私に用はないのでしょう?

たくわん

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辺境に追放されても薬の勉強はやめません

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リディアは震える手で、母の医学書の内容を思い出そうとした。

あれは確か——古い時代の病についての章だった。

現代では珍しいとされる症状。発疹、衰弱、食欲不振。

そして、原因は——。

「公爵様」

リディアは静かに尋ねた。

「この三年間、ずっとこの部屋に?」

「……ああ。光が苦痛でな。カーテンを閉めるようになった」

「食事は?」

「ほとんど喉を通らない。スープを少し、だけだ」

リディアの推測が、確信に変わっていく。

「公爵様、もしかして……日光を、まったく浴びていないのでは?」

イーサリアスは目を開けた。

その瞳は、深い青色をしている。

「それが、何か?」

「症状の原因は、日光不足かもしれません」

「……何?」

公爵は信じられないという表情で、リディアを見た。

「王都から来た名医たちは、呪いだと言った。あるいは、毒だと。解毒剤を何種類も試したが、何も効かなかった」

「それは、原因が違うからです」

リディアは医学書の記述を思い出しながら、慎重に言葉を選んだ。

「人の体は、日光を浴びることで大切な何かを作り出します。それがなくなると、体が少しずつ衰弱していくんです。古い時代、地下牢に長く閉じ込められた囚人たちに、同じ症状が現れたという記録があります」

「そんな、馬鹿な……」

「発疹も、日光不足の症状の一つです。そして、食欲不振も」

リディアはベッドの脇に膝をついた。

「お願いです。試させてください。まず、カーテンを開けて、少しずつ日光を浴びていただきたいんです。それから、特定の薬草を使った栄養剤を——」

「待て」

公爵は手を上げた。

「お前は、本気で言っているのか?」

「はい」

「王都の名医たちが誰も気づかなかったことを、辺境に来たばかりの薬師が?」

その声には、諦めと、わずかな希望が混じっていた。

リディアは真っ直ぐに公爵を見つめた。

「私は、才能がないと言われて王都を追われました。姉のような華々しい技術はありません。でも、古い医学書を何度も何度も読み返してきました。誰も読まないような、古い記録まで」

「……」

「だから、気づけたんです。この症状が、古い時代の囚人たちと同じだって」

公爵は長い沈黙の後、小さく笑った。

「面白い。三年ぶりに、面白いと思った」

「では——」

「好きにしろ。どうせ、失うものは何もない」

リディアは深く頭を下げた。

「ありがとうございます」


翌日から、リディアは公爵の屋敷に通い始めた。

まず、カーテンを少しずつ開けた。

最初は、ほんのわずかな隙間から。次第に、朝日が差し込む程度に。

イーサリアスは光を嫌がったが、リディアは根気強く説得した。

「最初は辛いかもしれません。でも、体が慣れてくれば、きっと楽になります」

そして、リディアは特別な栄養剤を調合した。

母の医学書に記されていた処方。ビタミンを豊富に含む薬草——ローズヒップ、ネトル、パセリの種。それらを粉末にして、蜂蜜と混ぜる。

「一日三回、食事の前に飲んでください」

公爵は顔をしかめた。

「苦い」

「効く薬は苦いものです」

「……お前、意外と強気だな」

「すみません。でも、これは譲れません」

リディアは毅然とした態度を崩さなかった。

イーサリアスは、また小さく笑った。

「いい。続けよう」


一週間が過ぎた。

公爵の顔色に、わずかな変化が現れた。

唇に、ほんの少し赤みが戻ってきている。

「公爵様、調子はいかがですか?」

「……悪くない。少し、空腹を感じる」

「それは良い兆候です!」

リディアは嬉しさで声が弾んだ。

「では、今日から少しずつ、固形物を召し上がってください。最初は柔らかいパンや、煮た野菜から」

「わかった」

公爵は起き上がろうとして——立ち上がった。

まだ、足元はふらついている。でも、三年ぶりに、自分の力で立ったのだ。

「公爵様!」

リディアは慌てて支えた。

「無理をしないでください」

「無理では、ない」

イーサリアスは窓辺に歩み寄った。

カーテンが半分開いた窓から、初夏の日差しが差し込んでいる。

「三年ぶりだ……この光を見るのは」

その横顔を見て、リディアは息を呑んだ。

日の光を浴びた公爵は、信じられないほど美しかった。

銀色の髪が光を反射し、青い瞳が輝いている。

「綺麗……」

思わず口に出してしまい、リディアは慌てて口を押さえた。

「す、すみません! 失礼なことを……」

「いや」

公爵は振り向いた。

「お前が、初めてだ」

「え?」

「この三年、誰もわたしを見て、そんな言葉を口にしなかった。皆、呪われた病人としか見ていなかった」

イーサリアスはリディアの顔を見つめた。

「お前は、怖くないのか?」

「何が、ですか?」

「わたしが、本当に呪われているかもしれない。お前に病が移るかもしれない」

リディアは首を横に振った。

「これは呪いではありません。日光不足による病です。移ることもありません」

「……そうか」

公爵は、また小さく笑った。

「お前は面白い。名前は?」

「リディア・クレメントと申します」

「クレメント……王都の薬師の名門か」

「はい。でも、私は才能がなくて、追放されたんです」

「追放?」

リディアは頷いた。

そして、姉のこと、父のことを話した。

宮廷薬師として華々しく活躍する姉。才能がないと見捨てられ、辺境に送られた自分。

イーサリアスは黙って聞いていた。

「……お前の姉は、愚かだな」

「え?」

「本当の才能というのは、華やかさではない。諦めない心と、誠実さだ」

公爵はリディアの頭に、そっと手を置いた。

「お前には、それがある」

リディアの目に、涙が滲んだ。

誰も認めてくれなかった。

才能がない、できない、無理だ——そう言われ続けてきた。

でも、この人は——。

「ありがとう、ございます……」

「礼を言うのは、わたしの方だ」

イーサリアスは優しく微笑んだ。

「お前が、わたしを救ってくれた」


その頃、王都では——。

クレメント薬師家の屋敷に、一通の手紙が届いていた。

差出人は、イーサリアス公爵。

セレスティアがその手紙を開封すると、中には丁寧な文字で、こう書かれていた。

『辺境に派遣された薬師、リディア・クレメントの功績により、わたしの病が快方に向かっている。王都の名医たちが誰も気づかなかった原因を、彼女は見抜いた。素晴らしい薬師である』

セレスティアは手紙を握りしめた。

「そんな、馬鹿な……」

あの地味で、才能のない妹が?

王都の名医たちができなかったことを?

「偶然よ。きっと、偶然……」

でも、その手は震えていた。

父、グレゴールも手紙を読み、深い溜息をついた。

「リディアが、か……」

「父上、これは何かの間違いです! あの子にそんな力があるはずが——」

「セレスティア」

グレゴールは厳しい声で娘を制した。

「お前は、宮廷薬師として何をしている?」

「それは……貴族の美容薬や、社交界で必要な香油を——」

「薬師の本分を忘れたか。人を癒すことだ」

「でも——」

「リディアは、それをやっている。お前より、よほど薬師らしい」

セレスティアは言葉を失った。

認めたくない。

あの妹が、自分より優れているなんて——。

でも、事実は事実だ。

イーサリアス公爵は、王位継承権第一位。次期国王になる可能性が最も高い人物。

その公爵が、リディアを讃えている。

「くっ……」

セレスティアは唇を噛んだ。

このままでは、妹に全てを奪われてしまう。

地位も、名声も、そして——。


二週間が過ぎた頃、イーサリアスは屋敷の庭を歩けるまでに回復していた。

荒れ果てていた庭に、執事たちが手を入れ始めている。

花壇には、色とりどりの花が植えられた。

「公爵様、無理はなさらないでください」

リディアは公爵の隣を歩きながら、心配そうに声をかけた。

「大丈夫だ。もう、以前のような衰弱感はない」

イーサリアスは深く息を吸った。

「空気が、こんなに美味しいものだったとは」

「本当に、良かった……」

リディアは心から安堵した。

あの日、診察を始めたとき、本当に治せるのか不安だった。

でも、母の医学書を信じて、諦めずに続けた結果が、これだ。

「リディア」

「はい?」

「お前に、頼みたいことがある」

イーサリアスは立ち止まり、リディアを見つめた。

「わたしの、専属薬師になってくれないか」

「え……?」

「村の薬師も大切だが、お前の才能を、そこだけで終わらせるのは惜しい」

公爵は真剣な表情で続けた。

「わたしと共に、王都に戻ってほしい。そして、わたしの側で、薬師として働いてほしい」

リディアは戸惑った。

「でも、私は……才能が——」

「また、その言葉か」

イーサリアスは優しく微笑んだ。

「お前は、十分すぎるほどの才能を持っている。ただ、周りが気づかなかっただけだ」

「公爵様……」

「わたしが、証明してみせる。お前が、どれほど素晴らしい薬師か」

その言葉に、リディアの胸が熱くなった。

「……わかりました。お仕えします」

「ありがとう」

イーサリアスは、初めて心からの笑顔を見せた。

そして——。

「近いうちに、王都に戻る。お前も、一緒に来てくれ」

「はい!」

リディアは力強く頷いた。

追放された王都に、今度は公爵の専属薬師として戻る。

姉が、父が、どんな顔をするだろう。

少しだけ、楽しみだった。
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