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第五話 覚醒
第五話 六
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木立の中でも全く速度を落とさずに先頭を突っ走っていた雅仁だったが、突然立ち止まったようだった。豆粒のように小さかった兄の背が徐々に大きくなっていく。
「おや、遥杜。早かったね」
熱をもつ右目を押さえながら、遥杜はへらへらと笑う雅仁をちらと見て、前方に視線を戻した。
そこには血で染めたような透明の壁がそびえていた。
「何これ」
遥杜が不快感を露わに顔を顰めると、雅仁は地面を指差した。
「血で描かれた陣。禁術だろうね」
五芒星とそれを囲むように円が描かれ、漢字とも記号とも捉えられる文字が規則的に配置されている。自分のときは血では描かれていなかったが、遥杜にとっては見覚えのある陣だった。遥杜はもうそれだけだとは思わないが、一般的には呪いと表されるそれを施されるときに見たものだ。つまり雅仁の言う通りこれは禁術なのだ。
廃寺を中心に据えた広大な陣である。
「こんな大量の血、一体どこから」
「おや、遥杜は覚えていないかい。今朝見たばかりだろうに」
「……ああ、そういうことか」
今朝の怪死体を思い出し、遥杜は暗い声で呟いた。
「これは少々厄介ですね」
遅れて追いついた千里は狼から人間姿に変じたところだった。
「でも、まさちゃんの土地ではあるんだよね? だったら陣の中に氏神の籠目を作れないの?」
「え、それって大丈夫かな……?」
千里の後から鴇羽と瑠璃も現れる。鴇羽の発案に瑠璃は少し顔を青ざめさせていた。
「鴇羽の案も不可能ではありませんが、瑠璃の反応は尤もですね」
「どういうこと?」
「氏神の籠目は使えても、下手に陣に介入すると何が起こるかわからない。術を壊すだけならいいけど、捕まってる鈴音に影響がないとも限らないってことだよ」
遥杜の解説に、鴇羽は瑠璃と似たような顔色になった。
「つまりは最後の手段ということさ。……おっと」
雅仁がひょいと半身をずらすと、脇を通過した太針がさくっと地面に突き刺さった。
「全く。追いかけてくるのは弟たちだけで十分だというのに」
踏み込んだ雅仁はとんっと地を蹴って、太針が飛んできた方へ大太刀を振り抜いた。周囲の細い木ごと隠れていた敵を切り伏せる。
その間にもわらわらと敵が湧いて出てくる。向こうの数の方が圧倒的に多いが、雅仁たちが冷静さを失うことはなかった。
「瑠璃は幻術でかく乱させなさい。鴇羽、瑠璃を守るのを主に、ついでに遠距離でこちらの援護を頼むよ」
「うん」
「行こう、瑠璃!」
猫又姿に戻った瑠璃と鴇羽は敵の間を素早く駆け抜け、雅仁たちから離れていく。
「千里と遥杜はその辺で適当に敵を捌いておくれ」
「急に雑な指示になりましたね」
「指示があった方がいいかい?」
「いりません」
「いらないよ」
さすがは長兄といったところか、雅仁は弟たちのことをよく把握している。血や暴力が苦手な瑠璃を離しつつ役割を与え、鴇羽には得意の弓矢での攻撃を依頼しながら怪我の具合を考慮して瑠璃の守りに力を入れるようあえて指示を出した。混戦になれば厄介なことは一つでも減らしたい、余計な命令がある方が千里や遥杜が戦いにくくなることもわかっていたので雑な指示にしたのだろう。
「君たちの顔を拝んだところで何とも思わないよ。早く鈴音に会いたいね」
雅仁の前では木など障壁にもならない。勢いでまとめて二、三人を凪ぎ払いながら、はあっと恋しそうにため息を吐いている。
「同感です。ですがこの悪趣味な壁を越えないと鈴音には会えませんよ」
雅仁とは対照的に、千里は無駄のない動きで一人、また一人と着実に敵を倒していく。短刀なので小回りが利くこともあり、特に困った様子はない。
この場で一番苦戦しているのは遥杜だった。雅仁のような人とは比にならない膂力があるわけでもなければ、千里のように細かな立ち回りができるわけでもない。雅仁が木をなぎ倒した後、そこまで敵を引き付けて刀を振るい、ときには体術を駆使して一応は乗り切っているがやりにくいことこの上ない。
(向こうの方が土地は開けてるんだけどな)
廃寺の方をちらと見遣る。建物の周辺に大きな木はなく、見晴らしも良い。
「って、あれ?」
雅仁の攻撃を避けて、敵の一人が躊躇いなく後ろへ跳ぶ。血色の壁をすり抜けて陣の中に着地していた。しかし敵に変化は見受けられず、また雅仁に斬りかかって行った。
固まる遥杜の前にまた敵が現れるが相手が構えをとるより先に鴇羽の矢が命中して昏倒した。
雅仁も違和感に気づいたのだろう。敵をあしらいながら、つと左手を壁に向けて伸ばしていた。触れるか触れないかで、雅仁はさっと手を引いた。
「いけないいけない、危うく大怪我をするところだったよ」
「何してるんだよ」
「いや、入れないと思っていたが先入観で決めつけてはいけないと思い直してね。やっぱりぼくは駄目だったけれど」
雅仁は不敵に笑った。
「遥杜なら行けると見た」
「は?」
今しがた大怪我をするところだったと言っていたのは聞き間違いか。
目を見開く遥杜に迫る攻撃を弾き返しながら雅仁は続けた。
「まず鈴音が中にいることは間違いない。この陣は敵味方の判別できないと考えられる」
障害物が消えたことで遥杜も楽に刀を振るうことができるようになる。敵の攻撃をいなして、隙を突いて斬りかかる。
「それで?」
「向こうとこちらの決定的な違いがあるだろう。福塚の元には鈴音を除いて人間しかいない、対してぼくたちは妖だ」
「俺は人間……ともう半分は何かの妖って話だけど」
「それこそが答えさ」
雅仁の言わんとしていることを理解したときだった。
「口ではなく手を動かしてください、二人とも」
敵の背を斬りつけて、千里が現れる。
「何かするつもりなんですか」
「さすが千里、話が早くて助かるよ。うん、今から遥杜が中に入って鈴音を助けてくれるという」
「そこまでは言ってない」
「えっ、じゃあ行ってくれないのかい⁉」
「行くよ!」
大仰に目を丸くしてみせた雅仁は遥杜の返事を聞いてにっと目を細めた。
「遥杜ならきっとそう言ってくれると信じていたよ。なんといってもぼくの弟だからね」
「だったらもっと大事にしてほしいよ。もう、さっさと行ってくるよ」
「うん、わかったよ! 無事帰ってきたら頭を撫でて褒めてあげよう!」
「いらないよ!」
千里の「気をつけてくださいね!」という声を背に、遥杜は陣の中に飛び込んだ。
少しの不安はあったが迷いはなかった。雅仁が行けると言ったならきっと行ける、大丈夫だ。
壁に弾き出されることはなく、あっさりと陣の内側に入りこめた。ぴりぴりと全身に静電気が走り、痺れたような感覚に襲われるが動きを妨げるほどではない。
(兄さんの言った通りだ。この陣は人間には効かない)
慌てて敵が追い縋ろうとしているようだったが、騒音は近づくことなく背後で止まっていた。振り返らずとも兄弟が足止めしてくれていることはわかる。
東の空に銀の月がのぞいている。
幸か不幸か、今夜は一段と大きい満月だった。
廃寺に近づくほどに痺れは痛みに変わっていく。もしも満月が出ていなければ妖の力を封じている呪いが弱まらず、ここまで拒否反応は出なかったかもしれない。ただ満月が出ているからこそ雅仁の動きについていけたし、今もここまでの無理がきくともいえた。
重くなり始めた右腕を持ち上げ、朽ちかけの扉を引き開ける。
「鈴音、いるんでしょ。迎えに来たから、帰るよ」
息が上がる中、声を張って鈴音に呼びかける。
遥杜が越えてきた外の壁よりも濃い色をした赤黒い光の壁がそびえ立ち、むっと血の臭いが鼻を突いた。
不快感がこみ上げる異様な光景の奥に、鈴音は黙って立っていた。
手足に力は入っていないが、頭だけは正面を向いている、まるで操り人形のような姿勢だ。狐の耳も尾も、まるで飾り物のようである。藤色の瞳は、いっそ硝子玉をはめ込まれていると言われた方が納得できそうなくらい、がらんどうで無機質で、ひどく寂しいものだった。
動揺を抑え込み、遥杜はもう一度鈴音の名前を呼んだ。
「ねえ、鈴音」
瞬きもしなければ、耳が震えることもない。
鈴音から返ってくるのは沈黙だけだが、彼女の側からくつくつと神経を逆なでする笑い声があがった。
「ここに入ってきたのは予想外。だが、その様子では、くく……っ。あっははは、これは傑作だ!」
「うるせぇな。頭痛ぇんだから黙ってろよ」
陣の中央に迫るほどに、頭ががんがんと激しく痛むのだ。そこに福塚の声が重なって響くのだからたまったものではない。
ぎろりと睨む遥杜の目は深紅に輝いている。福塚は一瞬びくりと肩を震わせたが、何が面白いのか笑いが収まることはなかった。
「黙れ、と言ったら黙りたくなるのは貴様の方ではないか?」
「……!」
反論しようとしたが声が出なかった。
遥杜の驚いた顔がよほど気に入ったらしく、福塚は愉しそうにしている。
「やはりな。貴様も半妖だったか。この陣により半妖は鈴音に限らず私の傀儡になるのだよ。鈴音のように道具として私に使ってもらえるなんて、貴様は運がいいな、なんてなぁ」
「っ!」
頭が割れるように痛いが、構わない。遥杜はだんっと軋む床を踏みしめて、思いきり刀を振り抜いた。
「鈴音はてめえの道具じゃねえ!」
福塚の左腕に剣先が掠める。それでも彼は笑っていた。
「そういえばこいつも、道具ではないから命令をきくかは自分で決める、とほざいていたな。だが意思決定ができないのではどうだろう。くくっ、道具と変わらんな!」
「外道が……っ」
次は狙って刺してやろうと、遥杜が刀を構え直したとき、左腕にずきりと痛みが走った。
「っ……!」
「その程度で済んで良かったな。私がもろに攻撃を受けてやらなかったおかげだ、感謝するといい」
遥杜の袖に切れ目はなく血の伝う感覚もないが、痛みは切り傷と同じだった。福塚に与えた傷と同じ個所である左腕がじくじくと痛む。
「主に逆らった罰だ。甘んじて受け入れるんだな」
悦に入った嘲笑は不愉快極まりない。罵詈雑言は山のように浮かぶが頭は痛いし、息も切れてきて言い返すのも億劫になってきた。立っているだけでも疲れるほど体は重く、感覚だけの切り傷も集中力を奪っていく。
(駄目だ、いればいるほどおかしくなる。さっさと片をつけないと)
このままでは本当に福塚の傀儡になってしまう。
陣は今も赤黒い光を放っており、途中で入り込んだ遥杜にも効いていることからこの儀式はまだ完了していないのだろう。
術者である福塚を倒せたとして、中途半端に儀式を終えてしまったら鈴音も遥杜も無事でいられるか保証はない。福塚を脅そうとも考えたがすぐに吐くとは思えず、痛めつけて口を割らせようとしても『主に逆らった罰』により、すでに息も絶え絶えの遥杜の方がもつかわからない。
(早く、安全に、正しく確実に呪いを解くには、どうすればいい?)
遥杜はこの手のことに明るくない。それは外で戦っている雅仁たちも同じだろう。本部には神楽や呪術に特化した部隊もいるが時間がない。そう都合よく、呪いに詳しい仲間は側にはいない。
(いや、ここにいる)
本部で一番呪術に詳しい神楽よりも直感的な部分で彼女よりも優れており、実際に遥杜の呪いすらも一時的にではあるが弱めてみせた。そしてなにより、遥杜のすぐ側にいる。
(鈴音さえ、呼び戻せれば)
この状況で遥杜に意思が残っているのなら、儀式が始まってどれくらい経ったかはわからないが鈴音にも欠片でいいから意思や自我が残っていないか。
月の明るく静かな光の下で、彼女はいつも目を覚ます。遠いと知っていながら触れてみたいと手を伸ばしていた。
(だったら、今夜の月を見たら喜ぶかもしれないな)
妹の喜ぶ顔を想像したら、束の間、苦しさも痛みも忘れられた。
助走をつけてとんっと床を蹴る。宙で振り上げた刀を落下の重力とともに天井付近の対面の壁に叩きつけた。
どんっという豪快な音に続き、ばらばらと大きな木片が壁に沿って床に落ちていく。
「見てよ、鈴音」
血色の不気味な光が霞んでしまうくらいの清浄な青白い光が廃寺内を満たしていく。
「今夜の満月は大きくてきれいだよ」
天井の大穴から顔を出した満月が、その優しい光で遥杜と鈴音を照らしていた。
木立の中でも全く速度を落とさずに先頭を突っ走っていた雅仁だったが、突然立ち止まったようだった。豆粒のように小さかった兄の背が徐々に大きくなっていく。
「おや、遥杜。早かったね」
熱をもつ右目を押さえながら、遥杜はへらへらと笑う雅仁をちらと見て、前方に視線を戻した。
そこには血で染めたような透明の壁がそびえていた。
「何これ」
遥杜が不快感を露わに顔を顰めると、雅仁は地面を指差した。
「血で描かれた陣。禁術だろうね」
五芒星とそれを囲むように円が描かれ、漢字とも記号とも捉えられる文字が規則的に配置されている。自分のときは血では描かれていなかったが、遥杜にとっては見覚えのある陣だった。遥杜はもうそれだけだとは思わないが、一般的には呪いと表されるそれを施されるときに見たものだ。つまり雅仁の言う通りこれは禁術なのだ。
廃寺を中心に据えた広大な陣である。
「こんな大量の血、一体どこから」
「おや、遥杜は覚えていないかい。今朝見たばかりだろうに」
「……ああ、そういうことか」
今朝の怪死体を思い出し、遥杜は暗い声で呟いた。
「これは少々厄介ですね」
遅れて追いついた千里は狼から人間姿に変じたところだった。
「でも、まさちゃんの土地ではあるんだよね? だったら陣の中に氏神の籠目を作れないの?」
「え、それって大丈夫かな……?」
千里の後から鴇羽と瑠璃も現れる。鴇羽の発案に瑠璃は少し顔を青ざめさせていた。
「鴇羽の案も不可能ではありませんが、瑠璃の反応は尤もですね」
「どういうこと?」
「氏神の籠目は使えても、下手に陣に介入すると何が起こるかわからない。術を壊すだけならいいけど、捕まってる鈴音に影響がないとも限らないってことだよ」
遥杜の解説に、鴇羽は瑠璃と似たような顔色になった。
「つまりは最後の手段ということさ。……おっと」
雅仁がひょいと半身をずらすと、脇を通過した太針がさくっと地面に突き刺さった。
「全く。追いかけてくるのは弟たちだけで十分だというのに」
踏み込んだ雅仁はとんっと地を蹴って、太針が飛んできた方へ大太刀を振り抜いた。周囲の細い木ごと隠れていた敵を切り伏せる。
その間にもわらわらと敵が湧いて出てくる。向こうの数の方が圧倒的に多いが、雅仁たちが冷静さを失うことはなかった。
「瑠璃は幻術でかく乱させなさい。鴇羽、瑠璃を守るのを主に、ついでに遠距離でこちらの援護を頼むよ」
「うん」
「行こう、瑠璃!」
猫又姿に戻った瑠璃と鴇羽は敵の間を素早く駆け抜け、雅仁たちから離れていく。
「千里と遥杜はその辺で適当に敵を捌いておくれ」
「急に雑な指示になりましたね」
「指示があった方がいいかい?」
「いりません」
「いらないよ」
さすがは長兄といったところか、雅仁は弟たちのことをよく把握している。血や暴力が苦手な瑠璃を離しつつ役割を与え、鴇羽には得意の弓矢での攻撃を依頼しながら怪我の具合を考慮して瑠璃の守りに力を入れるようあえて指示を出した。混戦になれば厄介なことは一つでも減らしたい、余計な命令がある方が千里や遥杜が戦いにくくなることもわかっていたので雑な指示にしたのだろう。
「君たちの顔を拝んだところで何とも思わないよ。早く鈴音に会いたいね」
雅仁の前では木など障壁にもならない。勢いでまとめて二、三人を凪ぎ払いながら、はあっと恋しそうにため息を吐いている。
「同感です。ですがこの悪趣味な壁を越えないと鈴音には会えませんよ」
雅仁とは対照的に、千里は無駄のない動きで一人、また一人と着実に敵を倒していく。短刀なので小回りが利くこともあり、特に困った様子はない。
この場で一番苦戦しているのは遥杜だった。雅仁のような人とは比にならない膂力があるわけでもなければ、千里のように細かな立ち回りができるわけでもない。雅仁が木をなぎ倒した後、そこまで敵を引き付けて刀を振るい、ときには体術を駆使して一応は乗り切っているがやりにくいことこの上ない。
(向こうの方が土地は開けてるんだけどな)
廃寺の方をちらと見遣る。建物の周辺に大きな木はなく、見晴らしも良い。
「って、あれ?」
雅仁の攻撃を避けて、敵の一人が躊躇いなく後ろへ跳ぶ。血色の壁をすり抜けて陣の中に着地していた。しかし敵に変化は見受けられず、また雅仁に斬りかかって行った。
固まる遥杜の前にまた敵が現れるが相手が構えをとるより先に鴇羽の矢が命中して昏倒した。
雅仁も違和感に気づいたのだろう。敵をあしらいながら、つと左手を壁に向けて伸ばしていた。触れるか触れないかで、雅仁はさっと手を引いた。
「いけないいけない、危うく大怪我をするところだったよ」
「何してるんだよ」
「いや、入れないと思っていたが先入観で決めつけてはいけないと思い直してね。やっぱりぼくは駄目だったけれど」
雅仁は不敵に笑った。
「遥杜なら行けると見た」
「は?」
今しがた大怪我をするところだったと言っていたのは聞き間違いか。
目を見開く遥杜に迫る攻撃を弾き返しながら雅仁は続けた。
「まず鈴音が中にいることは間違いない。この陣は敵味方の判別できないと考えられる」
障害物が消えたことで遥杜も楽に刀を振るうことができるようになる。敵の攻撃をいなして、隙を突いて斬りかかる。
「それで?」
「向こうとこちらの決定的な違いがあるだろう。福塚の元には鈴音を除いて人間しかいない、対してぼくたちは妖だ」
「俺は人間……ともう半分は何かの妖って話だけど」
「それこそが答えさ」
雅仁の言わんとしていることを理解したときだった。
「口ではなく手を動かしてください、二人とも」
敵の背を斬りつけて、千里が現れる。
「何かするつもりなんですか」
「さすが千里、話が早くて助かるよ。うん、今から遥杜が中に入って鈴音を助けてくれるという」
「そこまでは言ってない」
「えっ、じゃあ行ってくれないのかい⁉」
「行くよ!」
大仰に目を丸くしてみせた雅仁は遥杜の返事を聞いてにっと目を細めた。
「遥杜ならきっとそう言ってくれると信じていたよ。なんといってもぼくの弟だからね」
「だったらもっと大事にしてほしいよ。もう、さっさと行ってくるよ」
「うん、わかったよ! 無事帰ってきたら頭を撫でて褒めてあげよう!」
「いらないよ!」
千里の「気をつけてくださいね!」という声を背に、遥杜は陣の中に飛び込んだ。
少しの不安はあったが迷いはなかった。雅仁が行けると言ったならきっと行ける、大丈夫だ。
壁に弾き出されることはなく、あっさりと陣の内側に入りこめた。ぴりぴりと全身に静電気が走り、痺れたような感覚に襲われるが動きを妨げるほどではない。
(兄さんの言った通りだ。この陣は人間には効かない)
慌てて敵が追い縋ろうとしているようだったが、騒音は近づくことなく背後で止まっていた。振り返らずとも兄弟が足止めしてくれていることはわかる。
東の空に銀の月がのぞいている。
幸か不幸か、今夜は一段と大きい満月だった。
廃寺に近づくほどに痺れは痛みに変わっていく。もしも満月が出ていなければ妖の力を封じている呪いが弱まらず、ここまで拒否反応は出なかったかもしれない。ただ満月が出ているからこそ雅仁の動きについていけたし、今もここまでの無理がきくともいえた。
重くなり始めた右腕を持ち上げ、朽ちかけの扉を引き開ける。
「鈴音、いるんでしょ。迎えに来たから、帰るよ」
息が上がる中、声を張って鈴音に呼びかける。
遥杜が越えてきた外の壁よりも濃い色をした赤黒い光の壁がそびえ立ち、むっと血の臭いが鼻を突いた。
不快感がこみ上げる異様な光景の奥に、鈴音は黙って立っていた。
手足に力は入っていないが、頭だけは正面を向いている、まるで操り人形のような姿勢だ。狐の耳も尾も、まるで飾り物のようである。藤色の瞳は、いっそ硝子玉をはめ込まれていると言われた方が納得できそうなくらい、がらんどうで無機質で、ひどく寂しいものだった。
動揺を抑え込み、遥杜はもう一度鈴音の名前を呼んだ。
「ねえ、鈴音」
瞬きもしなければ、耳が震えることもない。
鈴音から返ってくるのは沈黙だけだが、彼女の側からくつくつと神経を逆なでする笑い声があがった。
「ここに入ってきたのは予想外。だが、その様子では、くく……っ。あっははは、これは傑作だ!」
「うるせぇな。頭痛ぇんだから黙ってろよ」
陣の中央に迫るほどに、頭ががんがんと激しく痛むのだ。そこに福塚の声が重なって響くのだからたまったものではない。
ぎろりと睨む遥杜の目は深紅に輝いている。福塚は一瞬びくりと肩を震わせたが、何が面白いのか笑いが収まることはなかった。
「黙れ、と言ったら黙りたくなるのは貴様の方ではないか?」
「……!」
反論しようとしたが声が出なかった。
遥杜の驚いた顔がよほど気に入ったらしく、福塚は愉しそうにしている。
「やはりな。貴様も半妖だったか。この陣により半妖は鈴音に限らず私の傀儡になるのだよ。鈴音のように道具として私に使ってもらえるなんて、貴様は運がいいな、なんてなぁ」
「っ!」
頭が割れるように痛いが、構わない。遥杜はだんっと軋む床を踏みしめて、思いきり刀を振り抜いた。
「鈴音はてめえの道具じゃねえ!」
福塚の左腕に剣先が掠める。それでも彼は笑っていた。
「そういえばこいつも、道具ではないから命令をきくかは自分で決める、とほざいていたな。だが意思決定ができないのではどうだろう。くくっ、道具と変わらんな!」
「外道が……っ」
次は狙って刺してやろうと、遥杜が刀を構え直したとき、左腕にずきりと痛みが走った。
「っ……!」
「その程度で済んで良かったな。私がもろに攻撃を受けてやらなかったおかげだ、感謝するといい」
遥杜の袖に切れ目はなく血の伝う感覚もないが、痛みは切り傷と同じだった。福塚に与えた傷と同じ個所である左腕がじくじくと痛む。
「主に逆らった罰だ。甘んじて受け入れるんだな」
悦に入った嘲笑は不愉快極まりない。罵詈雑言は山のように浮かぶが頭は痛いし、息も切れてきて言い返すのも億劫になってきた。立っているだけでも疲れるほど体は重く、感覚だけの切り傷も集中力を奪っていく。
(駄目だ、いればいるほどおかしくなる。さっさと片をつけないと)
このままでは本当に福塚の傀儡になってしまう。
陣は今も赤黒い光を放っており、途中で入り込んだ遥杜にも効いていることからこの儀式はまだ完了していないのだろう。
術者である福塚を倒せたとして、中途半端に儀式を終えてしまったら鈴音も遥杜も無事でいられるか保証はない。福塚を脅そうとも考えたがすぐに吐くとは思えず、痛めつけて口を割らせようとしても『主に逆らった罰』により、すでに息も絶え絶えの遥杜の方がもつかわからない。
(早く、安全に、正しく確実に呪いを解くには、どうすればいい?)
遥杜はこの手のことに明るくない。それは外で戦っている雅仁たちも同じだろう。本部には神楽や呪術に特化した部隊もいるが時間がない。そう都合よく、呪いに詳しい仲間は側にはいない。
(いや、ここにいる)
本部で一番呪術に詳しい神楽よりも直感的な部分で彼女よりも優れており、実際に遥杜の呪いすらも一時的にではあるが弱めてみせた。そしてなにより、遥杜のすぐ側にいる。
(鈴音さえ、呼び戻せれば)
この状況で遥杜に意思が残っているのなら、儀式が始まってどれくらい経ったかはわからないが鈴音にも欠片でいいから意思や自我が残っていないか。
月の明るく静かな光の下で、彼女はいつも目を覚ます。遠いと知っていながら触れてみたいと手を伸ばしていた。
(だったら、今夜の月を見たら喜ぶかもしれないな)
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助走をつけてとんっと床を蹴る。宙で振り上げた刀を落下の重力とともに天井付近の対面の壁に叩きつけた。
どんっという豪快な音に続き、ばらばらと大きな木片が壁に沿って床に落ちていく。
「見てよ、鈴音」
血色の不気味な光が霞んでしまうくらいの清浄な青白い光が廃寺内を満たしていく。
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「へえー、同窓会で再会したのがはじまりなの?」
「いや、そこで、初めて出会ったんですよ」
「同窓会なのに……?」
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