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第五章 死神と知った日
5-4
初詣が終わり、翌日も、翌々日も、楓と同じ時を過ごした。外は寒いから、室内で遊べるショッピングモールに行ったり、映画を見たり。生きている頃と変わらない時間の過ごし方をした。楽しくて、まるで本当にまだ自分が生きているかのようだった。死んでいることを忘れそうなくらい幸せで、この日常がずっと続けばいいのに、なんて陳腐なことを願った。途中私が見えていそうな人間とすれ違うと、楓がすぐに「行くぞ」と手を引いてくれる。その頼もしさに、胸がどきりと跳ねた。
ああ私、楓のことが本当に好きなんだな。
こんな時に、と思われるかもしれないけれど、こんな時だからこそ、彼への気持ちがどんどん膨らんでいく。いつかちゃんと言わなければいけない。この気持ちを、伝えなくちゃ。もうこれ以上後悔する前に、伝えたい——いつしか私の頭の中は、いつ楓に好きと伝えるかということでいっぱいになっていた。
タイミングを見計らいながらデートを重ねていた私たちだったが、気になることがあった。
楓が、ふとした瞬間に辛そうに息をしているのを見たことだ。初詣の時と同じように、額に汗を浮かべながら荒い呼吸をしている。立ち止まって休憩するとすぐに良くなるのだが、日が経つにつれて、呼吸が荒くなる頻度が増えている気がするのだ。しかも、咳までするようになった。コンコン、という乾咳の時もあれば、ゴホッゴホッと激しくむせる時もある。その度に楓に大丈夫かと問うけれど、決まって彼は「ああ」と答えるだけだ。無理をしているというのは一目瞭然だった。感染症も流行っているからその類だろうかと疑いの目を向ける。
まさか、感染症で命を落とすなんてことないよね……?
ちょっと前まで世界中を震撼させた感染症のこともあるし、まったくないとは言い切れない。
冬休み最終日、雪が小降りだったので冬の海を眺めたいという私の希望に応えて、砂浜にやって来たのだけれど、例によって楓が苦しそうにしているのに気づいた。
咳をするだけでなく、顔色も悪い。すぐに体調が悪いと分かる見た目をしていた。
砂浜に腰を下ろすと、立ち止まった分、余計に寒さを感じて楓が身震いした。私はそれほど寒さを感じないので平気だけれど、楓に無理をさせてしまうかもしれない。「やっぱり室内に行こうか」と提案してみたけれど、楓は「いや、ここでいい」と、どしりと座り直した。
「楓、本当に大丈夫? もしかしてインフルエンザとか他の感染症とかに罹ってない?」
「いや、それはない。昨日病院に行ってきたんだけど、何か特別な診断はされなかったんだよな。ただの風邪だと思う」
「そう……」
どうしても、「ただの風邪」には見えないのだけれど、これ以上追及したところで、彼だって原因は分からないのだろう。切り替えて、未来の話でもしようかと思い立った時だ。
「こんなこと朝葉に言ったところで何も意味はないのかもしれないんだけどさ」
妙に改まった口調で彼が切り出した。瞬時に身体がキリリと引き締まる。何を言われるんだろうかとドキドキした。寄せては返る波を眺めると、初めて“神様”として現世に降り立った日のことを思い出した。
あの日も確か、海で目覚めたんだっけ。
海は、昔から大好きな場所だった。港町に生まれたせいか、海は私の人生の真隣にある。潮の香りも、波の音も、心を落ち着かせてくれる。そんな海で楓と二人きりでいることがたまらなく嬉しいのに、今日ばかりは胸騒ぎがしていた。
「最近、おかしな夢を見るんだ」
何を言われるのかと思ったら、夢の話か。
楓は基本現実主義で、夢の話なんかあまりする方ではない。一体どんな夢を見たのか気になった。
「夢? どんな?」
「それが……ちょっと言いにくいんだけどさ」
そんな前置きをして話し出す。「言いにくい」ことをわざわざ口にするということは、楓の中で一人で抱えておくことはできないと思ったんだろう。
「悪夢……って言ったらいいのかな。あの事故に遭った日の夢を見るんだ。朝葉が亡くなった時の事故……。正直思い出したくもないのに、最近しつこいぐらい夢に見る。夢の中ではなぜか、朝葉じゃなくて、俺が、死んでしまうんだ」
ピリリ、と肌が灼けるような感覚に襲われる。あの日のことを夢に見るだけでも苦しいのに、楓まで死んでしまう夢なんて……。
胸を痛めると同時に、何かが記憶の中を閃光のように駆け抜けた感覚がした。
私の中の、事故の時の記憶。
「八十神」について調べて知ったこと。
この世界に“神様”として最初に降り立って出会った少年。
クリスマスマーケットで命を落とした人たち。
記憶が入れ替わり立ち替わり、波のように現れては消えて、同時に頭に鋭い痛みが駆け抜けた。
「ううっ……」
思わずこめかみを抑える。なんだ、これは。痛い。痛くて苦しい。記憶の断片が一つにつながろうとしているのを感じた。何かを見落としている。私は“神様”、なのか? 本当に?
八十神は、意地悪で嘘つきの神様。
だとしたら、私は最初から八十神さんに嘘をつかれていたんじゃないだろうか。
私が“神様”であるという前提から間違っているのだとしたら。
楓が見た夢が本当なのだとしたら。
——朝葉じゃなくて、俺が、死んでしまうんだ。
いや……そんなの、ありえない。
死んだのは私だ。私が“神様”になったんだ。
「私……本当は……“神様”じゃ」
思い浮かんだ言葉を口にするのは躊躇われた。楓が、心配そうな瞳を私に向けている。いつだって私を守ってくれた彼のまなざし。ちらちらとまばらに降る雪が彼の瞳に映り込む。その奥の、私の顔はひどく歪んでいた。
「私は……“神様”じゃなくて、死神だ……」
世界が反転する。目の前が真っ暗になって、視界から楓が消えた。消える瞬間、楓の身体から微かな光が漏れているのを見た。見間違いかと思ったけれど、その光も一瞬にして消えて、自分の身体に吸い込まれていくような光景が浮かんだ。遠くで楓がごほごほと咳をする声が聞こえる。意識がだんだん遠のいていく。雪が止んだのだ。気づいた時にはもう、世界から私が消えていた。
ああ私、楓のことが本当に好きなんだな。
こんな時に、と思われるかもしれないけれど、こんな時だからこそ、彼への気持ちがどんどん膨らんでいく。いつかちゃんと言わなければいけない。この気持ちを、伝えなくちゃ。もうこれ以上後悔する前に、伝えたい——いつしか私の頭の中は、いつ楓に好きと伝えるかということでいっぱいになっていた。
タイミングを見計らいながらデートを重ねていた私たちだったが、気になることがあった。
楓が、ふとした瞬間に辛そうに息をしているのを見たことだ。初詣の時と同じように、額に汗を浮かべながら荒い呼吸をしている。立ち止まって休憩するとすぐに良くなるのだが、日が経つにつれて、呼吸が荒くなる頻度が増えている気がするのだ。しかも、咳までするようになった。コンコン、という乾咳の時もあれば、ゴホッゴホッと激しくむせる時もある。その度に楓に大丈夫かと問うけれど、決まって彼は「ああ」と答えるだけだ。無理をしているというのは一目瞭然だった。感染症も流行っているからその類だろうかと疑いの目を向ける。
まさか、感染症で命を落とすなんてことないよね……?
ちょっと前まで世界中を震撼させた感染症のこともあるし、まったくないとは言い切れない。
冬休み最終日、雪が小降りだったので冬の海を眺めたいという私の希望に応えて、砂浜にやって来たのだけれど、例によって楓が苦しそうにしているのに気づいた。
咳をするだけでなく、顔色も悪い。すぐに体調が悪いと分かる見た目をしていた。
砂浜に腰を下ろすと、立ち止まった分、余計に寒さを感じて楓が身震いした。私はそれほど寒さを感じないので平気だけれど、楓に無理をさせてしまうかもしれない。「やっぱり室内に行こうか」と提案してみたけれど、楓は「いや、ここでいい」と、どしりと座り直した。
「楓、本当に大丈夫? もしかしてインフルエンザとか他の感染症とかに罹ってない?」
「いや、それはない。昨日病院に行ってきたんだけど、何か特別な診断はされなかったんだよな。ただの風邪だと思う」
「そう……」
どうしても、「ただの風邪」には見えないのだけれど、これ以上追及したところで、彼だって原因は分からないのだろう。切り替えて、未来の話でもしようかと思い立った時だ。
「こんなこと朝葉に言ったところで何も意味はないのかもしれないんだけどさ」
妙に改まった口調で彼が切り出した。瞬時に身体がキリリと引き締まる。何を言われるんだろうかとドキドキした。寄せては返る波を眺めると、初めて“神様”として現世に降り立った日のことを思い出した。
あの日も確か、海で目覚めたんだっけ。
海は、昔から大好きな場所だった。港町に生まれたせいか、海は私の人生の真隣にある。潮の香りも、波の音も、心を落ち着かせてくれる。そんな海で楓と二人きりでいることがたまらなく嬉しいのに、今日ばかりは胸騒ぎがしていた。
「最近、おかしな夢を見るんだ」
何を言われるのかと思ったら、夢の話か。
楓は基本現実主義で、夢の話なんかあまりする方ではない。一体どんな夢を見たのか気になった。
「夢? どんな?」
「それが……ちょっと言いにくいんだけどさ」
そんな前置きをして話し出す。「言いにくい」ことをわざわざ口にするということは、楓の中で一人で抱えておくことはできないと思ったんだろう。
「悪夢……って言ったらいいのかな。あの事故に遭った日の夢を見るんだ。朝葉が亡くなった時の事故……。正直思い出したくもないのに、最近しつこいぐらい夢に見る。夢の中ではなぜか、朝葉じゃなくて、俺が、死んでしまうんだ」
ピリリ、と肌が灼けるような感覚に襲われる。あの日のことを夢に見るだけでも苦しいのに、楓まで死んでしまう夢なんて……。
胸を痛めると同時に、何かが記憶の中を閃光のように駆け抜けた感覚がした。
私の中の、事故の時の記憶。
「八十神」について調べて知ったこと。
この世界に“神様”として最初に降り立って出会った少年。
クリスマスマーケットで命を落とした人たち。
記憶が入れ替わり立ち替わり、波のように現れては消えて、同時に頭に鋭い痛みが駆け抜けた。
「ううっ……」
思わずこめかみを抑える。なんだ、これは。痛い。痛くて苦しい。記憶の断片が一つにつながろうとしているのを感じた。何かを見落としている。私は“神様”、なのか? 本当に?
八十神は、意地悪で嘘つきの神様。
だとしたら、私は最初から八十神さんに嘘をつかれていたんじゃないだろうか。
私が“神様”であるという前提から間違っているのだとしたら。
楓が見た夢が本当なのだとしたら。
——朝葉じゃなくて、俺が、死んでしまうんだ。
いや……そんなの、ありえない。
死んだのは私だ。私が“神様”になったんだ。
「私……本当は……“神様”じゃ」
思い浮かんだ言葉を口にするのは躊躇われた。楓が、心配そうな瞳を私に向けている。いつだって私を守ってくれた彼のまなざし。ちらちらとまばらに降る雪が彼の瞳に映り込む。その奥の、私の顔はひどく歪んでいた。
「私は……“神様”じゃなくて、死神だ……」
世界が反転する。目の前が真っ暗になって、視界から楓が消えた。消える瞬間、楓の身体から微かな光が漏れているのを見た。見間違いかと思ったけれど、その光も一瞬にして消えて、自分の身体に吸い込まれていくような光景が浮かんだ。遠くで楓がごほごほと咳をする声が聞こえる。意識がだんだん遠のいていく。雪が止んだのだ。気づいた時にはもう、世界から私が消えていた。
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