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第三幕・勝手なグルペット(周りの人々)
21・青褪める顔
しおりを挟む「リディ?」
そこに居る筈のない姿を見付けて、ソフィアは首を傾げた。
つい先程別れた時には、ベッドに潜り込んで頑なに出ようとしていなかったのに、どういう心境の変化だろう。
そこに居るからには出ると決めたのだろうけれど、それにしては顔色が悪い。
一点を見つめながら青褪めた顔で呆然自失といった様子で立ち尽くしている姿を見て、リディは大丈夫だろうかとソフィアは眉根を寄せた。
「これで、様々な都合により辞退した方を除く全ての参加者が出揃いました!」
リデイラが壇上に現れた所を見計らって、司会者が声を張り上げる。
「応募者数は100を超える、総勢109人。今回は4日間掛けて行われます。一人の持ち時間は約20分。1日で午前、午後、夜の三部、それぞれ3時間ずつ行います。時間は、第一部、午前の部は9時から12時。休憩に1時間を挟み、第二部、午後の部は13時から16時。休憩に2時間を挟み、第三部、18時から21時となっております。チケットをご購入出来た方は、お持ちのチケットの日時と時間をよくお確かめの上ご来場下さいますようお願い申し上げます」
司会者の朗々とした声がホール内に響く。
「それでは早速、本日から始まりますので、今ご着席の皆々様は、9時になりましたら再び今のお席にお戻りになられますようお願い致します!」
観客席の方にも照明が着く。今の内に所用を済ませておこうとしているのか、席を立つ人がチラホラと見受けられた。その中に、ソフィアの姿もあった。
会場の外に出て行く波に逆らって、ソフィアはステージへと近付いて行った。
「リディ!」
声は聞こえているのか、ゆっくりとした動きだったけれど、リデイラが声のした方向を見るとソフィアが居た。
「体調は大丈夫なの?貴女、顔が真っ青よ」
そんなに目に見えて分かるほど悪い顔をしているだろうか。リデイラは自分の頬に触れてみたけれど分からなかった。
「どうして今ここに居るのかは知らないけれど、部屋に戻った方が良いわ。今にも倒れそうだもの。一人、では戻れなさそうね。私も一緒に行くわ」
リデイラの答えは期待していないとばかりに、ソフィアはステージへと上がる階段などが無いか視線を巡らせる。
「それなら、私が送って行こう」
そう言って近付いて来た人物に、ソフィアは驚き、リデイラは頬を引き攣らせた。
「アルベルト殿下!」
行動を邪魔しないようにと、周囲の人間が道を譲り出来た空間をアルベルトが悠々と歩いてくる。
「そんな、殿下のお手を煩わせる訳には参りません」
「顔色の悪い人を黙って見過ごせないだけだよ。それに、観客席に居るという事は、今日の第一部のチケットが取れたという事だろう?彼女を送って行っていたら、きっと間に合わないよ。だから、ここは僕に任せて貰えないかな?」
物腰は柔らかで、言い方も丁寧だったけれど、そこには否を言えないような何かがあった。
それに加え、殿下の手を煩わせる事よりも、羨ましがられる声が多く、中でも「殿下の申し出を断るなんて」という声が一番多い事が決め手だった。
自分にも聞こえている位なので、アルベルトにも聞こえている筈だけれど、顔色一つ変えない所は流石というべきか。
ソフィアは溜息が零れそうになるのを堪え、微笑んだ。
「殿下がそこまで仰られるのでしたら、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「勿論だよ。こちらから言い出した事だしね。ああ、でも、寮にではなく医務室に送って行く事にするよ。ここまで顔色が悪いのなら、医師にきちんと診て貰うべきだからね」
「そう、ですわね。それではお願いいたします」
アルベルトは男性なのでリデイラ達の女子寮には当然立ち入る事が出来ない。なので、医務室というのは妥当な所だろう。
頷いたソフィアとは異なり、そのやり取りで更に顔色を悪くしたのはリデイラだった。
アルベルト(こいつ)と一緒には行きたくない!と顔に書かれているのをソフィアは察していたけれど、気付かない振りをした。
「歩けるかい?」
ここで無理だと言ったら、抱き上げられそうな雰囲気だったので、リデイラは必至な思いで頷いた。
「そう。なら、支えるから行こうか」
その声色がどこか残念そうだったのは気のせいに違いない。
リデイラがアルベルトに支えられると、やはり自然と皆、道を開けていた。
その中を、リデイラはなるべく顔が見えないように俯きながら歩いて行く。
ステージ脇を通り、ホールを出た。ステージに楽器を運ばないといけない事から、一番近い出口まではそう遠くは無い。
その短い間にすれ違った人達は皆一様にして、アルベルトの姿を見るとギョッと驚き道を開けて行く。
すれ違い様に凝視され居心地の悪い思いをしながら、リデイラは極力気付かなかった振りをした。
観客席を離れた人はそう多くは無かったけれど、外にはチケットを獲得出来なかった生徒達がキャンセルを期待してか殊の外多く見られた。
幸いだったのは、警備の問題上、学園の関係者以外で門を潜ってコンサートホールへ来られるのはチケット所持者だけだったお陰で、外に居たのが生徒だけだった事だろう。
一般の人達が居ればもっと無遠慮な視線に晒されていた事だろう。
想像してリデイラの体が震えると、その震えを体調不良が悪化したからと捉えたのか「大丈夫かい?」とアルベルトが気遣わしげに声を掛ける。
「大丈夫です。その、もう放していただいても大丈夫ですから。殿下もお戻りになって下さい」
今回の儀式で演奏する順番を知らないけれど、通常は申し込み順か、名前順のどちらかが基本である。
そのどちらにせよ、アルベルトは一桁台に居る筈なので順番が回って来るまでそう時間は掛からない筈だ。
「まだこんなに顔色が悪い人を途中で放れるほど、人を捨ててはいないよ。それに、私の順番は最終日の一番最後だからね。何も心配は要らないさ」
途中で気に入った者が居ても、なるべく公平を規す為、全ての演奏が終わってから誰を主にするか発表する。
その為、最後の方が覚えて居易いからと最後の方を希望する者も居る。けれど、希望者の意見だけを取り入れる訳にはいかないからと決められている筈だ。
にも関わらずあっさりと不正(コネ)を使ったと言い放つアルベルトは一体何を考えているのかリデイラにはさっぱり理解出来なかった。
(儀式は権力などには屈せず、平等だと謳っているのに)
それを許可した実行者の考えも理解出来なかった。
「それにしても、意外だよ。君はてっきり参加しないものとばかり思っていたからね」
本校舎へと入り、人影が少なくなってきた頃、アルベルトは言った。
「……私も参加するつもりは今でもありません。何故か勝手に登録され、今日も部屋を出た途端に強制的に連行されたので」
「強制的に、とは?」
リデイラの言葉に不審を覚えたのか、尋ねられた言葉にリデイラは吐き出すように言った。
「角の立派な牡鹿の精霊でした。彼は私を背に放り投げ、なにかしらの能力で固定してくれたので、逃げられませんでした」
結局、あの牡鹿は一体誰の精霊だったのだろうか。後で調べないと、と考えていたのでアルベルトの呟いた事を聞き逃した。
「今何か仰いましたか?」
「いや?気のせいじゃないかな」
どこか不自然ではあったものの、追及する気は無かったので「そうですか」とリデイラは流した。
「それよりも、参加する気は今でもないって、本当かい?」
「はい。そのつもりです」
「そうか。君の名が参加者の中にあったから楽しみにしていたのだけれど、残念だよ」
普通なら、どんなに実力差があろうと候補者が減るのは少なからず喜ばれるのだけれど、「本当に残念だ」と繰り返すアルベルトは心の底から残念がっている様に見えた。
それが演技なのか本心なのかは残念ながら分からなかったけれど、本来ならあり得ない順番に自分を持って来ている行為から、前者だろうなとリデイラは思った。
「けれど、一応教えておくね。君の順番は最終日、第三部最後から二番目だよ」
それはつまり、アルベルトの前に演奏するという事だろうか。
嫌な順番だと思った。誰かの作為すら感じられそうな程。
主になりたがっている人の前に、演奏するなんて。
アルベルトの事はともかく、私の事は知られていない筈だ。なので、最後を希望したであろうアルベルトと、他者が応募し最後になる予定だった私の順番が前後したのだろう。
偶然の産物にしては皮肉が効いている。
リデイラは自嘲的な笑みが零れそうになった。
「だから、今日から三日目までは牡鹿の精霊も現れないと思うよ」
「お大事にね」と医務官にリデイラを預けると、アルベルトは医務室を後にした。
(なら、最終日には来るのか。それならどうやって部屋に籠城しようかな)
と、最終日の事を考えていたリデイラは、アルベルトが去り際、僅かに口元を歪に歪めていた事に気付かなかった。
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