今さら復縁なんて都合が良すぎです

たくわん

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宮廷晩餐会から三日後の午後、工房の扉を叩く音がした。

フィーネはデザイン画に向かっていた。王妃のドレスの成功を受けて注文が殺到しており、新しい針子を三人雇い入れたばかりだった。忙しさの中にも充実があり、手を動かしている時間が何より楽しかった。

エルマが応対に出て、すぐに戻ってきた。その顔がこわばっている。

「フィーネ様。グランツ侯爵家のルートヴィヒ様がお見えです」

針を持つ手が止まった。

一瞬だけ、あの夜のバルコニーが目の前に蘇った。冷たい風。温度のない目。君には華がない。

一瞬で消えた。今の自分は、あの夜の自分ではない。

「お通しして」


ルートヴィヒは工房の中を見回していた。活気のある作業場。壁に貼られたデザイン画。棚に並ぶ色とりどりの生地。忙しく手を動かす針子たち。

これが、あの控えめな令嬢が一年足らずで作り上げた場所なのか。

フィーネが奥から現れた。エプロンをつけたまま、指先に糸くずがついている。だが、その目はルートヴィヒが知っているものとは違った。真っ直ぐで、落ち着いていて、揺るぎがない。

「お久しぶりです、ルートヴィヒ様」

声も変わっていた。もう怯えも遠慮もない。

「突然すまない。少し、話がしたくて」

フィーネは小さな応接の椅子を勧めた。お茶を出す仕草も、自然で無駄がなかった。


ルートヴィヒは、用意してきた言葉がすべて陳腐に思えて口ごもった。向かいに座るフィーネは、急かすでもなく、ただ静かに待っている。その余裕が、かえって自分の情けなさを際立たせた。

「あの時は、間違っていた」

ようやく絞り出した。

「君の本当のすばらしさを、俺は見ていなかった。王妃のドレスを見て——いや、それよりもっと前から、自分が取り返しのつかないことをしたとわかっていた」

フィーネは表情を変えずに聞いていた。

「今さらこんなことを言う資格がないのはわかっている。だが、もう一度やり直すことは——」

「ルートヴィヒ様」

静かな声が遮った。怒りでも冷たさでもない、穏やかで明確な声だった。

「あなたは私に『華がない』とおっしゃいました」

ルートヴィヒは息を呑んだ。自分の言葉を正確に突きつけられる痛みは、予想以上だった。

「あれは、正しかったのかもしれません」

予想しなかった言葉だった。ルートヴィヒは顔を上げた。フィーネの目に敵意はなかった。

「あの頃の私には、自分の華がなんなのかわかっていなかったから。あなたの隣で萎縮して、自分を小さく見せて、ただ『足りない自分』に怯えていた。あれでは華があるはずがない」

フィーネは自分の手を見た。針だこのある指。この一年で何万針も縫ってきた手。

「でも今は違います。私は自分の手で自分の華を見つけました。この工房で、この仕事で、ここにいる人たちと一緒に」

ルートヴィヒを見据えた。

「あなたに認めてもらうために見つけたのではありません。私自身のために見つけたんです」

一拍の間。

「だから——お気持ちはお受けできません」

きっぱりとした、しかし穏やかな拒絶だった。ルートヴィヒを傷つけるためではなく、自分の道を示すための言葉だった。


ルートヴィヒは長い間黙っていた。目を伏せ、唇を引き結んでいる。怒りではなかった。納得と後悔が入り混じった、苦い沈黙だった。

「……そうか」

立ち上がり、一度だけ工房を見回した。

「立派な場所だ。本当に」

それだけ言って、ルートヴィヒは工房を出ていった。扉が閉まる音が、静かに響いた。フィーネはその音を聞きながら、自分の心を確かめた。

痛みはなかった。未練もなかった。ただ、一つの季節が終わったような、澄んだ感覚があった。


振り返ると、工房の奥にニクラスがいた。

仕入れの帳簿を持って来ていたらしい。いつからいたのか。ルートヴィヒとの会話を聞いていたのかもしれない。ニクラスはばつが悪そうに帳簿を掲げた。

「すみません、タイミングが悪かったですね。出直します」

「待ってください」

フィーネは自分でも驚くほど早く言葉が出た。ニクラスの足が止まる。

「あの日の……お返事をしてもいいですか」

ニクラスの目が一瞬見開かれた。帳簿を持つ手が、わずかに力を込めたのがわかった。

フィーネは向き合った。逃げない。もう逃げない。

「私は、あなたの隣にいたいです」

声が震えた。でも、止めなかった。

「あなたの前では、萎縮しなくていい。足りないと怯えなくていい。ありのままの自分でいられる。それがどれだけ幸せなことか、やっとわかりました」

ニクラスは帳簿を抱えたまま、しばらく固まっていた。それから、口元がゆっくりとほどけて、柔らかな笑みになった。目が潤んでいるのを、笑顔で隠そうとして、隠しきれていなかった。

「長期投資の成果が出ましたね」

フィーネは笑った。泣きそうなのに笑ってしまった。

「最悪の冗談です」

「商人ですから、締めは利益の話で」

二人とも笑っていた。涙混じりの、不格好な笑いだった。

ニクラスが帳簿をテーブルに置いて、右手を差し出した。あの日、投資の契約を交わした時と同じように。

フィーネはその手を取った。握手ではなく、指を絡めた。商人の手。硬くて、温かくて、ずっとそばにあった手。

工房の窓から冬の光が射し込んでいた。母の画帳が、棚の上で静かに二人を見守っていた。
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