あやかし家族 〜五人の兄と愛され末妹〜

南 鈴紀

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第五話 覚醒

第五話 七

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 霧を払い、闇を照らし、夢を醒ます。
 月が鈴音を呼んでいる。起きて、とそっと揺り起こす。
 輪郭の掴めなかった景色がくっきりと像を結び、水中のくぐもった音がはっきりと言葉として届く。
「迎えに来たよ、鈴音」
 鈴音の本来の姿を目にしてほっと微笑んだ遥杜は床に頽れ、ぜえぜえと肩で息をした。額には玉のような汗が浮かび、深紅の瞳は今まで見たどんなときよりも強く鮮やかで眩しい光を放っていた。
 『兄は、いない』と口にしたあたりから記憶がないが、なぜそんなことを平然と言ってのけられたのだろう。だってこんなにもすんなりと彼の名前は出てくるのに。
「はるちゃん」
 遥杜は頷くが、苦しげな呼吸を繰り返すだけでいつものように『そうだよ』とも『何?』とも返事はくれなかった。
「苦しいの?」
 こんなにも明るい満月の光が出ていれば、遥杜の呪いはかなり弱まるはずだ。任務の後にしてもここまで悪くはならないはずだった。それとも普段の任務以上に無理をしたのだろうか。
 心配で遥杜に駆け寄ろうとしたが、割りこんだ「動くな」の声に鈴音の足はぴたりと止まった。
「なぜ妖力封印の呪いが解けかかっている?」
「そんなこと今はどうでもいいよ。はるちゃんが苦しそうにしてるんだよ。今はそっちの方が大事でしょ」
「質問にだけ答えろ! お前は私の言うことだけを聞けばいい!」
 言われた通り何も考えずに『うん』と頷いてしまえ。その方が簡単だ。楽だ。
 囁き声が鼓膜を揺らし、頭の中をかき乱す。
(……やだ……)
 たった一言の肯定でいいのだ。難しいことはない。そうすればこの苦しみはたちまち消えるとわかっているだろう。
 声はざわざわひそひそと繰り返す。
(嫌、だよ)
 福塚の怒鳴り声がわんわん響くが無視した。まるで金縛りにあったように動かない足にぐっと力をこめる。
(あんな命令は、きかない。わたしははるちゃんのところに行きたいんだもん)
 その間も抵抗するな、命令に従えと囁き声は絶えず聞こえてくる。福塚の声は聞こえないふりができても、こちらの声を締め出すことはできなかった。
 うるさくてたまらない声を掻き消すように、鈴音はありったけの大きな声で叫んだ。
「嫌! 邪魔しないで!」
 突然動いた足と棒立ちだった体で重心がずれ、鈴音は床に転んだ。床に引きずられたせいであちこち擦り傷や切り傷だらけで、今さら床についた手が擦りむいたくらい痛いうちには入らない。それよりもこれで遥杜の元に行くことができると喜んだ、瞬間。
「鈴音っ!」
 遥杜の緊迫した声にびくりと立ち竦む。鈴音の真横がきらりと光り、直後、背後で福塚の悲鳴があがった。振り返ると福塚の右肩には遥杜の愛刀が突き刺さっていた。足元には落下の振動でからからと音を鳴らす小刀が落ちている。
 命令がきかないならと物理的に鈴音の動きを封じようとした福塚を遥杜が刀を投げて止めた、といったところだろうか。
 床にうずくまる福塚はどうでもいい。とにかく遥杜の方が心配である。
 前に向き直ると、遥杜は右肩を押さえていた。苦しさよりも痛みを堪えているのか、顔を顰め、肩を押さえる左手には必要以上に力が入っている。
「はるちゃん」
 鈴音は急いで駆け寄ると、遥杜の側に膝をついた。
「苦しい? 痛いの?」
「浄化、の、狐火……」
 鈴音の問いに答える余裕はもうないようだった。息が続かないのか強烈な痛みに襲われているのか、意識が朦朧としている。
 そんな中呟かれた『浄化の狐火』という言葉には、きっと何か意味がある。
 それ以上の言葉を紡げずにぐったりとしてしまった遥杜の体を咄嗟に支える。座っているが預けられる体重は鈴音にとってはかなり重く、服越しにもわかるほど遥杜の体は熱かった。
 遥杜の高熱の原因は判然としない。症状だけ見れば遥杜の呪いが関係しているのかもしれないが、明るい満月の夜にここまで体調が悪くなるのは不自然だ。加えて刀を投げられるくらいには無事だったはずの右肩をなぜ急に押さえたのか。肩が外れたでは片付けられないほどの苦しみようであり、引っかかることだらけだ。
 考えてもわからないが、浄化の狐火ならわかるのだろうか。
 他に鈴音にできることはない。福塚が動けないうちにやってみるしかない。
 危機的状況ではあるが、鈴音に焦りはなく、不安も薄らいでいた。
(はるちゃんが『浄化の狐火』って言ったなら、わたしはそれを信じるよ)
 目を閉じる。福塚の悲鳴も、遥杜の熱も、全て外に追いやる。
 音を排した暗闇にぼろぼろの糸が小さく丸まっている。玉になりかけの糸の輪は取り除いたが、節のようにところどころにできた玉はこの間見たときと変わらない。その糸にいびつに撚れた新しい糸が絡まっていた。
(呪いが増えてる)
 軽くくっついているくらいならすぐに取り除けたが、強固に結びついたり何重にもくるくると巻きついていたりとおかしなことになっている。ただでさえ引っ張れば切れそうな糸だというのに、これでは下手に手出しできない。
 解くのはほぼ不可能だ。
 組み紐を作ったときもそうだった。途中で絡まった糸を解くことができなくなって、結局最初から作り直した。ちょうど遥杜の組み紐を作っているときだった。
(あ、そっか)
 そうして閃くものがあった。
(編み直せばいいんだ。糸、糸は……)
 遥杜にぴったりの糸を思い浮かべる。深紅と銀のきれいで丈夫な糸を。
(どこかにないかな。……あ、あった)
 誰しも糸を持っているが、正常なら真っ直ぐで切れ目のない糸だ。鈴音にも糸はあるが呪いの影響で途切れた糸が結びついたり絡まったりとごちゃごちゃしていることは知っている。だからこそ今の自分が扱える程度の浄化の狐火ではどうにもならないともわかっていた。
 糸を探していると自分の呪いの糸に新しい糸が絡みついていることに気づいた。呪いではなくすぐに取れた糸は深紅と銀だ。ちょうどいいからこれを使おう。
 少し力を加えると遥杜の糸はほろほろと崩れた。そこに新しい糸を結び付け、するすると編んでいく。終わりも同じように元あった糸を崩して、そこに出来上がった組み紐の先端を結んだ。
 結び目と絡まりだらけのぼろぼろで千切れた糸を、青白い狐火で燃やす。
(うん、きれいにできた)
 暗闇に、深紅と銀の組み紐が真新しく輝いていた。
 こうも美しい紐を見てしまうと、羨ましくなる。
(わたしの糸でも、同じことができないかな)
 結び目を解いて呪いを解くことはできそうにないが、糸を切って代わりに新しく繋ぎ直すことで呪いをなかったことにすることはできそうだ。
 鈴音の呪いの糸にくっついていた糸は先ほどの深紅と銀の糸だけではない。どこかで見たことのある金色や水色、鴇羽色に瑠璃色など十本の糸があり、全てきれいだなと思った。
 こんなことできる機会は滅多にないだろう。ここぞとばかりに好きな色を選んで、丈夫に目を揃えて編んでいく。元あった糸をぱちぱち切って組み紐の両端をぎゅうっと結び付けた。
 不格好な糸くずは狐火できれいに燃やした。
 色の組み合わせは微妙かもしれないが、鈴音としては大満足だ。もっと眺めていたいが遥杜の具合も確かめなければならない。
 名残惜しくも目を開ける。すると深紅の両目と視線がぶつかった。
「元気になった?」
「うん、すっごく……」
 呼吸は落ち着き、熱もすっかり引いている。強く抑えていた右肩からも痛みが消えたのだろう、苦しげだった表情が嘘のようだった。
「なんていうか自分の体じゃないみたい。こんなに体が軽かったことなんて本当に小さいとき以来かも。治ったっていうよりも変わったって感じ」
 鈴音から体を離した遥杜は首を回してみたり手を握ったり開いてみたりと未だに実感が湧かないようだった。
 元気そうでなによりだ。鈴音はほっとして、小さく笑った。
「確かに変わったね、角と牙がある。それに耳も尖ってる。とにかく元気が一番だよね」
「え、……は?」
「角って硬いのかな。……あ、硬いね」
 絵草子で見た鬼もこんな風に描かれていた。鈴音の狐の耳は頭頂部に生えているがふわふわと柔らかい。千里に訊いたら角は硬いと教えてもらったが、本当なのか気になっていたのだ。やはり千里の言うことは正しく、遥杜の額に生える二本の短い角は触ってみるとこつんと硬かった。
 その音が聞こえたのか、角にも触覚が存在するのかはわからないが、遥杜は鈴音の言うことが現実だと飲みこみ始めているようだった。
「鈴音、何かした?」
「糸を切って、新しく組み紐を作って繋いでみたよ」
 鈴音としては簡潔に答えたつもりだが、遥杜は眉間の皴を深くしていた。
「わからないんだけど。糸って呪いのことか?」
「うん、そう。呪いが解けないから切り取ってなくして、代わりに丈夫にしておいたの」
 遥杜は床へと目を逸らし、満月がのぞく天井を見上げ、最後に鈴音に首を戻した。
「……つまり呪いは解けた、っていうかなくなったってことで合ってる?」
「合ってるよ。ついでにわたしの糸も組み紐にしてみたの。きれいにできたの、見て見て」
 ずいっと身を乗り出してきらきらした瞳で訴える。渾身の出来栄えなのでぜひ遥杜にも見てほしかった。
 遥杜はただただ困惑していた。
「いや、どうやって見ろと……。しかもその理論でいくと鈴音の呪いもなくなったってことに……」
 鈴音の背後を見て、遥杜が息をのむ。鈴音の手を掴んで立ち上がった遥杜は、鈴音が走る姿勢を整える前に強引に前方へ引っ張って走っていた。
 鈴音自身や遥杜の呪いをなくしたことで、陣は傀儡とする対象者を失った。しかし福塚は生きており、陣そのものが消滅したわけではない。
 収束に向かっていた陣の光が徐々に大きくなる福塚の低い声に比例して、再び眩く膨れ上がる。
 このままここにいればまた福塚の道具にされかねない。傀儡の術をかけられて、次も逃れられるとは限らない。絶対に囚われるわけにはいかなかった。
 廃寺を飛び出て鈴音が安心したのは一瞬だ。外にも広がる陣は、いよいよ目を焼くほどの強い光を帯びていた。
 間に合わない。直感的にそう思ったのは鈴音だけではない。足は止めなかったが遥杜も苦々しい表情をしていた。
「鈴音ならこの陣、消せないの?」
「今はまだただの陣。呪いでも穢れでもないから、わたしには何もできないよ」
「呪いに変わった瞬間、俺たちは傀儡にされてるよ」
 がくんと足が止められた。前に倒れ込む鈴音を受けとめながら、遥杜は尻もちをついた。
「はるちゃんこそ、鬼なんだよね? なにか能力があるはずだよ。それ、使えないの?」
「鬼だってこと自体、今の鈴音の発言で気づいたよ。急に能力があるとか言われても」
 鈴音は遥杜の胸に手をついて、ぐっと顔をのぞきこんだ。
「陣は今すぐ消せなくていいんだよ。まずは術者さえ止められればいいの」
 目を逸らした遥杜は鈴音の肩を押し返すと地面に座らせた。
「刀は福塚の肩に刺さってるけど? 戻ってる間に傀儡にされんのが関の山だって」
「じゃあここから、狐火……じゃなくて、鬼火? をえいってぶつけてみる、とか」
「それこそ鈴音が狐火出してやってよ」
「わたしの狐火は呪いや穢れは祓えても、物とかは燃やせないの」
「断罪の鬼火だってなんでもかんでも燃やせるわけじゃ……」
 遥杜ははっと口を噤んだ。鈴音の聞いたことない言葉が飛び出てきたが、遥杜自身戸惑っているようだった。
「あれ、なんで知ってる、わかるんだ……?」
「はるちゃん、断罪の鬼火って何?」
 遥杜は一呼吸置いて廃寺を真っ直ぐ見据えた。
「見ればわかるよ」
 遥杜の両の瞳が業火を映しこんだように燃え上がった。
 彼の触れていた陣の記号から線に引火して、やがて廃寺にまで燃え移る。悲鳴とも怒号ともつかない聞くに堪えない叫びが鈴音たちの耳をつんざく。廃寺は遥杜の瞳と同じ色の炎に包まれていた。
 鈴音の膝元にも同じ色の小さな火が迫っていたが、不思議と恐怖は感じない。そっと指先で突いてみると熱さは全く感じられず、服や草を燃やすこともなかった。廃寺にしても焼け焦げた臭いはせず、ただ火に覆われているだけだ。
 ただし、例外はあった。
 廃寺から転げ出てきた福塚は火のだるまで「熱い」「痛い」と声を嗄らして喚いている。彼が纏う炎だけは本物で、火の爆ぜる音もものが焼ける臭いも現実のものだった。
「断罪の鬼火って」
「犯した罪と同じ重さの罰を与える裁きの鬼火。徳を積んでれば減罰されるし、火が消えたとき罪は浄化されたことになる。因果応報、自業自得ってやつだよ」
 地面をのたうち回る福塚を見つめる遥杜の瞳は、怒りに激しく燃えているようにも酷く冷たく凍えているようにも見える。
「はるちゃん、人殺しにはなりたくないって言わなかった?」
「俺が人を殺すんじゃなくて、当人の犯してきた罪が罰として返ってくるだけだよ。死ぬかどうか決めるのは俺じゃなくて謂わば本人だ」
 福塚は一体どんな末路を辿るのか。
 鈴音の両親をありもしない罪で殺し、鈴音を捕えて痛めつけて、何もかもを奪って道具として扱った。鈴音が知っているのはそれだけだが、平然と妖狩りを行える福塚が他の妖を虐げて利用しなかったとは限らない。
 ただ、人間視点では福塚は一概に悪者とは言い切れないのではないか。
 鈴音を利用した宗教組織だったが、毎日救いを求める人間が訪れており、少なくとも鈴音が存在していた一〇年間は信奉され、存続してきた。福塚の命令で浄化の狐火を使役してきた裏で、数えきれないほど大勢の人間の感謝の言葉を聞いたことも事実である。
「なら、はるちゃんは人殺しにはならないかも」
 響いたのは自分のものとは信じられないほどの柔らかな声だった。
 向けられた遥杜の静かな瞳を真っ直ぐに見つめ返して、鈴音はほうっと穏やかに微笑んだ。
「良かった」
「……鈴音は、これでいいの? 俺なら死んで償えって言うよ」
 遥杜の強張った表情、硬い声の理由は想像できる。
 酷いことをされてきた、狂った日々だったと今の鈴音はちゃんとわかっている。大事なものをことごとく奪われて、失っていることが当たり前だった。それを許そうとは思わない。
 でも良いも悪いもなくて、何を言ったところで現在はここしかない。福塚が死んでも鈴音のためには一切ならないし、死んだ両親が帰ってくることも絶対にないのだ。
「今が全てだよ。今さら償いなんてされても迷惑なだけ、邪魔だからいらない」
「鈴音って強いよね」
 遥杜は目を細めた。憎しみに囚われて、人間を嫌悪することしかできなかった遥杜にしてみれば、鈴音は眩しく映るのだろう。けれど何かが違えば、鈴音もかつて遥杜がそうだったように人間を憎悪して生きることになっていたかもしれない。
 今が全てだと清々しく言い切れるのは、きっとこのときが幸せだと信じられるからだ。
「まさちゃんとせんちゃんとはるちゃんとときちゃんとるりちゃん。みんなが一緒に教えてくれたんだよ、幸せの続きを。だからわたしは強くいられるの」
 福塚の罪の証のひとつである陣は輝きを失い、血は灰燼に帰して風に乗って流れていった。彼自身、火傷は負っているが命拾いはしたようだ。
 どこからか鈴音と遥杜を呼ぶ声が届いた。
「これで終わったのかな」
 振り仰いだ夜空には明るくて大きな満月が浮かんでいる。いつの間にか真上近くにまで昇っていた青白い月は地上一帯を照らし、雅仁たちを映し出した。
「すずちゃん~!」
「すず……!」
 一直線に駆けてきた鴇羽と瑠璃はひしっと鈴音に抱きついた。
「ごめんねっ、ぼくが守ってあげなきゃだったのに……!」
「僕も、ごめんなさい。……うぅ……っ」
 鈴音を守りきれなかった罪責感と再会できた安堵で、鴇羽と瑠璃はぽろぽろと涙をこぼしていた。
「泣かないで」
 鈴音が二人の兄の頭を撫でてあやしている傍らで、遥杜は雅仁に頭を撫でくり回されていた。
「無事に帰ってきたご褒美だ、遥杜の敬愛する雅仁兄さんが褒めてあげよう!」
「いらないって言ったのに……!」
 逃げるのを諦めているのか、それとも本当は嬉しいのかもしれない。遥杜は雅仁のされるがままになっている。
 互いに無事の再会を喜び合っていると、狼姿の千里が駆け寄ってきた。
「本部に後処理の応援を頼んできました。まもなく到着します」
「ご苦労様。じゃあ、後は任せてぼくたちは帰ろうか」
 人間姿に変じた千里は頷くと、鴇羽と瑠璃を振り返った。
「ごめんなさい、鴇羽、瑠璃。最後に大仕事を頼んでいいですか」
 きょとんと目を丸くして、鴇羽と瑠璃は顔を見合わせた。
「なんかまだあったっけ?」
「どうだろう。やり残しなんてあったかな」
「……鈴音にだけでいいので、幻術で見えないようにしてほしいんです」
 何を、とは千里は明言しなかったが、鴇羽と瑠璃にはそれだけで伝わったようだった。
「ああ、うん。あれは確かに見せられないよね」
「そうだね……」
 鴇羽は顔を引きつらせており、瑠璃は気分が悪そうにしている。
「ねえ、『あれ』って何?」
 瑠璃の顔をひょいと覗き込んでみたが、さっと目を逸らされる。ならばと鴇羽に目を向けると、彼はわざとらしいくらい明るい声で「よーし、帰ろう帰ろう!」と宣言してすっくと立ちあがった。
 はぐらかされている気はしたが、すっと手を差し出されると不満はたちまち消えた。
「手をつないで帰ろう!」
「あ、僕も」
 瑠璃も鴇羽とは反対の手を鈴音に差し出した。
 鈴音は二人の手を取ってひょいと腰を上げ、両手に触れる温かな手を握り直した。
「うん、帰ろう」
 つないだ手を前後に大きく振りながら三人の弟妹が歩き出すのを微笑んで見守っていた千里だったが、やがてじわじわと目を見開いた。
「あれ、鈴音の妖力が……」
「千里兄さん、行かないの?」
 立ち止まったままの千里に振り返った遥杜が声をかける。
「あ、はい。行きます、行きますけど……」
「千里、ちゃんと前と足元を見て歩かないと危ないよ。そこら中に寝ている人間がいるのだから」
「わかってます。それはそれとして、困ったことになりました」
「困ったこと?」
 のろのろと歩く千里に歩調を合わせ、遥杜は隣を歩いた。三歩前には雅仁がいる。前を向いて鈴音たちの様子を眺めているが、千里の話にも耳を傾けているはずだ。
「鈴音の妖力が戻っています。呪いが解けた、ということですよね」
「解けたっていうかなくなったが正しいらしいけど」
「どちらにせよ条件は変わった、と。振り出しに戻りましたね……」
「さっきから何の話してんの」
 話が見えず、遥杜が単刀直入に切りこむと千里は困り笑いを浮かべていた。
「鈴音の引き取り条件です。今朝先方とすり合わせをすると言ったでしょう。途中で瑠璃に呼ばれましたが、現段階で決まっていた条件がすでにいくつか当てはまらなくなってしまいました。これでは鈴音を引き取ってはくれない、というか預けてもいいものか……」
 真剣に悩む千里だったが雅仁はあっけらかんと笑い飛ばした。
「なんだ、そんなことかい」
「そんなことって。鈴音を下手なところにやれないでしょう。当てがない兄さんには言われたくありませんよ」
「え? 当てならあるよ?」
 期待半分、疑念半分といった目で、千里はまじまじと雅仁を見つめた。
「疑っているね? なら具体的な条件を紹介しようか」
 緩やかに足を止めた雅仁は長い白髪をゆったりと翻して、悠然と微笑んだ。
「衣食住は完全保証、お金に困ることもないだろう。希望があれば行きたいところ、やりたいことできる限り叶えてみせよう」
「……え、あ、はい。……はい?」
「ええ、まだ納得がいかないかい?」
 そこに鈴音が舞い戻ってきた。
「せんちゃんたち、遅いよ」
 やっとついてきたと思ったら、千里たちはすぐに足を止めてしまった。歩調を落として待ってみたがいつまでたっても歩き出さないので、痺れを切らして鈴音は戻って呼びに行くことにしたのだ。
 すぐあとには鴇羽と瑠璃も続いていた。
「ねえ、話なら後にしようよ。疲れたぁ」
「ぼくは今、大真面目に考えているんだよ。それこそ後にしてくれ」
「大真面目な、まさ兄……?」
「ふざけてるようにしか聞こえないよな」
 鈴音は千里の袖を引いた。
「まさちゃん、大丈夫?」
「いえ、どうでしょう……。僕も混乱しています。鈴音の引き取り先の話をしていたんですが、なんだか話が嚙み合わないような? でも、あれ? 間違ってはいないんでしょうか……?」
 千里は言葉通りかなり混乱しているようだった。
 弟たちのざわつきを雅仁の「ああ、じゃあこういうのはどうだろう!」という叫びが打ち消した。
「衣食住は完全保証、お金に困ることもないだろう。希望があれば行きたいところ、やりたいことできる限り叶えてみせよう。さらに! 特典として! なんと! 楽しい五人の兄がついてくるよっ‼」
 渾身の片目瞑りとともに雅仁が高らかに謳った。
 鴇羽と瑠璃は黙って顔を見合わせ、遥杜は夜空の満月を眺めている。千里ははあっと深い息を吐きだした。そしてすうっと大きく息を吸って、また吐いた。
「……その条件、聞き覚え、いえ、見覚え? というか身に覚えがあるんですけど」
 鈴音も同意見だと頷いた。
「今と同じだね」
 待ってましたと言わんばかりに、雅仁はぱんっと大きく手を打ち鳴らした。
「そう、今と同じさ! というわけで、鈴音」
 金の双眸が鈴音に真っ直ぐに向けられる。美しくて温かい、慈愛に満ちた月の光が鈴音にだけ降り注ぐ。
「ぼくたちと家族にならないかい? 仮はもう終わりにして、本当の家族を始めよう」
 家族と幸せに生きることは鈴音にとって一番の願いだった。
 最初は失った両親の代わりに、誰かと幸せを夢見たいと願っていた。
 けれど今は誰かの代わりではなく、誰でもいいのではなく、一緒に幸せを紡いでほしいと希う人たちがいる。
「家族と、幸せに生きたい。その『家族』は、まさちゃんとせんちゃんとはるちゃんとときちゃんとるりちゃんがいいの……!」
 雅仁はふっと満足げに笑った。
「聞いたかい、みんな。鈴音の願いを妹の可愛いお願いとして叶えてあげたい、そうだろう?」
 瑠璃は目を輝かせてこくこくと頷き、鴇羽は「叶えたい叶えたいっ」とぴょんぴょん跳ねている。遥杜は穏やかな顔つきで、千里は優しく微笑んでいた。
「その願い、兄であるぼくたちがきっと叶えてみせるよ」
 月が優しく明るく、鈴音の行く道を照らしていた。
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