カモミールの福音 ~花と〈家族〉に癒される優しい世界の物語~

南 鈴紀

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第六話 優しい昔話

第六話 一二

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 どうして忘れていられたのか不思議になるくらいに、そのひとつひとつがかけがえのない大事な宝物だった。
 それこそ、学び家での日常にだって先日見たような何気ないことさえも。
 後悔、罪悪感、感謝……。様々な感情が胸に去来したが、慈乃の胸を一番大きく占めたのは恋しさだった。
(本当は、お母さんに会いたかった……!)
 自分を慈しみ、愛してくれたその人には、もう言いたいことも伝えられず、顔を見ることも叶わない。
 急に押し黙った慈乃の顔を覗き込んだメリルの表情が、不安そうなものから心配するものへと変わった。
「シノお姉ちゃん、どこかいたいの?」
「……え?」
 メリルに言われて初めて気づいた。
 慈乃の頬は濡れていた。
「な、んで……? っ、ごめ、なさ……!」
 それが涙だとわかった瞬間、堰を切ったように目から溢れた。
(もう二度と、泣けるはずがないと思っていたのに)
 父が亡くなり、大事なものが全て手から零れ落ちてしまったそのときに、慈乃の涙は枯れ果てたと思っていた。
 いまになって母恋しさに泣くことになるなんて、思いもしなかった。
 独白が、サクラの花びらと共に舞い落ちる。
「忘れていて、ごめ、なさ……! 愛してくれ、て、ありがと……! ずっと、大好きだよって、伝えたいっ、のに、会えない、なんて、本当は嫌、だよ……っ」
 カルリアが何も言わずにハンカチで涙を拭いてくれた。小さい子相手に慣れているのか、その手つきはどうしようもなく母を思い起こさせる。余計に涙が止まらなくなった。
 そっと、慈乃の背に温かい手が添えられる。
「シノもずっとみんなに見られてたら困っちゃうよね。続きは僕が話そうか」
 子ども達からの注意を逸らすように、ウタセが発案した。
「でも、最後まで話したら、シノお姉ちゃんもっと悲しくなっちゃうよ?」
 ライモが案じるように呟くのにも、ウタセは「大丈夫だよ。シノも僕も魔法使いだから」と小さく微笑むだけだった。
 ウタセがそういうならとライモも大人しく聞くことにしたようだ。
 一度咳払いすると、ウタセが物語の続きを語り始めた。
「『「こんなせかいで いきていくことは できないよ」 テルルは いいました。 「こんなせかいだから いきてみようよ」 フレレは びっくりしました。「なんで そんなことが いえるの」 すると テルルは わらいました。「だって こうして せかいを しった わたしたちなら なにかを かえることが できるかもしれないよ」」
 ウタセは歌うように語りながら、それにあわせて慈乃の背を優しく叩いていた。
「「できないよ」 「まだ やってもいないのに わからないよ」 フレレは たびに でたときのことを おもいだしました。さいしょは たびにでるなんて できないと おもっていたこと。しかし、テルルは ゆめを かなえたのです。テルルといっしょなら もしかしたら かなしいせかいを かえることが できるかもしれない。フレレは テルルを しんじることにしました。ふたりの たびは まだ はじまった ばかりです。 おしまい』」
 語り終えると、皆は何も言わずに、ただ顔を見合わせた。
 おずおずと、ウルフィニが戸惑ったように、小首を傾げる。
「ウタ兄。それ、ちがう」
「でも、僕はこっちの終わり方のほうが好きだな。僕のなかのテルルとフレレは悲しい世界をちょっとは変えたよ。ウルのなかのテルルとフレレはどうかな」
 優しく問いかけられて、ウルフィニはしばしの逡巡の後、「かなしくなくなったよ。みんなわらってる」と真面目な顔をして答えた。
「なら、それでいいじゃない。死んでおしまいじゃなくて、希望のある終わりの方がずっとね」
 少し離れたところで話を聞いていたソニアが目を細める。
「懐かしいなあ。私もウタ兄さんからよく聞いたっけ、その話。私、てっきり兄さんが創作したんだと思ってたんだけど、シノちゃんも知ってるっぽかったね」
 慈乃に寄り添っていたカルリアも顔を上げた。
「それは私も思った。実は有名な裏話だったりして?」
 ウタセは曖昧な笑みを浮かべ、緩く首を振った。
「僕の恩人から教えてもらった物語だよ。世界に二つとない、ね」
 隣に目を移すと、声を押し殺しきれずにしゃくりあげる慈乃の横顔がある。その下手な泣き方が小さなころの自分の姿と重なった。
 小さな花畑で隠れるようにして泣いていた自分に、話しかけてきた女の子がいた。
『なかないで。そうだ、おきにいりのおはなしをきかせてあげる。そしたらわらってくれるかな』
 恩人は、今ごろ慈乃くらいの年齢だろうか。
 もうお礼を言うことはできないだろうから、せめて救いを求める誰かの手を取ることで、その恩に報いよう。そう、思う。思っていた。
 慈乃でもなく、過去の自分でもない、もう一人の人物の姿が重なる。。
 性格も、見た目もかなり違うはずなのに、小さな女の子が一生懸命に物語を紡ぐ横顔が垣間見えた気がした。
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