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結局、着替えた。いつものブラウスにスカート。今まで何も感じなかったのに、これでいいのか、と少し考えてしまっている。権平さんにメイクだのなんだの言われたせいだ。
間もなく着いた、と連絡が入り、私はチキンの皿を紙袋に入れて階下へ降りた。
すれ違った寮生がちらりと私を見る。
海堂に会いに行く私を、見咎められている気がする。
友達にチキンを渡すだけだ。ただそれだけなのに。
玄関に常駐の管理人さんに会釈をして外に出ると、坂を少し下った先、寮の入口を示す門柱の横に、夜の住宅街の静けさに紛れるように海堂が立っていた。
横にはエンジンの切られた大きな黒いバイク。ヘルメットを持って立つ姿が、街灯を背に受けてシルエットになっている。
「こんばんは」
私は少し近づくのを躊躇しながら声をかけた。海堂であることは分かっているが、いつも陽の気を放つ男が、やけに静かだったからだ。
「ごめんな。真澄ちゃんに出てきてもらわないといけないの、考えてなかったわ」
周囲を気にかけて抑えた低い声が、そっと耳から入り込む。
「いえ……あの、これ。すみません、ちょうどいい入れ物がなくて、お皿のまんまです」
紙袋を差し出すと、海堂は嬉しそうに破顔して中を覗いた。
「うまそ」
「じゃ、これで──」
「待て待て待て!早いなぁ……料理は作った人の前で食べなきゃだろ」
「え、お箸入れてませんよ」
海堂はいけるいける、と言い、中から皿を取りだしてラップを剥ぐと、顔に近づけて器用にひとつを歯でつまみ上げた。
「うま!真澄ちゃん、料理上手」
「いえ。それは権平さんの功績です」
「ぶふっ 功績って」
どきどきしている。おかしい。海堂が目の前にいるというだけで、自分の五感の全てが彼に向けられている。
いや、向けさせられていると言った方がいい。私の自由にならないから。
海堂は4切れあったチキンをあっという間に平らげると、ラップを皿にかけなおし、紙袋ごとしょってたリュックに押し込んだ。
「え、お皿いいですよ。持って帰ります」
手を出すと、分かってないなぁ、と海堂がニヤつく。
「今度はこれを返すという口実ができるだろ。誰かさんは忙しくて会えないそうだから」
「それなら余計返してください」
「残念!もうしまっちゃった」
こんなどうでもいいやりとりなのに、胸の中があったかい。構内で遠巻きに見ていた時は、きしむような音を立てていたのに。
昼間の熱気を残した生ぬるい風が素肌を撫でていく。星は見えない。代わりに薄い雲が、夜空を一面に覆っている。
「高雄も比叡も夏は蒸したが、今とは比べ物にならんな」
海堂が故意に声音を変えた。空海のそれが記憶を連れてくる。愛した日枝の山々、私のすべて──
「山の夏は深い。獣、水の気、物の怪、死霊──みな、山に潜る」
懐かしさについ、つられて私が答えると、空海は頷いて空を見上げ、薄曇りに何も見つけられなかったのか、また視線を私に戻した。
「俺は、お前を困らせてるか?」
それが意外にも少年のような、戸惑いを含んだ声ではっと息を呑む。
「いや……揺らぎを抑えられぬ私が悪い」
「じゃあ、このまま付き合ってくれる?」
ああ、と流れで返事をしかけて、きらりと目を光らせている海堂に気づき、ぐっと押し留まった。
「惜しい!あと一歩!」
いつもの海堂が、白い歯を見せて笑う。
「油断も隙もない……」
「難攻不落だし、手段選んでらんねーだろ」
「変わらないな」
「お前もな」
私たちだけの時が流れ、風が吹いた。
去っていくバイクの後ろ姿が見えなくなるまで見送って、部屋に戻った。
付き合ってくれる?
定番のようにノーの反応をしたくせに、海堂にまだその気があると分かってどこか安心している。
ああ、頭の中がうるさい。どうだっていいじゃないか。
私はベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめて、気持ちが落ち着くまで足をバタバタさせていた。
間もなく着いた、と連絡が入り、私はチキンの皿を紙袋に入れて階下へ降りた。
すれ違った寮生がちらりと私を見る。
海堂に会いに行く私を、見咎められている気がする。
友達にチキンを渡すだけだ。ただそれだけなのに。
玄関に常駐の管理人さんに会釈をして外に出ると、坂を少し下った先、寮の入口を示す門柱の横に、夜の住宅街の静けさに紛れるように海堂が立っていた。
横にはエンジンの切られた大きな黒いバイク。ヘルメットを持って立つ姿が、街灯を背に受けてシルエットになっている。
「こんばんは」
私は少し近づくのを躊躇しながら声をかけた。海堂であることは分かっているが、いつも陽の気を放つ男が、やけに静かだったからだ。
「ごめんな。真澄ちゃんに出てきてもらわないといけないの、考えてなかったわ」
周囲を気にかけて抑えた低い声が、そっと耳から入り込む。
「いえ……あの、これ。すみません、ちょうどいい入れ物がなくて、お皿のまんまです」
紙袋を差し出すと、海堂は嬉しそうに破顔して中を覗いた。
「うまそ」
「じゃ、これで──」
「待て待て待て!早いなぁ……料理は作った人の前で食べなきゃだろ」
「え、お箸入れてませんよ」
海堂はいけるいける、と言い、中から皿を取りだしてラップを剥ぐと、顔に近づけて器用にひとつを歯でつまみ上げた。
「うま!真澄ちゃん、料理上手」
「いえ。それは権平さんの功績です」
「ぶふっ 功績って」
どきどきしている。おかしい。海堂が目の前にいるというだけで、自分の五感の全てが彼に向けられている。
いや、向けさせられていると言った方がいい。私の自由にならないから。
海堂は4切れあったチキンをあっという間に平らげると、ラップを皿にかけなおし、紙袋ごとしょってたリュックに押し込んだ。
「え、お皿いいですよ。持って帰ります」
手を出すと、分かってないなぁ、と海堂がニヤつく。
「今度はこれを返すという口実ができるだろ。誰かさんは忙しくて会えないそうだから」
「それなら余計返してください」
「残念!もうしまっちゃった」
こんなどうでもいいやりとりなのに、胸の中があったかい。構内で遠巻きに見ていた時は、きしむような音を立てていたのに。
昼間の熱気を残した生ぬるい風が素肌を撫でていく。星は見えない。代わりに薄い雲が、夜空を一面に覆っている。
「高雄も比叡も夏は蒸したが、今とは比べ物にならんな」
海堂が故意に声音を変えた。空海のそれが記憶を連れてくる。愛した日枝の山々、私のすべて──
「山の夏は深い。獣、水の気、物の怪、死霊──みな、山に潜る」
懐かしさについ、つられて私が答えると、空海は頷いて空を見上げ、薄曇りに何も見つけられなかったのか、また視線を私に戻した。
「俺は、お前を困らせてるか?」
それが意外にも少年のような、戸惑いを含んだ声ではっと息を呑む。
「いや……揺らぎを抑えられぬ私が悪い」
「じゃあ、このまま付き合ってくれる?」
ああ、と流れで返事をしかけて、きらりと目を光らせている海堂に気づき、ぐっと押し留まった。
「惜しい!あと一歩!」
いつもの海堂が、白い歯を見せて笑う。
「油断も隙もない……」
「難攻不落だし、手段選んでらんねーだろ」
「変わらないな」
「お前もな」
私たちだけの時が流れ、風が吹いた。
去っていくバイクの後ろ姿が見えなくなるまで見送って、部屋に戻った。
付き合ってくれる?
定番のようにノーの反応をしたくせに、海堂にまだその気があると分かってどこか安心している。
ああ、頭の中がうるさい。どうだっていいじゃないか。
私はベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめて、気持ちが落ち着くまで足をバタバタさせていた。
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