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第二幕・カプリッチョーソ(気まぐれ)に進む
7・入学式にて思わぬ再会
しおりを挟む「ふあーあ」
リデイラは欠伸を噛み殺しきれず、口元を手で覆った。
昨晩、声を掛けられたリデイラは、反対方向である岸に向かって走り出した。
突然走り出したリデイラに驚く青年も、自分を引き留める声も無視して、リデイラは桟橋を渡り、林の中へ一直線に逃走する事にした。それが一時的な逃避だとしても、少しでも先延ばしにしたかったのだ。
お陰で、気分転換に出かけた散歩である意味気分は変わったけれど、悪い方へと変わってしまったせいで、結局殆ど眠る事が出来なかった。
「随分と眠たそうね」
欠伸していたのをソフィアに見られていたらしい。
少し恥ずかしくて、リデイラはそれを誤魔化すように苦笑した。
「あー、うん。緊張して眠れなかったのかな?」
「どうして疑問系なの?けど、眠れなかったのも無理はないわ。私も、先に来ていたからここには慣れたつもりだったけれど、今日はいつもより早く目が覚めてしまったもの」
自分も同じだと頷くソフィア。
じゃあ、似た者同士だね。と笑いあって、二人は部屋を後にした。
九時から入学式は始まってしまう。遅刻や欠席はあり得ない為、あまりのんびりはしていられない。
やはりみんな同じ事を考えているのか、比較的早い時間にも関わらず、食堂は昨日の夜よりも混雑していた。
新入生なのか、タイをしていない人が多いけれど、チラホラと青や赤のタイをしている人も居る。
きっと彼等が祝曲を演奏する人達なのだろう。そう思ったのはリデイラだけではないらしい。リデイラの視界には、彼等へチラチラと目を向ける生徒が多く居た。
見ていたのが自分だけではない事にほっとしつつも、あまり見過ぎるのも失礼だと思い、リデイラはそっと目を反らした。
二人は、朝食を終えたら次の人の為に直ぐに席を立った。
時刻はまだ入場開始まで時間があるけれど、遅れるよりは早いにこした事はないと、お手洗いを済ませ会場へ向かう事にした。
やはり食堂と同様にお手洗いも混雑していた為、思っていたよりも時間を取られてしまった。けれど、それでも入場開始時刻よりも早く着いてしまった。
「大きい……」
会場となる建物は、普段はコンサートホールとして使われているらしい。
それは、リデイラが今までに見た事のあるコンサートホールよりも遥かに大きかった。
収用人数は最大で三千人だと案内図には書いてあった。各都市にあるコンサートホールの平均収用人数が千人前後程度だという事を考えるとその大きさが窺える。
「他の人達も、私達と同じ考えだったみたいね」
「そうだね。開場まで、まだ時間あるのにね」
無駄な争いを避ける為に予め、既に席順は決まっている。だから、いくら早く来ても良い席に座る事は出来ない。それにも関わらず、入り口付近には人集りが出来ていた。
「あー、もう、全然見えないんだけど」
「早く来れば出入りするアルベルト殿下のお姿が見れると思ったのにー」
「ホントそれよね。もう会場入りしちゃってるのかな」
「そうなんじゃない?もう、こんな時間だしさあ」
「式の時に見れるとは思うけど、やっぱり先に間近でも見たかったよねー」
「だよねー。これからも拝見出来る機会はあると思うけど、ねえ?」
「お姿を見るだけじゃなくて、一緒に二重奏しちゃったりとかしてみたいわよね」
「あら、貴女確かクラリネット専攻ではなくて?殿下はヴァイオリニスト。クラリネットとの二重奏は、無い訳ではありませんけど、殿下がわざわざ二重奏のペアに選ぶには少々難があるのでは?」
「えー、まあそうなんですけど。可能性はゼロではないので夢は見たいじゃないですか」
「その気持ちは良く分かるわ。私はヴァイオリン専攻してるから、殿下と二重奏出来る曲多いから狙い目なんだよね」
「え、楽器が同じってつまり、殿下もライバルって事じゃないの?」
「……そうなんだよねー。でもそこはもう諦めてるわ」
「て言うかでも、そもそも殿下って入学して以来、まだ誰とも個人的な合奏はした事ないらしいよ」
「なにそれ本当に?なら俄然燃えるじゃん。私が初のペア相手になって見せるわ」
「アンタじゃムリムリ。だって、音響士(ムジチスタ)として卒業された人でも断ったらしいのに、入学したてのアンタじゃ眼中にも入れて貰えないんじゃない?」
「それは流石に酷くない?」
「只の事実じゃん。そんなに高望みしないで、音響士として卒業する事を目指しなよ」
「……現実ってきびしいわ……」
人集りの中でも幾つかのグループがある様だったけれど、その殆どのグループの話題はアルベルト殿下についての様だった。
「アルベルト殿下って、うちの王太子殿下の事だよね?」
リデイラが首を傾げると、ソフィアは目を丸くさせた。
「リディったら、殿下の事を知らないの?」
「いや、優秀なヴァイオリニストだって事は知ってるよ!」
慌てて取り繕おうとして、知っている事を口にしたリデイラだったけれど、その内容を聞いたソフィアが溜息を吐いたのを見て、無駄に終わった事を知る。
「だって、練習しか興味なかったし。同世代で凄い演奏をする人って覚えれば良いかなって」
言い訳を重ねれば重ねるほど、自分でも墓穴を掘っていく気がして段々と語尾が小さくなっていく。
そんなリデイラを見てソフィアは再び溜息を吐いた。
「リディの発言には色々と問題があるけれど、それはまた今度にしましょう。それよりも、取り敢えず今は殿下の事ね。聞いていたのが私だけで良かったわ。でないと殿下を慕う方達に取り囲まれて非難されたり、一から百まで殿下の事を語られていたわよ?」
ソフィアの言葉に、チラリとお喋りをしている集団へと目を向けた。理由は違えど、数人に囲まれた経験があるけれど、その時の規模の比ではないだろう。
あそこに居る人の様な人達に十数、否、数十人に囲まれてしまうのを想像してしまいリデイラは体を震わせた。
「ソフィアはどうして大丈夫なの?」
大半の人が、あそこに居る様な人達ばかりなら、何故ソフィアはそうではないのだろうか。リデイラは純粋に疑問に思った。
「私?私はそうね。私もリデイラの様に演奏家としての殿下にしかあまり興味がないからかしら。他の人達は演奏よりも殿下の容姿や地位に興味があるみたいよ。私も豊穣祭やアリア祭の時に遠目で拝見したくらいだけど、金の髪をした美しい容姿の人だったわ。美しい人だったけれど、私の好みではなかったし、何よりその地位に付随するであろう責任を一緒に背負う気がしないのよね。私は一介の奏者でいたいから」
「責任かあ。確かに将来は国を纏めなくちゃいけない立場なんだから責任重大だもんね」
「そこの処を誰かさん達は理解しているのやら。理解しているのなら大丈夫かもしれないけれど、もし理解していないのなら大変な目に遭うことは必須ね」
フフ。と微笑むソフィア。リデイラはソフィアと出会って二日目だけれど少しずつ彼女の性格を理解してきた。
中々の辛辣家らしいけれど、演奏に関係の無い事で駆け引きだ何だのは面倒だから、これくらいはっきりと言ってくれる方が分かりやすくて良い。
これなら、これからも仲良く出来そうだ。ルームメイトがソフィアで良かったとリデイラは思った。
「まあ、殿下は優秀らしいから、何も考えていないような人を伴侶には選ばないでしょうし、私達には関係の無い話だわ。でも、無知過ぎると面倒事を引き寄せてしまうかも知れないから、リディはもう少し色んな事を勉強した方が良いと思うわよ?」
関係の無い事なら気に留めておく必要は無いかな。そう考えていた事を見抜いた様なソフィアの指摘にリデイラはギクリと肩を竦ませた。
「リディは演奏するのが好きなんでしょ?その時間を他の事で煩わせない為にも、最低限の事は知っておいた方が良いわよ」
この短い間に相手の事を把握し始めていたのは何もリデイラだけではない。ソフィアもまた、リデイラの事を観察していたのだ。その上での発言である。
「……善処します」
忠言をしてくれるのは自分の事を思ってだと分かっているので、リデイラは項垂れながらも頷いた。
「今日はその返事で許して上げるわ。だから顔を上げて?もう直ぐ入場時間よ」
促されてリデイラが顔を上げれば、ソフィアが苦笑しながらコンサートホール出入り口を指していた。
そこでは係りの人間なのだろう、統一された腕章を付けた人達が既に置かれていた机に荷物を置いている姿があった。
「早く座りたいし、私達も行きましょう?」
確かにずっと立ちっぱなしなので、早く座れる事に越したことはない。なので、既に出来つつある列にリデイラ達も並ぶ事にした。
荷物は名簿とタイだったらしく、自分の番が回ってくると「入学おめでとう」と祝辞と共に緑色のタイを渡された。
早速それを着けると、漸くこのビルトゥオーゾ学園に入学したのだという実感が湧いてる。
ソフィアも同じようで、着けたばかりのタイを触っていた。お互いに少しだけタイを直しあってからロビーへと進んだ。
このコンサートホールはロビーからして広さが違うらしく、リデイラ達よりも先に入って行った人達は多かったけれど特に混雑する様子もなく広々としていた。
案内に従ったリデイラ達が通されたのは、二階席右側の前の方だった。
「外で見た時から分かってたけど、凄く広いね」
「そうね。敷地面積的にも広いけれど、四階席まである分、縦にも広いから天井が高いわ」
ホール内に入った為、小声でホールの印象を言ったりしているとあっという間に時間は過ぎ、遂に入学式が始まった。
とはいっても、初等科、中等科の時の入学式や卒業式とそう大差は無かった。一番の名門校だからと期待していたけれど、お偉い人の長い話を聞くのはどこも一緒らしい。
(……退屈だわ)
欠伸が出そうになるのを必死に噛み殺していると、何だか周りがそわそわし始めている事に気が付いた。
リデイラが楽しみにしている在校生による祝歌演奏はまだの筈だ。確か、この後は在校生による祝辞では無かっただろうか。
自分の記憶が間違っているのかと思い、進行表を見たけれど、やはり在校生による祝辞だった。
どうしてみんな、そわそわしているのだろうか。そう内心で首を傾げていると、アナウンスが入る。
「在校生代表、祝辞。在校生アルベルト・レ・モルキアーナ、起立」
「はい」
その名が告げられ返答があった途端、ザワリと周囲が騒めいた。そんな中、リデイラは首を傾げた。
アルベルトとは王太子殿下の名前だ。つい先ほどまで耳にしていたのだから間違える筈もない。
在校生の代表にアルベルトが選ばれるのも、実力や諸々の事から言って妥当だと思うからそこに疑問は無い。
みんなもそう推測していたのか、在校生に聞いていたのかは分からないけれど、知っていたからそわそわしていたのだと納得しつつ、その声に聞き覚えがある気がして、聞き覚えがある事に首を傾げたのだ。
(殿下の出る様な、王都の式典やイベント事に行った覚えは無いんだけどなあ)
もしかするとリデイラの記憶違いで、式典で聞いたのかも知れないと思ったのだけれど、ごく最近聞いた気がする事に、更に首を傾げた。
リデイラが首を傾げている間にも、式は進む。
姿が見えないと思っていたら、二階席からは死角となる階下に居たらしく、後頭部が現れた。
朝の噂で聞いていた通り、少し薄暗いホールの中だというにも関わらず、美しい金色の髪をしていた。
その姿を現した事で、周囲が更に騒がしくなる中、リデイラは妙な既視感を覚えていた。
(あの髪、立ち姿もどこかで見た事がある気が)
どこで見たのだろうか。遂には腕組までして考え始めたリデイラだったけれど、答えは直ぐに出た。
ステージに上がり、壇上の机に向き直った時にその顔が見えた。
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