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第一章 黒猫の恋
第28話 黒猫と彼女の再会
しおりを挟む幸いにも心配していた渋滞もなく、16時半を少し過ぎたところで帰社出来た。
初めから今日は直帰するつもりだったので、タクシーを降りると
部署には立ち寄らずまっすぐ大会議室へ向かう。
入口でアジェンダを取り、いつも通り後方の入口から入室すると、前回同様、俺の指定席には名月がいた。
見間違いじゃないだろうか?俺は吃驚して目を瞬かせると、ゴシゴシと目を擦った。
前回は元恋人・鈴木の件があったから仕方ないにしても、責任感の強い名月は、いつもならマネージャー席に着いているのだが、今回もそこに座っているのは何故なのだろうか。
理由は俺には皆目見当もつかないが、間違いなく名月はそこにいた。
目の前に名月がいることがまだ信じられなくて、しばらく入口付近で名月を観察していると、ぼうっと窓の外を眺めたり時折溜息を吐いたりと、何かを仕切りに気にして気もそぞろで、会議の内容がしっかり入っていっていないように見受けられた。
座席の件といい気もそぞろな件といい、理由がわからない俺は、突如言いようのない不安に襲われる。
一体何を気にしているのか。
まさか、まだ鈴木に未練があるのだろうか?
そんな不穏な事が頭を過ぎり、途端に激しい嫉妬心と独占欲に心が支配される。
頭がカッとし、無意識に拳を握り奥歯をギリッと噛み締めた。
この後に及んで鈴木の事を思うなんて、そんな事は許さない。
今すぐ隣に行ってその瞳に俺を映したい…
そのまま彼女の唇を奪ってやりたい…
そんな不純で冷酷な思いに突き動かされ、俺は入口から会議室内に歩をすすめた。
ちょうどその時、議題が変わり4月入社の新卒社員の研修担当の役職者の選定の話になった。
最初に研修スケジュールの確認と、研修担当とOJTに必要な役職の人数確認をし、適任者の名前を挙げていく。
第一営業部からは研修担当に名月の名前が上がった。
途端に、目の前の名月の顔がサァッと青ざめた。
直後に真っ赤になったかと思うと、今度は俯いて何かをぶつぶつと呟き、また青くなってうんうん唸り始める始末。
俺は静かに隣の席に着くと、頬杖を付いて、くるくると変わる名月の横顔を眺めていた。
しかし、こんなに近くでじっと見つめているのに、全くこちらに気付くこともなく赤くなったり青くなったり頭を抱えたり…
その様子があまりに可笑しくて、俺は我慢できずに思わず吹き出してしまった。
気が付くと先程までの冷酷な感情はすっかり消え失せていた。
俺が吹き出したのが聞こえたのだろうか、先程まで正面を向いていた名月がくるりとこちらに顔を向けた。
そして、俺が視界に入ると目をまん丸に見開いて俺を見た。
その瞳にはしっかりと俺が…俺だけが映っていた。
ようやく愛しい名月の視界に入れた、それが何とも嬉しくて思わず笑みが溢れた。
「ふふっ、今日は泣いてないと思ったら、今度は百面相?」
そう言うと、名月はぷるぷると震える手で俺を指差しながら固まった。
何かを言おうとしているのか唇はわなわなと震え、顔が徐々に紅潮して行く。
その様子が可笑しくて可愛くて、俺は堪らず笑う。
瞬間、弾けたように名月が声を上げた。
「ジャ、ジャケットの人!!!!」
「ふはっ、何それ?ジャケットの人?それって俺の事?」
顔を紅潮させ目をキラキラさせて、名月は俺のことを"ジャケットの人"と呼んだ。
ジャケットの人?あぁ、そうか。先月のあの件ね。
あれ?俺、付箋に名前書かなかったっけな?失敗したな…
それにしてもジャケットの人って……
一体どんな覚え方だよ、と名月の独特な認識の仕方が可笑しくて笑いが止まらない。
でも、どんな覚え方でも構わなかった。やっと彼女に認識して貰えたという事実が嬉しくて、俺を熱くさせた。
俺は笑いながら名月の方に目を遣ると、名月は頻りに鞄をガサゴソと漁っている。
何をやっているのか、と暫く見ていると、名月は底の方に何かを見つけたらしく、あった!と言い、嬉しそうに鞄から、綺麗にラッピングされた袋を取り出した。
その様子が、一部始終が可愛くて、俺はさっきから頬が緩みっぱなしだ。
彼女の仕草、一挙手一投足全てが俺を捉えて離さない。
あぁ、彼女が好きだなぁ。
そう改めて実感していると、名月はおずおずと先程の可愛らしい袋を俺に差し出してきた。
「あの、その節はお世話になりました。ハンカチ汚してしまったので代わりに用意しました。」
突如差し出された袋に目を落とすと、男性用のハイブランドのハンカチが2枚入っていた。
俺が渡したハンカチよりも随分と高価な物を、御礼だと言って用意して来た事に吃驚する。
「あー、なんだ、そんな事気にしなくてよかったのに。」
「いえ、キチンとしたかったので。本当にありがとうございました。」
理由はどうであれ、名月からの初めてのプレゼントに俺は心が踊った。
どんな顔をして選んでくれたのだろう。その気持ちが俺には嬉しかった。
だが……これは律儀を通り過ぎて、些かやり過ぎだろう。
歓喜と同時に、もし他の男が俺と同じ事をしたら、名月はきっとそいつにも同じ事をやるだろうな…そう思ったらチクリと胸が痛んだ。
こんな事されたら男なら誰でも、もしかして、と勘違いしてしまう。
そんな事、きっと名月は意識していないだろうが……
男とは実に単純な生き物なのだ。
「ふぅん。ちゃんとしてるんだね。じゃあ有難く頂戴するね。」
俺は色々と複雑な気持ちを抱えながら、無理やり笑顔を作り御礼を言うと、名月はほっとした表情を浮かべ、そして、何か物言いたげにもじもじとし始めた。
何だろうなぁ、と笑みを崩さずに見詰めていると、ぱっと顔をあげ意を決したように名月は言った。
「後、えと、すみません…今後仕事で関わるかもしれませんので、失礼ですが、お名前伺ってもよろしいですか?」
えぇと……嘘だろ?俺の事、どこの誰だかわかってない?
一応、自分が有名人だという自覚はある。社内報にも写真と名前は何度も出ているし、社員総会での表彰も何度も受けている。しかも、仕事でもここ1年以上、がっつり絡んでいる。
まさか、見た事ないとか…どれだけ俺に興味ないのか…
認知されていないとは思っていたが、ここまでとは…ちょっぴり、いやかなり凹んだ。
こうなったら、と少しばかり意地悪心が首を擡げる。
俺は表情を崩すことなく、答える代わりに名刺を差し出して、名月の様子を伺う事にした。
名月は、何故名刺?と思ったのか、首を傾げながら俺から名刺を受け取り目を落とすと、目を見開いて吃驚した表情を浮かべた。
名月は名刺に書かれている俺の名前を、穴があくのでは?という程、食入るように見詰め、固まっている。
「俺の事知らないとか、逆にびっくりなんだけど。俺は君の事知ってるよ。仲原 名月さん。」
予想通りの反応に楽しくなった俺は、ぽかんとしている名月にそう伝えると、楽しくなって思わず吹き出す。
俺の意地の悪いドッキリは成功したようだ。
その瞬間、名月は食入るように見ていた名刺から、ぱっと弾かれたように顔を上げた。
えっ………
俺の心臓はドキリと跳ね上がり、早鐘を打った。
目の前の名月の瞳は潤み頬は紅潮して、今にも泣き出しそうなその表情は、まるで恋しい人と再会したかのような顔だった。
――っ!なんて言う顔をしているんだよ……
俺はその美しく濃艶で婀娜やかな顔に、時も場所も弁えずに欲情した。
「ね、猫実…さん?」
真っ赤になってくしゃくしゃの顔で、絞り出すように俺の名前を紡いだ名月に、どうしょうもなく気持ちが昂る。
ようやく、"俺"を認識して、"俺"を呼ぶ名月に、身体が熱くなり、気持ちが溢れた。
好きだ、好きだ、好きだ…
どうしようもなく君が好きだ…
名月が欲しい……
ねぇ、名月……猫実じゃなくて
あの日のように弦って呼んでよ……
もう、気持ちを抑えることは出来なかった。仄かにともり始めた情欲の火が身体中に燃え広がっていく。
俺は自分が今どんな顔をしているか自覚があった。
獲物を捉えた捕食者の目…そんな目で目の前の名月を見ているのだろう。
でも、被食者である名月はそんな事になっているとは、微塵も思っていない。
まるで俺に恋をしているような目で俺を見つめる彼女は、この後俺に美味しくいただかれちゃう訳だから何とも滑稽な話だな、と可笑しくなって思わずふと笑いが洩れる。
声に出して笑った俺を不思議そうに未だ惚けた顔で見る名月に、俺はにっこりと艶を含んだ笑みを向け、誘いの言葉を掛けた。
「うん……仲原さん。この後、仕事が終わったら食事でも行かない?」
どう答えたらいいか、わからないのだろう。吃驚した名月は目をまん丸に見開いて、固まっている。
「俺の案件沢山やってくれてるし、初顔合わせだからね。仲良くなりたいし。ね?」
そこまで言うと、顔から湯気が出そうな程、真っ赤になった名月は小さく、肯定するようにコクリと頷いた。
その様子に俺は片口角を上げて薄く笑む。
まぁ、断らせないけど。
仲良くなりたいのは個人的に……ね。
前回は逃げられたけど今日は絶対に逃がしてあげない…
笑みを向けながら恐ろしい事を考えている俺を、不思議そうに見ていた名月に、俺が艶然と微笑むと、ぼんっと音がして破裂したかのように名月の顔が耳まで真っ赤になった。
初心で新鮮な反応を返す名月が愛おしい。
この後の事を考えると、なんだか楽しくなってきて自然と笑いが溢れた。
さぁ、名月俺の手の中に堕ちておいで。
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