あやかし家族 〜五人の兄と愛され末妹〜

南 鈴紀

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第五話 覚醒

第五話 五

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 床に叩きつけられた衝撃で鈴音は目を覚ました。
「……っ」
 頭が揺れ、視界が歪む。
(何があったんだっけ)
 手を着いて起き上がろうとするが力を入れた途端、左腕がじくりと痛む。腕を庇って体幹に力がこめられると今度はみぞおちが鈍い痛みを訴えた。
(思い出した)
 おそらく鴇羽の血で塗れた短刀により鈴音は左腕を斬りつけられた。しかし傷は浅く、痛いが意識を失うほどではなかった。短刀を握った男に『ついてこい』と言われたが、鈴音は『行きたくない』と男を真っ直ぐに見上げて答えた。
 雅仁は命令に縛られるのをやめなさいと道を示してくれた。鈴音が自分の頭で考えて、自分の意思でそうしたいと思ったから、はっきり言葉にしただけだ。
 男はじっと鈴音を見下ろした。闇のように暗い瞳は何を考えているのだろう。鈴音がそう思っていたとき、容赦のない蹴りが飛んできた。
 言葉で意思を示すことができるようになっても、刷り込まれた暴力への抵抗はできなかった。『痛い』と口にすることも叶わず、鈴音は意識を失ったのだ。
 徐々に意識がはっきりしてくると、粗末な建物の中に転がされたのだとわかってきた。
 朽ちて瓦礫が散乱しているが、人の手により荒らされたと思わしき跡も見受けられる。物置小屋とも民家とも違う特殊な造りの名残から、おそらく元は寺だったのかもしれない。
 ゆるゆると首を回していると、大きな男の影が目に入った。
 鈴音が最後に見たときより派手ではなくなったが、誰であるかは一目でわかった。
「挨拶くらいしたらどうなんだ。恩知らずの愚図め」
 尊大な態度で福塚は鈴音を睥睨した。
 鈴音は中途半端な姿勢から正座して足を崩した。この姿勢なら痛みはましになるので話もできそうだ。じっと福塚の両目を見つめて、鈴音は口を開いた。
「今何時?」
「人の言葉も理解できなくなったか」
「おはよう、こんにちは? それともこんばんは?」
「道具とお喋りする趣味は私にはない。お前は私の命令だけを聞けばいい」
 挨拶しろと言ってきたのは福塚の方なのに、と鈴音としては不服である。不満はそれだけではない。
「わたしは道具じゃないよ。命令をきくかは、わたしが決めることだよ」
 兄たちが与えてくれた優しさを裏切りたくはない。自分には尊厳がある、それを他人に奪われてはならない。そんなことを許したら、兄たちはきっと悲しむ。
 福塚は忌々しげに舌打ちをすると、鈴音の長い髪を引っ掴んだ。
「ああ、そうか。では今から道具になるなら文句はないな」
 痛いという悲鳴は喉に張り付いて出てこないが、黙っているのは違うと思った。淡々と、しかし強い拒絶をこめて鈴音は一言「やめて」と言った。
「時間をかけて従順な道具にしたというのに、組織を壊滅させて、その上人の商売道具で遊びおって! 妖保護部隊め、許さん、許さんぞ……!」
 鈴音の髪を掴む福塚の手に怒り任せの力が加わる。さすがに力では敵わず、鈴音は木の破片や小石がそこかしこに散らばっている床の上を引きずられていった。
 着物が擦り切れて手足から血が滲む。左腕の傷にも破片がかすり、ずきりと鋭い痛みが走った。しかし痛いと思う前に、髪を引き上げられて立たされた。あまりに突然のことで自分の両足できちんと立てていなかったところへ、背を蹴られ、派手に床へ転ばされた。
 あちこち痛いが寝ていても何の解決にもならない。鈴音は必死に体を起こした。顔を上げ、もう一度正面切って『やめて』と言うしかない。
 しかし、声は出なかった。
 それどころか指一本さえ動かせない。視力と聴力だけは機能しているようで、正面で福塚が愉快だと声をあげて嘲笑しているのは見聞きできるが、目を逸らしたくても耳を塞ぎたくても、自分の体だというのにままならない。
「何を思っているかは知らないが、伝えられないのではまるで道具だな!」
(伝えたのに聞こうとしてくれなかった人の言うことなんて知らない)
 道具だと一方的に決めつけて、鈴音の話には一切耳を貸そうとしなかった。そんな人と対話を望むのは無駄だろう。
(だったら、伝えられる人に伝わればいい)
 体は動かせなくても、心はちゃんとここにある。
 心さえあればきっと大丈夫だ。
(だってまさちゃん、言ってたもん)
 『ぼくの結界内では鈴音の心は常にぼくの側にあるのだよ』と。この廃寺がどこにあるかはわからないが、ここは雅仁の治める土地である気がした。いつも隣にある雅仁と同じ気を近くに感じるのだ。
(まさちゃん、わたしはここにいるよ。せんちゃんとはるちゃんにも早く会いたい、迎えに来てほしいな。それでときちゃんとるりちゃんと一緒に手を繋いで帰るの)
 そうして兄たちの顔を思い浮かべれば安心できるから。
(笑顔、まさちゃんたちの笑った顔……)
 瞬間、赤黒い不気味な光がかっと目を焼いて、鈴音は戦慄していた。
(あれ、なんで、思い出せない……?)
 四方が眩しいので、光の輪に囲まれているのか。妖しい光と同じ血の色をした文字か記号かが床に浮かび上がっている。形からして何かの陣に放り込まれたようだ。妖の怨嗟の声が近くに迫り、すぐに遠のいてを繰り返す。
 やがて視界がかすみ、すうっと音が引いていく。
 赤黒い光の向こうに佇む福塚の薄笑いやざらつく低い声だけをはっきりと残して。
「鈴音は私の傀儡になる。命令をきくだけの道具になる。肯定しろ」
「うん」
 霞む意識では絶対に認めてなるものかと拒絶しているのに、今まで動かせなかった口が勝手に言葉を吐いた。
「お前には私の声しか聞こえない。他は聞かない。肯定しろ」
「うん」
「道具に意思は要らない。私の命令は絶対だ。肯定しろ」
「うん」
 鈴音を取り囲むものが陣なら、これは儀式で、この応答も呪言のようなものか。まるで契約条項を読み上げているようなひどく長い呪言だったが、鈴音はひたすらに「うん」としか答えることしかできなかった。
 どれくらい経ったのか、鈴音にはもうわからない。体感時間すら奪われたのかもしれないがそんなことを考えることももはやできなくなっていた。ただ命令を下す『主』が疲れているのは見て取れた。わかったからと言って何をするでもなかったが。
「記憶も不要だ。下された命令を実行するために必要な記憶だけあればいい。終わったら消せ。肯定しろ」
「うん」
「これまでの記憶も抹消しろ。お前に家族はいない。肯定しろ」
「う……」
 鈴音が痛いだけ苦しいだけなら頷いていたかもしれない。でもここで肯定してしまったら悲しむ人たちがいる。その人たちが誰なのかわからないけれど、悲しい顔をさせるのは嫌なのだ。
 これまで滑らかに続いていたやり取りが、ふつっと途切れる。
 福塚は声をさらに低くして、繰り返した。
「もう一度言う。これまでの記憶も抹消しろ。お前に家族はいない。肯定しろ」
「……」
「肯定しろと言ったのが聞こえないか。鈴音は傀儡、私の道具だ。肯定以外は許されない」
「う……ん……」
 頭が真っ白だ、いや真っ黒かもしれない。何も判別できない中、鈴音は鈍く頷いた。
 福塚がすっと目を細める。疑っているようだった。
「本当だろうな? 今朝まで家族ごっこをしていたな。一番上の兄の名前は?」
「……」
 答えを思い浮かべるが頭には何も浮かばない。つまりは元よりそんなものは存在しないということだ。息を吸い込み、鈴音は無機質な声で答えた。
「兄は、いない」
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