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第4章 芸術祭・本番編
第46話 洗脳
しおりを挟む楽しかった芸術祭の喧騒も遠のいてしまったからか、中庭は静寂に包まれていた。
さらさらと揺れるポプラの木を見上げるが、目当ての花は見つからない。
(今日はできればあってほしかったけど)
残念に思いながらも、思い出すのは芸術祭のことだ。
二日目に辿り着くのは初めてだった。だから昨日以上に楽しむことができたし、なによりもリシェリアといろいろな出し物を回れたことが楽しかった。お化け役も気合を入れたぶん、楽しむことができた。
(こういうのも久しぶりだなぁ~)
前世、引きこもりだったアリナは、地元のお祭りにさえほとんど顔を出していなかった。友達と遊ぶのはもってのほかで、部屋でゲームばかりしていた。
だから今日は、少し気分が高揚しているのかもしれない。
芸術祭一日目までの一週間を繰り返したのはさすがに疲れたし、怖かったけど。
爪を噛んでいた前世の癖ももうないから、転生してよかったのかも。
ずっとポプラの木を見上げていても、いきなり花は咲かないだろう。
踵を返すと同時に、少し強めの風が吹いた。
どこから飛んできたのか、赤と緑のツートンカラーの髪色をした長身の男が、アリナの前に降り立つ。
「待たせたか?」
「いいえ、いま来たところです」
実は中庭で、ケツァールと待ち合わせをしていたのだった。
――昨日、あの後。
アリナはケツァールに真実を伝えた。
【時戻り】の魔法のこと。
保健室の養護教諭が魔塔の魔術師であること。
彼は洗脳の魔法を使うが、彼自身も別の人物に操られているため、その洗脳を解く必要があるということを。
アリナの話に、ケツァールの疑り深い瞳がさらに細くなっていく。
それでも彼は口を挟むことなく、静かに話を聞いてくれた。
そして昨日は話の後に、一緒に保健室に真実を確かめに行ったのだけれど、そこにダミアンの姿はなかった。
だから翌日である今日、また一緒に行くことになっていた。芸術祭二日目ということもあり、人目の付きにくい祭りの後に。
「それじゃあ、行くか」
ケツァールの言葉に、一緒に保健室に向かう。
ダミアンに直接会うのは、転生してから初めてのことだ。
彼の洗脳がゲームの主人公であるアリナに効くことがないとはいえ、不安は残っている。
(大丈夫、よね)
隠れキャラのダミアンが、ゲームのままのキャラなのであれば、魔塔の魔術師とはいえケツァールの心強い味方になってくれるはずだ。
ダミアンは姉からの洗脳で性格が歪んでしまっているが、本来は根が優しく曲がったことが嫌いな性格をしている。
だけど自分よりも強力な洗脳の魔法が使える姉には逆らうことができずに、命令されるがまま魔塔で汚れ仕事を担っていたり、姉の命令で学園に入学してケツァールのことを調べたりしている。
その過程でゲームのヒロインに出会い、彼女のおかげでケツァールとの間にあった誤解もなくなり、姉の洗脳から解放されて自由を手に入れるのが表ルートでのエンドだ。
ちなみに洗脳が解けないと、ケツァールルートの裏ルートであるバットエンドに直行してしまう。一回目にプレイした時は、そのエンドだった。
姉のせいでいまはまだケツァールとの仲は最悪なままだろう。
だけど早くダミアンの洗脳を解かないと、この後の展開にも響いてしまうかもしれない。
(せっかくリシェリアとルーカス様の仲がいい感じなのに、邪魔だけはさせたくないからねぇ)
保健室に近づくにつれて緊張感が増していく。
一度大きく息を吸って、静かに吐く。その繰り返しで落ち着こうとしていると、それまで黙っていたケツァールが口を開いた。
「なあ、そういえば聞き忘れていたんだが、その洗脳されてるっていう魔術師の名前って、なんていうんだ?」
「えっと、ダミアンですよ。知っていますか?」
「……ああ、その男か。知ってはいるけどなぁ」
保健室の扉の前に着いた。
扉を開けようと手を伸ばすと、その腕をケツァールが止めた。
「アリナが言うには、ダミアンは洗脳されているんだろう? それは、本当か?」
疑心のこもった瞳だ。ゲームで、ケツァールは洗脳されていたダミアンのことを嫌っていた。そこにはダミアンの姉の思惑もあったのだけれど、単純に見ていて不愉快だという台詞があったっけ。
だから疑っているのかもしれないけれど、洗脳が解けたダミアンは良い人だ。
「大丈夫ですよ。洗脳さえ解ければ、ダミアン先生はまともになりますから」
「あの男が、まともねぇ……」
何か言いたげな瞳をしていたが、ケツァールは腕を引っ込めた。
「まあ、俺はもとより、おまえも洗脳が効きにくいみたいだからな。もしものことがあっても助けてやればいいか」
「ありがとうございます。では、開けますね」
今日は居ますように。
そう願いながら扉を開けると、保健室の中にはひとりの男が立っていた。
落ち着いたピンク色の髪に、赤い瞳の白衣を着た男だ。
彼は入ってきたアリナを見ると、ゆっくりと口許を笑みを浮かべた。
「どうされましたか?」
「……あの、ダミアン先生にお話があります!」
「僕に?」
ダミアンが赤い瞳をぱちくりとする。
(ゲームでも怪しさしか満点の赤い瞳だったけど、リアルでみるとなんか怖い)
「ダミアン先生には、お姉さんがいますよね?」
「……はい。とても信頼できる、姉ですよ」
どこかうっとりとした表情で、ダミアンが答える。
ゲームでは見せなかった表情だけれど、洗脳されている証拠かもしれない。
「本当に信頼できる方なのですか? そのお姉さんが、魔法で先生を操っているのだとしても」
いきなりこんなことを口にしたら、ダミアンには不信感しか与えないだろう。
ダミアンのかけられた洗脳は強力なもので、並大抵の魔術師にはすぐに解けないものだ。だけどこっちには心強い味方がいる。ケツァールの力があれば、洗脳を解くことは容易く――。
「あれ?」
隣を見ると、そこにケツァールの姿はなかった。一緒に保健室に入ったはずなのに。
「誰かを、探しているのですか?」
「えっと、私と一緒に入ってきた人がいたと思うのですか」
「保健室に入ってきたのは、アリナさんだけですよ」
「え、でも――」
あれ?
どうして自分の名前を知っているのだろうか。
「不思議ですか? 僕があなたの名前を知っていることが」
「名乗りましたっけ?」
「ふふ、いいえ。でも、僕は何でも知っているんですよ。あなたのことも、この世界のことも」
確か、ダミアンは姉からの洗脳により、目の下に隈があって表情の暗いキャラだったはずなのに。
いま目の前にいる男は、ゲームとは違って爽やかな笑顔を浮かべている。
「あなたはもう少し、人を疑うべきですね。僕と同じで選ばれた人間のはずなのに、浅はかすぎます」
「……選ばれたって……」
問いかけることはできなかった。
その赤い瞳に、視線が吸い寄せられる。
「原作を改変しようとするなんて、あなたも、姫も、愚かなんですよ」
ダミアンの口からは、信じられない言葉が零れる。
「いまのままだと、あなたはヒロインに相応しくありません。だから、僕が手伝ってあげますね」
その言葉を、アリナは聞いていることしかできなかった。
◆
(くっそ!)
アリナと一緒に保健室に足を踏み入れたかと思ったら、ケツァールは中庭にいた。
魔法で強制的に移動させられたのだろう。洗脳のことを注視していたあまり、反応が遅れてしまった。
すぐに何があったのか理解して走り出したが、保健室までは魔法を使っても五分ほどはかかる。
(やはり、あの野郎だったか)
移動させられる直前、一瞬だけ見えた桃色の髪の男。
ダミアンという名前を聞いた時点で、もっと注意をしておくべきだった。
いや、これは言い訳だ。本当は自分の魔法さえあれば、どうにかなると思っていた。
(あの男が厄介なのは、洗脳だけだからな)
いま心配なのはアリナのことだ。闇魔法を使う人間にとって、確かに同じ属性の魔法は効きにくい。
だけどそれは効きにくいというだけで、効果がないというわけではないのだ。
特に洗脳は人の精神に作用するものだから、少しでも心に弱いところがあると効果が現れる。
(あの嬢ちゃんのことはよく知らないけど、もし嬢ちゃんに少しでも癒えないトラウマがあったら、手遅れかもしれないな)
保健室に辿り着いたのと、扉が開いたのはほぼ同時だった。
中から出てきた黒髪の女子生徒は、ケツァールの姿を見ると間抜けな声を上げる。
「あれ、ケツァール先輩、どこに行っていたんですか?」
「……アリナ。……おまえ、大丈夫なのか?」
「え? 何がですか? あ、そうだ。保健室には誰も居ませんでしたよ。先生どこかに出かけているみたいです」
「いや、そんなわけが」
「本当です。……ダミアン先生どこに行ったのかなぁ」
アリナの様子は気になったが、ケツァールはひとまず保健室の中に入った。
部屋の中には、桃色の髪の男が立っていた。
「おや、思ったよりも早かったですね」
「おまえ、アリナに何をした?」
「さあ、僕はただ、種を植えただけですから。どう咲くかは、彼女次第ですよ」
その胸倉を掴もうとするとした腕が空を掻いた。
よく見ると、ダミアンの姿に実体はなかった。
(チッ、お得意の幻影魔法か。本体は逃げやがったか)
「それでは、僕はこれで。久しぶりにあなたとお話ができて楽しい思いができました」
「うるせぇ。俺は不愉快だ。おまえみたいなペテン師とは口も聞きたくない」
ケツァールの憎まれ口も意に介すことなく、ダミアンの幻影は微笑んだ。
「それでは、またどこかで会いましょうね。ケツァール――いや、クロード」
その名前を聞いた瞬間、ケツァールは室内だということを忘れて炎をぶっ放していた。
幻影ををすり抜けた炎は、保健室の壁に燃え広がる。
(だから嫌いなんだ、あの男は。いつも、俺の神経を逆なでしやがる)
炎はすぐに消火したものの、胸の内に湧き上がった怒りの炎は消えることなく、燻ったままだった。
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