68 / 117
8章 舞踏会への招待
66話 焦る魔王
しおりを挟む
噴水がきらきらと月の光を跳ねて輝いている。
空を仰げば、そこには白く輝く円い月があった。今夜は満月だ。
一人静かに佇んでいると分かる。中庭の夜気には酒の匂いが滲んでいた。
舞踏会会場である大広間からは結構距離があるのに。それともすぐ脇にたたずむ館から漂ってくるのだろうか。
貴族たちが……いや、貴族に限らず、老若男女問わず。しっぽりと楽しんでいる、その場を提供する独立した棟……。
ワタシはハイヒールに慣れるためにゆっくり歩きながら、なんの気もないふうを装いつ――突然植え込みにガサリと踏み込んだ。
そこには特に誰もいなかった。
耳を澄ましても何も聞こえない。
やはり誰も潜んではいないか……?
「ジャンザ」
と、偵察から帰ってきたアスタフェルがワタシの名を呼んだ。
その彼の姿を見て、ワタシの心がゾクッとする。
明るい月に照らされた、輝くような白銀の髪。そこだけ闇に沈むような、黒い立て襟の礼服。これをアスタフェルに見立てた人はなかなかセンスがある……。
なんだか恥ずかしくなって視線を外してしまうワタシに、アスタフェルは言った。
「襲われなかったか?」
いきなり何言い出すんだこいつ?
「なんの話だ?」
「さっきの奴らみたいなチンピラどもに……」
「特になにも。ご覧の通り、ワタシは無事だよ」
「よかった。腰の立たない女はああいう輩のいい標的にされるからな。本当に心配だったんだぞ」
そういえば偵察の仕事を頼むとき、『一人にするのは心配だ』と抵抗を受けたんだった。そんなこと言ってる場合じゃないので、奥の手があることを明かし更に噛みつく勢いで命じ無理矢理行かせたが……。
「ワタシのことはどうでもいいから。そっちはどうだった?」
聞くと、彼は静かに首を振った。
「俺にとって一番大事なのはお前だ」
「……話が噛み合わないな。ワタシは報告が聞きたいんだが」
アスタフェルはふぅっと短く息を吐いてから口を開く。
「駄目だった。ユスティアの姿などどこにもなかった」
「一応聞いておくが、ワタシが心配で偵察もそこそこに引き上げてきたわけじゃないよな?」
「それはさすがに心外だな」
「すまん。余計なことを言った」
彼にはエンリオとユスティアのあと追って、どこの部屋に入ったかを探ってもらうよう頼んでいた。
本当ならワタシもついて行きたかったが、足腰がまだ回復していなくてアスタフェル一人に行ってもらったのだ。
が、初動が遅すぎてユスティアたちのあとを追うことはできなかった――という結果が、今分かった。
「今度は俺の番だ。ジャンザ、もう歩いて大丈夫なのか?」
「もちろん。ほら」
と低い植え込みの中でゆっくり数歩歩いてみせる。
「自分の身体のことは自分でわかる。あれは安静にしていればすぐに元に戻る程度の症状だった」
「そうか。だがこういう無茶な命令はもうしないでもらいたい。仕事は仕事でちゃんと遂行したが、足腰が立たない女をこんな所に一人で置いておくのは本当に気が気じゃないんだからな」
「すぐ治ったっていってるだろ……」
なんてぶつくさ文句を言ってみるが、アスタフェルの心情もよく分かる。チンピラに絡まれてすぐのワタシを一人にするのは心配だろうし、それが腰が抜けているなら尚更だ。
「……まあ、悪かったよ。今度こいういうことになったら別の案を考える」
「分かればいい。いい子だ、ジャンザ」
などと言ってワタシの頭を大きな手で撫でてくる。
「なんのつもりだ?」
「夫の特権だ。ほれ、お前も甘えてもいいぞ? アスタぁ! とかいってしなだれかかってくるがよい」
気持ち悪い猫なで声で自分の名を呼ぶ。ワタシにそう呼んでもらいたいのか? それはちょっと御免被りたい。
しかし、変な感じだ。
夫……。まだ結婚してないから違うとはいえそうなるという約束はしたからアスタフェルの言葉に嘘はない。王子と浮気すること前提という非常にアホなものだが。でもワタシがこいつのこと好きなのは事実。
……やっぱり、単純に恥ずかしいんだよな。こうやって頭を撫でられるの。
けど、なんだか妙に安らぐ感じもした。
父親とか兄とかに撫でられたらこんな気分になるのかもしれない。経験ないけど。
「おお……」
顔の熱さに俯いて彼に撫でられたままのワタシに、アスタフェルは感嘆のうめき声を漏らす。
「ジャンザが俺の手を振り払わない。凄い。夫婦最高……!」
「まだ結婚してないから夫婦ではない。あとせっかくセットしてもらった髪が崩れるからもうやめろ」
指摘されて一気に恥ずかしさが勝ってしまったワタシは、お望みどおりに手を振り払った。
まったく。こいつは一言多いんだよ。
「オマエが持ってきてくれた情報を鑑みると……」
無理矢理に話を本筋に戻す。本筋というのはつまり、これから我々はどうするか、ということだ。
「我々がすべきは、遅かれ早かれ行動を起こすエンリオに乗じること、だな」
「エンリオが、行動を起こす?」
「そうだ。もともとワタシたちは、ユスティアが『婚約者』と二人っきりになることを阻止するためにこの舞踏会にやってきた。しかし、予期せぬ事情が立て込んでそれは失敗した」
当初の予定では舞踏会が始まったらすぐにユスティアに引っ付いて、ユスティアに個人行動をさせないつもりだった。
なのにユスティアに会えないばかりか、チンピラ貴族に絡まれる始末。
しかもユスティアは控え室に行ってしまった。エンリオと共に。
「しかし、相手が本物のエンリオだというのはワタシにとっては僥倖といえる」
ワタシは静かに、月夜の庭園を見渡す。特に茂みのあたりを。
「伏兵がいないのは予想外だけどな」
「ふ、伏兵!?」
「驚くことじゃない。ワタシがエンリオなら必ず伏兵をその辺に潜ませる」
「なんでそういう話に……?」
「前に図書館で聞いただろ? エンリオとユスティアが話してるの。ユスティアがエンリオのこと平手打ちして、エンリオが負け惜しみを言って、そこにエンリオの部下が迎えに来た。部下の名前は、確かキーロンだ」
「よ……よくそんな奴の名前まで覚えてるな」
「印象的だったんだよ。あの真面目で大人しいユスティアが男に平手打ちくらわしたんだぞ」
おそらくエンリオがわざと煽ったんだろうけど……。
「だから、エンリオは自分がユスティアに嫌われてることは知ってる。まさか思いを遂げるために控え室に誘われたとは思わないさ。罠なんてことは先刻承知の上だろう」
その割には控え室にユスティアを先導していたし、伏兵すら潜ませていないけど。
もしかしたら部屋に伏兵を潜ませているのかもしれない。だからこそ先導したのだという推測も成り立つ。
ワタシは建物を見上げる。バルコニーが飛び出した豪華な仕様の建物だ。
このどこかに、ユスティアがいる。
潤沢な資金を持つ何物かに巻き込まれて、なにかをしようと企んで……。
「それに、シフォルゼノは聖職者の妻帯を禁止している。エンリオは聖職者の資格も持っている。禁忌に触れることは絶対にしない。あいつはそういう意味ではものすごく真面目なんだ」
「以前お前は、エンリオのことを王子様を守る勇者であり、自分は退治されるべき悪役だとかなんとかいっていたが……。そのわりには随分とエンリオのことを信頼しているのだな」
「オマエ、面白いこというんだな」
そんなふうに考えたことはなかった。このワタシがエンリオなんかを信頼しているとはな。
「確かに信頼しているのかもしれないな。あいつと……あいつが従うシフォルゼノを」
「ジャンザ」
突然、ワタシはアスタフェルに荒っぽく肩を掴まれた。
ワタシの顔を見つめる顔色は、ひどく険しいものだった。
「すぐにここを出よう」
なんだ?
「ここはジャンザに似つかわしくない。ここにいたら、お前は……」
「いきなりどうしたんだ?」
「お前のことは俺が守る。だから早く魔界に帰ろう。俺の城で式を挙げよう。二人でエプロンドレスを着て毎日イチャイチャしまくろう。それで部下たちを呆れさせてやろう。なんだったらお前が俺のこと食べていいから。ホイップしたてのふわふわフリルだぞ?」
「……今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ」
確かに、アスタフェルの申し出はそれなりに魅力的なものではある。いろいろと正したいところもある。
しかしエンリオとユスティアを見張らなくてはいけないし、だいいちワタシには薬草薬を広めるために王子の権力を利用するという野望が……。
「ジャンザ、お前は俺のものだ。誰にも渡さない。お前は俺を選んでくれたんだろ?」
頬を両手でしっかりと包まれる。そして、彼の顔に向かされた。
アスタフェルの美しい顔は真剣で、空色の瞳は不安そうに揺れていた。
それでようやく、ワタシも彼の異常を受け入れた。
「何があった? ワタシに話してくれ。力になれると思う」
「……お前は」
アスタフェルは辛そうに眉を寄せ、言葉に詰まる。
瞳が逡巡するが、すぐにワタシをまっすぐに見つめ言葉を続けた。
「どこにも行かないって、約束してくれるか?」
「ああ。約束する」
というかワタシ、オマエの真の名をしってるから魂レベルで分かちがたいんだけどな。
ワタシの答えに、彼はあからさまにホッとした。
「ジャンザ……。すまん。俺、ほんとにお前のこと好きなんだ。お前がいなくなると思ったら急に怖くなって……」
「……話の流れが読めないな」
いったいこれまでの会話のどこに、ワタシがアスタフェルから離れるなんて話題が出てきたのだろう。
それともこいつだけが知る符牒があったのだろうか。ワタシが知らない秘密の合い言葉めいたものが――。
「キスしたら、お前なら気づくかもしれない」
「は?」
ワタシの頬を包むアスタフェルの手に、力が込められる。
「でも、それでも俺を選んでくれるんだよな? ジャンザ――」
緑色の閃光が上から降ってきたのは、アスタフェルが言い終わるのと被っていた。ほぼ同時にガシャン! とガラスが割れる派手な音が鳴り響く。
「!」
光は一瞬で消えたが、今度は知らない声が複数、上から降ってくる。何を言っているのかまでは聞き取れない。
「アスタ」
ワタシは彼の手を振りほどくと、そのバルコニーを指さした。
「あそこだ。ワタシを抱えてあそこに飛べるか?」
「え? あ、ああ……」
「しっかりしろ!」
ワタシはスカートの隠しに手を突っ込みながらアスタフェルに発破をかける。
「お待ちかねの時間が来たんだよ。エンリオが動いたぞ」
もちろんアスタフェルがやりかけたことへの未練もあるが……。それより今は、今しかできない目の前のことに集中しようじゃないか。
「ああ、ジャンザ……。お前のそういうとこ、好きだよ」
半泣きの顔で、彼は純白の四翼を現した。
空を仰げば、そこには白く輝く円い月があった。今夜は満月だ。
一人静かに佇んでいると分かる。中庭の夜気には酒の匂いが滲んでいた。
舞踏会会場である大広間からは結構距離があるのに。それともすぐ脇にたたずむ館から漂ってくるのだろうか。
貴族たちが……いや、貴族に限らず、老若男女問わず。しっぽりと楽しんでいる、その場を提供する独立した棟……。
ワタシはハイヒールに慣れるためにゆっくり歩きながら、なんの気もないふうを装いつ――突然植え込みにガサリと踏み込んだ。
そこには特に誰もいなかった。
耳を澄ましても何も聞こえない。
やはり誰も潜んではいないか……?
「ジャンザ」
と、偵察から帰ってきたアスタフェルがワタシの名を呼んだ。
その彼の姿を見て、ワタシの心がゾクッとする。
明るい月に照らされた、輝くような白銀の髪。そこだけ闇に沈むような、黒い立て襟の礼服。これをアスタフェルに見立てた人はなかなかセンスがある……。
なんだか恥ずかしくなって視線を外してしまうワタシに、アスタフェルは言った。
「襲われなかったか?」
いきなり何言い出すんだこいつ?
「なんの話だ?」
「さっきの奴らみたいなチンピラどもに……」
「特になにも。ご覧の通り、ワタシは無事だよ」
「よかった。腰の立たない女はああいう輩のいい標的にされるからな。本当に心配だったんだぞ」
そういえば偵察の仕事を頼むとき、『一人にするのは心配だ』と抵抗を受けたんだった。そんなこと言ってる場合じゃないので、奥の手があることを明かし更に噛みつく勢いで命じ無理矢理行かせたが……。
「ワタシのことはどうでもいいから。そっちはどうだった?」
聞くと、彼は静かに首を振った。
「俺にとって一番大事なのはお前だ」
「……話が噛み合わないな。ワタシは報告が聞きたいんだが」
アスタフェルはふぅっと短く息を吐いてから口を開く。
「駄目だった。ユスティアの姿などどこにもなかった」
「一応聞いておくが、ワタシが心配で偵察もそこそこに引き上げてきたわけじゃないよな?」
「それはさすがに心外だな」
「すまん。余計なことを言った」
彼にはエンリオとユスティアのあと追って、どこの部屋に入ったかを探ってもらうよう頼んでいた。
本当ならワタシもついて行きたかったが、足腰がまだ回復していなくてアスタフェル一人に行ってもらったのだ。
が、初動が遅すぎてユスティアたちのあとを追うことはできなかった――という結果が、今分かった。
「今度は俺の番だ。ジャンザ、もう歩いて大丈夫なのか?」
「もちろん。ほら」
と低い植え込みの中でゆっくり数歩歩いてみせる。
「自分の身体のことは自分でわかる。あれは安静にしていればすぐに元に戻る程度の症状だった」
「そうか。だがこういう無茶な命令はもうしないでもらいたい。仕事は仕事でちゃんと遂行したが、足腰が立たない女をこんな所に一人で置いておくのは本当に気が気じゃないんだからな」
「すぐ治ったっていってるだろ……」
なんてぶつくさ文句を言ってみるが、アスタフェルの心情もよく分かる。チンピラに絡まれてすぐのワタシを一人にするのは心配だろうし、それが腰が抜けているなら尚更だ。
「……まあ、悪かったよ。今度こいういうことになったら別の案を考える」
「分かればいい。いい子だ、ジャンザ」
などと言ってワタシの頭を大きな手で撫でてくる。
「なんのつもりだ?」
「夫の特権だ。ほれ、お前も甘えてもいいぞ? アスタぁ! とかいってしなだれかかってくるがよい」
気持ち悪い猫なで声で自分の名を呼ぶ。ワタシにそう呼んでもらいたいのか? それはちょっと御免被りたい。
しかし、変な感じだ。
夫……。まだ結婚してないから違うとはいえそうなるという約束はしたからアスタフェルの言葉に嘘はない。王子と浮気すること前提という非常にアホなものだが。でもワタシがこいつのこと好きなのは事実。
……やっぱり、単純に恥ずかしいんだよな。こうやって頭を撫でられるの。
けど、なんだか妙に安らぐ感じもした。
父親とか兄とかに撫でられたらこんな気分になるのかもしれない。経験ないけど。
「おお……」
顔の熱さに俯いて彼に撫でられたままのワタシに、アスタフェルは感嘆のうめき声を漏らす。
「ジャンザが俺の手を振り払わない。凄い。夫婦最高……!」
「まだ結婚してないから夫婦ではない。あとせっかくセットしてもらった髪が崩れるからもうやめろ」
指摘されて一気に恥ずかしさが勝ってしまったワタシは、お望みどおりに手を振り払った。
まったく。こいつは一言多いんだよ。
「オマエが持ってきてくれた情報を鑑みると……」
無理矢理に話を本筋に戻す。本筋というのはつまり、これから我々はどうするか、ということだ。
「我々がすべきは、遅かれ早かれ行動を起こすエンリオに乗じること、だな」
「エンリオが、行動を起こす?」
「そうだ。もともとワタシたちは、ユスティアが『婚約者』と二人っきりになることを阻止するためにこの舞踏会にやってきた。しかし、予期せぬ事情が立て込んでそれは失敗した」
当初の予定では舞踏会が始まったらすぐにユスティアに引っ付いて、ユスティアに個人行動をさせないつもりだった。
なのにユスティアに会えないばかりか、チンピラ貴族に絡まれる始末。
しかもユスティアは控え室に行ってしまった。エンリオと共に。
「しかし、相手が本物のエンリオだというのはワタシにとっては僥倖といえる」
ワタシは静かに、月夜の庭園を見渡す。特に茂みのあたりを。
「伏兵がいないのは予想外だけどな」
「ふ、伏兵!?」
「驚くことじゃない。ワタシがエンリオなら必ず伏兵をその辺に潜ませる」
「なんでそういう話に……?」
「前に図書館で聞いただろ? エンリオとユスティアが話してるの。ユスティアがエンリオのこと平手打ちして、エンリオが負け惜しみを言って、そこにエンリオの部下が迎えに来た。部下の名前は、確かキーロンだ」
「よ……よくそんな奴の名前まで覚えてるな」
「印象的だったんだよ。あの真面目で大人しいユスティアが男に平手打ちくらわしたんだぞ」
おそらくエンリオがわざと煽ったんだろうけど……。
「だから、エンリオは自分がユスティアに嫌われてることは知ってる。まさか思いを遂げるために控え室に誘われたとは思わないさ。罠なんてことは先刻承知の上だろう」
その割には控え室にユスティアを先導していたし、伏兵すら潜ませていないけど。
もしかしたら部屋に伏兵を潜ませているのかもしれない。だからこそ先導したのだという推測も成り立つ。
ワタシは建物を見上げる。バルコニーが飛び出した豪華な仕様の建物だ。
このどこかに、ユスティアがいる。
潤沢な資金を持つ何物かに巻き込まれて、なにかをしようと企んで……。
「それに、シフォルゼノは聖職者の妻帯を禁止している。エンリオは聖職者の資格も持っている。禁忌に触れることは絶対にしない。あいつはそういう意味ではものすごく真面目なんだ」
「以前お前は、エンリオのことを王子様を守る勇者であり、自分は退治されるべき悪役だとかなんとかいっていたが……。そのわりには随分とエンリオのことを信頼しているのだな」
「オマエ、面白いこというんだな」
そんなふうに考えたことはなかった。このワタシがエンリオなんかを信頼しているとはな。
「確かに信頼しているのかもしれないな。あいつと……あいつが従うシフォルゼノを」
「ジャンザ」
突然、ワタシはアスタフェルに荒っぽく肩を掴まれた。
ワタシの顔を見つめる顔色は、ひどく険しいものだった。
「すぐにここを出よう」
なんだ?
「ここはジャンザに似つかわしくない。ここにいたら、お前は……」
「いきなりどうしたんだ?」
「お前のことは俺が守る。だから早く魔界に帰ろう。俺の城で式を挙げよう。二人でエプロンドレスを着て毎日イチャイチャしまくろう。それで部下たちを呆れさせてやろう。なんだったらお前が俺のこと食べていいから。ホイップしたてのふわふわフリルだぞ?」
「……今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ」
確かに、アスタフェルの申し出はそれなりに魅力的なものではある。いろいろと正したいところもある。
しかしエンリオとユスティアを見張らなくてはいけないし、だいいちワタシには薬草薬を広めるために王子の権力を利用するという野望が……。
「ジャンザ、お前は俺のものだ。誰にも渡さない。お前は俺を選んでくれたんだろ?」
頬を両手でしっかりと包まれる。そして、彼の顔に向かされた。
アスタフェルの美しい顔は真剣で、空色の瞳は不安そうに揺れていた。
それでようやく、ワタシも彼の異常を受け入れた。
「何があった? ワタシに話してくれ。力になれると思う」
「……お前は」
アスタフェルは辛そうに眉を寄せ、言葉に詰まる。
瞳が逡巡するが、すぐにワタシをまっすぐに見つめ言葉を続けた。
「どこにも行かないって、約束してくれるか?」
「ああ。約束する」
というかワタシ、オマエの真の名をしってるから魂レベルで分かちがたいんだけどな。
ワタシの答えに、彼はあからさまにホッとした。
「ジャンザ……。すまん。俺、ほんとにお前のこと好きなんだ。お前がいなくなると思ったら急に怖くなって……」
「……話の流れが読めないな」
いったいこれまでの会話のどこに、ワタシがアスタフェルから離れるなんて話題が出てきたのだろう。
それともこいつだけが知る符牒があったのだろうか。ワタシが知らない秘密の合い言葉めいたものが――。
「キスしたら、お前なら気づくかもしれない」
「は?」
ワタシの頬を包むアスタフェルの手に、力が込められる。
「でも、それでも俺を選んでくれるんだよな? ジャンザ――」
緑色の閃光が上から降ってきたのは、アスタフェルが言い終わるのと被っていた。ほぼ同時にガシャン! とガラスが割れる派手な音が鳴り響く。
「!」
光は一瞬で消えたが、今度は知らない声が複数、上から降ってくる。何を言っているのかまでは聞き取れない。
「アスタ」
ワタシは彼の手を振りほどくと、そのバルコニーを指さした。
「あそこだ。ワタシを抱えてあそこに飛べるか?」
「え? あ、ああ……」
「しっかりしろ!」
ワタシはスカートの隠しに手を突っ込みながらアスタフェルに発破をかける。
「お待ちかねの時間が来たんだよ。エンリオが動いたぞ」
もちろんアスタフェルがやりかけたことへの未練もあるが……。それより今は、今しかできない目の前のことに集中しようじゃないか。
「ああ、ジャンザ……。お前のそういうとこ、好きだよ」
半泣きの顔で、彼は純白の四翼を現した。
0
あなたにおすすめの小説
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
転生したら悪役令嬢になりかけてました!〜まだ5歳だからやり直せる!〜
具なっしー
恋愛
5歳のベアトリーチェは、苦いピーマンを食べて気絶した拍子に、
前世の記憶を取り戻す。
前世は日本の女子学生。
家でも学校でも「空気を読む」ことばかりで、誰にも本音を言えず、
息苦しい毎日を過ごしていた。
ただ、本を読んでいるときだけは心が自由になれた――。
転生したこの世界は、女性が希少で、男性しか魔法を使えない世界。
女性は「守られるだけの存在」とされ、社会の中で特別に甘やかされている。
だがそのせいで、女性たちはみな我儘で傲慢になり、
横暴さを誇るのが「普通」だった。
けれどベアトリーチェは違う。
前世で身につけた「空気を読む力」と、
本を愛する静かな心を持っていた。
そんな彼女には二人の婚約者がいる。
――父違いの、血を分けた兄たち。
彼らは溺愛どころではなく、
「彼女のためなら国を滅ぼしても構わない」とまで思っている危険な兄たちだった。
ベアトリーチェは戸惑いながらも、
この異世界で「ただ愛されるだけの人生」を歩んでいくことになる。
※表紙はAI画像です
異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜
京
恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。
右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。
そんな乙女ゲームのようなお話。
転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。
ラム猫
恋愛
異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。
『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。
しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。
彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。
※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~
降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる