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第二章 黒猫の恋人
第42話 同伴出勤
しおりを挟む出勤前にふたりでカフェに寄って朝食のサンドイッチとコーヒーをテイクアウトする。
弦は当然のようにふたり分支払い、私の手をから鞄をするりと外す。
「鞄は持つから、名月はそっち持ってもらっていい?」
視線の先にはカフェの手提げ袋が2つ。会計の際に、店員に手提げをふたつに分けて貰うように伝えていたようだ。
こういうことをさりげなくスマートにやってのける弦に若干モヤッとしながら袋を受け取ると、空いている方の手を取られ指を絡められた。
「ちょ、弦!」
「ん?なぁに?」
チラリと横をみると、弦は不敵な笑みを浮かべて、真っ赤になって狼狽えている私を見ていた。
「ここ…会社……近いから、誰かに見られちゃう。」
「大丈夫だよ。俺は寧ろ見せつけたいからね。」
「!!!」
ボンっと音がして頭が爆発するかと思った。
何が大丈夫なものか!見せつけるって何だ?!
毎度の事ながら、弦の発言に軽く頭が混乱してきた。
その私の様子を見て、弦はくつくつと楽しそうに笑っている。
うちの会社は大手企業には珍しく、自由な社風で社内恋愛に寛容だ。
また営業部だけで言えば、社内恋愛、部内恋愛は逆に歓迎されているくらいで、付き合うなら社内を!と全体MTGの結婚報告の祝辞の際に本部長が毎回添え伝える程、強力に推奨されている。
結婚後も仕事を続ければ良し、例え結婚退職になったとしても、忙しい夫の仕事に理解を示してくれる内助の功を期待してのことらしいが、破局した際は結構修羅場になることもあり、それはそれで一長一短な気がする。
そんな訳で、私達のことは特に秘密にする必要は無いのだが…いくらうちの会社が社内恋愛にとても寛容とはいえ、堂々と手を繋いで出勤してるカップルなど見たことない。
「は、恥ずかしいよ……手、離して……」
「ははは、却下だね。このまま会社まで手繋いでいこう。」
「えぇ…本気?」
「うん。本気。それとも腰を抱き寄せて密着したままいく?俺はそれでもいいけど。」
あまりの恥ずかしさに絶句して固まった私を、弦は片口角を上げてにやりと笑って、繋いだ手を引いて歩き出す。
手を繋いだままか、抱き寄せられるか……これは究極の選択である。
手を繋いだままも恥ずかしいが、抱き寄せられるのはもっと恥ずかしい……是非とも遠慮させていただきたいところだ。
その二択しかないのであれば、これはあきらめてこのまま弦に従うのが得策だろう。
ゲンナリ気味の私の反面、隣の弦はウッキウキである。
弦が嬉しそうだからまぁいいか。
私は短く嘆息し、絡めた指をぎゅっと握り返した。
カフェを出て20分程歩くと、本社ビルに到着する。
この僅か20分の間に何人もの社員とすれ違った。
その度にチラチラとこちらを見る視線が刺さり、なんだか針のむしろに座る心地がする。特に女子社員の視線が痛い。
社内で有名人な弦の顔は広く知れているので、ファンがいるのはなんとなく理解しているが…これは結構な数なのでは?
それから…私と誠治が付き合っていた事を知っている人もいる訳で……
誠治の婚約は営業部全体MTGで発表になったとはいえ、知っているのはまだ役職以上で、婚約の段階では部内発表はMTGの翌々月、社内報での発表は入籍のタイミングが一般的である。
そのため私と誠治の事を知っている多くの人は、まだ私達が別れた事も、誠治が別の人と婚約したことも知らない。
誠治と別れたのがちょうど1ヶ月前なので、流石に今弦と付き合っているのが公になるのは、ちょっと体裁的に困ったことになる。
念のため、この関係性の説明をきちんと出来るまでの間、少なくとも3ヶ月位は付き合っていることを伏せたいということと、時間差出勤をしたいと提案をしたが、予想通りというか当然というか…電光石火の勢いで速攻で却下された。
「言いたいやつには言わせておけばいいよ。鈴木との事は、それ程問題ないと思うよ?それよりも、名月を狙っている男が沢山いるからね。鈴木の事が周知される前に、名月は俺の物だって、そういう不埒な男共にきっちり牽制しておかないと。」
……とのことだ。
不埒とは…ていうか一体なんの牽制だよ、と頭が痛くなってきた。
そうこうしているうちに、会社に到着したのでそろそろと手を離そうとするが弦はがっちりと掴んで離してくれない。訝しく思い、隣の弦を上目遣いに見上げると、弦は余裕たっぷりの笑顔を浮かべて手を繋いだまま、そのままエントランスホールへ進む。
「げ…猫実さん、ここ、もう会社…」
「ん?『弦』でしょ?そんな他人みたいな呼び方、気に入らないな。」
「だって、仕事だし……」
「みんな大事な時以外はパートナーを名前呼びしてるから問題ないと思うけど。それとも、俺とパートナーだと思われたくない?」
「そ、それはないけど……」
弦の言う通り、社内カップルの多いうちの会社では、会議や大事な場面意外はパートナーを名前呼びしているケースがとても多い。
それでなくても、社員同士も仲が良いので名前呼びはそう珍しくはないが、弦はマネージャーで役職も上で、しかも、営業部のスーパーエースで会社概要にも載るくらいの会社の顔で……みんなの羨望の的の『猫実さん』なのだ。
弦からの名前呼びならまだしも、恐れ多くも一介のサブマネージャーの私が呼び捨てをしていいはずがない。
私の方が入社時期も後だし、歳もだいぶ下だし…
うぅむ、どうしたものだろうか……
グルグルと思考を巡らせるが、いい考えは浮かばない。
チラリと横を見ると、弦のとても不機嫌そうな顔。
いたたまれなくなって萎縮する私を落ち着かせるように、弦が繋がれた手をキュッキュッと5回握ってくる。
なんだろうと思い、もう一度弦を見上げると、パクパクと唇が動く。
『あ・い・し・て・る』
意味に気が付いてぼっと顔が蒸気する私を見て、弦は悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「じゃあ、はい。『弦』って呼んで?」
「で、できないよ……」
俯いて頭を振る私に、弦は畳み掛けるように意地悪く言う。
「ふぅん。名月はいいの?他の人に俺が取られちゃっても。」
「うぅ……。それは嫌だ。」
「うん、名月、俺も嫌だ。だからマーキングさせてね。」
言い終わると同時に、エントランスホールのど真ん中で弦は私の額にちゅっとキスをした。途端に周りから黄色い悲鳴が上がる。一気に周囲の視線が集まり、私の顔は一瞬で茹で蛸のように耳まで真っ赤になる。
その様子に満足した弦は楽しそうにくつくつと笑った。
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