4 / 49
第一章 ヒーローになった日
1-3
アスファルトの上に舞い降ちる、かき氷みたいなふわふわの雪。橙色の光の筋が溶けゆく雪を照らして煌めきの残滓を残す。何度も、何度も、たくさんの雪が一瞬だけ輝いて消えていく。やがて雪は降り積もり、日の光を浴びても溶けてなくならなかった。
そこでぐにゃりと世界が歪む。
現世に降り立つ瞬間、世界が二重に重なって見えた。
「……っ」
目を覚ますと、さざなみの音の中で、真っ白な地面が目に飛び込んできた。右の頬だけがひんやりと冷たく、慌てて横になっていた身体をガバッと起こす。倒れていたのは砂浜だった。だが雪が降る今、砂浜は一面白く染まり、向こう側に広がる海は半分くらい凍りついている。時折雲の切れ間から差し込む太陽の光が、鈍色だった海を黄金色に染めていた。ゆらゆらと揺れる水面をぼうっとした頭で眺めていると、次第に今自分が置かれている状況が分かってきた。
雪の降る日だ。
“八十神さん”から言われた通り、ぱらぱらと粉雪が降っていた。
両手に視線を落として、グーパー、と交互に握ってみる。
「ちゃんと、動く」
自分の手を握りしめた時の感触は、生きていた時と変わらなくて頭が混乱していた。“神様”になったら現世に現れることができるって聞いたけど、普通に生きてる時と同じように身体を動かせるってこと? 感覚的には自分が死んだなんて思えないくらい、生身の人間のそれだった。
「本当は死んでなかったりして」
不意に頭によぎる考えを、無理矢理振り払う。あの事故が全部夢で、さっきまで“八十神さん”と話していたことも妄想だったらいいのに。そう思ってしまうのも仕方がない。だってこんなふうに、死んだ後に何事もなかったかのように現世に降りてくることができるなら、生きているのと変わりがないもの。
そう思いながら、砂浜から脱するべく、道の方へと歩いていく。景色から察するに、おそらくここは函館市の隣にある北斗市の七重浜海水浴場だろう。地元の人は「セブンビーチ」と呼んでいる。夏になると海水浴で多くの人が賑わうけれど、雪の日の今日はさすがに人気がなかった。函館の冬らしい静けさが横たわるばかりだ。
そういえば昔、ここで楓と雪だるまをつくったっけ。
雪の積もる、冬の砂浜で、楓と楓の妹の椿ちゃんと、私の妹の柚葉の四人で遊んだ記憶が鮮明に蘇る。
『楓、いくよー!』
『おわっ!?』
思いっきり投げた雪玉が楓の顔面に直撃して、ものすごく心配した。
『わ、大丈夫!?』
慌てて彼の元に駆け寄ると、楓が雪の上でひっくり返って鼻を真っ赤に染めていた。
『大丈夫……』
と笑って答えてくれたけど、罪悪感で胸がいっぱいになった。家に帰るまで、私はずっと泣き腫らしていた。柚葉が「お姉ちゃん気にしすぎ!」と宥めてくれたことも記憶に残っている。
「今日は何月何日だろう」
八十神さんからは、「雪の降る日に現世に現れることができる」と言われただけで、具体的にいつ降りられるのかを聞いたわけではない。というか、自然現象なので八十神さんに聞いても答えてくれないだろう。
十一月の函館のことだから、私が事故に遭った十一月九日から、そんなに日にちが経っているとは思えない。十一月の何日なのか。まあ、分からなくても今の私には関係ないことなのかな。
だって私はもうすでに死んでるんだし——。
そこまで考えて、ダメだ、と思考を振り払う。どうしても考えがネガティブな方に向かってしまう。昔から私の悪い癖だ。
テストで上手くいかなかった時、「六十点くらいかな」と最初から最悪の想像をしておけば、実際返却されたテストの点数が八十点だった時、ほっとすることができる。
つい、ここぞという勝負時に保険をかけてしまう。
あれは確か、中学三年生の夏だったか。中学最後の運動会の後に、楓に自分の気持ちを伝えようとした。けれど、もし告白が失敗した場合、友達にすら戻れなくなるかもしれないと思うと怖くて。一緒に帰る約束をしていた楓にこんなふうに伝えた。
『楓と、これからもずっと一緒にいたい』
精一杯の気持ちを伝えたつもりだった。心臓の音はこれ以上ないってくらい激しく鳴っていたし、人生で一番緊張した瞬間だった。けれど、私が楓に伝えた言葉の中にはどこにも楓のことを「好きだ」という気持ちが見つからなかった。
怖かったから。
無意識のうちに、その確信的な二文字を伝えるのを避けてしまったんだ……。
楓は私の告白を聞いて、きょとんとした顔でこちらを見つめ返した。
それからニカっと白い歯を見せて笑った。
『もちろん、俺だってずっと一緒にいたいって思ってるぜ!』
屈託のない笑顔を見ると、はっきりと気持ちを口にすることができなかった後悔は少しだけ溶けて。“ずっと一緒にいたい”というところだけでも、同じ気持ちで良かったと安堵した。
その後、高校二年生の今に至るまで、私は楓に想いを伝えることができないままだ。
「できないまま、死んじゃったんだ」
もう保険をかけることも予防線を張ることもできない。
楓に好きと伝えられない。
今頃になって胸を襲いくる猛烈な後悔が、この世からすでにいなくなっているはずの私の胸を締め上げる。
「この気持ちも、雪と一緒に溶けてしまえばいいのに」
アンニュイな気分に浸りながら、雪が積もりゆく歩道を歩く。ザ、ザ、という雪の上を歩く時の独特な音は生まれた時からずっと馴染みのある響きだ。北海道に住んでいる人なら皆同じかもしれないが、冬の凍てつくような寒さは日常の延長線上にあるもの。雪も、例外ではなかった。
そこでぐにゃりと世界が歪む。
現世に降り立つ瞬間、世界が二重に重なって見えた。
「……っ」
目を覚ますと、さざなみの音の中で、真っ白な地面が目に飛び込んできた。右の頬だけがひんやりと冷たく、慌てて横になっていた身体をガバッと起こす。倒れていたのは砂浜だった。だが雪が降る今、砂浜は一面白く染まり、向こう側に広がる海は半分くらい凍りついている。時折雲の切れ間から差し込む太陽の光が、鈍色だった海を黄金色に染めていた。ゆらゆらと揺れる水面をぼうっとした頭で眺めていると、次第に今自分が置かれている状況が分かってきた。
雪の降る日だ。
“八十神さん”から言われた通り、ぱらぱらと粉雪が降っていた。
両手に視線を落として、グーパー、と交互に握ってみる。
「ちゃんと、動く」
自分の手を握りしめた時の感触は、生きていた時と変わらなくて頭が混乱していた。“神様”になったら現世に現れることができるって聞いたけど、普通に生きてる時と同じように身体を動かせるってこと? 感覚的には自分が死んだなんて思えないくらい、生身の人間のそれだった。
「本当は死んでなかったりして」
不意に頭によぎる考えを、無理矢理振り払う。あの事故が全部夢で、さっきまで“八十神さん”と話していたことも妄想だったらいいのに。そう思ってしまうのも仕方がない。だってこんなふうに、死んだ後に何事もなかったかのように現世に降りてくることができるなら、生きているのと変わりがないもの。
そう思いながら、砂浜から脱するべく、道の方へと歩いていく。景色から察するに、おそらくここは函館市の隣にある北斗市の七重浜海水浴場だろう。地元の人は「セブンビーチ」と呼んでいる。夏になると海水浴で多くの人が賑わうけれど、雪の日の今日はさすがに人気がなかった。函館の冬らしい静けさが横たわるばかりだ。
そういえば昔、ここで楓と雪だるまをつくったっけ。
雪の積もる、冬の砂浜で、楓と楓の妹の椿ちゃんと、私の妹の柚葉の四人で遊んだ記憶が鮮明に蘇る。
『楓、いくよー!』
『おわっ!?』
思いっきり投げた雪玉が楓の顔面に直撃して、ものすごく心配した。
『わ、大丈夫!?』
慌てて彼の元に駆け寄ると、楓が雪の上でひっくり返って鼻を真っ赤に染めていた。
『大丈夫……』
と笑って答えてくれたけど、罪悪感で胸がいっぱいになった。家に帰るまで、私はずっと泣き腫らしていた。柚葉が「お姉ちゃん気にしすぎ!」と宥めてくれたことも記憶に残っている。
「今日は何月何日だろう」
八十神さんからは、「雪の降る日に現世に現れることができる」と言われただけで、具体的にいつ降りられるのかを聞いたわけではない。というか、自然現象なので八十神さんに聞いても答えてくれないだろう。
十一月の函館のことだから、私が事故に遭った十一月九日から、そんなに日にちが経っているとは思えない。十一月の何日なのか。まあ、分からなくても今の私には関係ないことなのかな。
だって私はもうすでに死んでるんだし——。
そこまで考えて、ダメだ、と思考を振り払う。どうしても考えがネガティブな方に向かってしまう。昔から私の悪い癖だ。
テストで上手くいかなかった時、「六十点くらいかな」と最初から最悪の想像をしておけば、実際返却されたテストの点数が八十点だった時、ほっとすることができる。
つい、ここぞという勝負時に保険をかけてしまう。
あれは確か、中学三年生の夏だったか。中学最後の運動会の後に、楓に自分の気持ちを伝えようとした。けれど、もし告白が失敗した場合、友達にすら戻れなくなるかもしれないと思うと怖くて。一緒に帰る約束をしていた楓にこんなふうに伝えた。
『楓と、これからもずっと一緒にいたい』
精一杯の気持ちを伝えたつもりだった。心臓の音はこれ以上ないってくらい激しく鳴っていたし、人生で一番緊張した瞬間だった。けれど、私が楓に伝えた言葉の中にはどこにも楓のことを「好きだ」という気持ちが見つからなかった。
怖かったから。
無意識のうちに、その確信的な二文字を伝えるのを避けてしまったんだ……。
楓は私の告白を聞いて、きょとんとした顔でこちらを見つめ返した。
それからニカっと白い歯を見せて笑った。
『もちろん、俺だってずっと一緒にいたいって思ってるぜ!』
屈託のない笑顔を見ると、はっきりと気持ちを口にすることができなかった後悔は少しだけ溶けて。“ずっと一緒にいたい”というところだけでも、同じ気持ちで良かったと安堵した。
その後、高校二年生の今に至るまで、私は楓に想いを伝えることができないままだ。
「できないまま、死んじゃったんだ」
もう保険をかけることも予防線を張ることもできない。
楓に好きと伝えられない。
今頃になって胸を襲いくる猛烈な後悔が、この世からすでにいなくなっているはずの私の胸を締め上げる。
「この気持ちも、雪と一緒に溶けてしまえばいいのに」
アンニュイな気分に浸りながら、雪が積もりゆく歩道を歩く。ザ、ザ、という雪の上を歩く時の独特な音は生まれた時からずっと馴染みのある響きだ。北海道に住んでいる人なら皆同じかもしれないが、冬の凍てつくような寒さは日常の延長線上にあるもの。雪も、例外ではなかった。
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……