【R18】黒猫は月を愛でる

夢乃 空大

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第一章 黒猫の恋

第41話 いってきます、それから、いってらっしゃい

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 濃厚で濃密な週末は終わり、週の初めの月曜日。

 一緒に暮らし始めてから初めての出勤になる。

 弦の家…改め、私たちの家は会社近くの高級タワーマンションの最上階だ。

 マンションは会社まで徒歩で行ける距離にある為、いつもよりも1時間以上朝はゆっくり出来るのだが、習慣のためなのか、携帯のアラームがなる前にいつもと同じ時間に目が覚めてしまった。

 ベッドサイドの時計を見ると間もなく6時になる所だった。

 土日は絶対に起きないのに、平日限定でこの時間に目が覚めるのだから、慣れって凄い。

 今までは家でお弁当と朝食を作っていたのだが、弦の家には食材は疎か、調理器具が一切ない。聞けば、弦は家事はバッチリ出来るのに、何故か自炊はしないとの事。

 そりゃ、大手企業のマネージャーで売れっ子営業マンにもなれば、自炊なんてしている暇もないだろう。

 それにしても……食器すら最低限しかないとは……
 炊飯器もなければ鍋もないくせに、コーヒーメーカーやワインセラーなどはあるという……
  
 うん、なんかよくわからないけど、私が今まで暮らしていた次元とはまるで違うのはよくわかった。

 それでも、これからは私もここで暮らしていくわけなので、少しでもこの生活感のない空間を、私も弦も居心地よくしていきたいな。
 と、いうことで、今度の週末に買い物に行くことになっているので、それまでは朝は下のカフェでテイクアウトする事になる。

 朝食の準備もないし、仕事の支度もそんなに時間がかかるわけでもない。カフェによっても会社の始業時間は9時からなので8時に家を出れば十分間に合うし、もう少し微睡もうと寝返りを打つと、隣に寝ているはずの弦は既に起きて背もたれに寄りかかってノートパソコンを開いて、カタカタとタイピングをしていた。

 彼の姿が目に入っただけで、胸の辺りがほわほわっと暖かくなり、自然と笑みが零れる。

 ずっとひとりだったから、なんだかムズムズするけど隣に人がいるっていいな。

 しばらく観察していたが、弦は作業に集中しているようで私が目覚めた事に一向に気が付かない。
 少しムッとしたので腕を伸ばして弦の腰に絡めると、漸く私が起きた事に気が付いた弦が、こちらに視線を向けて微笑んだ。
 それだけの事で、先程までのムッとした気持ちは綺麗さっぱり晴れていく。


「ん、おはよ。よく眠れた?」


 弦の落ち着いたバリトンボイスと、少し高めの体温が心地いい。
 私は答えない代わりに、弦の腰にグリグリと顔を押し付ける。


「ふふっ、名月は甘えたさんだね。この仕事がもうちょっとで終わるから、待っててね。」


 弦は甘えて抱き着く私を、優しく見つめて頭を撫でてくれた。
 弦の優しく見つめる瞳と弦の私を撫でる手が心地いい。


 その心地良さに目を瞑りしばらく微睡んでいると、パタンと音がして、弦がノートパソコンを閉じてサイドテーブルに置いた。


「お待たせ。」


 そう言って弦はリネンに潜り混んで私を抱きしめた。
 胸に頬を寄せるとトクントクンと心臓の音が聞こえる。
 弦の鼓動が心地いい。


「ん、待ってた。弦、おはよ。」

「うん、名月、おはよ。」


 コツンと額をくっつけた後、ちゅっと音を立ててキスをする。
 そのままゆっくり目を開けると、心底幸せそうな顔をしている弦と視線が絡まり、胸がいっぱいになる。


「幸せだね。」

「うん、幸せだね。」


 優しく穏やかな朝の甘くて幸せな一時、この時間がずっと続けばいいのに……そう願って私は静かに優しく唇を重ねた。


 どのくらい抱き合っていたのだろうか。
 気持ちが良すぎてもうこのまま眠ってしまいそうだ。
 顔をあげ、時計を見ると、時刻は7時を少し過ぎたところ。

 そろそろ仕事に行く準備をしなければ、とベッドから出ようとするも、弦の腕がしっかりがっちりと私を捉えていて動けない。


「んんん!弦、そろそろ準備しないと……」

「……もうそんな時間?もうちょっとこうしてたいなぁ。」


 弦が私の髪に顔を埋めて甘く呟くから、私の気持ちもグラグラしてしまう。


「ダメ。女性はね、これからメイクしたり色々と準備に時間がかかるの。今日の予定の確認もしたいし。」

「えー、そのままで名月は十分可愛いのに。」

「そんな事言うのは弦くらいだよ。だから、そろそろ離して?」


 甘えた様子でグリグリと頬を擦り寄せてくる弦を、何とか押しやりベッドから抜け出すと、後ろから少し拗ねた声がきこえた。
 振り返ると、手を広げて私が来るのを待っている拗ね顔の弦。

 これは本当にあのスーパー営業マンなのか?と思うと、なんだか不思議だ。

 拗ね顔の弦が可愛くおいでおいでしている姿に、楽しくなって思わず笑ってしまう。声を出して笑う私を見て、弦も笑う。
 そして、強請るようにもう一度手を広げてきたので、促されるまま腕の中に収まると、ぎゅっと抱きしめられる。
 弦の腕の中は気持ちが良くて落ち着く。弦の胸に擦り寄り深く息を吸って、弦の香りを嗅ぐ。
 その様子を見て弦はくすくすと笑いながら、話しかけてくる。


「今日の予定は?」

「午後から外出。その後チームでMTGミーティングしておしまい。」

「そっか。じゃあ終わったら連絡して?一緒に帰ろ。」


 うん、と頷くと旋毛にキスをされ、漸く解放される。

 時計をみると間もなく7時半。

 さて、思ったより時間が押してきたので、急いで準備しないと。

 いつもと勝手が違って戸惑いながらも、なんとか着替えとメイクを済ませる。
 バタバタと洗面所で髪を整えていると、こちらも着替えを終えた弦がやってきた。

 チラリと鏡に映った弦をみると、ピシッと糊のきいたワイシャツに、落ち着いたデザインのネクタイがよく似合っていた。
 あの日もかっこいいなとは思ったが、なんだかんだバタバタとして、仕事着の弦をじっくりと見れなかったから、明るい所でまじまじと見るととても素敵で惚れなおしてしまった。

 ニマニマする私を、弦は後ろから腰に手を回して抱き寄せ髪にキスを落とす。


「名月、今日も可愛いね。俺も髪やるから、ついでにやってあげるよ。」


 するりと髪を掬いあげながら、弦は小指を首筋に滑らせる。少しの刺激でもぞわりと快感が走り、甘い声が漏れてしまう。


「あん、弦っ……だめっ…仕事!」

「こぉら。そんな悩ましげな声出さないで?会社行けなくなっちゃうでしょ?」

「うぅ…ごめんなさい。でも!今のは悪戯した弦が悪い。」


 鏡越しに恨めしげに睨めつけるも、弦は全く意に介す様子はなく、逆ににっこりと微笑まれてしまった。

 うぅ…その顔は狡い……

 私がむくれているうちに、弦は手早くワックスで髪を整え終え、次は私の番である。


「ふふふ、ごめんね。さて……ご希望は?」

「んーと、アップがいいなぁ。」


 仰せのままに、とにっこり笑い、私の要望通り弦は器用にくるくるっと髪を纏めて持ち上げたが、項を見た弦は少し考え込んで、一度纏めた髪をストンと落とした。


「んー、今日は髪はアップにしない方がいいね。ハーフアップにしない?」

「えぇ、アップがいい…ダメ?」


 外出がある時はアップスタイルの方が、崩れる心配がなくて楽ちんなのだ。だから、アップにしてとお願いすると、弦はにっこりと綺麗な笑顔を向けて囁いた。


「んー、俺は別にいいけど、見えちゃうよ?」

「???」


 私が何の事か分からないという表情をしていると、項から首筋にある赤い鬱血痕を順番に指さしながら、弦はにっこり笑顔で言った。


「キスマーク。俺としては虫除けになるから見せつけるのは大賛成だけどね。でも、名月はどう?今日外出あるんでしょ?」


 言われて、はっとする。

 そ、そうだった……キスマーク……

 見えるところはコンシーラーでグリグリ痕を消したけど、後ろまではすっかり失念していた。

 ていうか、今幾つ指さした??

 …1…2…3………7…8…9……10個くらい指さしてた気が……


 途端に血の気が引いて青くなる。
 流石に10個近いキスマークを他の人の目に晒すのは非常に不味い。
 鏡越しの弦をチラリと見遣ると、意地悪そうな笑顔を浮かべている。
 これは弦の言う通りにしないとえらい目にあう。


「…ハ…ハーフアップでお願いします…。」


 言いたいことは色々あるがそれらを全て飲み込んだ私は、白目になりながら弦の言う通りのオーダーをする事にした。
 そんな私を見て弦は楽しそうにくつくつと笑いながら、了解、といい、サイドの髪を編み込み始めた。



 ◇◇◇



 漸く出勤の支度が終わると、玄関で2人揃って靴を履く。
 履き終わり扉に手をかけようとすると、不意に弦から声をかけられた。
 振り向くと、弦にふわりと抱きしめられ耳元で甘く囁かれてドキリと心臓が跳ね上がる。


「ねぇ、いってきますのキスは?」

「えぇ…同じ所にいくのに?」

「んー、して?」


 甘い言葉と艶っぽい微笑みに顔が熱くなる。
 チラリと上目遣いで弦をみると更に甘い笑みを浮かべられてしまう。

 これはキスするまで離して貰えそうに無さそうだ。


「…い、いってきます。」


 弦のお強請りに負けてちゅっと頬にキスをすると、首の後ろを掴まれてお返しとばかりに噛み付くようなキスをされた。


「んんっ!」

「……いってらっしゃい。それから、いってきます。」


 抗議しようと顔を上げると、私を見つめて心底幸せそうに笑んでいる弦の瞳が覗き込んでいて、心臓がばくばくと早鐘を打つ。そして、同時に弦の事を愛おしいという気持ちが溢れて、抗議する気持ちはいつの間にか失せてしまった。
 変わりに私の口からは愛を紡いだ言葉が零れた。


「…うん、いってらっしゃい。弦、愛してるよ。」

「うん、名月。俺も愛してるよ。」


 弦は顔を綻ばせて幸せそうに破顔した。
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