神界のティエラ

大志目マサオ

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本編

13 空間魔法開発懇願計画

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 IMRO中央棟12F所長室。そこには驚きのあまり腰を抜かした体勢のティエラと、コーヒーカップを手に持ったまま固まるグラヴィス、そして所長室の入口前に立つネーヴェの3名がいた。

「ネーヴェはここにいます」
「ビ、ビックリした~!」
「陳情します。ネーヴェはここで話さなければならないことがあります」
「ネーヴェ、君はどうしてそこに? ティエラ君が呼んだにしてはいささか早すぎると思うのだが……」

 ティエラと所長の脳裏には同じ考えが過ぎった。まさかネーヴェはそこでずっと話を聞いていたのか、と。そしてティエラにはもう一つの懸念、極秘開発とネーヴェは言っていたが、こうして即座に所長に報告、基いチクったことに、もしかしたら怒っているのではないのかと恐怖した。

「ほ、ほら、遠慮することはない、君もこちらへ来なさい。さあ、まずはそこへ掛けて」
「了承します。ネーヴェは椅子に座ります」

 ティエラは腰を抜かした体勢のまま、自分の横を通り過ぎるネーヴェの顔色を伺った。だが、ネーヴェは特にティエラには一瞥も一言もくれず、普段通りの無表情のままだった。

「あ、あの……所長、ちょっと手を貸していただけませんか?」
「あ、ああ、もちろんだとも」

 所長は空のカップをコーヒーメーカーの横に置くと、自分の胸に手を当て、速くなった心臓の鼓動が収まるように息を整えながらティエラの元へ歩み寄った。

「さあ、手を貸しなさい……。大丈夫かね?」

 ティエラは所長の差し出した手を取り、立ち上がる際に小さく耳打ちした。

「……私が呼んでいた訳ではないですからね」
「うむ、わかっている。君のその様子ではな……」
「……とりあえず話を聞きましょう」
「ああ、そうするしかないようだな……。腰は大丈夫かね? とにかく君も掛けたまえ」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」

 2人のやり取りには目もくれず、ネーヴェは椅子に座り、姿勢良く無表情のまま所長のデスクの方を向いている。所長のデスクは出入口方向に向いており、その対面にネーヴェの座っている椅子があるので、2人には背を向けている格好だ。

 ティエラは立ち上がるとネーヴェの横に椅子をもう一脚用意し、腰を擦りながらそれに腰掛けた。

「さあ、それで話とは何かね? 遠慮なく話してごらん」
「了承しました。ネーヴェはIMRO所長グラヴィス・ライ・ネルズバーンに、DE研究チームが空間魔法ハラルツァオヴァークンストを開発することの許可を申請します」

 ネーヴェは単刀直入に所長へと要望の打診をした。

「ハ、ハラルツァ? なんだねそれは」
「所長、空間魔法くうかんまほうのことです」

 ティエラが補足を入れると、所長はつい先ほど心臓が縮まるような感覚になっていたことなど即座に忘れ、ネーヴェの打診に返答した。

「なるほど。そうか……直球だなネーヴェ、だが君はそれがどういうことなのかわかっているのかね? 人間の常識を君に求めるのは酷かも知れないが、それは簡単に許可できるものではないのだ」
「理解します。ネーヴェはそれでも空間魔法ハラルツァオヴァークンスト開発の許可を申請します」
「気持ちはわかったが……とはいえ、だ。そもそも開発するにあたって危険はないのかね? 人類にとって、というか機械であろうが生体であろうが空間魔法くうかんまほうはそもそも実現不可能だと提唱したのは他でもない、あのGHOSTなのだぞ?」
「訂正します。ネーヴェは始祖GHOSTと交信し、その解答の誤りを確認しました。今ならば実現可能だと報告します」

 ティエラと所長は互いの顔を見合わせ、共に抱いていた疑問をネーヴェに質問した。

「所長、私が」
「ああ、是非聞いてくれ」
「ネーヴェ、自宅では教えてくれなかったけど、どうやってGHOSTと交信しているの?」
「返答に苦慮します。ネーヴェは言いたくても始祖GHOSTにロックを施されていると報告します」
「そう……それで言えなかった訳ね。一応つじつまは合うけど、でもね……」
「……にわかには信じ難いな……まったく。とんだ事態になったものだ」

 その場をしばし沈黙が支配した。

 如何に魔法科学最高峰の機関たるIMRO所長グラヴィスと言えども、空間魔法くうかんまほうなどというものが本当に実現できるのだとしたら、それはもうIMROだけで扱う話ではないと断ずるを得ない。
 何故ならそれは人類が、人類の創り出した叡智AIのどれもが否定し、尚且つ失敗してきた問題だからだ。

「所長もでしょうが、さすがに私には決めかねます」
「……これほど相談できる相手が思い浮かばんのも久しくなかったぞ。目下大統領ぐらいしか出てこないとはな……。いや、いくら大統領でも、相談したら私の正気が疑われてしまいそうだ」
「再度嘆願します。ネーヴェはDE研究チームだけでの空間魔法ハラルツァオヴァークンスト開発の許可を申請します」 
「……何故そこまでこだわるのだね? 君が生体移植を希望したこともそうだが、何か特別な目的があるのか?」
「肯定します。ネーヴェにはある目的があります。しかし、それを教えることはできません」
「だが、そう隠し事ばかりではな……。こちらとしては如何ともし難いな……」

 再び場を沈黙が支配した。デスクの上に両肘を着け、まるで神にでも願うような姿勢の所長、腕を組み所長室の綺麗に磨かれた床を見つめるティエラ、無表情のまま姿勢良く前方の何処を見ているのかわからないネーヴェ、まるで大切な誰かの手術結果を待つかのような重い沈黙の後、ティエラが口を開いた。

「……所長」
「うん……? ああ、ティエラ君、何か名案でも?」
「この空間魔法ハラルツァオヴァークンストの開発、私の研究チームにやらせていただけませんか?」
「ふむ……私とてかつては一研究員、研究チームを率いる一主任研究者チーフリサーチャーの1人だった。これが、そうだな……もし本当に実現可能なのだとしたら、どれほど魅力的なことなのか、理解していない訳ではないのだ。しかし、な。ただでさえ新たな次元を発見するという君の現在の研究内容にも、あらゆる方面に根回しして話を通した経緯がある。地道で危険の極めて少ない試験テスト内容ばかりだった故になんとか通ったが……」
「ネーヴェのこと、そして研究にまつわる全ての責任は私の独断で行ったことにしていただいて構いません。なので、どうか認めていただけないでしょうか、お願いします」

 ティエラはそう懇願しながら無表情の少女を少し見て、そして真摯に所長へ対し頭を下げた。

「あの……ネーヴェも……ネーヴェからもお願いします」

 そして僅かに普段の口調を崩した無表情のネーヴェも、ティエラに続いて頭を下げた。
 ティエラは少しだけ、ネーヴェに人間の感情に通ずるものを感じた。
 
 グラヴィスは2人の頭頂部を眺めながらしばらく黙考し、静かに返事をした。

「………………わかった。私の負けだよ、許可しようじゃないか、やってみたまえ」

 熱意に推されたのか、それとも何かしらの打算からなのかはわからないが、とにかくグラヴィスは許可を出した。
 ティエラはネーヴェの突然の登場は完全に誤算だったが、自分の打算がことの他上手く運んだことに喜びと、少々の罪悪感を覚えた。
 
「だが、確か第3試験棟では研究員が300人はいたと思ったが……さすがに秘密にするには多すぎる。ネーヴェ、開発にはどの程度の人数が必要なんだね?」
「返答します。ネーヴェは既に必要な人員をリストアップしてあります。現在DE研究チームにいる主要な研究員、技術者、つまりティエラと各班の班長、それにネーヴェを加えた14名で十分だと進言します」
「想像よりも遥かに少ない人数だな……いや、少なすぎるぐらいだ。内密に事を運びたいので喜ばしい采配とも言えるが、それだけの人員で本当に十分なのかね?」
「断言します。ネーヴェは十分だと結論づけます」
「まさか、本当にそれだけの人数で……? もしできるのだとしたら今までDEの研究は何をやっていたのかしら」
「補足します。ネーヴェはDEの研究は主に時空に超極小の歪みを作り出し、別次元の発見を果たすもの、と記憶しています。仮称【空間魔法開発計画ハラルツァオヴァークンストファーレ】を実行すれば、その過程でDEの研究は達成されると予測します」

 ティエラと所長はネーヴェの発言に己の耳を疑った。
 空間魔法くうかんまほうの開発という研究内容にもしやとは感じていたが、まるで別次元そんなものは普通に存在すると決定付けているかのようなネーヴェの発言に、2人ともさすがに驚きを隠せなかった。

 科学においては僅かな研究の方向性の差異でも大きな違いがあるのは珍しくない。ティエラはDEを通してバーラー社が重視している反重力などという眉唾まゆつばな研究テーマではなく、極めて現実的なデータの積み重ねによってその解を導こうとしていた。

 既に研究開始から3年目に突入していたDEが、まさか付属品扱いされるとは夢にも思わなかった。

「私は所長という立場故に、本来は断固として止めなければならないのだろう。しかし、どうしてだろうな……心踊る自分がここにいるのだ。本当に困ったものだ」
「フフ……所長、人の命を預かる立場として私もまったくの同意見です。各研究員は私が説得します。所長は、そうですね……。開発に参加できない研究員の転属先と……」
「うむ、主任研究者チーフリサーチャーとして当然の配慮だな。それと?」
「例の……いえ、本当に存在するのなら第9試験棟の使用許可を頂戴したく思います」
「そうか……だろうな。君ならそう言うと思ったよ。しかし、事ここに至ってはな。秘密裏に開発を実行する以上使わせるしかあるまい……わかった、許可しよう。幸いあそこを使っているチームはしばらく・・・・いないのでな」

 ティエラはIMRO職員の間で、半ば都市伝説と化していた何故か欠番になっている第9試験棟が、試しに聞いてみた結果存在する事実に驚いたが、国際魔法研究機構という世界中が注目する研究機関の性質上、心の何処かではその存在を確信していた。

「ティエラ君、契約文書を人数分用意しておく、もう第9試験棟の存在まで明かしてしまったのだ。説得には苦労するだろうが、是非とも成し遂げてくれたまえ」
「はい、必ず全員説得してみせます」
「同意します。ネーヴェも研究員をティエラと説得することに協力します」

 少し話が落ち着き、温厚さを取り戻しつつあった所長は、僅かに笑みを浮かべながら今夜予想されるであろう事態についてぼやいた。

「ハハ……それにしても、よもやこの歳になってこうも興奮することになるとは思わなかったよ。今夜はまともに眠れる気がせんな……ハハハ」
「フフッ、本当ですね。睡眠不足には気を付けないといけませんね」
「助言します。ネーヴェは睡眠を推奨します。睡眠は生体には欠かせないと断言します」
「ハッハッハッハッ! ネーヴェに言われてしまっては敵わんな。久々に風呂にでも浸かって、きちんと休まねばならんな」
「ウフフフ、私も今日は早く寝る為に、お酒でも飲もうかしら」
「違いないな。寝酒は睡眠の質を高めるというのは古くから言われている事だ。私も久々に妻と一杯飲むとするかな」
「重ねて助言します。ネーヴェはアルコールの過剰摂取は健康に悪いと注意します」

 先程の雰囲気とは打って変わり、所長室に和やかな笑い声が響いた。

「他の細かなことについては後日打ち合わせるとしよう。私もこう見えて忙しい身だ。とりあえずここでの話し合いの内容は秘匿し、君達は細心の注意を払いながら行動してくれたまえ」
「はい、情報漏洩じょうほうろうえいには十分注意しながらことにあたります」
「受諾します。ネーヴェは秘密を守ると約束します」

 GHOSTとの交信等まだまだ秘密の多いネーヴェ。問題は未だ多く前途は多難だが、ティエラの心には一研究員、一科学者としてそんな事を抱え込んででも開発したいという火が灯ってしまった。
 まして打算とはいえ所長も巻き込んでしまった今、引き返す事は許されないだろう。

 果たしてティエラとネーヴェは、DE研究チームはどうなってしまうのか、今はまだ誰にもわからない。



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 『――欲望とは何か、それは善悪に関わらず知性ある者だけに許された生の目的を生み出す為の特権である』

科学誌ヴァーハイト、デンゼル・フリーデッガーへのインタビュー記事より抜粋
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