選ばれなくてよかったと、今は思います

たくわん

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クロードが商業省で書類不備を起こしたという話が、王都の社交界に広まったのは、冬も深まった頃だった。

リンが昼休みに教えてくれた。

「商業省の第三法令に関する申請書類で、記載の誤りがあったらしいんだけど……それだけなら小さな話なんだけど、問題はその後で」

リンは声を少し落とした。

「誤りを指摘された時に、クロード様が部下に責任をなすりつけようとしたって。それを目撃した職員が複数いて、上官の耳に入ったって話」

書類の不備そのものは軽微だったらしい。
ただ、その後の対応が問題になった。

「エスタント伯爵家がそれを知って、婚約解消を申し出たっていう話が出てるみたい」

セシルは弁当の箸を止めた。

「婚約解消を」

「うん。伯爵家としては、公職での信用問題は看過できないって判断したみたい。しかもその理由が『家格と将来性の不一致』だって話で……なんか、覚えがある言葉でしょ」

リンは少し困った顔で笑った。

セシルは窓の外を見た。

かつてセシルに向けられた言葉が、今度はクロードに向けられた。
そのことを聞いて、自分の中に何が湧くか確認した。

溜飲が下がる、という感覚はなかった。
ざまぁだと思いたい気持ちも、なかった。

ただ、静かだった。

もうあの五年間は、遠い話になっていた。

「知らせてくれてありがとうございます」

「大丈夫? 複雑な気分でしょ」

「複雑、というよりは……もう関係ない話、という感じです」

リンが少し目を細めた。

「それを言えるようになったんだね」

「春の頃とは、自分が変わりましたから」

リンは「そうだね」とだけ言って、コーヒーを一口飲んだ。


その日の午後、セシルは案件の書類整理をしながら、ぼんやりと考えた。

クロードのことを、責める気持ちはなかった。
ただ、あの五年間に気づいたことがある。

自分は、誰かに見ていてほしかったのだと思う。
仕事のことを、やっていることを、積み重ねてきたものを。

クロードはそれをしなかった。
できなかったのか、しようとしなかったのかは、今となってはわからない。

でも、エドワードは見ていた。

報告書の構造を読んで、折衝の場面を廊下から見て、緊急案件の内容を朝に確認して、名前を全体集会で呼んだ。

見ている、ということは、それだけで誰かを救う。

セシルはそう思いながら、書類にペンを走らせた。


夕方、長官室の前を通った時、扉の向こうから低い声が聞こえた。

ヴィクトルと何かを話しているらしかった。

足を止めずに通り過ぎた。
でも、廊下を歩きながら、胸の中にある感情の輪郭が、今日はいつもより少しだけはっきりしているのを感じた。

認めてしまえば、簡単なことだった。

好きだ、と思っていた。

いつからかは、わからなかった。
傘の夜かもしれないし、コーヒーの夜かもしれないし、雪の夜かもしれなかった。
気づいたら、もうそこにあった。

でも、それをどうするかは、まだわからなかった。

上司だった。
侯爵だった。
自分は男爵令嬢で、仕事だけを頼りに今ここにいた。

冬の廊下は少し冷えていた。
窓の外に、暮れていく空が見えた。
橙から、紺へと変わっていく境目が、遠くにあった。
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