妹なんだから助けて? お断りします

たくわん

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夜明け前の薄暗い屋根裏部屋で、エリーゼは目を覚ました。

窓から差し込む仄かな光が、埃っぽい空気の中で細い筋を描いている。かつては客室として使われていたこの部屋も、今では物置同然だ。壊れた家具や古びた箱が隅に積まれ、エリーゼに与えられたのはその間の狭いスペースだけだった。

粗末な毛布を畳み、きちんと折りたたむ。どんな環境にあっても、身だしなみと部屋の整理整頓だけは怠らない。それが、亡き母から教わった最後の教えだった。

「エリーゼ! まだ起きていないの!」

階下から、継母マルグリットの甲高い声が響いた。

「はい、今参ります」

エリーゼは慌てて簡素な黒いドレスに着替えた。継母が「使用人らしく」と与えた服だ。本来なら、貴族の令嬢として華やかなドレスを纏うべき年齢なのに。

階段を駆け下りると、すでに食堂には継母と二人の義姉が揃っていた。

「遅いわ。朝食の支度はどうしたの? ロザリンドもクラリッサも、お腹を空かせているのよ」

継母は不機嫌そうに眉をひそめた。豪奢なドレスに身を包み、宝石を幾つも身につけている。全て、エリーゼの亡き母が残した財産で買ったものだ。

「申し訳ございません。すぐに」

エリーゼは頭を下げ、台所へと急いだ。

本来なら使用人がすべき仕事を、エリーゼは一手に引き受けている。継母は使用人の数を減らし、その分の給金を自分の贅沢に使っているのだ。残された老執事セバスチャンと数人の使用人も、継母の顔色を伺うばかりで、エリーゼを助けようとはしない。

パンを切り、紅茶を淹れ、卵料理を作る。朝食を整えて食堂に運ぶと、義姉のロザリンドが鼻を鳴らした。

「あら、今日のパンは焦げているわね」
「いいえ、そんなことは……」
「口答えするの? 焦げているって言っているのよ」

ロザリンドは完璧に焼けたパンを床に投げ捨てた。

「拾いなさい。それからもう一度焼き直して」

エリーゼは黙って膝をつき、パンを拾い上げた。唇を噛み締め、涙をこらえる。泣いてはいけない。弱みを見せれば、彼女たちはもっと喜ぶだけだ。

「姉様、そんなにいじめなくても」

もう一人の義姉、クラリッサが小さく呟いた。だが、それ以上は何も言わない。クラリッサもまた、母親と妹の機嫌を損ねることを恐れているのだ。

「あなたは黙っていなさい、クラリッサ。この子は躾が必要なのよ」

継母が冷たく言い放った。

エリーゼは台所に戻り、新しいパンを焼いた。手が震えている。悔しさと悲しみで胸が張り裂けそうだった。

思えば、全てが変わったのは五年前だった。最愛の母が病で亡くなり、悲しみに暮れる間もなく、父は新しい妻を迎えた。美貌の未亡人マルグリットと、その連れ子である二人の娘。

最初は優しかった。父の前では良き母を演じ、エリーゼにも親しげに接していた。だが、父が継母に夢中になり、エリーゼから目を離すようになると、全てが変わった。

母の遺した財産は継母が管理するようになり、エリーゼは徐々に屋敷の隅へと追いやられていった。最初は客室から、次は使用人部屋へ、そして今は屋根裏部屋だ。

父は何も気づかない。いや、気づいていても見て見ぬふりをしているのかもしれない。継母の美貌と甘い言葉に溺れ、実の娘の苦しみなど、もはや目に入らないようだった。

朝食の後片付けを終えると、次は義姉たちの部屋の掃除だ。

ロザリンドの部屋に入ると、昨夜の舞踏会の名残があちこちに散らばっていた。脱ぎ捨てられたドレス、床に落ちた宝石、化粧品の容器。

「全部片付けておいてね。それから、このドレスは洗濯よ。シミがついているから、丁寧に」

ロザリンドは鏡の前で髪を梳きながら、使用人に命じるように言った。

エリーゼは黙って頷き、部屋の片付けを始めた。床に落ちていたのは、真紅のドレスだった。見覚えがある。これは、母が生前エリーゼのためにと仕立てさせたものだ。

「あら、それ? 私には少し地味だったわ。でも、あなたが着るよりはマシでしょう」

ロザリンドは意地悪く笑った。

エリーゼの手が震えた。母の想いのこもった大切なドレスを、ロザリンドは一晩で汚し、シミだらけにしたのだ。

「……承知いたしました」

それでも、エリーゼは平静を装った。感情を表に出せば、もっとひどい仕打ちが待っている。それを学ぶのに、五年もかかってしまった。

昼過ぎ、ようやく一息つける時間ができた。エリーゼは屋根裏部屋に戻り、隠していた小さな箱を取り出した。

中には、母の形見のペンダントと、母の日記が入っている。継母に見つかれば取り上げられてしまうので、床板の隙間に隠しているのだ。

銀のペンダントを手に取り、胸に当てる。小さなサファイアが、窓からの光を受けて青く輝いた。

「お母様……」

思わず呟くと、涙が溢れた。朝からずっとこらえていた感情が、一気に溢れ出す。

母は優しく、聡明な人だった。エリーゼに読み書きや計算だけでなく、文学や歴史、音楽まで教えてくれた。貴族の令嬢として恥ずかしくないよう、礼儀作法も厳しく、しかし愛情を持って教育してくれた。

「いつか、あなたにも素敵な出会いがあるわ。その時のために、知性と品位を磨きなさい」

母の言葉を思い出す。だが、今のエリーゼに出会いなどあるはずもない。社交界にも出してもらえず、屋敷の外に出ることさえ稀だ。

母の日記を開く。几帳面な文字で綴られた日々の記録。その中に、何度も出てくる一節がある。

『どんなに辛いことがあっても、品位と尊厳を失ってはいけません。それがあなたを守る、最後の砦になるのです』

エリーゼは日記を胸に抱きしめた。

「お母様、私は大丈夫です。まだ、諦めていません」

小さく呟き、涙を拭った。泣いている時間はない。午後からは庭の手入れが待っている。

庭に出ると、老執事のセバスチャンが薔薇の手入れをしていた。

「お嬢様」

セバスチャンは周囲を確認してから、小声でエリーゼに話しかけた。

「今朝もひどい仕打ちを受けられましたね。私が何もできず、申し訳ございません」

「いいえ、セバスチャン。あなたは唯一、私を『お嬢様』と呼んでくれる人です。それだけで、どれほど救われているか」

エリーゼは微笑んだ。セバスチャンは父の代から仕えている執事で、エリーゼが生まれた時からずっと見守ってくれている。だが、彼も年老いており、継母に逆らえば解雇されてしまう。

「奥様は……いえ、マルグリット様は、来月の舞踏会にロザリンド様を出すおつもりのようです」
「そうですか」

エリーゼの胸に、小さな痛みが走った。来月の舞踏会は、王国最大の社交イベントだ。本来なら、エリーゼこそが最初に出席すべきだった。成人してからもう二年も経っているのに、一度も舞踏会に出してもらっていない。

「お嬢様の方が年上なのに……こんなことが許されるはずが」
「許されています、セバスチャン。父上が黙認している以上、誰も止められません」

エリーゼは薔薇の枝を優しく撫でた。母が愛した白い薔薇だ。今でも毎年、美しい花を咲かせる。

「でも、いつか必ず、ここから抜け出します。まだその方法は分かりませんが……母が残してくれた教育を、無駄にはしません」

「お嬢様……」

セバスチャンの目に涙が浮かんだ。

「あなた様の本当の価値を、いつか誰かが見出してくれます。必ず」

その夜、夕食の後片付けを終えて屋根裏部屋に戻ると、エリーゼは窓辺に座り、星空を見上げた。

遠くの空に、一際明るく輝く星が見える。母はよく言っていた。亡くなった人は星になって、愛する者を見守っているのだと。

「お母様、見ていてくださいね。私は負けません」

小さく呟き、ペンダントを握りしめる。

冷たい夜風が頬を撫でた。屋根裏部屋には暖房もなく、冬の夜は凍えるほど寒い。それでも、エリーゼは耐えてきた。

部屋の隅に置かれた小さな鏡を見る。映っているのは、疲れた顔の少女だった。粗末な服に、荒れた手。それでも、母から受け継いだ蒼い瞳と、整った顔立ちは隠せない。

「いつか必ず、ここから抜け出す」

もう一度、自分に言い聞かせた。

今はまだ、その方法は分からない。だが、希望を捨てなければ、道は開けるはずだ。母が残してくれた教育も、今に生きてくる時が来る。

そう信じて、エリーゼは粗末な寝床に横になった。

明日も、また長い一日が始まる。継母の嫌味に、義姉たちの意地悪に耐えながら、使用人のような仕事をこなす日々。

それでも、心の奥底にある小さな炎は、決して消えることはなかった。

「いつか必ず、幸せを掴んでみせる」

最後にもう一度呟くと、エリーゼは目を閉じた。

窓の外では、あの明るい星が、静かに彼女を見守っていた。
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