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第五章 死神と知った日
5-5
***
「朝葉、久しぶりだねえ」
「八十神さん……」
暗転した世界の向こう、降ってきた声は何日ぶりかに聞く、八十神さんの声だった。高らかに響く声は、やっぱりどこか少女じみている。どこかで聞いたことのあるような、ないような。鼻にかかったような声なので、現実世界の人間というより、VTuberなんかを思い浮かべた。
「最近調子はどお? 何か楽しいことあった?」
八十神さんは、私が現実世界で体験したことを知ってか知らずか、悪意のない口調で尋ねた。
「楓と、ずっと一緒にいる」
「ああ、楓くんかあ。二人、仲良しだもんねっ。このまま付き合っちゃう?」
女子高生のノリで呑気に聞いてくる八十神さんに、いくらか苛立ちが募る。
「あのさ……今、そういう楽しい気分にはなれないんだよ」
「へえ、そうなんだ。楓くんと喧嘩でもした?」
首を横に振って否定したいところだけれど、“意識”しかない私にはできないので、「違う」と声に出す。
「じゃあ、どうして? せっかく現世に行けるんだから、楽しまないと!」
きっと、目の前に八十神さんがいたら、彼女はくるくると踊り回っていることだろう。楽し気に笑う彼女の顔を想像して、思わずため息が漏れた。
「あなたも知ってるよね? “神様”になって現世に行くことが、決して楽しいだけじゃないってこと」
「そりゃあ、まあねえ。出会った人が一ヶ月以内に死んじゃうからね」
八十神さんの声が1トーン低くなった。
私を揶揄っている時はふざけているように見えるけれど、八十神さんは本来真面目な人だ。“人”という表現が正しいのか分からないけれど。
「それについて、ちょっと考えたことがあるんだけど」
「ん、“出会った人が一ヶ月以内に死んじゃう”ことについて?」
「そう」
「なになに?」
今度は食い気味に、興味津々といった様子で彼女の声が近くなるのを感じた。
私はごくりと生唾をのみ込んだ。これから私が言うことが、どうか的外れな見解であってほしい。そう願いながら、言葉を紡ぐ。
「本当は違うんじゃないかって。一ヶ月以内に命を落とす人が、私の姿を見られるんじゃない。私のことが見えた人が、一ヶ月以内に命を落とすんじゃないのかって。私は“神様”なんかじゃない。“死神”じゃないのかって」
話している途中、どんどん自分の呼吸が荒くなっていることに気づいた。
この二つは似ているようだけれど、全然違う。
死の運命が決まっている人だけに私の姿が見えるのではなく、私の姿を見たから、死んでしまう。もしそうならば、私は本当に死神だということになる。
「……」
八十神さんはしばらく、何も言わなかった。
暗闇の中に静寂が横たわる。本来の死とはこういうものではないか。何もない。闇の中を魂がぷかぷか浮かんでいる。意識もなく、痛みも喜びもない。完全な“無”の世界。私は、死してなお、“無”の世界に行くことができない。
「ご名答——って言ったらどうする?」
試すような口調だった。
八十神さんは全部知っている。私が、現世においてどういう存在なのか。知りながらあえて核心的なことには触れず、上から私を見下ろす存在。彼女こそが本当の神様であり、私はニセモノだ。
「あなたを、殴ってやりたい」
「……ふふっ」
思わずこぼれた本音に、八十神さんが可笑しそうに笑う。
「殴られたことなんてないから勘弁かなあ。あ……いや、一回だけあるか。あんまり思い出したくないからその話は割愛するけど。朝葉はどうしてそう思うの? 自分が死神だって」
「確信したわけじゃないから、ただの予想だよ。残念ながら証拠だってない。楓が、ここ最近体調が悪いみたいで……。私と会うたびに、どんどん悪化してる。考えたの。もしかしたら、楓の体調が悪いのは私が原因なんじゃないかって。私は本来、現世にいないはずの存在だから、生きている人間に、何らかの不調をもたらしてもおかしくない。それに、楓だけじゃなくて、今まで私と会った人たちも、顔が青くなったり身体が冷たかったり……。私のせいかなって思うと、止まらなくなった。八十神って、嘘つきの神様の総称なんだってね。だからあなたが、何らかの嘘をついてるんじゃないかって疑ってる。それにさっき、あなたが言ったんだよ。“出会った人が一ヶ月以内に死んじゃう”って。言葉の綾と取れなくもないけど、あなたが咄嗟に真実を言ってしまったように思った。……ねえ、本当はどうなの? 楓は助かる? 私は本当に“神様”なの!?」
ないはずの心臓が激しく鳴っているような心地がして、気持ちが悪い。頭もないのに、ズキズキとした痛みが駆け抜ける。これは、心の痛みだ。自分が本当は大切な人に厄をもたらす存在なのではないかと分かった時の痛み。どうか予想が外れていて欲しい。私はやっぱり“神様”で、一ヶ月以内に命を落とす人間にだけ見えるのだと言ってほしい。
八十神さん……!
「すごい、当たってる」
場違いなほど明るい声が降り注ぐ。声だけ聞くと、トンネルの先に見えた光のようだと感じるのに、言葉の真意を考えると、また暗闇へと突き落とされた。
「そこまで予想してるなら、もう隠さないよ。朝葉が言う通り、朝葉は一ヶ月以内に命を落とす人間に姿が見えるんじゃない。“朝葉のことを見えた人が、一ヶ月以内に死んでしまう”の」
ひゅうひゅうと冷たい風が吹きつけたような寒さを感じて、心ごと震え上がった。
「……どう、して」
掠れた声が自分のものだと気づいた時には、頭の中は混乱を極めていた。
八十神さんは私に嘘をついていた。私は“神様”じゃない。やっぱり死神だったんだ——……。
「死んだ人間が現世に降りられる——そんな都合の良い話が、何の代償もなしにあるわけないよ、朝葉。朝葉が現世に行けるのは、生きている人の生命力を奪っていたから。朝葉のことが見える人の条件はわたしもよく分からないよ? 生まれ持った霊感とか、その日の精神状態とか、体調とか、いろんなものが関係してると思う。とにかく朝葉は、朝葉のことが見える人から生命力を奪って、現世にいたの。最初にあなたを現世に送り込んだのはわたしの力だけどね。そのあとは、朝葉自身がみんなの生きる気力を奪っていた。特に、ずっと一緒にいた楓くんのそれをね」
「そんな……!」
頭をガツンと、重量感のある固い何かで殴られたかのような衝撃を覚えた。
私が……私が、楓の生きる気力を奪っていた。
もしそれが本当なら、私が楓のそばにいることで、楓の体調がどんどん悪くなっていくということだ。そしてやがて楓が死に至る——想像して、吐き気が込み上げる。
私のせいだ。
私がいるから、楓が苦しい思いをしているのだ。
ようやく辿り着いた一つの真実に、感情はもうぐちゃぐちゃだ。
ずっと、楓の命を救う方法を考えていた。それなのに、私自身がボトルネックになっていたのだ。嘘だと思いたい。だけど今度こそ、八十神さんが嘘をついていないことは、なんとなく察していた。彼女はやっぱり意地悪な神様だったのだ。最初から嘘をついて、私と楓の運命を翻弄させていた。なんて……なんて、自分勝手なのっ!
声に出して叫びたかった。けれど、私がもう一度楓に会えたのは八十神さんのおかげであることにも気がついて、何も言えなくなる。悔しさも悲しみも呑み込んで、残ったのはただ、楓を心配する気持ちだけだった。
「楓を……助けるには、どうすれば……」
震える声で尋ねる。分かっている。分かってるんだ。楓を助けるためにどうしたら良いのかぐらい。でも、言葉にしてしまえば耐えられないほどの寂しさに襲われることが分かっていた。だから、八十神さんの口から言ってほしかった。私は、弱い人間だ。
「朝葉が、決めて」
「……決める?」
「うん。このままこの生活を続けて、最後まで楓くんと一緒にいるか。それとも、楓くんを今すぐ救うか」
もしも彼女が実態をもって目の前にいるとすれば、私の目をじっと見つめて真剣なまなざしを向けているのだろう。
彼女の言わんとすることを理解して、しばらく考え込む。心を落ち着けて、ふうーっと大きく息を吐いた。
「私は、消えるよ。楓の前から」
暗闇の先には、より深い漆黒の暗闇が続いている。どこまでも、そこから抜け出すことはできない。だけどせめて、楓が暗闇に放り込まれずに済むように。祈りながら、決意を口にした。
「朝葉、久しぶりだねえ」
「八十神さん……」
暗転した世界の向こう、降ってきた声は何日ぶりかに聞く、八十神さんの声だった。高らかに響く声は、やっぱりどこか少女じみている。どこかで聞いたことのあるような、ないような。鼻にかかったような声なので、現実世界の人間というより、VTuberなんかを思い浮かべた。
「最近調子はどお? 何か楽しいことあった?」
八十神さんは、私が現実世界で体験したことを知ってか知らずか、悪意のない口調で尋ねた。
「楓と、ずっと一緒にいる」
「ああ、楓くんかあ。二人、仲良しだもんねっ。このまま付き合っちゃう?」
女子高生のノリで呑気に聞いてくる八十神さんに、いくらか苛立ちが募る。
「あのさ……今、そういう楽しい気分にはなれないんだよ」
「へえ、そうなんだ。楓くんと喧嘩でもした?」
首を横に振って否定したいところだけれど、“意識”しかない私にはできないので、「違う」と声に出す。
「じゃあ、どうして? せっかく現世に行けるんだから、楽しまないと!」
きっと、目の前に八十神さんがいたら、彼女はくるくると踊り回っていることだろう。楽し気に笑う彼女の顔を想像して、思わずため息が漏れた。
「あなたも知ってるよね? “神様”になって現世に行くことが、決して楽しいだけじゃないってこと」
「そりゃあ、まあねえ。出会った人が一ヶ月以内に死んじゃうからね」
八十神さんの声が1トーン低くなった。
私を揶揄っている時はふざけているように見えるけれど、八十神さんは本来真面目な人だ。“人”という表現が正しいのか分からないけれど。
「それについて、ちょっと考えたことがあるんだけど」
「ん、“出会った人が一ヶ月以内に死んじゃう”ことについて?」
「そう」
「なになに?」
今度は食い気味に、興味津々といった様子で彼女の声が近くなるのを感じた。
私はごくりと生唾をのみ込んだ。これから私が言うことが、どうか的外れな見解であってほしい。そう願いながら、言葉を紡ぐ。
「本当は違うんじゃないかって。一ヶ月以内に命を落とす人が、私の姿を見られるんじゃない。私のことが見えた人が、一ヶ月以内に命を落とすんじゃないのかって。私は“神様”なんかじゃない。“死神”じゃないのかって」
話している途中、どんどん自分の呼吸が荒くなっていることに気づいた。
この二つは似ているようだけれど、全然違う。
死の運命が決まっている人だけに私の姿が見えるのではなく、私の姿を見たから、死んでしまう。もしそうならば、私は本当に死神だということになる。
「……」
八十神さんはしばらく、何も言わなかった。
暗闇の中に静寂が横たわる。本来の死とはこういうものではないか。何もない。闇の中を魂がぷかぷか浮かんでいる。意識もなく、痛みも喜びもない。完全な“無”の世界。私は、死してなお、“無”の世界に行くことができない。
「ご名答——って言ったらどうする?」
試すような口調だった。
八十神さんは全部知っている。私が、現世においてどういう存在なのか。知りながらあえて核心的なことには触れず、上から私を見下ろす存在。彼女こそが本当の神様であり、私はニセモノだ。
「あなたを、殴ってやりたい」
「……ふふっ」
思わずこぼれた本音に、八十神さんが可笑しそうに笑う。
「殴られたことなんてないから勘弁かなあ。あ……いや、一回だけあるか。あんまり思い出したくないからその話は割愛するけど。朝葉はどうしてそう思うの? 自分が死神だって」
「確信したわけじゃないから、ただの予想だよ。残念ながら証拠だってない。楓が、ここ最近体調が悪いみたいで……。私と会うたびに、どんどん悪化してる。考えたの。もしかしたら、楓の体調が悪いのは私が原因なんじゃないかって。私は本来、現世にいないはずの存在だから、生きている人間に、何らかの不調をもたらしてもおかしくない。それに、楓だけじゃなくて、今まで私と会った人たちも、顔が青くなったり身体が冷たかったり……。私のせいかなって思うと、止まらなくなった。八十神って、嘘つきの神様の総称なんだってね。だからあなたが、何らかの嘘をついてるんじゃないかって疑ってる。それにさっき、あなたが言ったんだよ。“出会った人が一ヶ月以内に死んじゃう”って。言葉の綾と取れなくもないけど、あなたが咄嗟に真実を言ってしまったように思った。……ねえ、本当はどうなの? 楓は助かる? 私は本当に“神様”なの!?」
ないはずの心臓が激しく鳴っているような心地がして、気持ちが悪い。頭もないのに、ズキズキとした痛みが駆け抜ける。これは、心の痛みだ。自分が本当は大切な人に厄をもたらす存在なのではないかと分かった時の痛み。どうか予想が外れていて欲しい。私はやっぱり“神様”で、一ヶ月以内に命を落とす人間にだけ見えるのだと言ってほしい。
八十神さん……!
「すごい、当たってる」
場違いなほど明るい声が降り注ぐ。声だけ聞くと、トンネルの先に見えた光のようだと感じるのに、言葉の真意を考えると、また暗闇へと突き落とされた。
「そこまで予想してるなら、もう隠さないよ。朝葉が言う通り、朝葉は一ヶ月以内に命を落とす人間に姿が見えるんじゃない。“朝葉のことを見えた人が、一ヶ月以内に死んでしまう”の」
ひゅうひゅうと冷たい風が吹きつけたような寒さを感じて、心ごと震え上がった。
「……どう、して」
掠れた声が自分のものだと気づいた時には、頭の中は混乱を極めていた。
八十神さんは私に嘘をついていた。私は“神様”じゃない。やっぱり死神だったんだ——……。
「死んだ人間が現世に降りられる——そんな都合の良い話が、何の代償もなしにあるわけないよ、朝葉。朝葉が現世に行けるのは、生きている人の生命力を奪っていたから。朝葉のことが見える人の条件はわたしもよく分からないよ? 生まれ持った霊感とか、その日の精神状態とか、体調とか、いろんなものが関係してると思う。とにかく朝葉は、朝葉のことが見える人から生命力を奪って、現世にいたの。最初にあなたを現世に送り込んだのはわたしの力だけどね。そのあとは、朝葉自身がみんなの生きる気力を奪っていた。特に、ずっと一緒にいた楓くんのそれをね」
「そんな……!」
頭をガツンと、重量感のある固い何かで殴られたかのような衝撃を覚えた。
私が……私が、楓の生きる気力を奪っていた。
もしそれが本当なら、私が楓のそばにいることで、楓の体調がどんどん悪くなっていくということだ。そしてやがて楓が死に至る——想像して、吐き気が込み上げる。
私のせいだ。
私がいるから、楓が苦しい思いをしているのだ。
ようやく辿り着いた一つの真実に、感情はもうぐちゃぐちゃだ。
ずっと、楓の命を救う方法を考えていた。それなのに、私自身がボトルネックになっていたのだ。嘘だと思いたい。だけど今度こそ、八十神さんが嘘をついていないことは、なんとなく察していた。彼女はやっぱり意地悪な神様だったのだ。最初から嘘をついて、私と楓の運命を翻弄させていた。なんて……なんて、自分勝手なのっ!
声に出して叫びたかった。けれど、私がもう一度楓に会えたのは八十神さんのおかげであることにも気がついて、何も言えなくなる。悔しさも悲しみも呑み込んで、残ったのはただ、楓を心配する気持ちだけだった。
「楓を……助けるには、どうすれば……」
震える声で尋ねる。分かっている。分かってるんだ。楓を助けるためにどうしたら良いのかぐらい。でも、言葉にしてしまえば耐えられないほどの寂しさに襲われることが分かっていた。だから、八十神さんの口から言ってほしかった。私は、弱い人間だ。
「朝葉が、決めて」
「……決める?」
「うん。このままこの生活を続けて、最後まで楓くんと一緒にいるか。それとも、楓くんを今すぐ救うか」
もしも彼女が実態をもって目の前にいるとすれば、私の目をじっと見つめて真剣なまなざしを向けているのだろう。
彼女の言わんとすることを理解して、しばらく考え込む。心を落ち着けて、ふうーっと大きく息を吐いた。
「私は、消えるよ。楓の前から」
暗闇の先には、より深い漆黒の暗闇が続いている。どこまでも、そこから抜け出すことはできない。だけどせめて、楓が暗闇に放り込まれずに済むように。祈りながら、決意を口にした。
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