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第一章 黒猫の恋
第16話 瀬田のお願い
しおりを挟むあれから、面倒臭いモードになった瀬田のお願いを聞くため、俺は居酒屋へほぼ拉致されるかの様に連れて行かれ、そして、今まさに目の前には生ビールのジョッキが置かれた所である。
確かに、お願いを聞いてやるとはいったが、まさか今日飲みに連れて来られるとは思いもよらず。
断る口実とかではなく真実で、今週中にやらなければならない急ぎの仕事があるから無理……と断ったのだが、瀬田は聞く耳なんて無い。
「あれれ?渉のお願い……聞いてくれるって話だったよね?」
にっこりと綺麗な笑顔を浮かべてそう宣う。
わかっていはいたが、もちろん聞き入れて貰えるはずもなかった。
「いや、マジです。本当にヤバいの。こんなピンチ未だかつて無い。今回ばかりは仕事の納期が守れなそうな程、ヤバいの。」
俺は瀬田に念を押すようにそう言った。
すると瀬田は少し考えるような素振りをすると、何かを思いついた様に、ぽんと手を叩いて高らかに宣った。
「あ、じゃあその仕事のために管理本部から1名サポートを派遣するからさ!それでいいよね?ね?ね?ね?はい、じゃあそれで行こう!これで安心だね。じゃあ心置き無く飲みに行くよ!」
そう勢いよくさっさと纏められてしまっては、本格的に断る理由が無くなってしまった。退路を絶たれるとはまさにこの事だろう。
そして、あれよあれよという間に個室に通されたかと思うと、目の前に生ビールまで運ばれてきてしまっているのが今の状況だ。
こうなってしまってはもう逃げられない。
ここまできて、漸く諦めがついた俺は、もうどうにでもなれと半ば捨て鉢のように目の前の生ビールのジョッキを手に取り、ゴクゴクと煽ると、キンキンに冷えたビールが乾いた喉を通っていくのを感じた。
こんな状況だけど、文句無しに美味いものは美味い。
だが、そんな美味いビールの喉越しを堪能した後に、目の前でニヤニヤしている瀬田の顔が視界に入ると、あまりの不愉快さに折角の美味さが台無しになる。
「はぁ……お前のお願いは昔から碌な事がないから嫌なんだよなぁ。」
「いやん♡猫ちゃんったら褒めても何も出ないわよ♡」
俺がやや不機嫌そうに溜息混じりに不満だとボヤいたにも関わらず、巫山戯ているのか、くねくねと撓を作る瀬田を見て頭が痛くなってくる。
「真面目に話す気ないなら……もう帰ろうかな…」
額に手を当てガックリと項垂れ、遠い目をして言う俺を見て、瀬田は何故か楽しそうにくつくつと笑った。
「すまんすまん、揶揄いすぎたな。で、肝心のお願いなんだけど…さっき、サポートを1名付けると言ったろ?そいつとセットでもう1名引き取ってくれないかというのがお願いなんだが。要するに、サポート要員にサポートを付けて派遣するって事なんだけど…引き受けてくれるよな?」
サポートにサポートを付けて寄越す?
一体何のために?
何だか要領を得ない変な依頼に首をかしげると、瀬田は実際の詳しい依頼内容を話してくれた。
今回も、サポートのサポートに付けるのは管理本部にいる2年目の女子社員で、実はこの社員が中々の曲者らしい。
仕事の覚えが悪いだけでなく、勤務態度も最悪との事で、平たく言えば、今回俺のサポートに付ける事で、その問題社員を更正させる手伝いをして欲しいというのが正式な依頼内容らしい。
話を聞いて再び頭が痛くなってきた。
「……事情はわかったがなんで俺が…?忙しいって言ってるのに。」
「んー、まぁ、メインにはベテランつけるからさ。お前の仕事はほぼソイツひとりで賄えると思うよ?」
「それにしても……随分と急な話だな。」
「お願い聞いてくれるっていっただろ?タイミングが良かったからね。それに、これは本部長からの指示だよ。あの人基本的にギブテクでしょ?」
「はぁ…すんなり了承したのはこれか。やっぱ見返りなしに要求通すわけないよな。相変わらず食えない狸親父だわ。」
やっぱり、と俺は短く嘆息した。
薄々気付いてはいたが、本部長からのGOは、やはりこれありきだったか……
正直面倒臭い。非常に面倒臭い。と言うより、彼女以外の女に神経を割くこと自体が、死ぬほど面倒臭い。やりたくない。
しかし、俺の無茶で無理な要件を通してくれたのも事実なのだ。
そう考えるとこちらに断る権利は…万に一つもない。
瀬田の言う通り、本部長は基本的にギブアンドテイクなのだ。やらなければ次にもし頼み事があったとしても、絶対に聞いてもらえない。
この件がなければ当然断った案件だが、彼女とのこれからため…
でも、面倒臭い…実に面倒臭いが、仕方がないと受け入れるしか無かった。短く嘆息する。と、ここでふと疑問が湧く。
管理本部のメンバーなのだから、管理本部内で対応すればいいのではないか。
「ていうか"問題のある女子社員"ねぇ…そんなの瀬田が対応すれば済むことじゃないの?」
俺がそう言うと、瀬田の顔からサッと血の気が引いたかと思うと、今度は本気でぶるぶると震え出した。
「いやいや…俺はダメだ。もう既に……言い寄られてさ。その件で嫁に誤解されて……本っっっっっ当に大変だったんだ。その上、変な噂でも立てられでもして、それがお義父さんの耳に入ったら………真偽は関係なく、俺はきっと社会的に抹殺されるに決まってる。」
「あ、あぁ…本部長ね。確かにそれは否めないな。」
瀬田の言う"お義父さん"とは営業統括本部長の事で、瀬田の嫁が本部長の娘の為、本部長は瀬田の義理の父にあたる。
そんな本部長は普段は温和で人当たりのいい何処にでもいるおっさんなのだが、流石営業部を統括している本部長だけあって、仕事に関しては頭がキレるとてもクレバーな人だ。
そしえ、別の意味でもキレたら非常に厄介な人だと言うことに加えて、二人の娘を溺愛している自他共に認める親バカなことは営業部全体では周知の事実である。
娘の為ならなんでもやる親バカな本部長は、溺愛している娘が傷つけられたら、恐らく表立って何かする訳ではないが、裏から手を回し確実に相手を追い詰めるだろう。
そんな訳なので、例え浮気ではなかったとしても、部署の社員と噂となったら血を見ることになるのは明らかだった。
濡れ衣着せられて本部長に追い詰められる事を想像して恐慄く瀬田が、少しだけ不憫に思えてくる。
まぁ、俺には関係ないが……
瀬田いわく、管理本部のリーダー以上の男性役職者は、ほぼ全員がその女子社員に言い寄られ、管理本部ではお手上げ状態とのこと。
そこで最近浮名を流していない俺に、白羽の矢が立ったのだろう。
なるほど、俺への社員更正依頼は、瀬田から本部長への進言があっての事だったのかと得心した。
「はぁ…本当にお前は俺を面倒事に巻き込むよな…ていうか、言い寄られたってどういう事だよ。」
「そのままだよ…もうね、あからさまな媚び。馬鹿な男は煽てられて言うこと聞いちゃうけど…偶然を装って待ち伏せされたり、手作り弁当やらスイーツとかの差入れとか。何しに会社来てるんだって感じよ。オンナ全面に出してきて、もう色々とゾッとする。」
一時期、俺と一緒に合コン三昧だった程の女好きな瀬田が、震え上がる程とは一体どんな事をされたのか…全く興味が湧かない俺はそれ以上の追求を辞めた。
「ていうか、そういう女の扱いは猫ちゃんがピカイチでしょ?だって君、社内と面倒くさい中身カラッポ女には手を出さないもんね。」
「……惚れた女は別だけど。」
しまった!と思った時には時すでに遅し。思わず出た俺の本音に、瀬田ががっちり食いついてきた。
「それな!それも聞きたかった!なぁ、惚れた女って社内だろ?で、誰だよ?俺の知ってる人か?」
「……教えねーよ。」
俺はそれだけ言うと、内心はバクバクしていることを隠し、涼しい顔を装ってタバコをふかした。
その様子に、先程まで蒼白になっていた瀬田が、今度は意味ありげにニヤリと笑い、戯けるような口調で言った。
「またまた連れないねぇー。あ、でも俺心当たりあるぞ?えーと、確か…"なつき"だっけ?」
瀬田の言葉に俺は一瞬固まった。
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