15 / 106
第一章 黒猫の恋
第15話 黒猫は策を弄する
しおりを挟む鈴木の裏切りを知ったあの日から、何となく胸のつかえが取れない。
裏切られたのは俺ではないのに、鈴木に対しての怒りが収まらず頭の中でアイツを何度殴りつけたかわからないが、殴っても殴っても満足する事はなく、静かな怒りがずっと心の中に燻ったままだった。
ただ、そのおかげなのか、鈴木の所業が詳らかになったことで、そっと陰から彼女の幸せを願い見守るつもりだった俺の気持ちは、如何にして彼女を手に入れ、幸せにするかという方向へ一気に転換した。
気持ちが固まったからなのだろうが、今まで押し込めていた分、彼女を渇望する気持ちが以前よりも大きくなって、その分胸が痛む事も増えたが、その痛みですら今は甘く感じている。本当に俺らしくなくて自分自身に呆れてしまう程だ。
こんな俺は病気なのかもしれない、と本気で思ったりもしたが、それ程までに俺は彼女を想っているのか、と自覚をすると、すとんと腹落ちした。
それに寧ろ彼女のせいで病んでいるのであれば、それですらも愛おしく感じてしまう。
俺の中で所在のなかった気持ちが固まったのは確実に鈴木の事がきっかけで、それだけは怪我の功名かもしれない。
これからの行動方針も定まったのは良かったのだが、何も知らないでいる彼女の気持ちを思うと気が晴れない。
少しでも早く彼女を迎えにいければいいのだが、肝心な彼女との接点も見つからない。
一刻も早く、彼女との接点を作らないと……
もう手は打ってある。
彼女を想い甘く疼く胸の痛みを抱きしめて俺は心の中で笑んだ。
そんな事を思いながらも俺の仕事は相変わらず忙しく、連日連夜日付が変わるまで仕事をしても追いつかない程で、さすがの俺も忙殺される寸前だった。
仕事も恋愛も上手く事が運ばず、悶々とした日々が過ぎていく。
会いたい気持ちだけがどんどん募っていった。
◇◇◇
大きな仕事が一段落したこの日は、週の中日の水曜日で一日外出で帰社した時間は19時半。定時の18時はとうに過ぎている。
毎週水曜日はノー残業デーだけあって、流石にこの日ばかりはオフィスには人は疎らに残っているだけだった。
自席に戻るとデスクには新規の仕事と、後回しにしていてまだ手付かずだった書類が山のように積まれている。
新規の仕事以外に、手付かずだった提案書と見積もり、契約書関連が数件… それらの納期をひとつひとつ確認すると、幾つかはどうやら今週中に仕上げなければならない物があり、思わず溜息を吐く。どう考えてもオーバーフローだ。
まず、手付かずの書類の一部をサブマネ3人に振るとしても、まだまだ仕事が残る。どう考えても、俺一人で回せる仕事量ではなく、週末まで残り2日で終わらせられる量ではなかった。
さてどうしたものか。休日出勤やむなしか?
考え過ぎて少し頭が痛くなってきたので、気分転換に屋上へ夜風に当たりにでると、ひんやりした夜の空気が心地よく頬を撫でる。
とりあえずいつものようにタバコを咥えて火を着けると、深くひと息吸い込む。タバコをふかしながらあれこれ思案していると、パンパンになっていた頭が次第にクリアになっていった。
「よっ!猫ちゃん最近調子どうよ?」
背後から声がして振り向くと、この時間には珍しい来客がやってきた。
「瀬田か…珍しいな。ていうか、お前禁煙中じゃなかった?」
端正な顔立ちで一見冷たくお固く見える、同期で管理本部のサブマネージャーの瀬田 渉は、話してみると口は悪いが非常に気さくで砕けたやつで、同期の中でも数少ない友人である。
「はっ!禁煙なんて辞め辞め!ただでさえ仕事でストレス溜まるっつーのに、この上、禁煙のストレスなんて俺には耐えらなかったわ。」
瀬田は俺の嫌味をキレイにスルーすると、心底嫌そうに大袈裟に手をブンブンと振りながらつかつかと大股で隣にやってきた。
「我慢は身体に悪ぃしなぁ。」
普段見せている鉄壁のポーカーフェイスを崩し人懐っこい笑顔を浮かべて瀬田は楽しそうにくつくつと笑うと、スっと俺の胸ポケットから勝手にタバコを抜いて咥えた。
「ははは、さよか。」
俺が苦笑いしながらライターを差し出すと、瀬田はそれを受け取りタバコに火を着け、深く一口吸いこみ煙を吐き出す。
「くぁー、やっぱうめーなぁ…」
そう言いニカッとはにかむ瀬田を横目に、俺はタバコの煙を吐き出しながら瀬田に尋ねた。
「ところで瀬田、こんな時間にここに来る、ということは俺を探してたんだろ?で、何か用?」
昼間ならまだしも、この時間に屋上に人が来るのはそうそういない。ましてや禁煙中の瀬田には余計にここに来る理由がないはずなのだ。
その瀬田がここに来た、ということは恐らく俺に用事があったのだろうが、当の瀬田はそんな素振りは一切みせず、美味しそうにタバコをふかしている。
「んー、用って程でもないんだけど……そーいや猫ちゃんさ、オンナでも出来た?」
俺の質問をサラリと躱してそう言うと、瀬田は表情を崩さず手に持ったタバコを咥えまた深く吸った。
「は?突然なんだよ?」
相変わらずのポーカーフェイスに若干イラッとした俺は、イラつきをそのまま瀬田にぶつける。
「いやさ、最近、合コンにも飲み会にも全然顔ださないじゃん。あんなに女をとっかえひっかえしてた猫ちゃんが、最近大人しいからさ。」
またまた瀬田は俺のイラつきを綺麗にスルーしてそう言うと、今度は先程までのポーカーフェイスを崩してニヤリと笑った。
一体なんなんだ?
俺は瀬田の唐突な言葉に意味がわからず目をぱちくりさせる。
先程からの瀬田との脈絡のない会話から想定すると、何だか世間話でもしに来たような?ないような?
確かに瀬田の言う通りで、彼女と出会う以前の俺はセックス出来れば誰でも良かったから、女をとっかえひっかえしていた事は否定出来ないし、不毛だと思いながらも、肌を合わせる心地良さに抗えず、手当り次第に手を出したことも否めない。
……うん、俺、結構な屑だな。
振り返ってみると若干凹んだので、とりあえず反省してみるが、未だ話の意図がみえない。
本当に瑣末な用事なのだろうと俺は結論付けると、何だかバカバカしくなってきてふっと肩の力が抜けた。
ひとり反省会をしている俺の横で、瀬田はニヤニヤと探るような視線を向けてきた。
「俺はてっきり束縛屋な彼女でも出来たかと思ったんだけど……違う?」
「…別にそういうんじゃないよ。ただ、仕事が忙しいだけ。」
間違っても、女はいないが惚れてる相手がいる、とはいえなかった。瀬田の事だ、どうせ面白おかしく揶揄ってくるに決まっている。それに仕事が忙しい事も事実だし、嘘は言っていない。
知られるのも面倒なので、悟られないように素っ気なく言うも、瀬田はニヤニヤ顔のまま。勘のいい瀬田の事だからもしかしたら何か気がついたのかもしれない。
俺がなんと弁明するか、あれこれと考えを巡らせていると、何かを察した瀬田が先に口を開いた。
「ふーん。なぁ、社内だろ。もうヤッた?」
「ヤる以前にそもそも認知すらされてない。」
もうバレてるならと思い、サラリと告げると瀬田は意表を突かれて吃驚したのか、口をあんぐり開き思いっきり目を見開いた。
俺の態度から相手が社内の人間だと気付く洞察力はさすがだが、先程からの下世話な発言は些かいただけない。
諸々の発言に少々イラついていた俺は、子供じみているとは思ったが、それまでの反撃のつもりで思いっきり嫌味を言ってやる事にした。
「ははっ、マヌケ顔だな。色男が台無しだ。」
片口角を上げて俺がそう言うと、それまで大口を開けて固まっていた瀬田はハッと我に返った。かと思うと、今度は途端に前のめり気味に捲し立ててきた。
どうやら意趣返しは成功したようだ。
「いやいやいや?!お、お前、嘘だろ?!あの…お前が?!まだ手を出していない?!てか認知されてない?スーパーエースのお前だぞ?知らない奴なんていないだろ?!」
「いや、ほんと。いるんだなぁ…これが。」
「てか、えぇ……それって一体どういう事だ?!どんな女でも、お前が一言抱かせろと言えば、みんな喜んで股開くだろ?!」
心外だ。抱かせろなんて言わなくても、抱いてくれって縋りつかれる事が大半だ…という言葉が喉まででかかったが、これ以上は薮蛇なので、俺は言葉を飲み込むと、代わりに瀬田をジト目で睨めつける。
「瀬田……お前には俺がどんな人間に見えてるんだ?」
「んー、女ったらしのプレイボーイ……な野良猫?」
俺の嫌味な視線など何処吹く風で、真顔でサラリと暴言を吐く瀬田に軽く殺意を覚えるが、本人は至って真面目で一切悪びれる様子はない。
その清々しいまでの毅然とした表情に俺は脱力し、毒気を抜かれると、乾いた笑いが零れる。
まぁ、事実だったから反論は出来ないが……
短く溜息を吐いて、瀬田に言う。
「はぁ…ていうか、そんな事を言うために俺を探していたのか?暇なのか?」
「いや、暇ではないな。単純に心配だったっていうか……なんか最近のお前の数字をみると無理しているように見えたから。それで、なんかあったのか?昔は女に逃げてたが、今は仕事に逃げてるのか?」
「……本当に忙しいだけだよ。マネージャーはやること多いんだよ。お前と違ってな。」
「へー、さようですか。どうせ俺はまだサブマネですよ。そういう嫌味を言うやつには、本部長からの伝言は伝えないでおこうかな。待ちわびてるかと思ってわざわざお前を探して来たのになー。あー、無駄足だったなー。」
態とらしく拗ねた様子を見せる瀬田の言う、本部長からの伝言…それは、
俺の案件を仲原さんに優先的に回して欲しい
という要望に対しての返答だろう。瀬田の言う通り、とても待ちわびてた。
それはそれは首を長くして…
俺は、ウジウジ拗ねた真似をする瀬田を無視して、本部長からの返答内容を促す。
「それで、本部長はなんて?」
「いやっ!猫ちゃん、冷たいから教えてあーげない。」
瀬田はそう言ってぷいと横を向く。揶揄っているのはわかるが、面倒臭いモードにスイッチが入った瀬田は、こうなると暫くウザイ。延々とぶりっ子の真似をして、ウザ絡みをしてくる。とりあえず機嫌をとって早く返答を聞きたい所なのだが……
時間もないので、ここは俺が折れておくべきだと判断をして、即行動に移した。
「はいはい、俺が悪かったから…早く教えてくれ。頼むよ。な?」
「えー?じゃあ、渉のお願い聞いてくれる?」
「うー…わ、わかったから。で、本部長はなんて?」
俺の言質を取った瀬田は、言ったな?、と言い、片口角を上げて不敵に笑った。ぶっちゃけ嫌な予感しかしない。
「本部長から、"お前の提案を了承した"と。ただ、表向きは、"お前の案件はお前が担当指名する事になった"と発表するそうだ。それでいいか?だと。」
本部長からの望んでいた通りの返答に、俺は心の中で快哉を叫んだ。
ここからだ。
ここから彼女の外堀を徐々に埋めていき、最終的に彼女を手に入れる。
どうあっても絡まなかった俺と彼女に、ようやく出来た接点……
漸くスタートラインに立てたことが嬉しくて俺は歓喜で震えた。
気を引き締めていないと、自然と頬が緩んでしまう。傍から見るときっと緩みきっただらしのない顔になっているんだろうが、そんな事に構っていられなかった。
「それで猫ちゃん、ニヤニヤしている所申し訳ないけどぉ、渉のお願い聞いてくれるんでしょー?」
隣から気持ちの悪い猫撫声が聞こえてきた。
しまった、瀬田の事をすっかり忘れていた……
そう思った時には時すでに遅し……
恐る恐る声のした方へ振り向くと、俺以上にニヤニヤした瀬田がいた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
禁断溺愛
流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。
出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜
泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。
ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。
モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた
ひよりの上司だった。
彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。
彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……
ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?
春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。
しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。
美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……?
2021.08.13
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる