Black Sheep

亜蘭炭恣意

文字の大きさ
42 / 131
1. Black Sheep

6-3.

しおりを挟む
「いつまで寝てる気?」
 ふてぶてしいながらも案ずるような声。幼年ジョンがそちらに目を向けると、「んっ」とジャネットが手を突き出して来た。
 しかし、幼年ジョンはその手を取らずに不機嫌そうな表情のまま、自分の力で起き上がった。
 ジャネットはそれを見て、少し傷付いたような顔をしたが、すぐに気を取り直し、
「元気出しなさいよ。しょうがないじゃない、シャーロックは強いんだから」
「…………」
 幼年ジョンは答えず、ジャネットから目を逸したまま、目元を拭う。情けなくて、悔しくて、涙を流しそうになっていた。それを目聡く見ていたジャネットがニヤリと笑うが、彼女が何かを言う前にワトソンに頭を叩かれた。

「お前は他人を追い詰めるような真似をするな。まったく、少しは淑女らしさをジェーンから学んだらどうだ」
「な、なんでそんな事を言われなきゃならないのよ! 大体、ジェーンは絶対に淑女なんかじゃないわ! アタシなんかとは比べ物にならないくらい、えげつない奴なんだから!」
 そんなものを比べるんじゃないと、ワトソンは更にジャネットの頭を叩いた。不公平だと訴える彼女を尻目に、今度はジョンの肩を叩く。

「強い奴は強い。まずはその強さを認めるところから始めるんだ」
「…………」
 ワトソンの助言にすら、幼年ジョンは悔しさから頷けない。それを察したワトソンは「しょうがない奴だ」と苦笑して、ジョンの肩をまた叩いた。

 ワトソンはいつだってこうだったと、ジョンは懐かしむようにそう思った。いつだって自分を鼓舞してくれたり、励ましたりしてくれたし、的確なアドヴァイスだってしてくれた。なんでも体で教え込もうとする父と違い、理屈や理論で話をしてくれた。あれは本当に助かった――と、今更ながらジョンはワトソンに感謝した。

 五人の声が教会の中に響き渡る。ジョンはその様子を身廊の中程から、愛おしそうに眺めていた。
 もう戻って来ない人達と会うには、夢を見るしかないのか――。ジョンは知らず俯いて奥歯を噛み締め、拳を震わせていた。

「――ジョン?」
 ハッとなり、ジョンは顔を上げる。視線の先には幼いジェーンがいた。彼女は小首を傾げながら、心配するようにジョンを真っ直ぐに見上げていた。

「嗚呼……――」ジョンの膝が崩れ落ちた。震える手でジェーンの肩に両手を置き、懺悔するように言葉を堕とす。「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。約束したのに、自分に誓った筈なのに。何も出来なかった。手を伸ばす事すら出来なかった。僕は何も出来ずに、君と親父とワトソンを――」

 謝罪、謝罪、謝罪。罪の告白、罰の独白。幸福な筈の光景に、「現在」という異物が混ざる罪過。今までもこれからも、己の無力さを痛感していく呪縛。

「……そうね。貴方は、何も出来なかった」
 ジェーンがジョンの手を握る。潰すように強く、責めるように強く。
 ジョンが顔を上げたその直後、彼の顔が引き攣っていく。

 小さなジェーンが、静かに微笑む。その口の端から血が滴る。その鼻から血が落ちる。その目から血が流れる。額が、頬が、首が、胸が、腕が、腰が、脚が、まるで潰れいく果実のように血を吹き出していく。

「あ、あ、あ、あ――ッ!」
 ジョンの口から引き裂けた嗚咽が零れる。一歩、また一歩と後退あとずさりながら、やがて一目散に駆け出して教会の扉を殴るように開いて、外に出た。

 外に出た途端、ジョンを招いたのは一面の闇だった。黒一色の、何も無い暗闇。
 何もない筈なのに――、目の前にジェーンが横たわっていた。「あの日」のように、ジョンを庇って倒れた「あの日」と同じように、両手を広げ、俯せに倒れていた。

「っ、あ、ぁあ、あ……ッ」
 ジョンが言葉にならない音を口から発する。
 ジェーンの奥にはワトソンが倒れていた。更にその隣にはシャーロックが倒れていた。

 ――「あの日」と同じように。「あの日」と同じように。「あの日」と同じように。
 皆、自分の為に死んだ。自分が不甲斐ないばかりに、自分が何も出来ないが余りに。

 自分は託されたのに。この体に刻まれた「キズ」は「キズ」は「キズ」は、決して何かの過失や損失ではなく、世界に残す「アト」と「アト」と「アト」として――。

「ジョン……、どうして……?」
 背後からの声に、ジョンはバッと振り返った。――修道服を血で真っ赤に染めたジャネットが、そこにいた。
「うわああああ――ッ!」
 ジョンが今度こそ悲鳴を上げた。尻もちをつき、恐慌した顔でジャネットを見上げる。

 ジョンは、フラフラと覚束ない足取りで歩を進めて来るジャネットから逃げるように這い蹲りながら、後ろへ後ろへと下がっていく。
 やがてジョンの背中が何かにぶつかった。恐る恐る、震えながらジョンが振り返る。

 立ち上がったジェーンが、虚ろな目付きでジョンを見下ろしていた。
「…………!」
 声を上げることも出来ず、ジョンはただ地に這い蹲ったまま動かなくなった。

「約束、したのに」
 ジェーンが胡乱な声でそう言った。

「……やく、そ、く……?」
 やくそく、やくそく、やくそく……? どこかで聞いた覚えがあった。何か、大事な約束を、僕は――、
「……やく、そ、く……?」

 何か大事な約束を、誰かと交わしたような気がしたけれど、何も思い出せなかった。

 ジョンの両脇に、ジェーンとジャネットが倒れる。ドサッという音を最後に、ジョンの世界に音が無くなった。

 無音、無音、無音。無明、無明、無明。ジョンは目を見開いたまま、何も無い世界で座り込んだまま、四人の死体が腐っていく様を、ただ黙って見詰めていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

処理中です...