あやかし家族 〜五人の兄と愛され末妹〜

南 鈴紀

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第四話 変化

第四話 六

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 鈴音の足音が遠ざかっていく。
 体力はあまりなく、脚力があるとも思えない。彼女の足で雅仁の結界内に入るとなると、少なくとも四半刻の半分の時間くらいは稼がないとならないだろう。
(大丈夫ではあるけど、無茶しないで切り抜けられるかは微妙なところなんだよな)
 樹上の男は先の二人とは纏う雰囲気がまるで違う。遥杜も伊達に修羅場を潜り抜けてきていないので、相手が手練れであるとすぐさま察した。
 鈴音を守りながら雅仁たちのもとへ駆けこむことができれば一番安心だったが、この状況では安全が保障できないので上策とはいえない。遥杜の体調や残された体力、敵の力量などを考慮して、遥杜が鈴音を守りながら戦うのは厳しいと判断した。次点で遥杜がこの場を押さえ、その間に鈴音には確実に逃げてもらう方が良いと考えたのだ。
「さて、と。あんたは俺の話し相手になってくれるんだよな?」
 万全の状態でない以上、力業での解決は望むべきではない。余裕のある態度で翻弄し、不敵な笑みで惑わせ、言葉巧みに操ってみせよう。
 突き放したくても無視させてくれない。本質を見抜いているくせに変なところは鈍感だ。普段は大人しいのに興味があることには思いがけない行動力を発揮する。
 鈴音のことはわからないことも多いが、彼女の真っ直ぐさはいつも確たるものとして眩く輝いていると、それだけはようやく素直に認められた。
 その真っ直ぐさは人間だとか妖だとかは関係なく、鈴音だから持っているものだ。半分人間の血を引く鈴音の存在は最初、正直疎ましかった。今でも人間のことは憎悪していて、許せる日なんて来ないとも思うが、鈴音に関してはその枠に収められず、鈴音という枠にしか当てはまらないような気がしている。
 その感覚は遥杜が雅仁や千里、鴇羽や瑠璃を思うときと同じものだった。つまりは家族の情である。
(少しくらい、兄らしくしてみるか)
 鈴音がいないので行動制限はなくなったに等しい。誰かを庇う必要もなく、多少の無茶も見咎められない。人の命を奪わないにしても、峰打なんて手ぬるい真似はせず、手加減なしで戦えた方が楽である。
 木の上から人の姿が消える。瞬きの間もなく、遥杜の眼前に白刃が迫っていた。
「ぬるいな」
 短刀を主な武器とする千里には小さい頃から稽古をつけられてきた。彼の剣捌きに比べれば、敵は手練れに違いないがこの程度なら遥杜にとっては児戯のようなものである。
 己に有利な間合いに持ち込みつつ、遥杜は危なげなく攻撃をいなした。
「なんで鈴音に固執するのか、あんたなら理由を知ってんじゃないか?」
「……」
「沈黙は肯定って言葉、知らねぇの? だんまり決めこんだところでどうせすぐに話したくなるから無駄にしかなんねぇよ」
「知っていても教えない」
「知らない、って言わないあたり知ってはいるってことでいいな? だったらそれでいい。教えたくなるようにするだけだから」
 息つく暇を与えずに風切り音が通り過ぎ、ぱっと血飛沫が舞った。



 こんな長距離を全力で走ったことはない。肺がきりきりと痛み、膝が笑う。むせこみながら必死に駆ける。後ろは絶対に振り返らないと決めていた。
(はるちゃん、大丈夫だって言ったから。信じたい)
 戻れば町、右へ行けば家、左へ行けば妖保護部隊本部と三つの道が伸びる分岐点に倒れこむ。ここから先は雅仁の治める領域だ。
「っ、まさちゃん……っ!」
 咳き込み、呼吸が苦しくて涙が滲む。一度座りこんでしまうとなかなか膝が立たず、焦りが募った。
 雅仁の結界内に入れたとはいえ油断はできない。雅仁たちは仕事のため本部にいるはずだ。彼らに会えるまでは走り続けなくてはならない。
 鈴音は砂を掴みながら立ち上がり、勢いをつけて地面を強く蹴った。
 そのうち体力は限界を迎えたのか、先を急ぐ気持ちとは裏腹にいよいよ咳が止まらなくなり、走ることがままならなくなる。それでも足を止めることだけはしたくなくて、滲む視界の中よろよろと走る真似をしていた。
足を引きずっていたせいか、小石もない地面に躓いて転びそうになる。
(あ、転ぶ)
 予想はできても回避はできないと悟る。衝撃を覚悟して鈴音は反射で目を閉じた。
 しかし強かな衝撃はなく、代わりに柔らかに受け止められる感覚だけがあった。そのまま抱きしめられた鈴音は大きくて温かな手に後頭部を撫でられていた。
「よく頑張ったね、鈴音」
 ほろりと、涙の粒が頬を転がる。
「まさ、ちゃん……」
「うん、鈴音の愛するまさちゃんだよ」
 顔を見なくても、いつものふざけた口調に聞こえても、雅仁の優しい声だけで不安がすうっと溶けていき、涙に変わっていく。
「遥杜は? 一緒ではないのかい?」
「一緒だったよ。でもわたしを逃がすために、あっちに残って戦ってると思う」
「うんうん、教えてくれてありがとう。ああ、千里。やっと来たのかい」
 雅仁は顔を全く動かさずに背後に話しかけていた。
「これでも急いで追いかけてきたんですよ。それで、雅仁兄さんどうしますか」
「決まっているさ。長兄としてぼくが挨拶に行かなくてどうする」
「なら、僕は鈴音についていましょうか。瑠璃は行かせない方がいいでしょう。鴇羽はどうします?」
「本部には隊員もいるからね。鴇羽にはこちらに来てもらえると有難いかな」
「では、そのように。鴇羽、行けますか?」
「任せてよっ」
 緊急時の統率はしっかりとれており、あっという間に各々の役割が決まる。日常生活にはない引き締まった空気と無駄のない動きに鈴音は静かに圧倒されていた。
 雅仁は鈴音から身を離すと、肩に手を置いたまま真っ直ぐに鈴音の目を見つめた。
「ぼくたちは大丈夫さ。信じて待っておいでね」
「うん」
 雅仁は最後に鈴音の頭をぽんと軽く叩いて、背負った大太刀の重さすら感じさせない軽い身のこなしで風のように駆け去った。弓矢を携えた鴇羽は、雅仁に後れを取らずについていった。
 それから慌てて駆け寄ってきた瑠璃が鈴音についた砂ぼこりを丁寧に払ってくれる。
「すず、手、怪我してるの?」
「あ、立ち上がるとき、擦りむいたのかも」
 派手に転んではいないので、おそらく手に力をこめて立ち上がったときだろう。無我夢中で走っていたため、今の今まで気づかなかった。
「ひとまず神楽さんのところへ行きましょう」
 頷き、鈴音は一歩目を踏み出したが思いがけず膝ががくっと落ちて、危うく地面にぶつかるところだったが、その前に千里に抱えあげられた。
 鈴音を軽々と片腕に乗せた千里は瑠璃を隣に呼ぶと、いつもと変わらない穏やかな雰囲気のまま他愛ない話を二人に聞かせ始めた。



「ここひと月くらいの間に妖の誘拐事件が多発してるんだけどさ。昨日もその誘拐を阻止する任務があって、なんで妖狩りじゃないのかって引っかかってたんだよな。……何か知ってる?」
「……」
 挑戦的な笑みで遥杜が問うと、相手からは沈黙だけが返ってきた。沈黙は肯定、すなわち妖誘拐事件と鈴音が襲われたことは関係があるということだ。
 深紅の瞳が鋭く光る。
 男がはっと目を見開くと、またひとつ刀傷が増えたところだった。一撃目は利き腕、次は反対の手の甲、今度は右の太腿だ。
 力の差は歴然だがこの程度の傷で済んでいるのは、遥杜があえて攻撃の手を緩めているからに他ならない。一撃で倒すより、痛みを与えて長引かせ、聞き出したいことがあるのだった。
「なあ、そろそろ話したい気分になってきた?」
 地面にうずくまる男にひたりと刀を当てる。一分でも手がぶれれば耳の皮は切れるだろう。
 男が息を吸い込む。無言を貫いていた男がとうとう口を割ったかと、遥杜が目を細めた直後だった。
「……命令だ! この男を処分しろっ!」
「ちっ、そっちかよ!」
 舌打ちしながら遥杜は咄嗟に刀を上段に構え、激しい連撃を寸分違わず弾き返した。
 上空を旋回するのは燕、地に爪痕を残し後退するのは犬、宙で回転して身軽に着地するのは猫。いずれもただの動物ではないことは気配でわかった。
「妖か」
 誘拐した妖はこのように命令をきく道具にされたのだろう。
「命令はきくがやはり失敗作の力では敵わないか。だがこの場から逃げられればそれでいいのだ」
 男はぶつぶつと呟いている。話の全容は見えないが断片的な情報から福塚たちが何を行っているのか、鈴音が何に巻き込まれそうだったのかは想像でき、ぞっとする。
 福塚は妖を利用して何かの実験をしている。鈴音、命令、失敗作。つまり、鈴音を命令に忠実な道具に仕立てたいのだ。鈴音が保護される前の悪辣な環境は福塚にとって甘い蜜を啜れる絶好の機会だった。それを取り戻したいのか、それともそれを今度こそ誰にも奪われない絶対のものにしたいのか。
(欲深くて保身ばかりで醜い。これだから人間は嫌いなんだ)
 命令に従う妖たちは我が身を顧みない無謀な攻撃ばかり仕掛けてくる。戦いにくい上、遥杜の体力も着実に削られていった。
(そろそろ撤退しないとまずいな)
 福塚たちの狙いが掴め、鈴音の逃げる時間も確保できたはずだ。
 倒すことだけが戦いではない、戦況を見極め身を退くことも戦いのうちであると昔、兄たちに教えられた。
 その教えに異論はないが、現状逃げる隙が見出せないことだけが問題だった。
 間断なく襲い来る攻撃を返し、いなし、捌き、ときには反撃に転じながら遥杜は転機をうかがっていた。
 するときらりと上空に光るものを見る。
「はるちゃん、下がって!」
 三本の矢が流星のように流れ落ちる。
 遥杜が大きく跳び退ると、降り注いだ矢が正確に三体の妖を射抜いていた。
 処分対象の遥杜しか眼中になかった妖たちは不意の攻撃に避けることはおろか気づいていたかも怪しく、短い悲鳴のあとぱたりと意識を失った。いつもの通り睡眠作用のある毒矢だろう。
「助かったよ、鴇羽」
「話は後! ここから離れよう。あとはまさちゃんが引き受けてくれるから」
 体力は限界近いのか、それとも雅仁の名前を聞いて安心したのか。自分でも理由は定かではなかったが、どっと体が重くなるのを感じる。
 鴇羽に手首を掴まれて雅仁の結界がある方へどうにか駆ける。
 軽く背後を振り返ると、鈴音と遥杜が最初に襲われた場所で雅仁が大太刀を勢いよく振り抜いたところだった。雅仁は遠く離れたところにいるので、遥杜は妖と戦っているうちに福塚の手下の男と引き離されていたようだ。向こうの狙い通りになりかけたことは悔しいが、とりあえず逃げられなくて良かった。
 霞む意識を必死につなぎ止め、分岐地点までたどり着く。
 鴇羽の視線を一瞬だけ感じたが、何だろうと考える前に右の分かれ道を走っていた。
 意識は朦朧としていたが足だけは止めまいと決めていた。



 びゅっ。重く空気を裂く音が辺りを支配する。
「うちの妹が可愛いのはわかるけれど、拐かすのはいただけないね。泣かせるなんてもっての外だ」
 ざっくりと敵の両脛を斬りつける。遥杜が弱らせていたので雅仁が手を下さなくてもこのまま本部に連行することもできたが、雅仁の中にそんな甘い選択肢はない。
「うちの弟も世話になったようだから、きっちりお礼はしないといけないよね」
 地面でのたうち回る男の呻きは雅仁の追撃により叫びに変わった。
 大抵適当な雅仁だが、大事な宝物である家族を傷つけられたら話は別だ。理性を保ち、飄々とした言動は変わらないので一見冷静に思えるが、その実胸のうちでは激しい怒りが燃えている。
 男の右手に大太刀を突き立てる。どすっと鈍い音がした。
「遥杜は優しいね。この程度の傷で済ませて、君の話を聞いてあげようとしたのだから」
 ぐっと刀を押し込み、雅仁は冷酷な薄笑いを浮かべた。
「鈴音を襲った時点で情けを捨てても許されたというのに。口を割らせるだけなら手足は必要ないと思わないかい?」
 地面に串刺しにした手からひょいと大太刀を引き抜く。雑に引いたせいであっという間に血だまりが拡がっていく。
「ねえ、返事をしてくれないと寂しいじゃあないか」
「あ、うぁあ……っ」
「せめてはいかいいえで答えてほしいよ。おかしいな、話すために必要な器官は傷つけていないのだけれど」
 怒りのせいか、今の雅仁は気が短い。答えを待っている時間が惜しかった。こんな男を相手にするくらいなら、早く鈴音を慰めてあげたいし、遥杜の具合を確認したい。
 大きくため息を吐き「もういいよ」と冷たく吐き捨てる。
「気が向いたら後でまた話し相手になってあげるから。とりあえずうるさいから黙っていようか」
 雅仁の大太刀は容赦なく男の意識を刈りとった。
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