天上の鎮魂歌(こもりうた)~貴方に捧げるアイの歌~

ただのき

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第二幕・カプリッチョーソ(気まぐれ)に進む

10・六階の主

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(ホントにあった)
 階段を上った直ぐ先に、“六―M”の表札を見付けた。
 その表札の文字も小さく薄っすらとしか書かれていない為、見え難くい。むしろ、少し離れた所にある倉庫と書かれてある表札の方が見えやすい位だった。
 本当にここは教室なのだろうか?まるで見付けてくれるなとでも言わんばかりじゃない?そんな疑問が浮かんでくるけれど、あるものはあるのだから、取り敢えず入ってみる事にしたリデイラは、四度ノックした後、扉を開いた。

「失礼します」

 一応小声で挨拶をするも、部屋には誰も居なかった。
 肩透かしを受けた気分になりながら、部屋を見回したリデイラは首を傾げた。
(他の部屋よりちょっと小さい、かな?)
 廊下にいた時に、別の表札がある扉までの距離が近いなと思ったのは間違いではなかったらしい。
 けれど、構造自体は他の教室と変わりはない様で、この部屋にも仕切り窓があった。
 そして、その向こう側にようやく人影を見付けた。背格好からして男性の銀色の髪をした人。
(人が居たって事は、先生って事だよね?)
 部屋の表札は授業用の部屋を示していたし、何より生徒ならわざわざ六階まで上がらず、別棟だが直ぐ近にある練習室を使うだろう。
個人練習室なら鍵をかけてしまえば、誰でも出入り可能な教室よりもよほど集中出来るだろうし。
 それに、学園の敷地内に居るときは制服着用が推奨されているのに、制服を着ていない事もそう判断させた。
 リデイラに背を向けている為、気付いては貰えない。
 音が聴こえないと言うことは、演奏もしていないので、窓をノックしても良いだろうか。
 どうしようかなと悩んでいると、男はリデイラに背を向けたまま弓を引き始めた。
(──この人、一音一音が凄く綺麗だ)
 たった数節聴いただけだけれど、一つ一つの音を確かめるかのように丁寧に引いているのが分かる。
 けれど、ゆったりしたテンポという訳ではなく、楽譜通りに引けている事から技量の高さも窺えた。
(でも、なんて悲しそうな引き方なんだろう)
 今引いているのは、本来ならアップテンポで軽快な曲の筈だ。編曲したのだとすれば問題は無かっただろうけれど、原曲そのままにも関わらずそう聴こえるので違和感が拭えない。

「勿体ないなあ。音はこんなに綺麗なものが出せるのに」

 原曲そのままなら、この曲はそう長くは無いので最後まで聴いた後、ポツリとそう呟いた。
 指導する姿を見る事は出来なかったけれど、演奏を聴けたからまあ良いかとリデイラはメモを書き付けた案内書から顔を上げた。
 先生と言えど、当然練習する時はあるのだし、邪魔をしてはいけないからそろそろ出ようかな。
 そんなリデイラの思惑は外れてしまう事になった。

「え!?」

 顔を上げたリデイラは先生と思わしき人と目が合ってしまった事に驚いた。しかも、目が合っただけではなく仕切り窓の方へと近づいて来るではないか。
(私のせいで練習を妨げてしまった事になるのかな?いや、でも、元々は見学をしに来たのだから気付いてもらえて良かったのかな?)
 けれど、やっぱり他人の練習しているところを邪魔してしまったという思いは、自身がされて最も嫌な事の一つなので、リデイラの罪悪感を募らせる。
 そうリデイラがあたふたしている間に、仕切り窓の隣の扉がキィと音を立てて開いてしまった。

「……見学者か」

 リデイラのネクタイの色を見てそう判断したのだろう。どこか冷たく平坦な声で男は尋ねた。

「……そうです」

 銀色の髪に氷の様な薄蒼の瞳。見た目通りの冷たい声にリデイラは少し怯みながらも頷いた。

「面倒だな。まさかここにやって来る物好きな者が居るとは思わなかった。これでは何の為に最上階にしたのか分からないな。他の連中は一体何をしているのだ。少しでも多くの生徒を請け負って点数稼ぎがしたいんじゃないのか。全く、役立たず共め」

 そこで男は溜息を吐いた。

「だが確かに、特に最近は上が煩い。……これも仕方が無し、か」

 淡々と、しかし忌々しそうに吐き捨てるのを、リデイラは呆然と見ている事しか出来なかった。

「そこの貴様」
「はい!」

 てっきり存在を忘れられていると思ったので、話しかけられ驚いて思わず背筋が伸びてしまう。
 男は、そんなリデイラを目を細めて値踏みするように見た。

「貴様、どこかで見た事があるな」
「そう、ですか?私は先生?とお会いした覚えは無いのですが」

 アルベルトとは印象が真逆だけれど、この男も美しいと形容できる容貌をしている。そんな男を見たら少しは記憶に残っている筈だ。だから会った事は無いだろうとリデイラは首を振った。

「まあ良い。貴様、一番得意なものを引いてみろ」
「え、今ですか?」
「今意外に、いつ引くつもりだ」

 男の行動の脈絡の無さに困惑しつつも、「引け」と言う事は、聴いて貰えるという事だろう。
 そう判断したリデイラはケースからヴァイオリンを取り出し構えた。こういう時に引く曲は決まっている。何度も練習した曲なので想定するイメージは改めて考える必要は無い。
 リデイラは目を伏せて弓を引いた。
 この曲は短い一音から始まる。次の音は逆に長く、長いその一引きの急弱で奏者が凡そどんなイメージを持って引いているのかが分かる。
 リデイラのイメージするのはほぼ原曲のままで、春、小川のせせらぎだ。

「もう十分だ」

 まだ数節しか引いていないのに止められてしまった。
 どこか変に引いてしまっただろうかと、リデイラは戸惑うも指示に従った。

「一応はここに入れるだけの実力はあるようだな」
「ありがとうございます」

 一応褒められてはいるのだろう。声色が尊大過ぎて今一そうは思えなかったけれど、リデイラは頭を下げた。

「だが、それだけだな。しかし、特別下手でも上手くもないのは上々だろう。目立つ事は無さそうだからな」

 案の定、誉め言葉ではなかった事にリデイラは内心で溜め息を吐いた。

「貴様の名は?」
「リデイラ・ファトジェラーレですけど」

 先生とは言え散々な態度に、リデイラの名前を告げる声が、少々固くなるのも仕方の無い事だろう。

「……そうか。それではどこのゼミになったのかを提出する際には私の名前を書くように」

 名前を告げた時に少し間が開いた事が気になった。けれどそれよりも、今までのやり取りの内で、いつこのゼミに入る事が決定したのだろうか。自分にも選ぶ権利はある筈だ。
 何かの間違いかも知れないし、と尋ねる事にした。

「あの、すみません。私が先生のゼミに入るという事は決定事項なのでしょうか?」
「何だ貴様。こんな所にまで来た癖に、既に別の奴の処に決まっているのか?」

 まるで断られるとは微塵も思っていなさそうな態度。けれど、まだ入学式が終わってから数時間だ。むしろ決まっている人の方が少ないのではないだろうか?
 そう思いながらも、リデイラは正直に頷いた。

「いえ。まだ、ですけど」
「ならば構わないだろう。質問は以上か?ならさっさと帰るんだな。因みに、ここに来るのは見学期が終わってからにしろ」
「……はあ、分かりました」

 聞く耳は持たないといった様子にリデイラは頬を引き攣らせた。
けれど、ピンと来る先生がいなかったら妥協しなければならないだろうとは思っていたので、ここでも別に構わないかな。
 そう思ったので了承したけれど、まだ肝心な事を聞いていないので帰る訳にはいかなかった。
 立ち去らないリデイラを見て男は

「何だ。まだ何か用か」
「先生のお名前を伺っていないので、記入しようにも出来ないのですが」

 リデイラがそう言うと、男は一瞬キョトンとした後、先程よりも眉間の皺を深くさせた。
(え、何か不味い事聞いちゃったのかな?でも、初対面なんだから名前知らないのは当然じゃない?)
 そう不安に思っていると、男が「アルジエント・グリージヨだ」と小さく名乗った。

「グリージヨ先生、ですね。では、半月後からよろしくお願い致します」

 何故不機嫌になってしまったのか分からない。これ以上機嫌を損ねる前にと、リデイラは早々に部屋を後にした。



  ◇◇◇◇



 バタン。閉じられた事を見届け、忘れていた鍵を掛けた後、扉に背を向けアルジエントは奥の部屋へと戻った。
(まさか、私の事を知らないとは)
 既に師事する者が決まっている者でさえ、機会があれば鞍替えしたり、単に他者の意見として演奏を聴いて貰いに来るので煩わしいのに、新入生の相手までしていられない。
 案内書に名前が載っていないのは、自分の名前を見付けた新入生が押し寄せてくることを防ぐ為だった。
 それでも、知り合いなどから聞く等をした新入生がわざわざ六階まで上って来る事は、毎年数回はあった。
 今回もその類だろうと思い適当に相手をし、最近では「弟子を持て。生徒を持て」と煩い輩が増えたので、それを黙らせる為、凡庸そうだったから変に目立つことは無いだろうと受け持つ事にしたのだ。
 それが、最後のやり取りで、相手が己を知らない事に初めて気付き、どうやら自意識過剰になっていた己を恥じた。
 最近では己の名を知らない者が周りに居なかったせいで、天狗になっていた様だ。所詮は己も過去の栄華に縋っていた一人かと自嘲した。
 ゆっくりと歩き、椅子に腰かけ溜息を吐きながら、受け持つ事にした生徒の事を思い浮かべた。
 ここに入れるだけあって演奏は丁寧であったが、それだけで、何も特出した物がない凡庸そのものの生徒だった。
ただ、演奏を始める前の雰囲気がどことなく誰かに似ていた気がするのと、名前を聞いた事がある気がするのがアルジエントの心に引っかかっていた。

「……気のせいか」

 けれど、どれだけ考えても思い出せないので、頭を振ってその感情を締め出し、ヴァイオリンを手に取った。



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