【R18】黒猫は月を愛でる

夢乃 空大

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第二章 黒猫の恋人

第43話 嫁じゃない

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 怒濤のような出勤劇だった。なんだか刺激が強すぎて朝からヘトヘトである。

 結局、あの後手を繋いだままエレベーターに載せられ、挙句、第一営業部のフロアまできっちり送り届けられたが、ここでも周囲の視線が私に向いており、針のむしろだ。

 そして、弦を伴ってフロア入口を入った時の、みんなの吃驚した顔やぎょっとした顔が忘れられない。
 朝一からここに来るはずのない第三営業部マネージャーの登場である…しかも、手を繋いで片手にはふたり分の荷物を持ち仲良くご出勤ときたら、注目されるのは当たり前だ。
 その様子を見て、目の前の山田マネージャーは終始にやにや顔だ。

 これは非常に居心地が悪い。
 思わず遠い目になる。

 自席に着くと漸く弦が手を離してくれたので、ほっと一息ついたのも束の間、弦が荷物を椅子の上に置き、徐に胸ポケットからカードキーを取り出し私に差し出した。


「はい、これ。自宅の鍵。基本的には一緒に帰るけど、別々の時もあるだろうから先に渡しておくね。」

「げ、弦……何もこんな所で渡さなくても……」


 カードを受け取りながら、上目遣いで弦を見上げると、綺麗な作り笑顔だったので、これはわざとだな、と何となく気が付く。
 なんで、作り笑顔?と思った時に、弦の意図に気が付き、ハッとして周囲の見渡すと、皆一様に手が止まっており、私たちは注目の的となっていた。

 ヤバい、と思った時には時すでに遅し。
 フロア中に私たちの関係が認知された後だった。

 もちろんその中には、誠治と宮田さんも含まれる……

 チラリと第二営業部の方を見ると、驚いたように目を見開いた誠治と視線がかち合った。
 瞬間、ぞわっとするオーラを隣から感じ、恐る恐る隣に視線を移すと、何に対してなのかはわからないが何かを牽制するように、恐ろしく冷ややかな笑みを湛えている弦がいた。

 思わず天を仰ぎ見て、盛大な溜息を吐いたところで、にやにや顔の山田さんが私たちに近付いてきた


「あれ?猫じゃん?久しぶりに古巣に出勤か……って、おー仲原。なんだ、お前ら朝から仲良く同伴出勤か?」


 どうやら山田さんと弦は知り合いらしい…って同じマネージャーなのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、どうもかなり親しい間柄な様子で、軽口を叩きながら話しかけてくる。
 笑顔で会釈をしている弦の肩をぽんと叩くと、山田さんは私の方に意地の悪い笑顔を向けた。


「旦那同伴とかいいなぁ。いやー、聞いたぞ?仲良く手を繋いで出勤した上でのエントランスホールでの熱いキス…ご馳走様。」

「だ、旦那!?ど、どどどど同伴って…」


 旦那とか同伴出勤という言葉に過剰反応した私は思わず声を上ずらせてしまったが、それよりも、ついさっきのエントランスホールでのキスの件までもが、既にこんな所まで広まっているとは思いもよらなかった。

 僅か10分程前の話である。こう言った話の回る速度の速さには毎度驚かされるが、一体誰がどうやって噂を広めるのだろうか。

 そして、どうりでさっきから周囲の視線が生暖かいわけだ…と理由を悟ると、再び遠い目をして、苦笑いをするしか無かった。


「あは…あはは……」


 山田さんは第一営業部2課のマネージャーで私の直属にあたる。途中、海外支社に行ったりしていたらしいが、40代前半でかれこれマネージャー歴10年という元祖伝説のスーパーエースの営業マンである。

 私の目の前には、新旧のスーパー営業マン双璧が揃っている。
 普通に考えれば、僥倖な事なのかもしれないが、今はその幸運をしっかりと実感できないことが悲しい。

 山田さんは私を面白可笑しく揶揄ってくるし、弦は周りを威嚇してるしで、そんな両者に挟まれた私は引き攣った笑顔を浮かべるしか出来なかった。

 そんな私を尻目に、弦と山田さんは勝手にふたりでどんどん話を進める。


「はははははは!猫、お前の嫁、真面目だと思ってたが実は面白い奴だったんだな。これからの楽しみが増えたわ。…で、今日は朝から何用で一営くんだりまで?」


 よ、嫁って……や、山田さん!?嫁じゃない!!!
 弦!弦もなんでそこ否定しないの?!

 私は更に笑顔を引き攣らせながら、弦をチラリと見て助けを求めるが、弦はいつものように、綺麗ににっこり笑顔を浮かべた。そして、青くなっている私の腰にするりと腕をまわすと抱き寄せ、当たり前のように応酬した。


「山田さん、おはようございます。あんまり、を虐めないでやってくださいね。今朝は用事ついでに、を送って来ただけですよ。」

「くっくっく…ね。ってことは、金曜日は上手くやったんだな?おめでとう!色々と調整するの大変だったが、よかったよかった。で、肝心の用事とやらは何だ?」


 山田さんは楽しそうにくつくつと笑いながらも、よかったといい、弦の肩をバンバン叩くので、その衝撃が私の方まで伝播して結構痛い。

 ていうか、金曜日って……
 MTGのあったあの日?調整?なんの事だ?

 そういえば金曜日のMTGの後の予定は何も入ってなかった。
 この時期は忙しいはずなのに……
 えぇ……もしかして謀られてた?

 根回しのいい弦のことだ。きっと最初から弦は私を捕まえられるように、方々先に調整していたんだろうなと理解する。

 私の頭の中は色んな思いがグルグルし始める。
 私も弦も山田さんの勢いに押されつつあるが、嫁については誰も否定しないので、いっその事自分で訂正すべく声を上げる。


「あ、あの……嫁…じゃない……です。」


 …………。

 はい、スルーですね。
 えぇ、わかってましたよ。

 わかってはいたが、弦も山田さんも私のこの発言はスルーして他愛のない話をしており、流石に白目になる。
 当の弦は涼しい顔してどこ吹く風だ。山田さんの揶揄い口調にも、いつもの調子を崩さず、綺麗に対応している。


「えぇ、お陰様で。まぁ、報告も兼ねて顔出したってのもあるんですけどね。ついでに身上異動届を貰いに。」

「ん?あぁ、分かったけど、身上異動届ってマネージャーなんだからお前でも出せるだろ?」

「俺のじゃないですよ。名月のなので。上長の山田さんの印が必要でしょ。」

「へぇ、仲原のか。じゃあ仲原に渡せばいいんじゃね?」

「名月はまだ住所わからないので、教えないといけないのでこのまま俺と一緒に対応します。というか、山田さん……朝の貴重な水入らずな時間をこれ以上邪魔すると、馬に蹴られますよ?」

「うへぇ、それは是非とも勘弁して欲しいね。わかったちょっと待ってろ。」


 弦は若干不機嫌そうにそういうと、私の腰に回していない空いた方の手を、しっしっと追い払うように振った。
 にやにや顔の山田さんは、肩を竦めやれやれというジェスチャーをして戯けるようにいうと、弦にギロリと睨めつけられていた。
 山田さんは弦の威嚇をものともせず、爆笑しながらデスクをガサゴソと漁り始めた。

 前から思っていたが…
 山田さんはこういう時に一切物怖じをしない強者だ……
 弦も結構…いやかなりの強者なので、やはり売れっ子営業マンは総じてこんな感じなんだろうなと理解する。


 山田さんが書類を用意している間に、私は先程から疑問に思っていたことや弦に聞きたいことを聞く事にした。


「あ、あぁ。俺、名月が入社する直前に移動になったんだけど、元々ここにいたの。で、山田さんは、その時の俺の上司だよ。」


 なるほど、それであの空気感と軽口の応酬なのだと得心する。
 弦がここに…そうか、もし移動にならなければ先輩としてもっと早く再会が果たせていたのかなと思うと、なんだか不思議な感じがした。

 それよりも……嫁だ。
 さっきからふたりで嫁、嫁、と連呼してくれたが、これは周りの視線も辛いし結構冗談キツい。


「ねぇ、ふたりとも人の事、嫁とかなんとか……揶揄い過ぎだよ。心臓持たないから勘弁して……」

「ん?本気だけど?俺は少しも揶揄ってないよ?」

「へ?」


 吃驚して弦を見上げると、至極当然だろう?とでも言いたげな不思議そうな表情の弦の顔がある。
 言ってる事がイマイチ理解できなくて、目をぱちくりさせていると、弦は真顔でさらりと爆弾を落としてきた。


「いずれなるでしょ、嫁。だって俺、一生離すつもりないって言ったよね?なんだったら次の会議で発表してもいいくらい。なんならこのまま本部長のところ行く?」

「あ、え?う?う~ん?そ、そだね……だけど、今日は辞めておこうかな……あはは…。」

「うん。わかった、今日ある程度虫除けもマーキングも出来たから本部長報告はいいよ。諦めてあげる。」


 そう言って周囲に視線を巡らせる弦の顔は怖いくらいに真剣そのものだった。
 虫除けだのマーキングだの恐ろしい言葉を吐く弦にツッコミを入れたいところだが、薮蛇なので辞めておく。
 そうこうしているうちに山田さんが書類を持ってやってきた。


「ほらよ。面倒だからもう判子押して持ってきたわ。後は適当に書いて管理本部にでも持って行ってくれ。じゃあ、仲原またあとで。」


 そう言って弦に書類を渡すと、山田さんは手をひらひらさせながらあっさり自席に戻っていった。


 あ、嵐のような時間だったな……


 フロアも漸く落ち着きを取り戻し、周りも徐々にいつもの慌ただしさが戻ってきた。
 書類を目の前にして、弦に住所を聞きながら転居先欄に記入をすると、改めてこれから先も一緒にいるという事を実感する。
 横の弦を見ると、頬杖をついて優しい笑顔で私を見つめていた視線と絡み、私も笑みを返すと、弦は眉を下げて困った顔をした。


「会社だから我慢しなきゃなんだけど、もう名月に触れたくて堪らない。困ったな…。あ、そうそう時間とっちゃったし、これは俺が後で管理本部に出しておくね。じゃあ名月また夜連絡するね。」


 そう言って私の手を取りぎゅっと握ると、書類と紙袋をひとつ持って立ち上がり、頭をぽんと撫でて弦はフロアを後にした。

 時計を見ると8時45分。間もなく始業時間だ。

 つ、つ、疲れた……
 今朝はえらい目にあった……

 出勤だけでこんなに疲れた日はない。これに慣れないと行けないのかと思うと、途端に先行きが不安になってきた。

 溜息を吐きながら、今朝テイクアウトしたサンドイッチをぱくついた。
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