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エピローグ
8-1
「朝葉! 楓くんが目を覚ましたみたい!」
朝から私の部屋の扉をドンドンと叩き、仕事の支度をした母が、勢いよく顔を覗かせた。
「……はい?」
寝ぼけまなこの私は、すぐには母の言葉を理解することができずに情けなく口をぽかんと開けて扉の方を見つめる。
「だから、楓くんが目覚めたの! 早く行ってあげて!」
カエデクンガメザメタノ。
楓が、目を覚ました。
「えっ」
焦ったような口調の母の言葉を反芻し、ようやく事態をのみ込んだ。
「わ、私、ちょっと行ってくる……!」
部屋着からバタバタと私服に着替えて、分厚いコートに袖を通す。
早足で一階に降りると、早朝から来る高校受験に向けて直前の追い込みをしていた柚葉が顔を覗かせた。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
ちょっと前まで切羽詰まった様子で勉強をしていた柚葉だったが、ここ一週間は憑き物が落ちたみたいにすっきりとした面持ちで机に向かっていた。志望校に合格する自信がついたのか、最近の柚葉の背中はとても頼もしく感じる。
「楓が、目を覚ましたんだって!」
逸る気持ちを抑えて、妹に告げる。柚葉は両目をぱちくりと大きく見開いた後、「良かったじゃん!」と手を叩いて喜んだ。
「私、楓くんはもう戻ってこないと思ってた。お医者さんもそう言ってたんでしょ?」
「う、うん。だから私も、あんまり上手く事態を飲み込めてなくて」
「そっか。じゃあ奇跡じゃん。お姉ちゃんの積年の想いが通じたんじゃない?」
「こ、こらあ……」
姉を揶揄った柚葉はくつくつと笑いながら、「行ってきなよ」と私の背中を押してくれた。
「行ってきますっ」
「気をつけて行ってきて。楓くんによろしく」
いつになく素直な柚葉が快く私を玄関まで送り出してくれる。
スマホと財布だけをひっつかんでコートのポケットに入れた。それから、大人っぽい上品な赤いマフラーを首に巻いて外へと飛び出す。
三月三日、火曜日の朝のことだった。
三月上旬の函館はまだまだ寒い。真冬並の冷たい空気が全身を包み込む。でも、冬用コートと赤いマフラーに包まれた私の身体は火照っている。何よりバス停まで駆けて行ったから、身体はぽかぽか温かかった。
去年の秋、十一月九日に交通事故に遭ってからはや四ヶ月。
八十神さんの嘘の元で並行世界へ飛ばされて、楓の前から消えると決意した私は、無事に現実世界に戻ってきた。戻った時、日付は十一月十一日で、事故から二日しか経っていなかった。
病床で目覚めた私は、医者からとんでもない話を聞かされる。
「残念ですが、一緒にいた若宮楓くんは、昏睡状態で眠っています。おそらく、この先目覚めることはもう……」
「昏睡状態……?」
聞いていた話とは違う。
楓は、死んだのではなかったの?
並行世界で、楓は自ら命を失ったと言っていた。八十神さんも、そんな彼の言葉を否定しなかった。並行世界で私が死神になったのは、八十神さんと楓が死後に契約を交わしたからだって。
だから、元の世界に戻ってきて、医者の口から「昏睡状態」だと聞いて、心臓が飛び上がりそうになった。
八十神さん……もしかして、嘘をついたの?
楓が死んだって、嘘。やっぱり嘘つきな神様だ。
だけどこの嘘は、私に喜びと希望を与えてくれた。
医者は悲痛な顔をしていたけれど、私の気持ちは真逆だった。
楓が生きている。
たとえ昏睡状態でも、楓がまだ命を失っていないといことが、あまりにも嬉しくてその場で飛び跳ねたくなった。
それに、私は信じていた。
医者はもう、楓が目覚めることはないと言ったけれど、絶対に楓は目を覚ます。
だって、自分の命を惜しむよりも私が前を向いて生きていけるように願ってくれた楓が、救われないはずがない。
きっと以前の私なら、楓が昏睡状態になったと知って絶望して、自分を見失っていただろう。そうならずに済んだのは、紛れもなく、あの世界で自分や他人の命と向き合い、楓を守ろうと決断した経験のおかげだ。
だから、信じる。
決して後ろ向きにはならない。
楓はいつか、私の元に帰ってきてくれるって。
朝から私の部屋の扉をドンドンと叩き、仕事の支度をした母が、勢いよく顔を覗かせた。
「……はい?」
寝ぼけまなこの私は、すぐには母の言葉を理解することができずに情けなく口をぽかんと開けて扉の方を見つめる。
「だから、楓くんが目覚めたの! 早く行ってあげて!」
カエデクンガメザメタノ。
楓が、目を覚ました。
「えっ」
焦ったような口調の母の言葉を反芻し、ようやく事態をのみ込んだ。
「わ、私、ちょっと行ってくる……!」
部屋着からバタバタと私服に着替えて、分厚いコートに袖を通す。
早足で一階に降りると、早朝から来る高校受験に向けて直前の追い込みをしていた柚葉が顔を覗かせた。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
ちょっと前まで切羽詰まった様子で勉強をしていた柚葉だったが、ここ一週間は憑き物が落ちたみたいにすっきりとした面持ちで机に向かっていた。志望校に合格する自信がついたのか、最近の柚葉の背中はとても頼もしく感じる。
「楓が、目を覚ましたんだって!」
逸る気持ちを抑えて、妹に告げる。柚葉は両目をぱちくりと大きく見開いた後、「良かったじゃん!」と手を叩いて喜んだ。
「私、楓くんはもう戻ってこないと思ってた。お医者さんもそう言ってたんでしょ?」
「う、うん。だから私も、あんまり上手く事態を飲み込めてなくて」
「そっか。じゃあ奇跡じゃん。お姉ちゃんの積年の想いが通じたんじゃない?」
「こ、こらあ……」
姉を揶揄った柚葉はくつくつと笑いながら、「行ってきなよ」と私の背中を押してくれた。
「行ってきますっ」
「気をつけて行ってきて。楓くんによろしく」
いつになく素直な柚葉が快く私を玄関まで送り出してくれる。
スマホと財布だけをひっつかんでコートのポケットに入れた。それから、大人っぽい上品な赤いマフラーを首に巻いて外へと飛び出す。
三月三日、火曜日の朝のことだった。
三月上旬の函館はまだまだ寒い。真冬並の冷たい空気が全身を包み込む。でも、冬用コートと赤いマフラーに包まれた私の身体は火照っている。何よりバス停まで駆けて行ったから、身体はぽかぽか温かかった。
去年の秋、十一月九日に交通事故に遭ってからはや四ヶ月。
八十神さんの嘘の元で並行世界へ飛ばされて、楓の前から消えると決意した私は、無事に現実世界に戻ってきた。戻った時、日付は十一月十一日で、事故から二日しか経っていなかった。
病床で目覚めた私は、医者からとんでもない話を聞かされる。
「残念ですが、一緒にいた若宮楓くんは、昏睡状態で眠っています。おそらく、この先目覚めることはもう……」
「昏睡状態……?」
聞いていた話とは違う。
楓は、死んだのではなかったの?
並行世界で、楓は自ら命を失ったと言っていた。八十神さんも、そんな彼の言葉を否定しなかった。並行世界で私が死神になったのは、八十神さんと楓が死後に契約を交わしたからだって。
だから、元の世界に戻ってきて、医者の口から「昏睡状態」だと聞いて、心臓が飛び上がりそうになった。
八十神さん……もしかして、嘘をついたの?
楓が死んだって、嘘。やっぱり嘘つきな神様だ。
だけどこの嘘は、私に喜びと希望を与えてくれた。
医者は悲痛な顔をしていたけれど、私の気持ちは真逆だった。
楓が生きている。
たとえ昏睡状態でも、楓がまだ命を失っていないといことが、あまりにも嬉しくてその場で飛び跳ねたくなった。
それに、私は信じていた。
医者はもう、楓が目覚めることはないと言ったけれど、絶対に楓は目を覚ます。
だって、自分の命を惜しむよりも私が前を向いて生きていけるように願ってくれた楓が、救われないはずがない。
きっと以前の私なら、楓が昏睡状態になったと知って絶望して、自分を見失っていただろう。そうならずに済んだのは、紛れもなく、あの世界で自分や他人の命と向き合い、楓を守ろうと決断した経験のおかげだ。
だから、信じる。
決して後ろ向きにはならない。
楓はいつか、私の元に帰ってきてくれるって。
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