神楽さんが言ってたなって」
 遥杜は肩をすくめた。
「今思い出したの? 別に危ないから行くなってことじゃない。それは神楽さんも言ってたし、雅仁兄さんたちも何も言ってないよ」
「そっか」
 組み紐づくりで頭がいっぱいになっていて浮かれて忘れていたが、いけないことをしていたらと急に不安が湧いてきたのだ。遥杜は呆れながらも町へ行くこと自体は問題ないと言ってくれたので、鈴音はその点についてはほっと胸を撫でおろしていた。
 それならそれで次の疑問が頭をもたげる。
「でも、はるちゃんは良かったの? 町、嫌いなんだよね?」
「うん、嫌いだね」
「それに今日の朝も、疲れてたよね?」
「絶好調の日の方が少ないよ」
「じゃあ、一緒に町に行ってくれるのは、なんで?」
 それまでぽんぽん回答が返ってきたが、遥杜はここにきて少しの間の後「気晴らし」とぽつりと答えた。なぜだか自信がなく、迷いに揺れているように聞こえる。
「俺も集中できてなかったから。いつもと違うことをすれば気が紛れるかと思ったんだよ」
 それは鈴音に説明しているのか、それとも自分に言い聞かせているのか。やはり今日の遥杜はらしくないと思う。
「大丈夫?」
「は? 大丈夫って何が?」
「うまく言えないけど、はるちゃんが」
「鈴音ってときどきよくわからないこと言うよね」
 会話はそこで途切れ、黙々と歩く。その間、鈴音は兄たちに似合うのは何色かを考えていた。
(まさちゃんは金色でしょ。合わせるなら真っ白がいいかな)
 月のような神秘的な瞳は金色で、真っ直ぐで清らかな声を色にするなら白色がぴったりだ。
(せんちゃんは水色と、藤色にしよう)
 常に冷静な千里の印象は色にたとえるなら青色だ。けれど濃い青は冷たい気がする。優しい彼には淡い青、水色が似合うだろう。それから以前藤色も好きになったと言っていたので藤色も入れたら喜んでくれそうだ。
(はるちゃんは……)
 隣を歩く遥杜を見上げる。生成り色の髪に茶色の左目、朗らかで親切そうな雰囲気からは淡い色の方が似合いそうだ。しかし鈴音としてはしっくりこない。
(後にしよう)
 顔を正面に戻して続きを考える。
(ときちゃんは鴇羽色、これは絶対。あとは山吹色。うん、いいかも)
 名前の由来にもなっている瞳の鴇羽色は外せない。そしていつも明るく眩しい笑顔を表現するなら、柔らかい黄色や鮮やかな橙色だと思う。どちらも捨てがたいので間をとって山吹色あたりがちょうどいいだろう。
(るりちゃんの瑠璃色も必ず入れたいな。それから若葉色を合わせよう)
 鴇羽同様、彼の瑠璃色は譲れない。控えめで誰よりも思いやりのある瑠璃には柔らかい色合いが似合うだろう。具体的に、というと迷うが植物好きの瑠璃なら緑色は癒しになるかもしれない。
(はるちゃん、はるちゃんは……)
 色素は薄いが柔和な雰囲気が見せかけのものであると知っているせいか、優しい色は彼の印象とは大きく異なる。明るい色は彼が意図して見せている部分で、暗い色は彼が隠したい濁った感情が渦巻く部分であるなら、どちらの色も遥杜は好きではない気がしたが、鈴音はどちらの色も彼を表すものだと思った。
 明るくて暗くて、鮮やかで重い。
(深い紅)
 夜闇に煌めきを放つ、右目の深紅。これほどまでに遥杜を表現できる色はないと瞬時に納得した。しかしそれはそれで問題がある。深紅に勝る色がないと思うと、どれもこれも違うような気がしてしまうのだ。
「どうしよう」
「今度は何?」
 ぽろっとこぼれてしまった独り言だったが、遥杜は鈴音が困っていると思ったのか一応といった風ではあったが声をかけてくれた。
 このままでは結論が出ないまま町へ着いてしまう。危険だと忠告されているので長居はしない方がいいだろう。それに遥杜の気晴らしとはいえ長時間町に留まるのも不安が残る。
(わからないなら、訊こう)
 最初の頃の遥杜の助言は、いつしか鈴音の行動源になっていた。
「はるちゃんは、何色だと思う?」
「また突然すぎて何言ってるかわかんないんだけど」
「はるちゃんを色にたとえるなら、っていう話」
「ええ……黒、とか?」
 鈴音にしては圧のある強めな口調に、遥杜は戸惑いながらも答える。鈴音は「黒」と呟き、はっきりと首を横に振った。
「違う」
「じゃあ聞くなよ」
 遥杜はうんざりした顔をしていたが、鈴音は本当に困っていたので気づかない。
 印象はやはり深紅しかなさそうだ。他に色を導くとするなら、と鈴音に閃くものがあった。
「あ、なら好きな色は?」
 鈴音が思うその人に似合う色でなくても、本人が好きな色を入れればいいではないか。それこそ千里が藤色が好きだと言ったように、遥杜にも好きな色を訊けばいい。
「せんちゃんにも訊いたから。せんちゃん、藤色も好きになったってこの前言ってたの」
「それはまあ、そうかもね」
「はるちゃんも教えてもらってたの?」
「いいや。でも千里兄さんと鈴音を見てるとそうだろうなって。俺は藤色より銀色の方がわかりやすくて印象強いけど」
 遥杜こそ突然何を言い出すのか話が見えないが、銀色という単語が出たということは好きな色は銀なのだろうか。
「はるちゃん、銀色が好き?」
「鈴音のことは別にして、銀は好きだよ。月の光みたいで安心するから」
 ここでなぜか鈴音の名前が出てきたが、遥杜の好きな色を知ることができた達成感で鈴音は完全に聞き流していた。
(紅と銀。うん、きれい)
 町の入り口は目前だった。

「それで、欲しかったのは大量の糸……?」
「うん。いろんな色、きれいだね」
 一〇色の色糸の包みを腕に抱えて、鈴音はほくほく笑顔である。外套の下で尾が揺れる。
 金銭管理も勉強のうちだと、家計を預かる千里からお小遣いは渡されており、予算内で買い物はできた。
 買うものを予め決めていたのであまり時間はかからず、遥杜も特別用事はないからと昼前には帰路に着くことになった。
「昨日も手芸やろうとしてたよね。何か作るの?」
「はなよめしゅぎょう、なんだって」
「神楽さんも言ってたけど、鈴音が言うとどうにも嘘っぽいよね」
 しかし遥杜はそれ以上追及はせず、さくさくと歩を進める。時間が経ったからか朝よりは遥杜の足取りは軽く思える。遥杜の気晴らしになったか気がかりだったが、杞憂だったようだ。
 町へ行くのは止めないが危ないから気をつけるよう忠告されていたが何事もなく、そのうち遠くに見慣れた景色がちらついた。今立っている場所は雅仁の治める領域ではないが、視界に映るだけでも無性にほっとした。
 鈴音が小さく息を吐いた瞬間だった。
「っ、鈴音!」
 緊迫した遥杜の叫びとともに白檀の香が間近に迫る。一拍遅れて鋭い金属音が鼓膜を震わせた。
 頭巾の外れた耳には痛いくらいの高音に鈴音の時が一瞬止まる。遥杜の腕の中で、静止した思考とは反対に鈴音の鼓動は大きく鳴っていた。
「誘拐未遂に傷害未遂? いい趣味してんじゃん。どっかの悪趣味な屋敷を思い出すな」
 皮肉をこめた笑みを浮かべて遥杜は片手に握った刀で相手の刃を押し返すと、体勢が崩れたところで足払いをくらわせた。
「ぉわっ!」
「福塚の指示だろ? 今度は何を企んでる?」
 刀の切っ先を地面に転がる男に突きつけ、遥杜は深紅の瞳で睥睨する。男がびくりと体を強張らせると刃が触れた首筋からつうっと血が伝った。
「言わねぇの? 本当に斬りつけてもいいんだ?」
「あ、妖は我々人間に害を為す……! そいつは妖の血を引いているから狩らなければならないんだ!」
「狩るんだったらなんで攫うことを優先したんだよ? この場で討伐した方が理に適ってるはずだろ?」
「福塚様の命令だ! あのお方には崇高な理念があるのだ。それは我々凡人には到底理解できないような素晴らしいお考えで……っ」
 聞くに堪えないとでもいうように遥杜は容赦なく刀の先を喉に向けた。
「理解できねぇなら教えてやるよ。その『素晴らしいお考え』は誰かの人生を踏み台に平気な顔して幸福を嘯ける、反吐が出るような腐った考えだ」
 凍てつくような瞳には同情や慈悲は欠片もなく、男は完全に怯えていた。
「おまえだって人間だろ⁉ なんで妖に味方するんだ!」
「人間の方がよっぽど化け物だから」
「わ、私を斬ったら何も聞き出せなくなるぞ」
「別に構わねぇよ。向こうに隠れてるあんたの仲間に聞いとくから」
 遥杜が刀を返す。鈍く光る刃が後ろを向いていた鈴音の視界の端で煌めき、ひゅっと息をのんだ。
 脳裏に蘇ったのは母の最期だ。
「……だめ……」
 引きつった喉を懸命に動かし、絞り出した声は母を殺さないでという幼い頃の鈴音の悲鳴か、それとも遥杜にまで同じ過ちを犯してほしくないという懇願か。
 遥杜の手の動きが一瞬鈍くなり、それから迷いを断ち切るようにさっと刀が振り下ろされる。
 男のくぐもった叫びが短く響いた後、遥杜の大きなため息が降ってきた。
「人間は殺したいくらい嫌いだけど、人殺しになりたいわけじゃないから」
「う、ん……」
 峰打で昏倒させた男はそのままに、遥杜は三本先の木の幹へと挑発的な声を投げた。
「次は正常な会話を期待していいんだよな?」
 幹の裏から新たな男が無言で現れる。芝居ではなく先ほどの仲間の末路を目にして声が出せないようだった。顔からはすっかり血の気が引いている。
「鈴音を生け捕りにしようとした目的は?」
「し、知らない、です。本当に……!」
 戦慄く唇を必死に動かしており、嘘はついていないと一目でわかる。
 遥杜はすっと興味を失ったような冷めた目をすると、鈴音から僅かに距離を取り、たんっと地を軽く蹴った。瞬時に相手の背後に降り立つと、振り返る隙すら与えず刀を振り抜く。
「じゃあ用はないな」
 血を流すことなく男は気を失い、地面に倒れこんだ。
 遥杜はそれを見届ける前に向かいの樹上を見上げると目線はそのままに、立ち尽くしたままだった鈴音へと冷静で凛とした声を飛ばした。
「あとはこいつだけだから、鈴音は雅仁兄さんたちのところに逃げて。あと兄さんの結界に入ったら名前を呼んでみて、多分異変に気付くと思うから」
「大丈夫?」
「またそれ? 俺が、ってことなら大丈夫だよ」
 遥杜は自信に満ちた強気な笑みを浮かべている。その横顔を見て、すぐに鈴音の覚悟は決まった。
「無茶しないでね。怪我しちゃやだよ」
 遥杜に背を向け、鈴音は駆け出した。
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