悪役令嬢に転生したので地味令嬢に変装したら、婚約者が離れてくれないのですが。

槙村まき

文字の大きさ
45 / 72
第4章 芸術祭・本番編

第45話 疼き

しおりを挟む

 彼女の瞳に最初に惹かれたのは、母である王妃の葬儀の時だった。
 眼鏡越しの銀の瞳に、溢れんばかりの涙をこぼしたリシェリアの表情を見た瞬間、ルーカスはそれまで干からびていた感情に何かが宿ったような気がした。
 それを確かめるために、王太子教育の合間を縫ってよくオゼリエ家のタウンハウスに赴いた。

 目を合わせようとしたら逸らされたり、近づこうとしたら逃げるように行ってしまったり、ルーカスの婚約者であるリシェリアは変わった令嬢だった。
 そんな彼女と一緒にいると、胸の奥が疼くような感覚が何度もあった。

(これはなんなのだろうか)

 胸の疼きがなんなのか、ルーカスはずっとわからずにいた。

 だけどあの日――。
 図書室で、リシェリアの口から「婚約解消」の言葉が囁かれたときに、その疼きは全身に広がって、胸の内から湧き上がる衝動を抑えられなくなった。
 あの美しい銀の瞳が嫌がるように逸らす視線でさえ、手放したくないと思った。
 だから衝動的に唇を奪ってしまった。

(でも、リシェリアは変わらなかった)

 そんな彼女の視線を少しでも独り占めしたいと思った。
 挨拶と称して手や頬などに口づけをしても、銀の瞳はいつも狼狽えたように逸らされてしまう。

 だからこの疼きは一方的な思いなのだと思っていたけれど、それに名前が付いていることを知ったのは劇団員が口にした「恋」という言葉がきっかけだ。

(もしかして、おれの気持ちは、恋なのだろうか)

 演劇の台本を読んだとき、最初は一目見ただけで心を惹かれる光の王子の気持ちがわからなかった。
 だけどリシェリアの銀の瞳をじっと見た時に、その気持ちを理解することができた。

 リシェリアと演技の練習をすればするほど、その気持ちは次第に大きくなっていき――。

 そしてついに、芸術祭二日目の本番中に気づいてしまった。
 自分の気持ちと、それから……。

 照明に照らされて月のように輝く美しい銀髪。寝台に寝転がり、目を閉じているその姿を目にした瞬間、胸の奥にあった疼きが、さらに熱を伴った気がした。
 練習や、本番一日目も眠っている彼女の姿を目にして鼓動がおかしくなったが、今日は段違いにおかしかった。

 激しくなる鼓動に、鼓膜が揺れて、自分の声まで聞こえない。
 それでも何とか台詞を口にして、彼女に唇を近づけようとして――。

 彼女は普段と違って、上目遣いや逃げ出しそうな素振りなど見せずに眠っている。
 これまでのリシェリアの行動。それが脳裏に浮かんでは消えて行く。恥ずかしそうに逸らす顔も、至近距離で見た彼女の顔も。

 そのすべてが物語っていた。

 リシェリアが、ルーカスに恋をしていない、ということに。

(……だったら、これはもう最後にしよう)

 ルーカスはもう気付いてしまっていた。
 彼女がどうして自分を避けるのか。

 もしこの口づけの後にも、リシェリアがルーカスのことを避け続けるのであれば、その時は――。

(彼女とは距離を置こう)

 そう心に決めた。
 そして、口づけを交わしたあと、ルーカスは囁いた。

「――ごめんね、リシェリア」


    ◇◆◇


 芸術祭二日目の劇が終わって、制服に着替えてからも、リシェリアは控室で呆然としていた。
 ルーカスからの熱い口づけの後、リシェリアはなんとか最後の台詞だけは口にすることができた。

 たくさんの拍手に包まれるように、劇が終わったのも覚えている。
 だけどそれ以外は曖昧だった。

 鏡の中の自分の姿を見ながら、指先で唇に触れる。そこはまだ熱を保っている気がした。

「――ッ」

 鏡の中の自分の顔が赤くなる。
 そうこうしているうちに時間だけが過ぎて行って、次に舞台を使う人たちが控室に来たので、リシェリアは慌てて講堂を後にした。

「あ、リシェリアだ。――って、その髪どうしたの?」

 教室に戻るかどうしようか迷いながらも当てもなく歩いていると、アリナがやってきた。
 髪、と言われて自分の頭に手をやる。黒髪のウィッグは踏まれてしまっていて使い物にならなくなってしまったから、なんとか地毛を三つ編みに結って眼鏡を掛けたのだ。いまは芸術祭の期間だということもあり、この髪はウィッグだと偽ればどうにかなる気がした。

「えっと、実は黒髪のウィッグを駄目にしてしまって――」

 名前は伏せてミュリエルたちのことについて話すと、アリナはわかりやすく頬を膨らませた。

「うわあ、その人たち嫌だね」
「確かに前から私に対して当たりの強い人たちだったわ。でも、準備期間中はそうでもなかったのよ。前よりも優しくしてくれて、憑き物が落ちたように推し活について話していたり……。今日は、まるで人が変わったようだったわ」

 以前に戻ったといえばそうなのかもしれないけれど、それにしては何か違和感みたいなものがあった。

「うーん。急に人が変わったねぇ……。リシェリアは、なにか心当たりある?」
「そうね、しいて言うのなら……。あっ、体調が悪いとよく保健室に行っていたわ」
「それだよ!」

 保健室。そして、彼女が口にしていた先生・・
 もしそれが隠れキャラである、ダミアンのことなのであれば――。

(あれ、でもそれだと私の髪のことをダミアン先生が知っているということになるんじゃ……。会ったこと、ないはずだけれど)

「うーん。ダミアン先生のことは、これからどうにかする予定だし――。よし、確かリシェリアって、午後フリーだよね? これから一緒に、芸術祭回らない?」
「私はいいけれど」
「やったぁ! あ、そういえば聞いたよー。午前中の劇、大成功だったんだって?」

 劇という言葉に、リシェリアはまたルーカスとのキスを思い出してしまい、顔が熱くなる。

「ルーカス様の演技が本当に恋している人のようで、口づけのシーンも本当にしているみたいで見ているこっちがときめいたって、クラスの子が言っていたの。いいなぁ、私も当番が無かったら観に行ったのになぁー」

 残念そうにしているアリナが、赤くなって縮こまりそうになっているリシェリアをみて、意味ありげな視線を向けてきた。

「――ねえ、もしかして本当に、したの?」
「え、な、なにが?」
「キスだよ、キス」
「――ッ、キスなんてしてないわ!」
「ほんとに? ほんとに?」
「もう、しつこいわよ。芸術祭を見て回るのでしょう? 早く行くわよ!」

 なおも聞き出そうと食い下がるアリナの腕を、リシェリアは引っ張る。

(そういえば、キスの後にルーカスが何か囁いていたような……)

 思い出そうとすると、また頬が熱くなる。
 きっと気のせいだと思い、リシェリアは芸術祭を回るのに集中することにした。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

《完》義弟と継母をいじめ倒したら溺愛ルートに入りました。何故に?

桐生桜月姫
恋愛
公爵令嬢たるクラウディア・ローズバードは自分の前に現れた天敵たる天才な義弟と継母を追い出すために、たくさんのクラウディアの思う最高のいじめを仕掛ける。 だが、義弟は地味にずれているクラウディアの意地悪を糧にしてどんどん賢くなり、継母は陰ながら?クラウディアをものすっごく微笑ましく眺めて溺愛してしまう。 「もう!どうしてなのよ!!」 クラウディアが気がつく頃には外堀が全て埋め尽くされ、大変なことに!? 天然混じりの大人びている?少女と、冷たい天才義弟、そして変わり者な継母の家族の行方はいかに!?

[完]本好き元地味令嬢〜婚約破棄に浮かれていたら王太子妃になりました〜

桐生桜月姫
恋愛
 シャーロット侯爵令嬢は地味で大人しいが、勉強・魔法がパーフェクトでいつも1番、それが婚約破棄されるまでの彼女の周りからの評価だった。  だが、婚約破棄されて現れた本来の彼女は輝かんばかりの銀髪にアメジストの瞳を持つ超絶美人な行動過激派だった⁉︎  本が大好きな彼女は婚約破棄後に国立図書館の司書になるがそこで待っていたのは幼馴染である王太子からの溺愛⁉︎ 〜これはシャーロットの婚約破棄から始まる波瀾万丈の人生を綴った物語である〜 夕方6時に毎日予約更新です。 1話あたり超短いです。 毎日ちょこちょこ読みたい人向けです。

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた

夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。 そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。 婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。

困りました。縦ロールにさよならしたら、逆ハーになりそうです。

新 星緒
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢アニエス(悪質ストーカー)に転生したと気づいたけれど、心配ないよね。だってフラグ折りまくってハピエンが定番だもの。 趣味の悪い縦ロールはやめて性格改善して、ストーカーしなければ楽勝楽勝! ……って、あれ? 楽勝ではあるけれど、なんだか思っていたのとは違うような。 想定外の逆ハーレムを解消するため、イケメンモブの大公令息リュシアンと協力関係を結んでみた。だけどリュシアンは、「惚れた」と言ったり「からかっただけ」と言ったり、意地悪ばかり。嫌なヤツ! でも実はリュシアンは訳ありらしく…… (第18回恋愛大賞で奨励賞をいただきました。応援してくださった皆様、ありがとうございました!)

完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい

咲桜りおな
恋愛
 オルプルート王国第一王子アルスト殿下の婚約者である公爵令嬢のティアナ・ローゼンは、自分の事を何故か初対面から溺愛してくる殿下が苦手。 見た目は完璧な美少年王子様なのに匂いをクンカクンカ嗅がれたり、ティアナの使用済み食器を欲しがったりと何だか変態ちっく!  殿下を好きだというピンク髪の男爵令嬢から恋のキューピッド役を頼まれてしまい、自分も殿下をお慕いしていたと気付くが時既に遅し。不本意ながらも婚約破棄を目指す事となってしまう。 ※糖度甘め。イチャコラしております。  第一章は完結しております。只今第二章を更新中。 本作のスピンオフ作品「モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~」も公開しています。宜しければご一緒にどうぞ。 本作とスピンオフ作品の番外編集も別にUPしてます。 「小説家になろう」でも公開しています。

悪役令嬢になりたくないので、攻略対象をヒロインに捧げます

久乃り
恋愛
乙女ゲームの世界に転生していた。 その記憶は突然降りてきて、記憶と現実のすり合わせに毎日苦労する羽目になる元日本の女子高校生佐藤美和。 1周回ったばかりで、2週目のターゲットを考えていたところだったため、乙女ゲームの世界に入り込んで嬉しい!とは思ったものの、自分はヒロインではなく、ライバルキャラ。ルート次第では悪役令嬢にもなってしまう公爵令嬢アンネローゼだった。 しかも、もう学校に通っているので、ゲームは進行中!ヒロインがどのルートに進んでいるのか確認しなくては、自分の立ち位置が分からない。いわゆる破滅エンドを回避するべきか?それとも、、勝手に動いて自分がヒロインになってしまうか? 自分の死に方からいって、他にも転生者がいる気がする。そのひとを探し出さないと! 自分の運命は、悪役令嬢か?破滅エンドか?ヒロインか?それともモブ? ゲーム修正が入らないことを祈りつつ、転生仲間を探し出し、この乙女ゲームの世界を生き抜くのだ! 他サイトにて別名義で掲載していた作品です。

悪役令嬢になったようなので、婚約者の為に身を引きます!!!

夕香里
恋愛
王子に婚約破棄され牢屋行き。 挙句の果てには獄中死になることを思い出した悪役令嬢のアタナシアは、家族と王子のために自分の心に蓋をして身を引くことにした。 だが、アタナシアに甦った記憶と少しずつ違う部分が出始めて……? 酷い結末を迎えるくらいなら自分から身を引こうと決めたアタナシアと王子の話。 ※小説家になろうでも投稿しています

処理中です...