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王都に到着したのは、三日後の午後だった。かつて追放される時に見た街並みが、今は違って見えた。リディアは もはや惨めな追放者ではなく、王立医学院に招かれた薬学者として戻ってきたのだ。
フェリックスが医学院の門で出迎えてくれた。
「リディア様、ようこそ。お待ちしておりました」
「お招きいただきありがとうございます」
医学院は壮麗な建物だった。白い石造りの建物は三階建てで、広大な敷地には薬草園や実験棟が並んでいる。
「明日の午後に講義をお願いします。学生たちは既に楽しみにしています」
「学生は何人ほどいらっしゃるのですか」
「薬学科の学生が五十名、それに教授陣も十名ほど参加する予定です」
リディアは少し緊張した。六十人もの聴衆の前で話すのは初めてだった。
「それから」
フェリックスは声を低めた。
「いくつか注意点があります。教授陣の中には、保守的な方もいらっしゃいます。新しい理論に対して懐疑的な方々です」
「つまり、私の講義を快く思わない方がいると」
「正直に申し上げれば、そうです。特にグレゴール教授は、伝統的な薬学を重んじる方で、若い薬学者の革新的な手法を批判することが多い」
「分かりました。心構えをしておきます」
その夜、リディアは宿に戻り、講義の最終確認をした。理論は完璧だ。実演も準備している。あとは堂々と話すだけ。
「お嬢様、緊張されていますか」
マルタが温かいお茶を持ってきた。
「少しだけ。でも、これは私にとって大切な機会なの。ここで成功すれば、私の薬学が認められる。そうすれば、もっと多くの人を救える」
「お嬢様なら大丈夫です。あなた様の知識と情熱は、誰にも負けません」
翌日、講義の時間が来た。大講堂には、予想以上の人が集まっていた。学生たちだけでなく、医師や薬師たちも聴講に来ているようだった。
リディアが教壇に立つと、ざわめきが起こった。若い女性が講師とは、珍しかったのだろう。
「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。私はリディア・フォルテと申します」
リディアは深呼吸をして、講義を始めた。
「本日のテーマは、薬草の有効成分を最大限に引き出す調合技術です。従来の方法では、薬草の持つ力の半分も活用できていません。私が開発した手法を用いれば、同じ薬草から倍以上の効果を引き出すことができます」
聴衆は興味深そうに聞いている。リディアは続けた。
「まず、薬草には水溶性の成分と脂溶性の成分があります。通常の煎じ薬では、水溶性の成分しか抽出できません。脂溶性の成分を取り出すには、油や アルコールを使う必要があります」
リディアは実際に薬草を使って実演を始めた。同じ薬草から、水、油、アルコールで別々に成分を抽出し、それぞれの効果を説明する。
「このように、抽出方法を変えることで、一つの薬草から複数の薬を作ることができます。これにより、コストを削減し、より多くの患者に薬を提供できます」
学生たちは熱心にノートを取っている。しかし、前列に座る老教授の一人が不機嫌そうな顔をしていた。グレゴール教授だろう。
講義が半分ほど進んだところで、グレゴール教授が手を挙げた。
「質問してもよろしいか」
「もちろんです、教授」
「あなたの言う方法は、確かに理論的には正しいかもしれない。しかし、実際の効果は証明されているのか。机上の空論ではないのか」
リディアは予想していた質問だった。
「証明はあります。私はこの一ヶ月で、百名以上の患者を治療しました。従来の薬では治らなかった気管支炎、長年続いていた慢性疼痛、様々な症状を完治させました」
「たった百名程度で証明と言えるのか。もっと大規模な臨床試験が必要ではないか」
「その通りです。だからこそ、この技術を広めたいのです。より多くの薬師がこの方法を使えば、大規模な検証ができます」
「しかし」
グレゴール教授は食い下がった。
「伝統的な薬学を軽視するような態度は、危険だ。何百年も受け継がれてきた知識には、理由がある」
「私は伝統を軽視していません」
リディアは静かに、しかし力強く答えた。
「伝統は尊重します。しかし、それに囚われて進歩を止めてはいけません。伝統と革新は、対立するものではなく、共存すべきものです」
聴衆から小さな拍手が起こった。グレゴール教授は不満そうだったが、それ以上は反論しなかった。
講義は無事に終わった。学生たちが次々と質問に来た。中には目を輝かせて、「いつか先生のような薬師になりたい」と言う者もいた。
フェリックスが満足そうに近づいてきた。
「素晴らしい講義でした。グレゴール教授も最後には黙っていたでしょう。あれは彼なりに、あなたを認めたということです」
「そうなのですか」
「ええ。本当に価値がないと思えば、最初から相手にしません。反論するということは、あなたの理論を真剣に受け止めている証拠です」
その夜、医学院主催の晩餐会が開かれた。リディアも招待された。会場には、医学界の重鎮たちが集まっていた。
リディアが会場に入ると、視線が集中した。若い女性の薬学者は珍しく、好奇の目で見られた。
「リディア様、こちらへ」
フェリックスが紹介してくれた。医学院の院長、著名な医師たち、そして薬師ギルドの代表たち。
「あなたの講義を聞きました。非常に興味深かった」
ある老医師が言った。
「もし可能なら、私の診療所でもあなたの薬を使いたいのだが」
「もちろんです。商人ギルドを通じて入手できます」
次々と人々が話しかけてきた。名刺を交換し、今後の協力について話し合う。リディアは社交界の経験がほとんどなかったが、医学という共通の話題があれば、自然に会話ができた。
晩餐会の途中、ある貴族の女性がリディアに近づいてきた。華やかなドレスを着て、宝石を身につけている。
「あなたがリディア・フォルテ様ですか」
「はい」
女性はリディアをじっと見た。
「噂は聞いていましたが、まさか本物にお会いできるとは。婚約破棄されて辺境に追放された令嬢が、こんなに立派になられるなんて」
周囲の会話が止まった。リディアは冷静に答えた。
「過去のことです。私は今、薬師として生きています」
「でも、辛くはなかったのですか。愛する人に捨てられて」
「愛していませんでしたから」
リディアの答えに、女性は驚いた表情を見せた。
「愛していなかった?」
「ええ。形だけの婚約でした。婚約が破棄されたことで、私は自由になれました。むしろ感謝しています」
「まあ」
女性は言葉を失った。リディアは微笑んで続けた。
「人生で大切なのは、過去を嘆くことではなく、未来を創ることです。私は自分の人生を、自分で選びました」
周囲から小さな拍手が起こった。リディアの堂々とした態度に、人々は感心したようだった。
晩餐会が終わり、リディアが会場を出ようとした時、入り口で見知った顔と遭遇した。
アーサー・ランベール侯爵だった。
彼も晩餐会に参加していたようだ。隣には、美しい女性がいた。シャーロット・ブルーメ、彼の新しい婚約者だ。
アーサーはリディアを見て、明らかに動揺した。
「リディア...」
「アーサー様、お久しぶりです」
リディアは優雅に挨拶した。かつてのように萎縮することはなかった。
「君が、王立医学院で講義をしたという薬学者なのか」
「はい。意外でしたか」
「いや、その...おめでとう」
アーサーは何と言っていいか分からない様子だった。シャーロットが不安そうに彼の腕を掴んでいる。
「ありがとうございます。それでは、失礼します」
リディアは二人の横を通り過ぎた。振り返ることなく、真っ直ぐ前を向いて。
馬車に乗り込むと、マルタが心配そうに尋ねた。
「お嬢様、大丈夫でしたか」
「ええ、完璧に」
リディアは満足そうに微笑んだ。
「見たでしょう、マルタ。アーサーの驚いた顔。彼は初めて、自分が何を失ったか理解したのよ」
「見事でしたね」
マルタも微笑んだ。
「まだよ。これは始まりに過ぎない。もっと成功して、もっと有名になる。そうすれば、私を見捨てた全ての人が、自分の過ちに気づくわ」
王都での二日間は、リディアにとって大きな転機となった。医学界からの評価を得て、多くの協力者を作ることができた。
帰路の馬車の中で、リディアは考えた。次は何をすべきか。薬草園を拡大し、生産量を増やす。研究施設を作り、新しい薬を開発する。そして、いつか医学院で正式な講座を持つ。
目標は明確だった。そのために必要なことを、一つずつ実現していく。
ローゼンタールに戻ると、村人たちが歓迎してくれた。エマは涙を流して喜んだ。
「お嬢様、おかえりなさいませ。講義は成功されたのですか」
「ええ、大成功だったわ」
リディアは村を見渡した。一ヶ月前とは違う。家々は修繕され、人々の表情は明るい。子供たちは元気に走り回っている。
「ここが私の場所。ここから、世界を変えていくの」
リディアは決意を新たにした。婚約破棄は、人生の終わりではなかった。新しい人生の、輝かしい始まりだったのだ。
その夜、リディアは日記に書いた。
「王都で再会したアーサー。彼の目には、後悔が浮かんでいた。でも、もう遅い。私は前を向いている。彼との過去は、完全に終わったのだ」
リディアは日記を閉じ、窓の外を見た。満月が村を照らしている。
明日からまた、新しい挑戦が始まる。薬草園の拡大計画を進め、新しい薬の研究を始める。そして、いつか必ず、この小さな辺境の村を、医学の中心地にしてみせる。
リディアの目は、未来を見つめていた。
フェリックスが医学院の門で出迎えてくれた。
「リディア様、ようこそ。お待ちしておりました」
「お招きいただきありがとうございます」
医学院は壮麗な建物だった。白い石造りの建物は三階建てで、広大な敷地には薬草園や実験棟が並んでいる。
「明日の午後に講義をお願いします。学生たちは既に楽しみにしています」
「学生は何人ほどいらっしゃるのですか」
「薬学科の学生が五十名、それに教授陣も十名ほど参加する予定です」
リディアは少し緊張した。六十人もの聴衆の前で話すのは初めてだった。
「それから」
フェリックスは声を低めた。
「いくつか注意点があります。教授陣の中には、保守的な方もいらっしゃいます。新しい理論に対して懐疑的な方々です」
「つまり、私の講義を快く思わない方がいると」
「正直に申し上げれば、そうです。特にグレゴール教授は、伝統的な薬学を重んじる方で、若い薬学者の革新的な手法を批判することが多い」
「分かりました。心構えをしておきます」
その夜、リディアは宿に戻り、講義の最終確認をした。理論は完璧だ。実演も準備している。あとは堂々と話すだけ。
「お嬢様、緊張されていますか」
マルタが温かいお茶を持ってきた。
「少しだけ。でも、これは私にとって大切な機会なの。ここで成功すれば、私の薬学が認められる。そうすれば、もっと多くの人を救える」
「お嬢様なら大丈夫です。あなた様の知識と情熱は、誰にも負けません」
翌日、講義の時間が来た。大講堂には、予想以上の人が集まっていた。学生たちだけでなく、医師や薬師たちも聴講に来ているようだった。
リディアが教壇に立つと、ざわめきが起こった。若い女性が講師とは、珍しかったのだろう。
「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。私はリディア・フォルテと申します」
リディアは深呼吸をして、講義を始めた。
「本日のテーマは、薬草の有効成分を最大限に引き出す調合技術です。従来の方法では、薬草の持つ力の半分も活用できていません。私が開発した手法を用いれば、同じ薬草から倍以上の効果を引き出すことができます」
聴衆は興味深そうに聞いている。リディアは続けた。
「まず、薬草には水溶性の成分と脂溶性の成分があります。通常の煎じ薬では、水溶性の成分しか抽出できません。脂溶性の成分を取り出すには、油や アルコールを使う必要があります」
リディアは実際に薬草を使って実演を始めた。同じ薬草から、水、油、アルコールで別々に成分を抽出し、それぞれの効果を説明する。
「このように、抽出方法を変えることで、一つの薬草から複数の薬を作ることができます。これにより、コストを削減し、より多くの患者に薬を提供できます」
学生たちは熱心にノートを取っている。しかし、前列に座る老教授の一人が不機嫌そうな顔をしていた。グレゴール教授だろう。
講義が半分ほど進んだところで、グレゴール教授が手を挙げた。
「質問してもよろしいか」
「もちろんです、教授」
「あなたの言う方法は、確かに理論的には正しいかもしれない。しかし、実際の効果は証明されているのか。机上の空論ではないのか」
リディアは予想していた質問だった。
「証明はあります。私はこの一ヶ月で、百名以上の患者を治療しました。従来の薬では治らなかった気管支炎、長年続いていた慢性疼痛、様々な症状を完治させました」
「たった百名程度で証明と言えるのか。もっと大規模な臨床試験が必要ではないか」
「その通りです。だからこそ、この技術を広めたいのです。より多くの薬師がこの方法を使えば、大規模な検証ができます」
「しかし」
グレゴール教授は食い下がった。
「伝統的な薬学を軽視するような態度は、危険だ。何百年も受け継がれてきた知識には、理由がある」
「私は伝統を軽視していません」
リディアは静かに、しかし力強く答えた。
「伝統は尊重します。しかし、それに囚われて進歩を止めてはいけません。伝統と革新は、対立するものではなく、共存すべきものです」
聴衆から小さな拍手が起こった。グレゴール教授は不満そうだったが、それ以上は反論しなかった。
講義は無事に終わった。学生たちが次々と質問に来た。中には目を輝かせて、「いつか先生のような薬師になりたい」と言う者もいた。
フェリックスが満足そうに近づいてきた。
「素晴らしい講義でした。グレゴール教授も最後には黙っていたでしょう。あれは彼なりに、あなたを認めたということです」
「そうなのですか」
「ええ。本当に価値がないと思えば、最初から相手にしません。反論するということは、あなたの理論を真剣に受け止めている証拠です」
その夜、医学院主催の晩餐会が開かれた。リディアも招待された。会場には、医学界の重鎮たちが集まっていた。
リディアが会場に入ると、視線が集中した。若い女性の薬学者は珍しく、好奇の目で見られた。
「リディア様、こちらへ」
フェリックスが紹介してくれた。医学院の院長、著名な医師たち、そして薬師ギルドの代表たち。
「あなたの講義を聞きました。非常に興味深かった」
ある老医師が言った。
「もし可能なら、私の診療所でもあなたの薬を使いたいのだが」
「もちろんです。商人ギルドを通じて入手できます」
次々と人々が話しかけてきた。名刺を交換し、今後の協力について話し合う。リディアは社交界の経験がほとんどなかったが、医学という共通の話題があれば、自然に会話ができた。
晩餐会の途中、ある貴族の女性がリディアに近づいてきた。華やかなドレスを着て、宝石を身につけている。
「あなたがリディア・フォルテ様ですか」
「はい」
女性はリディアをじっと見た。
「噂は聞いていましたが、まさか本物にお会いできるとは。婚約破棄されて辺境に追放された令嬢が、こんなに立派になられるなんて」
周囲の会話が止まった。リディアは冷静に答えた。
「過去のことです。私は今、薬師として生きています」
「でも、辛くはなかったのですか。愛する人に捨てられて」
「愛していませんでしたから」
リディアの答えに、女性は驚いた表情を見せた。
「愛していなかった?」
「ええ。形だけの婚約でした。婚約が破棄されたことで、私は自由になれました。むしろ感謝しています」
「まあ」
女性は言葉を失った。リディアは微笑んで続けた。
「人生で大切なのは、過去を嘆くことではなく、未来を創ることです。私は自分の人生を、自分で選びました」
周囲から小さな拍手が起こった。リディアの堂々とした態度に、人々は感心したようだった。
晩餐会が終わり、リディアが会場を出ようとした時、入り口で見知った顔と遭遇した。
アーサー・ランベール侯爵だった。
彼も晩餐会に参加していたようだ。隣には、美しい女性がいた。シャーロット・ブルーメ、彼の新しい婚約者だ。
アーサーはリディアを見て、明らかに動揺した。
「リディア...」
「アーサー様、お久しぶりです」
リディアは優雅に挨拶した。かつてのように萎縮することはなかった。
「君が、王立医学院で講義をしたという薬学者なのか」
「はい。意外でしたか」
「いや、その...おめでとう」
アーサーは何と言っていいか分からない様子だった。シャーロットが不安そうに彼の腕を掴んでいる。
「ありがとうございます。それでは、失礼します」
リディアは二人の横を通り過ぎた。振り返ることなく、真っ直ぐ前を向いて。
馬車に乗り込むと、マルタが心配そうに尋ねた。
「お嬢様、大丈夫でしたか」
「ええ、完璧に」
リディアは満足そうに微笑んだ。
「見たでしょう、マルタ。アーサーの驚いた顔。彼は初めて、自分が何を失ったか理解したのよ」
「見事でしたね」
マルタも微笑んだ。
「まだよ。これは始まりに過ぎない。もっと成功して、もっと有名になる。そうすれば、私を見捨てた全ての人が、自分の過ちに気づくわ」
王都での二日間は、リディアにとって大きな転機となった。医学界からの評価を得て、多くの協力者を作ることができた。
帰路の馬車の中で、リディアは考えた。次は何をすべきか。薬草園を拡大し、生産量を増やす。研究施設を作り、新しい薬を開発する。そして、いつか医学院で正式な講座を持つ。
目標は明確だった。そのために必要なことを、一つずつ実現していく。
ローゼンタールに戻ると、村人たちが歓迎してくれた。エマは涙を流して喜んだ。
「お嬢様、おかえりなさいませ。講義は成功されたのですか」
「ええ、大成功だったわ」
リディアは村を見渡した。一ヶ月前とは違う。家々は修繕され、人々の表情は明るい。子供たちは元気に走り回っている。
「ここが私の場所。ここから、世界を変えていくの」
リディアは決意を新たにした。婚約破棄は、人生の終わりではなかった。新しい人生の、輝かしい始まりだったのだ。
その夜、リディアは日記に書いた。
「王都で再会したアーサー。彼の目には、後悔が浮かんでいた。でも、もう遅い。私は前を向いている。彼との過去は、完全に終わったのだ」
リディアは日記を閉じ、窓の外を見た。満月が村を照らしている。
明日からまた、新しい挑戦が始まる。薬草園の拡大計画を進め、新しい薬の研究を始める。そして、いつか必ず、この小さな辺境の村を、医学の中心地にしてみせる。
リディアの目は、未来を見つめていた。
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