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1. Black Sheep
6-3.
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「いつまで寝てる気?」
ふてぶてしいながらも案ずるような声。幼年ジョンがそちらに目を向けると、「んっ」とジャネットが手を突き出して来た。
しかし、幼年ジョンはその手を取らずに不機嫌そうな表情のまま、自分の力で起き上がった。
ジャネットはそれを見て、少し傷付いたような顔をしたが、すぐに気を取り直し、
「元気出しなさいよ。しょうがないじゃない、シャーロックは強いんだから」
「…………」
幼年ジョンは答えず、ジャネットから目を逸したまま、目元を拭う。情けなくて、悔しくて、涙を流しそうになっていた。それを目聡く見ていたジャネットがニヤリと笑うが、彼女が何かを言う前にワトソンに頭を叩かれた。
「お前は他人を追い詰めるような真似をするな。まったく、少しは淑女らしさをジェーンから学んだらどうだ」
「な、なんでそんな事を言われなきゃならないのよ! 大体、ジェーンは絶対に淑女なんかじゃないわ! アタシなんかとは比べ物にならないくらい、えげつない奴なんだから!」
そんなものを比べるんじゃないと、ワトソンは更にジャネットの頭を叩いた。不公平だと訴える彼女を尻目に、今度はジョンの肩を叩く。
「強い奴は強い。まずはその強さを認めるところから始めるんだ」
「…………」
ワトソンの助言にすら、幼年ジョンは悔しさから頷けない。それを察したワトソンは「しょうがない奴だ」と苦笑して、ジョンの肩をまた叩いた。
ワトソンはいつだってこうだったと、ジョンは懐かしむようにそう思った。いつだって自分を鼓舞してくれたり、励ましたりしてくれたし、的確なアドヴァイスだってしてくれた。なんでも体で教え込もうとする父と違い、理屈や理論で話をしてくれた。あれは本当に助かった――と、今更ながらジョンはワトソンに感謝した。
五人の声が教会の中に響き渡る。ジョンはその様子を身廊の中程から、愛おしそうに眺めていた。
もう戻って来ない人達と会うには、夢を見るしかないのか――。ジョンは知らず俯いて奥歯を噛み締め、拳を震わせていた。
「――ジョン?」
ハッとなり、ジョンは顔を上げる。視線の先には幼いジェーンがいた。彼女は小首を傾げながら、心配するようにジョンを真っ直ぐに見上げていた。
「嗚呼……――」ジョンの膝が崩れ落ちた。震える手でジェーンの肩に両手を置き、懺悔するように言葉を堕とす。「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。約束したのに、自分に誓った筈なのに。何も出来なかった。手を伸ばす事すら出来なかった。僕は何も出来ずに、君と親父とワトソンを――」
謝罪、謝罪、謝罪。罪の告白、罰の独白。幸福な筈の光景に、「現在」という異物が混ざる罪過。今までもこれからも、己の無力さを痛感していく呪縛。
「……そうね。貴方は、何も出来なかった」
ジェーンがジョンの手を握る。潰すように強く、責めるように強く。
ジョンが顔を上げたその直後、彼の顔が引き攣っていく。
小さなジェーンが、静かに微笑む。その口の端から血が滴る。その鼻から血が落ちる。その目から血が流れる。額が、頬が、首が、胸が、腕が、腰が、脚が、まるで潰れいく果実のように血を吹き出していく。
「あ、あ、あ、あ――ッ!」
ジョンの口から引き裂けた嗚咽が零れる。一歩、また一歩と後退あとずさりながら、やがて一目散に駆け出して教会の扉を殴るように開いて、外に出た。
外に出た途端、ジョンを招いたのは一面の闇だった。黒一色の、何も無い暗闇。
何もない筈なのに――、目の前にジェーンが横たわっていた。「あの日」のように、ジョンを庇って倒れた「あの日」と同じように、両手を広げ、俯せに倒れていた。
「っ、あ、ぁあ、あ……ッ」
ジョンが言葉にならない音を口から発する。
ジェーンの奥にはワトソンが倒れていた。更にその隣にはシャーロックが倒れていた。
――「あの日」と同じように。「あの日」と同じように。「あの日」と同じように。
皆、自分の為に死んだ。自分が不甲斐ないばかりに、自分が何も出来ないが余りに。
自分は託されたのに。この体に刻まれた「傷」は「疵」は「瑕」は、決して何かの過失や損失ではなく、世界に残す「痕」と「跡」と「蹟」として――。
「ジョン……、どうして……?」
背後からの声に、ジョンはバッと振り返った。――修道服を血で真っ赤に染めたジャネットが、そこにいた。
「うわああああ――ッ!」
ジョンが今度こそ悲鳴を上げた。尻もちをつき、恐慌した顔でジャネットを見上げる。
ジョンは、フラフラと覚束ない足取りで歩を進めて来るジャネットから逃げるように這い蹲りながら、後ろへ後ろへと下がっていく。
やがてジョンの背中が何かにぶつかった。恐る恐る、震えながらジョンが振り返る。
立ち上がったジェーンが、虚ろな目付きでジョンを見下ろしていた。
「…………!」
声を上げることも出来ず、ジョンはただ地に這い蹲ったまま動かなくなった。
「約束、したのに」
ジェーンが胡乱な声でそう言った。
「……やく、そ、く……?」
やくそく、やくそく、やくそく……? どこかで聞いた覚えがあった。何か、大事な約束を、僕は――、
「……やく、そ、く……?」
何か大事な約束を、誰かと交わしたような気がしたけれど、何も思い出せなかった。
ジョンの両脇に、ジェーンとジャネットが倒れる。ドサッという音を最後に、ジョンの世界に音が無くなった。
無音、無音、無音。無明、無明、無明。ジョンは目を見開いたまま、何も無い世界で座り込んだまま、四人の死体が腐っていく様を、ただ黙って見詰めていた。
ふてぶてしいながらも案ずるような声。幼年ジョンがそちらに目を向けると、「んっ」とジャネットが手を突き出して来た。
しかし、幼年ジョンはその手を取らずに不機嫌そうな表情のまま、自分の力で起き上がった。
ジャネットはそれを見て、少し傷付いたような顔をしたが、すぐに気を取り直し、
「元気出しなさいよ。しょうがないじゃない、シャーロックは強いんだから」
「…………」
幼年ジョンは答えず、ジャネットから目を逸したまま、目元を拭う。情けなくて、悔しくて、涙を流しそうになっていた。それを目聡く見ていたジャネットがニヤリと笑うが、彼女が何かを言う前にワトソンに頭を叩かれた。
「お前は他人を追い詰めるような真似をするな。まったく、少しは淑女らしさをジェーンから学んだらどうだ」
「な、なんでそんな事を言われなきゃならないのよ! 大体、ジェーンは絶対に淑女なんかじゃないわ! アタシなんかとは比べ物にならないくらい、えげつない奴なんだから!」
そんなものを比べるんじゃないと、ワトソンは更にジャネットの頭を叩いた。不公平だと訴える彼女を尻目に、今度はジョンの肩を叩く。
「強い奴は強い。まずはその強さを認めるところから始めるんだ」
「…………」
ワトソンの助言にすら、幼年ジョンは悔しさから頷けない。それを察したワトソンは「しょうがない奴だ」と苦笑して、ジョンの肩をまた叩いた。
ワトソンはいつだってこうだったと、ジョンは懐かしむようにそう思った。いつだって自分を鼓舞してくれたり、励ましたりしてくれたし、的確なアドヴァイスだってしてくれた。なんでも体で教え込もうとする父と違い、理屈や理論で話をしてくれた。あれは本当に助かった――と、今更ながらジョンはワトソンに感謝した。
五人の声が教会の中に響き渡る。ジョンはその様子を身廊の中程から、愛おしそうに眺めていた。
もう戻って来ない人達と会うには、夢を見るしかないのか――。ジョンは知らず俯いて奥歯を噛み締め、拳を震わせていた。
「――ジョン?」
ハッとなり、ジョンは顔を上げる。視線の先には幼いジェーンがいた。彼女は小首を傾げながら、心配するようにジョンを真っ直ぐに見上げていた。
「嗚呼……――」ジョンの膝が崩れ落ちた。震える手でジェーンの肩に両手を置き、懺悔するように言葉を堕とす。「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。約束したのに、自分に誓った筈なのに。何も出来なかった。手を伸ばす事すら出来なかった。僕は何も出来ずに、君と親父とワトソンを――」
謝罪、謝罪、謝罪。罪の告白、罰の独白。幸福な筈の光景に、「現在」という異物が混ざる罪過。今までもこれからも、己の無力さを痛感していく呪縛。
「……そうね。貴方は、何も出来なかった」
ジェーンがジョンの手を握る。潰すように強く、責めるように強く。
ジョンが顔を上げたその直後、彼の顔が引き攣っていく。
小さなジェーンが、静かに微笑む。その口の端から血が滴る。その鼻から血が落ちる。その目から血が流れる。額が、頬が、首が、胸が、腕が、腰が、脚が、まるで潰れいく果実のように血を吹き出していく。
「あ、あ、あ、あ――ッ!」
ジョンの口から引き裂けた嗚咽が零れる。一歩、また一歩と後退あとずさりながら、やがて一目散に駆け出して教会の扉を殴るように開いて、外に出た。
外に出た途端、ジョンを招いたのは一面の闇だった。黒一色の、何も無い暗闇。
何もない筈なのに――、目の前にジェーンが横たわっていた。「あの日」のように、ジョンを庇って倒れた「あの日」と同じように、両手を広げ、俯せに倒れていた。
「っ、あ、ぁあ、あ……ッ」
ジョンが言葉にならない音を口から発する。
ジェーンの奥にはワトソンが倒れていた。更にその隣にはシャーロックが倒れていた。
――「あの日」と同じように。「あの日」と同じように。「あの日」と同じように。
皆、自分の為に死んだ。自分が不甲斐ないばかりに、自分が何も出来ないが余りに。
自分は託されたのに。この体に刻まれた「傷」は「疵」は「瑕」は、決して何かの過失や損失ではなく、世界に残す「痕」と「跡」と「蹟」として――。
「ジョン……、どうして……?」
背後からの声に、ジョンはバッと振り返った。――修道服を血で真っ赤に染めたジャネットが、そこにいた。
「うわああああ――ッ!」
ジョンが今度こそ悲鳴を上げた。尻もちをつき、恐慌した顔でジャネットを見上げる。
ジョンは、フラフラと覚束ない足取りで歩を進めて来るジャネットから逃げるように這い蹲りながら、後ろへ後ろへと下がっていく。
やがてジョンの背中が何かにぶつかった。恐る恐る、震えながらジョンが振り返る。
立ち上がったジェーンが、虚ろな目付きでジョンを見下ろしていた。
「…………!」
声を上げることも出来ず、ジョンはただ地に這い蹲ったまま動かなくなった。
「約束、したのに」
ジェーンが胡乱な声でそう言った。
「……やく、そ、く……?」
やくそく、やくそく、やくそく……? どこかで聞いた覚えがあった。何か、大事な約束を、僕は――、
「……やく、そ、く……?」
何か大事な約束を、誰かと交わしたような気がしたけれど、何も思い出せなかった。
ジョンの両脇に、ジェーンとジャネットが倒れる。ドサッという音を最後に、ジョンの世界に音が無くなった。
無音、無音、無音。無明、無明、無明。ジョンは目を見開いたまま、何も無い世界で座り込んだまま、四人の死体が腐っていく様を、ただ黙って見詰めていた。
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