聖典の守護者

らむか

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四章 背徳のクルセイダー

沈黙のレトリック

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GUNSLINGERガンスリンガー?」
 マイヤは聞き慣れない言葉にきょとんとした。
銃士ガンナーではなくて?」

 シェルクロスはまたがるように上に重なるマイヤの白い太股を優しくなでながら「そんな立派な職業クラスじゃない」と言った。

GUNSLINGERガンスリンガーは、銃で武装したならず者という意味だ。実際、俺はそうだった。相棒と組んで仕事をしていた。狙撃の腕を買われてやくざに雇われたこともある」

「想像できない」

「だろ? 俺は救いようのないチンピラだった。頭はヤクで完全にラリっていたし、相棒はもっと酷かったが……」
 シェルクロスは一旦言葉を切った。

「それであなたは経験者だったの?」
 一瞬、彼女がなんの話をしているのかわからなかったが、覗き込んだ瞳を見て納得した。
「ああ……えっと、それはつまり、女の話?」
 マイヤの淡褐色ヘーゼルの瞳が批判的に光った。

「あの頃の俺はどうしようもないやくざ者で……そう、そうだよ、マイヤ。君の思っている通り、やりたい放題だった。裏通りや路地で……。でも聞いてくれ。君のお父さんがそんな俺を変えてくれた」

 シェルクロスは一呼吸おくと、言葉を続けた。

「ある時俺はしくじった。……いや、いいんだ。そんなとき、君のお父さんに出会った。悪党の俺を救ってくれた。俺のかけがえのない恩人。君のお父さんは聖十字騎士クルセイダーだった。俺は瞬時に彼の虜になった」

「わたしの父」
 マイヤは目を閉じ、過去の父の記憶を呼び起こそうとした。

「そうだよ。俺は君のお父さんの人柄に憧れ、聖十字騎士クルセイダーに憧れた。そして、聖十字騎士団に入った」
 シェルクロスの胸に頬を預けるマイヤの瞳から涙があふれた。
「マイヤ……」シェルクロスはマイヤの涙を優しく拭った。

「……国教会の役人が押し入ってきたとき、パパにクローゼットに押し込まれて……。出てくるなって言われたから、パパとママが最期にどうなったのか……カーマイン、あなたは知っているの?」

 十三年前、聖十字騎士一斉逮捕の日。

 シェルクロスが血にまみれ息も絶え絶えにマイヤの父の邸に到着したのは、全てが終わったあとだった。
 マイヤの父は戦おうと剣を抜いたのだろう、彼はマイヤの母とともに玄関エントランスで処刑されていた。
 母はすでに息絶えていたが、マイヤの父にはまだ息があった。
 瀕死の彼は、震える手でクローゼットのある方を指しながら「連れて逃げてくれ。誓って逃げてくれ……誓って、マイヤを頼む」と懇願した。

「いや、知らないよ。すでに彼らは逮捕されていたから」
「火炙りにされたの?」
 シェルクロスはマイヤのブルネットの髪をなでた。
「いや。俺にはわからない。入団してまだ七年目だった若造の俺には」

 シェルクロスは葛藤した。
 ただ一人生き延びたことーー仲間を見殺しにして得た生ーーに対する羞恥心と不名誉とうしろめたさ、この生はただ自身が若造で、無名で取るに足りない人間であったが故の生、見逃された幸運、生きるという罪をマイヤの生に置き換えてなお、生に執着した醜態を、聖十字騎士として生きる目的に悩み翻弄されたこの十三年間を。
 “誓って”ーー何故、マイヤの父は、最期の言葉に“誓って”などという言葉を言ったのか。二度も繰り返して。

 今ならわかる。
 神は、内なる神は自身の中に在る。

 彼はもう少しで消え入りそうな燭台の灯を見つめた。


 ††


「まだいたのか」
 ユーゴは軍庁舎を出たところで、いきなりロイドに出くわした。

 宴が終わり、音も光も消え失せた深更で、辺りは光沢のあるタフタのような闇に包まれていた。

 黒いローブコート姿のロイドは闇に溶け込み、まるで闇という名の暗殺者アサシンだった。

 ロイドの存在をまったく感知できなかったユーゴの脳裏を“寝首をかかれる”というイメージがかすめ、背中に冷たいものが走った。

(まったく……神に選ばれし至高の狂戦士バーサーカーよ……)
 決して言葉にしないユーゴのアイロニーは、皮肉に留まらず、半ば本心を含んだ。

「マイヤをけしかけたな」
 ロイドは外灯の下へ一歩踏み出した。
 灯りに照らされた彼の横顔にはしたり顔な笑みが浮かんでいた。
「さっき、血相変えて飛び出して行ったぜ」

 宮殿を飾り立てていた色とりどりの旗やタペストリーの切れ端が煉瓦敷きの地面を風にあおられ舞っている。

「一日の長のある身として、少し意見を述べただけだよ。ほんの老婆心だ」
 ユーゴは虚飾と権勢の残骸を目で追いながら言った。
「老婆心? その老婆心がどんな結果を生むか、見ものだな」

「頑なな男の信念を揺るがすのは、最愛の女性ひとの涙と相場が決まっている。ロイド、おまえもその例外ではあるまい?」
 ユーゴはロイドの漆黒の瞳へ視線を移した。
 瞳の奥に隠された、言葉とは裏腹な真実を知るために。

「そう想像したいなら」
 ロイドはそっけなく答えた。

 宮殿の裏口のひとつから出てきた酔っ払いの小姓を、衛兵が蝿を追い払うように追い立てた。

「アッシュは?」
 ユーゴが訊いた。
「酔っ払ったシェリスを送って帰った」
 ロイドが簡潔に述べた。

 ユーゴはひとつうなずくと、ロイドに向き直った。
 ロイドが自分を待っていたとなると、理由はひとつしかない。

「あの紅い珠は、おそらく異世界の転送装置なのだと思う。よく調べてみないとわからないが。グレムリンが転送されたのは、彼が異世界の生物だから、とも考えられる。もし……この装置デバイスがこの世界で使えるようになれば……」

 ユーゴは一瞬、固唾を呑むような真剣な顔になると、「移動目的としての騎獣の必要性や需要がなくなる」と言った。

 ロイドはユーゴの言葉を杳とした態度で聞くと、先を促すように眉を吊り上げた。

「荷運びに使っているワイバーンやグリフォンを戦闘のみに使える、ということだよ。戦地に大軍を派遣するのに大がかりな隊列など必要なく、時間もかからない。使い方次第では、戦争のみならず、日々の生活も劇的に変わる。画期的なシステムだ。ロイド、おまえの城の“CCCK”も必要なくなるかもしれない」

「それはすごいな。だが、俺の城は暗号基盤サイファー・ベースで守られている。妙なワープ装置は必要ない」

「そう言うと思ったよ。治癒回復能力の開発に、異世界から持ってきた謎の液体、そして今度は転送装置。調べることが多すぎて時間が追い付かない。人生があっという間に終わってしまいそうだ」

 ため息のような口調とは裏腹に、冷たく澄んだサファイアの瞳はどこまでも青く、微笑が口角に浮かんでいた。
 ユーゴはブラウンのローブコートを翻して足早に歩き出した。
 彼のコートに刺繍された輝く銀色の装飾は、彼の姿が遠く闇に溶け込んだあとも長くそのきらめきを残した。


 ††


 朝の金色の光が小屋バラックの葦の壁の隙間やほころびから射し込み、誰かが路地を通るたびにストロボのように瞬いた。
 近くの小屋バラックで子供たちの笑い声が聞こえ、鶏が地面を掻いたり嘴でつついたりしている。
 貧民街スラムは、いつもの息吹と鼓動を取り戻していた。

 二人は、まどろむ間だけ身体を離し、一時間もするとまた重なりあった。
 そうやって過ごした夜はあっという間に過ぎ去り、深い眠りへと落ちることなく朝を迎えた。

 マイヤは眠そうにシェルクロスの胸に額をこすり付け、目を開けようかどうか迷っていた。
「……今夜はレセプションがあるんだった」
 気だるそうに呟く。
「レセプション?」シェルクロスは閉じていた目を開けた。

調停官メディエーターが新しく赴任してきたの。その歓迎会レセプションよ」
 シェルクロスは仰向けになると、何度か瞬きし、小屋バラック内を漂うシフォンのような朝靄を眺めた。
 マイヤは彼の胸から身体を離し、顔をじっと見ながら「どうしたの?」と訊いた。

「それで、その……レセ……集まりに男の子・・・はいるのか?」

「男の子?」
 マイヤは問い返した。
「そうだよ。男の子だ。その飲み会とやらに男の子は参加するのか」
 シェルクロスは同じ言葉を同じ調子で繰り返した。

 マイヤは怪訝な顔をした。
「わたしを子供扱いしているのね。男の子・・・なんて言い方はよして。それに飲み会じゃないわ。レセプション。ええ、参加しているわ。大人の男性が三人ほど」

「そうか。それなら許可できない」
「許可ですって!?」
「そうだよ。君はその飲み会には参加できない。なぜなら、俺が許さないから。なぜなら、君は俺の奥さんだから」

 マイヤは一瞬、呆然となった。
 その言葉の衝撃に頭が真っ白になり、淡褐色ヘーゼルの瞳が目一杯見開かれ、口がポカンと開いた。
 鏡を見れば、かなり間抜けな顔になっているだろう。
「…………今なんていったの?」

 シェルクロスはマイヤの瞳を平然と見つめながら、すらすらとよどみなく答えた。
「君は俺の18歳の奥さんだ。十字架を前にして神に誓った。ずっと一緒にいる、と。その誓いは十字架を通じて神に届いた。俺たちは神の御前みまえで結ばれた」

「十字架……?」
「これだよ」
 彼は腕を伸ばしてベッドの端に立て掛けてある八端十字架の鞘をつかみ、マイヤに見えるように引き寄せた。
「八端十字架だ」

 マイヤは身体を半ば起こすと、八端十字架とシェルクロスを交互に見つめた。
「ほんとうに?」かすれた声で呟く。
「ほんとうだ。俺たちは念入りな初夜の契りを交わし、婚姻を完成させた」
 彼はニコッと笑うとマイヤの頬をなで、「君が望むなら、さらなる念を入れてもいいが」と冗談混じりに付け加えた。

「嬉しい!」

 マイヤは覆い被さるように抱きつくと、彼の首に腕を巻きつけてぎゅっとしがみついた。
 あまりの嬉しさに、めまいを起こしてもう他にはなにも考えられなかった。
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