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第四章 友との約束
◾️九月六日土曜日Ⅱ
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「産むの?」
皐月は友達だから、踏み込んだこともこうして聞いてくる。変に気を遣わないでいてくれる感じが、今の私にはありがたかった。
「まだ分からない……。病院に行って子どもの心臓が動いてるのを見たら決められるのかもしれない。でも今は、産まないっていう選択肢が不思議と浮かんでこないの。だから産むっていうことになるんだと思うけど、それもなんだかまだ踏ん切りがつかなくて」
「そっか。心の準備もなしに授かったんだから、そうなるよね。しかも相手がいないとなるとなおさら……。私は経験ないから分からないけどさ、幸い恋人も旦那もいないし、話聞くことぐらいならいつでもできるよ。みよ子のところに飛んでくよ」
「皐月……ありがとう。今はその言葉だけで嬉しい」
「いえいえ! あ、そっか。だからみよ子、今日は飲まないのね。ダイエットかと思ってた。もちろん全然太ってないんだけど。じゃあ、ビールとジンジャエールでもう一度乾杯しとこ。これからのみよ子の人生の健闘を祈って」
「ふふ、なにそれ。おかしい。でもありがとう」
「かんぱーい!」
彼女と二度目の乾杯を果たすと、不思議とちょっとだけ心が軽くなった。一時的なものだろう。それでもよかった。私を取り巻く現状は何一つ変わらないのだけれど、心の健康によって気の持ちようだって変わるのだから。
「そういえばさ、皐月に聞いてほしい話があるの」
飲み始めて一時間弱、慎二と別れた話や妊娠の話をしたあと皐月の近況報告を受け、場も温まってきたところで、私自身の近況を話しておこうと切り出す。テーブルの上には食べ終えた枝豆の殻やひとつだけ残ったナス田楽、やさしい出汁の味が沁みるだし巻き卵がこちらもひとつ、残っていた。
「もしかしてまだビッグな報告があるの? なに?」
皐月がビールを片手に身を乗り出してくる。頬も耳も真っ赤なのに、頭は冷静なのか酔っているようには見えない。そうだ。彼女は相当お酒に強いんだった。よく見ればビールももう三杯目だ。
「まだ、というか実はこっちが本題なんだけどね。実は私、ヤミコという名前で心霊系YouTuberをしていまして」
「は? 心霊系YouTuber?」
皐月は絵に描いたように驚いてくれた。先日山吹先生に話したときと同じような内容の話を皐月にも繰り返す。“シンちゃん”からもらったお便りを読んでから自分の身に起こっている怪異を、すべて彼女に伝えた。
「それでね……こんなこと言うのもあれなんだけど、もしこの先私の身になにか良くないことが起こったら……私のことを、文字にして残してほしいの」
「え? 文字に……?」
皐月が目を大きく見開く。「なに冗談言ってるの」と笑われるかと思ったけれど、実際はそうじゃなかった。私があまりにも真剣に話をしたからだろうか。実は皐月に清葉病院での出来事について話している間、真後ろからぞわりと何かが迫っているような気配を感じていた。
きっといま、うしろにいる。
振り返ったら目が合ってしまうかもしれない。
あの白い顔の、黒い穴と。
だから振り返ることは絶対にできない。
唇が自然と震えてしまう。なんとか声を絞り出して、皐月に要望を伝えた。
「そう。日記でも小説でもなんでもいいから、私が生きていたという証を残してほしいの。あのひとが……お母さんが、いつかその文章を読んでくれると信じて」
「そんなこと……」
皐月は会社員だが、実は兼業作家をしている。学生時代から趣味で小説を書いていたが、社会人になった年にとある新人賞を受賞してデビューし、現在は五冊刊行している。主に心温まるヒューマンドラマといったジャンルの作品を書いていて、私もすべて読んでいるが、彼女の優しい筆致をとても気に入っている。
「お願い皐月。こんなこと、皐月にしか頼めないの」
声が震えないように、確固たる意思を持って必死に訴えかける。彼女はまっすぐに私の目を見つめて固まっていた。
「難しく考えなくていい。ただの保険だと思って。その代わり謝礼は予め用意しておく。何もなければ私たちはこのまま、アラサーになって三十代を迎えて、家庭を持つかどうか分からないけれど、一生親友でいる。老後はそうね、お互い家族がいなければシェアハウスして暮らすのはどう? 縁側でお茶飲んで猫を飼ってさ、丸まって眠る猫を撫でながら学生時代の思い出話をしようよ」
今後の人生プランまで語り出したのがおかしかったのか、皐月は「ぷっ」と吹き出したあと、「何それ。女性向けエッセイとかの読みすぎじゃない?」とつっこまれた。
「まあお願いは聞いておくよ。そうならないように、何かあったら必ず私に連絡して。それから身の危険を感じたら警察に逃げ込むとか人が多いところに行くとか、万全の対策はしてよ。それと、できれば清葉病院にはもう行かないこと。いいね?」
「うん。約束する」
子どもみたいに皐月と右手の小指を絡めてゆびきりげんまんのポーズをとる。
ごめん皐月。
たぶん私は約束を守れないと思う。
きっとこの胸に巣食う好奇心という名の怪物がまた、あの場所へ私を連れていってしまう。自分が母の子どもなのかそうではなのか、戸籍上よりもあの場所にしか、答えがない気がしてならないから。
皐月は友達だから、踏み込んだこともこうして聞いてくる。変に気を遣わないでいてくれる感じが、今の私にはありがたかった。
「まだ分からない……。病院に行って子どもの心臓が動いてるのを見たら決められるのかもしれない。でも今は、産まないっていう選択肢が不思議と浮かんでこないの。だから産むっていうことになるんだと思うけど、それもなんだかまだ踏ん切りがつかなくて」
「そっか。心の準備もなしに授かったんだから、そうなるよね。しかも相手がいないとなるとなおさら……。私は経験ないから分からないけどさ、幸い恋人も旦那もいないし、話聞くことぐらいならいつでもできるよ。みよ子のところに飛んでくよ」
「皐月……ありがとう。今はその言葉だけで嬉しい」
「いえいえ! あ、そっか。だからみよ子、今日は飲まないのね。ダイエットかと思ってた。もちろん全然太ってないんだけど。じゃあ、ビールとジンジャエールでもう一度乾杯しとこ。これからのみよ子の人生の健闘を祈って」
「ふふ、なにそれ。おかしい。でもありがとう」
「かんぱーい!」
彼女と二度目の乾杯を果たすと、不思議とちょっとだけ心が軽くなった。一時的なものだろう。それでもよかった。私を取り巻く現状は何一つ変わらないのだけれど、心の健康によって気の持ちようだって変わるのだから。
「そういえばさ、皐月に聞いてほしい話があるの」
飲み始めて一時間弱、慎二と別れた話や妊娠の話をしたあと皐月の近況報告を受け、場も温まってきたところで、私自身の近況を話しておこうと切り出す。テーブルの上には食べ終えた枝豆の殻やひとつだけ残ったナス田楽、やさしい出汁の味が沁みるだし巻き卵がこちらもひとつ、残っていた。
「もしかしてまだビッグな報告があるの? なに?」
皐月がビールを片手に身を乗り出してくる。頬も耳も真っ赤なのに、頭は冷静なのか酔っているようには見えない。そうだ。彼女は相当お酒に強いんだった。よく見ればビールももう三杯目だ。
「まだ、というか実はこっちが本題なんだけどね。実は私、ヤミコという名前で心霊系YouTuberをしていまして」
「は? 心霊系YouTuber?」
皐月は絵に描いたように驚いてくれた。先日山吹先生に話したときと同じような内容の話を皐月にも繰り返す。“シンちゃん”からもらったお便りを読んでから自分の身に起こっている怪異を、すべて彼女に伝えた。
「それでね……こんなこと言うのもあれなんだけど、もしこの先私の身になにか良くないことが起こったら……私のことを、文字にして残してほしいの」
「え? 文字に……?」
皐月が目を大きく見開く。「なに冗談言ってるの」と笑われるかと思ったけれど、実際はそうじゃなかった。私があまりにも真剣に話をしたからだろうか。実は皐月に清葉病院での出来事について話している間、真後ろからぞわりと何かが迫っているような気配を感じていた。
きっといま、うしろにいる。
振り返ったら目が合ってしまうかもしれない。
あの白い顔の、黒い穴と。
だから振り返ることは絶対にできない。
唇が自然と震えてしまう。なんとか声を絞り出して、皐月に要望を伝えた。
「そう。日記でも小説でもなんでもいいから、私が生きていたという証を残してほしいの。あのひとが……お母さんが、いつかその文章を読んでくれると信じて」
「そんなこと……」
皐月は会社員だが、実は兼業作家をしている。学生時代から趣味で小説を書いていたが、社会人になった年にとある新人賞を受賞してデビューし、現在は五冊刊行している。主に心温まるヒューマンドラマといったジャンルの作品を書いていて、私もすべて読んでいるが、彼女の優しい筆致をとても気に入っている。
「お願い皐月。こんなこと、皐月にしか頼めないの」
声が震えないように、確固たる意思を持って必死に訴えかける。彼女はまっすぐに私の目を見つめて固まっていた。
「難しく考えなくていい。ただの保険だと思って。その代わり謝礼は予め用意しておく。何もなければ私たちはこのまま、アラサーになって三十代を迎えて、家庭を持つかどうか分からないけれど、一生親友でいる。老後はそうね、お互い家族がいなければシェアハウスして暮らすのはどう? 縁側でお茶飲んで猫を飼ってさ、丸まって眠る猫を撫でながら学生時代の思い出話をしようよ」
今後の人生プランまで語り出したのがおかしかったのか、皐月は「ぷっ」と吹き出したあと、「何それ。女性向けエッセイとかの読みすぎじゃない?」とつっこまれた。
「まあお願いは聞いておくよ。そうならないように、何かあったら必ず私に連絡して。それから身の危険を感じたら警察に逃げ込むとか人が多いところに行くとか、万全の対策はしてよ。それと、できれば清葉病院にはもう行かないこと。いいね?」
「うん。約束する」
子どもみたいに皐月と右手の小指を絡めてゆびきりげんまんのポーズをとる。
ごめん皐月。
たぶん私は約束を守れないと思う。
きっとこの胸に巣食う好奇心という名の怪物がまた、あの場所へ私を連れていってしまう。自分が母の子どもなのかそうではなのか、戸籍上よりもあの場所にしか、答えがない気がしてならないから。
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