【R18】黒猫は月を愛でる

夢乃 空大

文字の大きさ
27 / 106
第一章 黒猫の恋

第26話 いつもの指定席

しおりを挟む
 
 彼女に逃げられ悲惨な週末を過ごした翌日の月曜日。
 この日は朝からアポイントが立て込んでいて、終日外出予定だった。

 午後のアポイントが終わって、グループウェアの予定を確認すると最終アポイントの時間は17時で帰社時間は19時。

 これではどんなに急いでアポイントを終わらせても16時から18時の全体MTGには間に合わない。彼女を捕まえるためには、会議の時間内に帰社するのがマストになる。
 今日の会議の司会の瀬田には、なるべく開会を遅めて貰うように根回しは済んでいたが念のため、17時の最後のアポイントを後日にリスケをするべく、クライアントに連絡をした。


「よし、これで何とか16時過ぎには帰社できるな。」


 会議の開会には間に合わなくとも、始まってすぐ…婚約発表の後位には到着できそうだ。

 腕の時計を見遣ると15時50分…
 俺は急いでタクシーを拾う。



 ◇◇◇



 タクシーを降りるとそのまま部署に寄らず会議に向かう。
 大会議室に着いたのは16時半を少し過ぎた頃だった。

 受付にあるアジェンダを手に取り、後方の入口を開けるとちょうど鈴木と宮田の婚約が発表された直後で、紹介された鈴木が前に出て挨拶をしていた。
 会場は祝福ムードで盛り上がっていたが、俺は胸糞悪くて何処か冷めた目でそれを見ていた。

 良くもまぁ…二股相手とは言え元恋人の前であんな惚気が出来るな…

 鈴木の厚顔無恥さに、呆れて溜息が出る。
 鈴木の事はどうでもいい。勝手にしてくれ。

 そんなことよりも……

 俺は入口からマネージャー席に目を遣る。
 俺の席が空席なのは当たり前だが、いるはずの彼女の姿がそこにはなく、彼女の席も空席だった。

 まさか、欠席しているのか?

 グループウェアで事前に彼女の予定は把握していた。
 責任感の強い彼女が、何の予定もなく会議を欠席するはずがないので、もしかすると火急のアポイントが入ったのかもしれない。

 当てが外れた俺は落胆の溜息を吐き、会議室へ足を一歩踏み入れ、を見る。


 ―――っ!!!!


 最後尾の窓側の一番角の、俺がいつもその場所から彼女を眺めていた席。


 そこに座っていたのは誰でもない、彼女…名月だった。



 そこに座って名月は、泣いていた。
 その大きくて綺麗な瞳に鈴木を映して、顔をくしゃくしゃにしてポロポロと大粒の涙を零して…

 その姿に俺の胸がズキリと痛んだ。

 俺は踵を返して会議室の外に出る。
 泣いている名月と顔を合わせられなかった。

 俺が不甲斐なかったばかりに、名月を辛い目に合わせてしまった…
 さっさと行動を起こさなかった過去のヘタレな自分が酷く情けなくて、握った拳を壁に叩きつけ、大きく息を吐いた。


 このまま部署に戻ることも一瞬頭を過ったが、名月の泣き顔を思い出し踏みとどまった。

 名月に心の中で、ごめん、と何度も、何度も謝罪する。

 婚約者の裏切りを目の当たりにして、きっと今名月はひとりぼっちで心細いはずだし、傍にいてやりたい。

 いや、なによりも俺が名月の傍にいたい。

 名月の幸せのためと思い、鈴木に遠慮してきたが今は違う。
 俺は、もう遠慮などしない。
 何があろうと名月を手に入れて、俺が幸せにすると決めたのだ。

 両手で顔を叩いて気合いを入れ直すと、俺は名月の為に自販機で水を買い、再度会議室に向かった。



 ◇◇◇



 俺が会議室に戻ると、名月は俺のいつもの指定席で俯いて声を殺して泣いていた。

 俺は名月の隣の席に行き、先程買ってきた水と鞄に入っていた新品の予備のハンカチを膝の上に置いた。


「よかったらこれ使って。」


 そう言って名月をちらりと見ると、赤く染まった頬と涙で濡れたその横顔がとても綺麗で、ドキリと心臓が跳ね上がった。
 そして、名月にそんな顔をさせている鈴木に酷く嫉妬する気持ちが湧き上がる。


「あ、あの…」


「……いいから。」


 お礼を言うため顔をあげようとする名月を制止し、彼女の頭からジャケットを被せた。

 きっと、今の俺は嫉妬心丸出しの酷い顔をしているだろう。
 そんな顔を名月に見られたくなかったし、名月の綺麗な泣き顔を誰にも見せたくないとも思った。


「誰にも言わないから。泣くだけ泣いてスッキリしたらいい。」


 嘘だ。

 あんなやつのために泣かないでくれ。
 その涙ごと俺が受け止めるから。

 そう言って、本当はその細い身体を抱き締めたかった。
 できない変わりに、俺は名月の震える背中をただ撫でていた。


 どのくらいの時間が経っただろうか。

 会議の議題もそろそろアジェンダの最後のトピックスに移ろうとしていた時、社用携帯に部下の松本から緊急の案件があるとメッセージが飛んできた。

 メールの文面から、かなり切羽詰まった状態が伺えた。部署の責任者としての決済が必要とのことなので、急いで部署に戻らなければならなくなった。

 なんでこんな時に……と、俺は短く嘆息して、ちらりと隣の名月を見ると、泣き疲れたのだろか、うつらうつらと船を漕いでいた。

 まるで子供みたいだな…

 一度寝たらなかなか目が覚め無い事は、既に土曜日の朝方経験しているので知っている。
 俺はくすりと笑うと、そっと名月の涙を指で拭い、ジャケットで周りの視界から彼女を隠して額にキスをした。

 本当は彼女がこのまま起きるまで横についていてやりたかったし、その後食事に誘って連れ出して想いを伝えたかった。
沢山甘やかして、悲しみの涙ではない喜びの涙を流させてあげたかったのに……

この、松本から来た件……トラブル案件の対応が、メールを見ただけでも恐らく深夜までかかりそうなのが予測される為、今日はこのまま離れるしかなかった。

 彼女を見つめ深い溜息を落とすと、サラサラっと付箋のメモを残す。

 どう頑張っても今日は深夜まで作業になるだろう。
それならば、後でジャケットを回収するつもりで、そのまま置いておいて、と書くと机に貼った。

席を立ち支度をしている時、このままだと何かの拍子に付箋が飛ぶかも?と思い直して、机に貼った付箋を剥がして、椅子の背もたれに貼り、背もたれを彼女の方へ向けておいた。


「名月…またね。今度こそ、俺から逢いに行くから。」


 俺は眠っている彼女の髪をするりと撫でると、後ろ髪を引かれながら会議室を後にした。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜

泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。 ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。 モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた ひよりの上司だった。 彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。 彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

新人メイド桃ちゃんのお仕事

さわみりん
恋愛
黒髪ボブのメイドの桃ちゃんが、働き先のお屋敷で、旦那様とその息子との親子丼。

処理中です...