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リディアがローゼンタールに来て一ヶ月が過ぎた。診療室は毎日患者で賑わい、彼女の名声は確実に広がっていった。村人たちは今や、彼女を心から信頼し、尊敬していた。
ある朝、リディアが薬草園で作業をしていると、見知らぬ男が領主館を訪ねてきた。立派な馬に乗り、上質な服を着ている。商人のようだった。
「リディア・フォルテ様にお会いしたいのですが」
男は丁寧に頭を下げた。
「私がリディアです。どのようなご用件でしょうか」
「これは失礼いたしました。私、王都の商人ギルドに所属しておりますマルクスと申します」
マルクスは名刺を差し出した。
「実は、あなた様の作られる薬の評判を聞きつけまして。是非とも取引をさせていただきたいのです」
「取引、ですか」
リディアは興味を示した。薬を作るには材料費がかかる。今は村人から薬代をほとんど取っていないため、持参した資金が徐々に減っていた。
「はい。あなた様の薬は効果が高いと評判です。特に気管支炎の薬と痛み止めの軟膏。これらを王都で販売させていただけないでしょうか」
マルクスの提案は魅力的だった。しかし、リディアは慎重だった。商人の中には、不当な契約で弱い立場の者を搾取する者もいる。
「条件を聞かせてください」
「まず、薬の買い取り価格ですが」
マルクスが提示した金額は、予想よりもはるかに高かった。リディアは驚きを隠せなかった。
「この金額で本当によろしいのですか」
「ええ。正直に申し上げますと、王都では粗悪な薬が横行しています。効果のない薬を高値で売る悪徳業者も多い。あなた様の薬は、その品質が保証できる。多少高くても、確実に売れます」
「なるほど」
「それに、私どもは長期的な取引を望んでおります。安く買い叩いて信頼を失うより、公正な取引で良好な関係を築きたいのです」
リディアはマルクスの目を見た。彼は誠実そうだった。
「分かりました。ただし、いくつか条件があります」
「お聞かせください」
「まず、薬には必ず私の署名を入れること。粗悪品と混同されないためです」
「承知いたしました」
「次に、値段は適正に。貧しい人々が買えないほど高くしないこと」
「もちろんです」
「最後に、薬の製法は絶対に秘密にすること。他の業者に漏らさないと約束してください」
「誓って守ります。これで契約書を作成してもよろしいでしょうか」
「はい。ただし、契約書は私も確認させていただきます」
マルクスは感心したように頷いた。
「あなた様は、商売のことも理解していらっしゃる。王都の貴族令嬢とは思えない聡明さです」
「辺境で生きるには、あらゆることを学ばなければなりませんから」
契約が成立し、マルクスは去っていった。リディアは初めて、経済的な基盤を得ることができた。これで薬草の栽培を拡大し、より多くの研究ができる。
その夜、マルタが心配そうに言った。
「お嬢様、本当にあの商人は信用できるのでしょうか」
「完全に信用はしていないわ。だから契約書を作ったの。もし裏切られたら、法的に訴えることができる」
「でも、相手は王都の大きな商人ギルド。もし揉めたら...」
「大丈夫。私には証拠がある。それに、あの人は誠実だと思うわ。商人として成功するには、信用が何より大切だと知っている人だった」
リディアの予想は正しかった。翌週、マルクスから最初の注文が届いた。気管支炎の薬五十瓶、痛み止めの軟膏三十個。
リディアはエマと共に、夜遅くまで薬を調合した。一つ一つ丁寧に作り、品質を確認する。最後に自分の署名を入れた小さな紙を貼り付けた。
「お嬢様、こんなに働いて大丈夫ですか。お体に障ります」
エマが心配そうに言った。リディアは確かに疲れていたが、かつてのような病弱さはなかった。毎日体を動かし、規則正しい生活を送っているうちに、体力がついてきたのだ。
「不思議なことに、ここに来てから体調が良いのよ。王都にいた頃より、ずっと元気になった気がする」
「それは、お嬢様が生き生きとされているからだと思います」
エマは微笑んだ。
「自分のやりたいことをして、人に感謝されて。それが一番の薬なのかもしれませんね」
「そうかもしれないわね」
一週間後、マルクスが再び訪れた。今度は満面の笑みを浮かべていた。
「リディア様、大成功です。薬は全て完売しました。お客様からの評判も素晴らしい。追加注文をお願いできますか」
「もちろんです。今度は量を増やせますか」
「はい。今度は倍の量でお願いします」
こうして、リディアの薬は王都で「辺境の奇跡の薬」として知られるようになった。ただし、製作者の名前は伏せられていた。リディアの希望で、彼女がフォルテ家の令嬢であることは秘密にされていた。
ある日、診療室に見慣れない服装の男性が訪れた。学者風の眼鏡をかけ、分厚い本を抱えている。
「失礼します。リディア様はいらっしゃいますか」
「私がリディアですが」
「初めまして。私、王立医学院で薬学を教えておりますフェリックスと申します」
リディアは驚いた。王立医学院は、国で最も権威のある医学教育機関だ。
「医学院の方が、こんな辺境まで何の用でしょうか」
「実は、王都であなた様の薬を入手しまして、成分を分析させていただいたのです」
フェリックスは興奮した様子で話し始めた。
「驚きました。薬草の配合比率が完璧なのです。しかも、通常の薬師が使わない特殊な抽出方法を用いている。これは高度な薬学知識がなければ不可能です」
「お褒めいただき光栄です」
「お褒めしているのではありません。感動しているのです」
フェリックスは真剣な目でリディアを見た。
「あなたはどこで学ばれたのですか。王立医学院でも、このレベルの薬を作れる者はほとんどいません」
「独学です。図書室にあった医学書を読み、自分で実験を重ねました」
「独学で...信じられない」
フェリックスは呆然とした。
「あなたは天才です。その才能を、辺境で埋もれさせるのはもったいない。是非、王立医学院で講義をしていただけませんか」
「講義、ですか」
「はい。あなたの調合技術を、次世代の薬学者たちに伝えてほしいのです。これは学問の発展のため、ひいては多くの人々を救うためです」
リディアは考え込んだ。王都に戻ることには抵抗があった。しかし、自分の知識を広めることで、より多くの人を救えるかもしれない。
「考えさせてください。今すぐには答えられません」
「もちろんです。お時間をかけて考えてください」
フェリックスは名刺を残して去っていった。
その夜、リディアは悩んだ。王都に戻れば、かつて自分を軽蔑した人々と再会することになる。特にアーサーと。
しかし、それから逃げ続けるのは正しいのだろうか。自分は何も悪いことをしていない。堂々と顔を上げて歩けるはずだ。
「マルタ、あなたはどう思う」
「お嬢様がお決めになることです。ただ、このままここに留まるのは、お嬢様の才能を世界から隠すことになります」
「でも、この村の人々は私を必要としている」
「それなら、戻ってくればいいのです。講義は一日か二日でしょう。その間だけ村を離れても、大きな問題はありません」
マルタの言葉に、リディアは頷いた。
「そうね。逃げるのはもう終わりにしましょう。私は堂々と王都に行く。そして、私の知識を広める」
翌日、リディアはフェリックスに手紙を送った。講義を引き受けると。
返事はすぐに来た。来月、王立医学院で特別講義を行ってほしいとのことだった。講義のテーマは「高度な薬学調合技術」。
準備のため、リディアは講義内容をまとめ始めた。ただ技術を教えるだけでなく、薬学の基礎理論から説明する必要がある。
エマも手伝ってくれた。リディアが説明する内容を、分かりやすく図解にしてくれた。
「お嬢様、こんな素晴らしい知識を教えていただいて、私は幸せです」
「あなたは良い生徒よ、エマ。将来、立派な薬師になれるわ」
「本当ですか」
「ええ。あなたには才能がある。それに、何より学ぶ意欲がある。それが一番大切なの」
エマの目に涙が浮かんだ。
「ありがとうございます。私、お嬢様のような薬師になりたいです」
「なれるわよ。信じて努力を続ければ」
講義の日が近づくにつれ、リディアは緊張と期待を感じた。王都での講義。それは、かつて自分を軽視した社会に、自分の価値を示す第一歩になるはずだった。
出発の前日、村人たちが領主館に集まった。村長のハンスが代表して言った。
「領主様、王都でのご成功をお祈りしております。あなた様は私たちの誇りです」
村人たちが拍手をした。リディアは胸が熱くなった。
「ありがとうございます。すぐに戻ってきます。この村は私の故郷ですから」
翌朝、リディアは馬車に乗り込んだ。マルタとガレスが同行する。エマは村に残り、簡単な治療を続けることになった。
「お嬢様、行ってらっしゃいませ。立派に講義をされてきてください」
「ありがとう、エマ。村をよろしく頼んだわ」
馬車が動き出す。村人たちが手を振っている。リディアも窓から手を振り返した。
王都への道。一ヶ月前に、追放されて通った道を、今度は招かれて戻る。
リディアは前を向いた。過去に決着をつける時が来たのだ。そして、自分の真の価値を、世界に示す時が。
馬車は春の風を切って、王都へと向かっていった。
ある朝、リディアが薬草園で作業をしていると、見知らぬ男が領主館を訪ねてきた。立派な馬に乗り、上質な服を着ている。商人のようだった。
「リディア・フォルテ様にお会いしたいのですが」
男は丁寧に頭を下げた。
「私がリディアです。どのようなご用件でしょうか」
「これは失礼いたしました。私、王都の商人ギルドに所属しておりますマルクスと申します」
マルクスは名刺を差し出した。
「実は、あなた様の作られる薬の評判を聞きつけまして。是非とも取引をさせていただきたいのです」
「取引、ですか」
リディアは興味を示した。薬を作るには材料費がかかる。今は村人から薬代をほとんど取っていないため、持参した資金が徐々に減っていた。
「はい。あなた様の薬は効果が高いと評判です。特に気管支炎の薬と痛み止めの軟膏。これらを王都で販売させていただけないでしょうか」
マルクスの提案は魅力的だった。しかし、リディアは慎重だった。商人の中には、不当な契約で弱い立場の者を搾取する者もいる。
「条件を聞かせてください」
「まず、薬の買い取り価格ですが」
マルクスが提示した金額は、予想よりもはるかに高かった。リディアは驚きを隠せなかった。
「この金額で本当によろしいのですか」
「ええ。正直に申し上げますと、王都では粗悪な薬が横行しています。効果のない薬を高値で売る悪徳業者も多い。あなた様の薬は、その品質が保証できる。多少高くても、確実に売れます」
「なるほど」
「それに、私どもは長期的な取引を望んでおります。安く買い叩いて信頼を失うより、公正な取引で良好な関係を築きたいのです」
リディアはマルクスの目を見た。彼は誠実そうだった。
「分かりました。ただし、いくつか条件があります」
「お聞かせください」
「まず、薬には必ず私の署名を入れること。粗悪品と混同されないためです」
「承知いたしました」
「次に、値段は適正に。貧しい人々が買えないほど高くしないこと」
「もちろんです」
「最後に、薬の製法は絶対に秘密にすること。他の業者に漏らさないと約束してください」
「誓って守ります。これで契約書を作成してもよろしいでしょうか」
「はい。ただし、契約書は私も確認させていただきます」
マルクスは感心したように頷いた。
「あなた様は、商売のことも理解していらっしゃる。王都の貴族令嬢とは思えない聡明さです」
「辺境で生きるには、あらゆることを学ばなければなりませんから」
契約が成立し、マルクスは去っていった。リディアは初めて、経済的な基盤を得ることができた。これで薬草の栽培を拡大し、より多くの研究ができる。
その夜、マルタが心配そうに言った。
「お嬢様、本当にあの商人は信用できるのでしょうか」
「完全に信用はしていないわ。だから契約書を作ったの。もし裏切られたら、法的に訴えることができる」
「でも、相手は王都の大きな商人ギルド。もし揉めたら...」
「大丈夫。私には証拠がある。それに、あの人は誠実だと思うわ。商人として成功するには、信用が何より大切だと知っている人だった」
リディアの予想は正しかった。翌週、マルクスから最初の注文が届いた。気管支炎の薬五十瓶、痛み止めの軟膏三十個。
リディアはエマと共に、夜遅くまで薬を調合した。一つ一つ丁寧に作り、品質を確認する。最後に自分の署名を入れた小さな紙を貼り付けた。
「お嬢様、こんなに働いて大丈夫ですか。お体に障ります」
エマが心配そうに言った。リディアは確かに疲れていたが、かつてのような病弱さはなかった。毎日体を動かし、規則正しい生活を送っているうちに、体力がついてきたのだ。
「不思議なことに、ここに来てから体調が良いのよ。王都にいた頃より、ずっと元気になった気がする」
「それは、お嬢様が生き生きとされているからだと思います」
エマは微笑んだ。
「自分のやりたいことをして、人に感謝されて。それが一番の薬なのかもしれませんね」
「そうかもしれないわね」
一週間後、マルクスが再び訪れた。今度は満面の笑みを浮かべていた。
「リディア様、大成功です。薬は全て完売しました。お客様からの評判も素晴らしい。追加注文をお願いできますか」
「もちろんです。今度は量を増やせますか」
「はい。今度は倍の量でお願いします」
こうして、リディアの薬は王都で「辺境の奇跡の薬」として知られるようになった。ただし、製作者の名前は伏せられていた。リディアの希望で、彼女がフォルテ家の令嬢であることは秘密にされていた。
ある日、診療室に見慣れない服装の男性が訪れた。学者風の眼鏡をかけ、分厚い本を抱えている。
「失礼します。リディア様はいらっしゃいますか」
「私がリディアですが」
「初めまして。私、王立医学院で薬学を教えておりますフェリックスと申します」
リディアは驚いた。王立医学院は、国で最も権威のある医学教育機関だ。
「医学院の方が、こんな辺境まで何の用でしょうか」
「実は、王都であなた様の薬を入手しまして、成分を分析させていただいたのです」
フェリックスは興奮した様子で話し始めた。
「驚きました。薬草の配合比率が完璧なのです。しかも、通常の薬師が使わない特殊な抽出方法を用いている。これは高度な薬学知識がなければ不可能です」
「お褒めいただき光栄です」
「お褒めしているのではありません。感動しているのです」
フェリックスは真剣な目でリディアを見た。
「あなたはどこで学ばれたのですか。王立医学院でも、このレベルの薬を作れる者はほとんどいません」
「独学です。図書室にあった医学書を読み、自分で実験を重ねました」
「独学で...信じられない」
フェリックスは呆然とした。
「あなたは天才です。その才能を、辺境で埋もれさせるのはもったいない。是非、王立医学院で講義をしていただけませんか」
「講義、ですか」
「はい。あなたの調合技術を、次世代の薬学者たちに伝えてほしいのです。これは学問の発展のため、ひいては多くの人々を救うためです」
リディアは考え込んだ。王都に戻ることには抵抗があった。しかし、自分の知識を広めることで、より多くの人を救えるかもしれない。
「考えさせてください。今すぐには答えられません」
「もちろんです。お時間をかけて考えてください」
フェリックスは名刺を残して去っていった。
その夜、リディアは悩んだ。王都に戻れば、かつて自分を軽蔑した人々と再会することになる。特にアーサーと。
しかし、それから逃げ続けるのは正しいのだろうか。自分は何も悪いことをしていない。堂々と顔を上げて歩けるはずだ。
「マルタ、あなたはどう思う」
「お嬢様がお決めになることです。ただ、このままここに留まるのは、お嬢様の才能を世界から隠すことになります」
「でも、この村の人々は私を必要としている」
「それなら、戻ってくればいいのです。講義は一日か二日でしょう。その間だけ村を離れても、大きな問題はありません」
マルタの言葉に、リディアは頷いた。
「そうね。逃げるのはもう終わりにしましょう。私は堂々と王都に行く。そして、私の知識を広める」
翌日、リディアはフェリックスに手紙を送った。講義を引き受けると。
返事はすぐに来た。来月、王立医学院で特別講義を行ってほしいとのことだった。講義のテーマは「高度な薬学調合技術」。
準備のため、リディアは講義内容をまとめ始めた。ただ技術を教えるだけでなく、薬学の基礎理論から説明する必要がある。
エマも手伝ってくれた。リディアが説明する内容を、分かりやすく図解にしてくれた。
「お嬢様、こんな素晴らしい知識を教えていただいて、私は幸せです」
「あなたは良い生徒よ、エマ。将来、立派な薬師になれるわ」
「本当ですか」
「ええ。あなたには才能がある。それに、何より学ぶ意欲がある。それが一番大切なの」
エマの目に涙が浮かんだ。
「ありがとうございます。私、お嬢様のような薬師になりたいです」
「なれるわよ。信じて努力を続ければ」
講義の日が近づくにつれ、リディアは緊張と期待を感じた。王都での講義。それは、かつて自分を軽視した社会に、自分の価値を示す第一歩になるはずだった。
出発の前日、村人たちが領主館に集まった。村長のハンスが代表して言った。
「領主様、王都でのご成功をお祈りしております。あなた様は私たちの誇りです」
村人たちが拍手をした。リディアは胸が熱くなった。
「ありがとうございます。すぐに戻ってきます。この村は私の故郷ですから」
翌朝、リディアは馬車に乗り込んだ。マルタとガレスが同行する。エマは村に残り、簡単な治療を続けることになった。
「お嬢様、行ってらっしゃいませ。立派に講義をされてきてください」
「ありがとう、エマ。村をよろしく頼んだわ」
馬車が動き出す。村人たちが手を振っている。リディアも窓から手を振り返した。
王都への道。一ヶ月前に、追放されて通った道を、今度は招かれて戻る。
リディアは前を向いた。過去に決着をつける時が来たのだ。そして、自分の真の価値を、世界に示す時が。
馬車は春の風を切って、王都へと向かっていった。
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