もう、あなたには何も感じません

たくわん

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秋が深まり、王国全体で収穫の季節が訪れた。

クラリッサが指導した領地では、軒並み収量が増加していた。平均して一・五倍から二倍。中には三倍になった領地もあった。

王都では、クラリッサの手腕が話題になっていた。

「奇跡の令嬢」「王国の救世主」

様々な異名で呼ばれるようになった。

ある日、王宮で農政会議が開かれた。

王太子を議長に、王国の主要貴族たちが集まっている。クラリッサも、農政総監として出席した。

「では、今年の収穫報告を」

王太子が、クラリッサに促した。

「はい」

クラリッサは、立ち上がって報告を始めた。

詳細な数字、各領地の状況、改善された点と今後の課題。

全てを、明確に説明していく。

貴族たちは、真剣に聞き入った。

「素晴らしい」

会議の最後に、王太子が宣言した。

「クラリッサ・フォンテーヌの手法を、王国全体に広めることを決定する」

貴族たちから、拍手が起こった。

会議が終わった後、何人かの貴族がクラリッサに近づいてきた。

「令嬢、私の領地でも指導していただきたい」

「我が領地にも、ぜひ」

クラリッサは、一人一人丁寧に対応した。

その時、遠くから冷たい視線を感じた。

振り返ると、ロベルトが立っていた。

彼は、会議に出席していたようだ。表情は暗く、疲れていた。

クラリッサは、短く会釈をした。

ロベルトも、ぎこちなく頭を下げた。

だが、二人が話すことはなかった。

王宮を出ると、オスカーが待っていた。

「お疲れ様でした」

「ありがとう」

馬車に乗り込むと、クラリッサは深く息を吐いた。

「ロベルト様を、見ましたか?」

オスカーが、慎重に尋ねた。

「ええ。でも、何も感じなかったわ」

クラリッサは、正直に答えた。

「昔は、あの人のことで胸が痛んだ。でも今は、ただの知り合いね」

「そうですか」

オスカーは、安堵した様子だった。

数日後、予想外の来客があった。

イザベラだ。

彼女は、以前のような派手な装いはしていなかった。質素なドレスを着て、宝石もほとんど身につけていない。

「クラリッサ様、お話があって」

イザベラの声には、以前の傲慢さが消えていた。

クラリッサは、客間に彼女を招いた。

「何の御用でしょうか」

「単刀直入に言います」

イザベラは、頭を下げた。

「助けてください」

クラリッサは、驚いた。

「助ける、とは?」

「グレイソン侯爵領が、破産寸前なのです」

イザベラの目には、涙が浮かんでいた。

「私の浪費が原因です。それは分かっています」

「それで、私に何を?」

「あなたの農法を、教えてください」

イザベラは、必死だった。

「お金は払います。いえ、払えませんが、後で必ず」

クラリッサは、しばらく黙っていた。

この女性は、一年前、自分を嘲笑した。勝ち誇った顔で、屈辱を与えた。

復讐するなら、今だ。

断れば、グレイソン侯爵領は崩壊する。ロベルトもイザベラも、困窮する。

でも、クラリッサの心には、復讐心がなかった。

「イザベラ様」

「はい」

「あなたは、変わりましたね」

クラリッサの声は、穏やかだった。

「以前のあなたなら、こうして頭を下げることはなかった」

「私は、愚かでした」

イザベラは、泣き出した。

「全てが、私のせいです。夫を苦しめ、領地を破滅させた」

「泣かないでください」

クラリッサは、ハンカチを差し出した。

「分かりました。お教えします」

「本当ですか」

イザベラは、驚いて顔を上げた。

「ただし、条件があります」

「何でも従います」

「あなた自身が、農民たちと共に働くこと」

クラリッサは、真剣な目で言った。

「畑に出て、汗を流すこと。それができますか?」

イザベラは、躊躇した。

貴族の令嬢が、畑仕事をする。それは、恥ずべきことだと教えられてきた。

だが、背に腹は代えられない。

「やります」

イザベラは、決意を込めて答えた。

「何でもします」

「では、来週からグレイソン侯爵領に伺います」

クラリッサは、立ち上がった。

「私が直接、指導します」

イザベラが帰った後、オスカーが尋ねた。

「本当に、助けるのですか」

「ええ」

クラリッサは、頷いた。

「彼らは、私を傷つけた。でも、それを理由に見捨てることはできないわ」

「あなたは、優しすぎます」

「優しさじゃないわ」

クラリッサは、微笑んだ。

「私の使命は、王国の農業を発展させること。グレイソン侯爵領も、その一部よ」

翌週、クラリッサはグレイソン侯爵領を訪れた。

領地は、想像以上に荒廃していた。

畑は手入れされておらず、建物も老朽化している。農民たちは、希望を失った目をしていた。

グレイソン侯爵が、出迎えた。

老侯爵は、クラリッサに深々と頭を下げた。

「フォンテーヌ令嬢、よく来てくださった」

「お久しぶりです、侯爵」

「息子と嫁が、不始末をしてしまった」

侯爵の声は、疲れ切っていた。

「全ては、私の監督不足です」

「過去のことを言っても始まりません」

クラリッサは、きっぱりと言った。

「これから、立て直しましょう」

ロベルトも、そこにいた。

彼は、クラリッサと目を合わせられなかった。

「クラリッサ、来てくれてありがとう」

「仕事ですから」

クラリッサの声は、事務的だった。

翌日から、クラリッサは領地の調査を始めた。

イザベラも、約束通り畑に出てきた。

高級なドレスではなく、質素な作業着を着ている。

「何をすれば良いですか」

イザベラは、戸惑っていた。

「まず、堆肥作りから」

クラリッサは、実演しながら説明した。

「枯れ草と家畜の糞を、交互に積み重ねます」

イザベラは、恐る恐る作業を始めた。

生まれて初めて、糞を触る。

臭いに顔をしかめたが、歯を食いしばって続けた。

「イザベラ様、頑張っていますね」

クラリッサは、認めた。

「当然です。私が、この状況を作ったのですから」

イザベラの目には、決意があった。

数日後、農民たちも徐々に協力的になってきた。

侯爵令嬢が、自ら畑で働いている。その姿に、心を動かされたのだ。

「お嬢様も頑張っているんだ。俺たちも、やらなきゃ」

農民たちは、真剣に新しい農法を学び始めた。

一週間後、クラリッサは試験区画を設置した。

イザベラは、毎日畑に通った。

最初は不慣れだったが、徐々に作業に慣れていく。

手は荒れ、日に焼けた。でも、文句は言わなかった。

ある日の午後、休憩中にイザベラが話しかけてきた。

「クラリッサ様」

「何かしら」

「なぜ、私たちを助けてくださるのですか」

イザベラの目は、真剣だった。

「私は、あなたを傷つけました。嘲笑もしました」

「覚えているわ」

クラリッサは、正直に答えた。

「でも、それは過去のこと」

「でも」

「イザベラ様、人は変われるのよ」

クラリッサは、微笑んだ。

「あなたも、変わろうとしている。それを、私は応援したい」

イザベラの目から、涙が溢れた。

「ありがとうございます」

「泣かないで。まだ、始まったばかりよ」

二人は、並んで畑を見つめた。

夕方、ロベルトがクラリッサを訪ねてきた。

「少し、話せるか」

「構いませんよ」

二人は、庭を歩いた。

「クラリッサ、本当にありがとう」

ロベルトは、真剣な表情だった。

「君がいなければ、この領地は終わっていた」

「お礼は要りません。仕事ですから」

「いや、君には感謝してもしきれない」

ロベルトは、立ち止まった。

「そして、謝りたい」

「謝罪?」

「君を捨てたこと。あれは、大きな過ちだった」

ロベルトの声は、後悔に満ちていた。

「君は、素晴らしい女性だ。それを、見抜けなかった」

クラリッサは、彼を見た。

「ロベルト様、過去を悔やんでも仕方ありません」

「分かっている。でも、言わせてくれ」

ロベルトは、深く頭を下げた。

「本当に、申し訳なかった」

クラリッサは、複雑な思いだった。

一年前なら、この謝罪を聞いて喜んだかもしれない。

でも今は、何も感じなかった。

「顔を上げてください」

クラリッサは、優しく言った。

「あなたには、奥様がいます。その方と、良い関係を築いてください」

「クラリッサ」

「さようなら、ロベルト様」

クラリッサは、踵を返した。

「これが、最後の別れね」

彼女は、小さく呟いた。

もう、振り返ることはなかった。

その夜、屋敷に戻るとオスカーが待っていた。

「お疲れ様でした」

「ただいま」

クラリッサは、疲れた笑顔を浮かべた。

「オスカー、私ね」

「はい」

「やっと、過去と本当に決別できた気がするわ」

クラリッサは、彼を見た。

「ロベルトに会っても、もう何も感じない」

「それは」

「だから、そろそろ前を向ける」

クラリッサは、一歩近づいた。

「あなたの答えを、待っていてくれる?」

オスカーの目が、輝いた。

「もちろんです」

「ありがとう」

クラリッサは、微笑んだ。

窓の外では、月が昇っていた。

新しい章が、始まろうとしていた。
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