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オルタス商会との初回打ち合わせが終わったのは、夜の七時だった。
相手方の代理人が三人、文書院側はセシルと渉外部長の二人。
二時間かけて現行契約の問題点を洗い出し、次回までの確認事項をまとめた。
部長は途中から「あとはロウエルに」と言って、ほぼセシルに任せた。
渉外部に戻ると、すでに他の職員は帰っていた。
机の上に残した書類を整理しながら、今日の打ち合わせ内容を頭の中で整理する。
次回までに確認すべき法令が四つ。
過去の契約書と照らし合わせる箇所が少なくとも三か所。
やることは多かったが、不安よりも先に段取りが浮かんだ。
廊下に出ると、長官室の灯りがついていた。
今夜も遅い。
セシルはそのまま通り過ぎようとして、ふと足を止めた。
扉の前で少し迷ってから、ノックした。
「入れ」
「打ち合わせの報告をさせてください。明日でも構いませんが、今夜のうちに共有しておいた方がいいかと思いまして」
エドワードは書類から顔を上げた。
「座れ」
セシルは椅子を引いて、手元のメモを開いた。
打ち合わせの概要、先方の要望、こちらの懸念点、次回までの宿題。
要点だけを短く話した。
エドワードは途中で一度も遮らなかった。
「先方が旧契約の第七条の維持にこだわっていました。現行では不合理な条項ですが、商会側にとって心理的な安全弁になっているようです」
「どう対応するつもりだ」
「条項の文言は残しつつ、運用の解釈を更新することを提案しようと考えています。実質的な改善を、形式を壊さずに行う」
エドワードがしばらく黙った。
「それでいい。進めろ」
セシルはメモを閉じた。
立ち上がろうとすると、エドワードが机の端に置いてあった杯を手に取った。
中身はもう冷えているらしく、一口飲んで、そのまま置いた。
「座っていろ」
追い返すつもりではないらしかった。
セシルは椅子に戻った。
エドワードは書類に目を落とした。
セシルも手元のメモを見ながら、翌日以降の段取りを考えた。
静かだった。
時計の音と、雨樋を伝う水音だけが聞こえた。
気まずくはなかった。
なぜそうなのかは、うまく説明できなかった。
しばらくして、エドワードが机の引き出しを開けた。
中からコーヒーの小壺と、小さなカップを二客取り出した。
何も言わず、二杯分を注いだ。
片方をセシルの側の机の端に置いた。
「……ありがとうございます」
エドワードは答えず、また書類に戻った。
コーヒーは濃くて、少し苦かった。
でも、体が温まった。
時計が九時を打つ頃、セシルは「失礼します」と立ち上がった。
エドワードはうなずいた。
それだけだった。
帰り道、夜の石畳を歩きながら、セシルは空を見上げた。
雨は上がっていた。
雲の切れ間に、星がいくつか見えた。
長官室で過ごした一時間のことを考えた。
仕事の話をして、静かに座って、コーヒーを飲んだだけだった。
それだけのことが、なぜか胸の中に妙な重みで残っていた。
温かい、と思った。
コーヒーの話だけではない気がした。
でも、それ以上は考えなかった。
相手方の代理人が三人、文書院側はセシルと渉外部長の二人。
二時間かけて現行契約の問題点を洗い出し、次回までの確認事項をまとめた。
部長は途中から「あとはロウエルに」と言って、ほぼセシルに任せた。
渉外部に戻ると、すでに他の職員は帰っていた。
机の上に残した書類を整理しながら、今日の打ち合わせ内容を頭の中で整理する。
次回までに確認すべき法令が四つ。
過去の契約書と照らし合わせる箇所が少なくとも三か所。
やることは多かったが、不安よりも先に段取りが浮かんだ。
廊下に出ると、長官室の灯りがついていた。
今夜も遅い。
セシルはそのまま通り過ぎようとして、ふと足を止めた。
扉の前で少し迷ってから、ノックした。
「入れ」
「打ち合わせの報告をさせてください。明日でも構いませんが、今夜のうちに共有しておいた方がいいかと思いまして」
エドワードは書類から顔を上げた。
「座れ」
セシルは椅子を引いて、手元のメモを開いた。
打ち合わせの概要、先方の要望、こちらの懸念点、次回までの宿題。
要点だけを短く話した。
エドワードは途中で一度も遮らなかった。
「先方が旧契約の第七条の維持にこだわっていました。現行では不合理な条項ですが、商会側にとって心理的な安全弁になっているようです」
「どう対応するつもりだ」
「条項の文言は残しつつ、運用の解釈を更新することを提案しようと考えています。実質的な改善を、形式を壊さずに行う」
エドワードがしばらく黙った。
「それでいい。進めろ」
セシルはメモを閉じた。
立ち上がろうとすると、エドワードが机の端に置いてあった杯を手に取った。
中身はもう冷えているらしく、一口飲んで、そのまま置いた。
「座っていろ」
追い返すつもりではないらしかった。
セシルは椅子に戻った。
エドワードは書類に目を落とした。
セシルも手元のメモを見ながら、翌日以降の段取りを考えた。
静かだった。
時計の音と、雨樋を伝う水音だけが聞こえた。
気まずくはなかった。
なぜそうなのかは、うまく説明できなかった。
しばらくして、エドワードが机の引き出しを開けた。
中からコーヒーの小壺と、小さなカップを二客取り出した。
何も言わず、二杯分を注いだ。
片方をセシルの側の机の端に置いた。
「……ありがとうございます」
エドワードは答えず、また書類に戻った。
コーヒーは濃くて、少し苦かった。
でも、体が温まった。
時計が九時を打つ頃、セシルは「失礼します」と立ち上がった。
エドワードはうなずいた。
それだけだった。
帰り道、夜の石畳を歩きながら、セシルは空を見上げた。
雨は上がっていた。
雲の切れ間に、星がいくつか見えた。
長官室で過ごした一時間のことを考えた。
仕事の話をして、静かに座って、コーヒーを飲んだだけだった。
それだけのことが、なぜか胸の中に妙な重みで残っていた。
温かい、と思った。
コーヒーの話だけではない気がした。
でも、それ以上は考えなかった。
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