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第二章 黒猫の恋人
第75話 即興余興
しおりを挟む怒涛のような役職者紹介が終わり、漸く壇上から降りると言う時に、安心したのか一気に力が抜けて膝から崩れ落ちそうになった。
危うく壇上で転んで失態を晒すところだったが、隣にいた山田さんにさっと受け止められ事なきを得た。
チラリと山田さんをに視線をやると、山田さんはにやりと悪戯っ子のような表情を浮かべて、私の耳元で小声で囁いた。
「仲原、これから俺がやる事に付いてこいよ。」
「えっ?」
そう言うや否や、私の返事を聞くことなく、さっと私の手を取り腰に腕を回して私を支えると、わざとらしく仰々しいセリフを、大きな声で会場中に聞こえるように言った。
「大切な我らが一営の姫君、恋人の三営の王子が不在である今この時、私にあなたをエスコートする栄誉を与えてくれませんか?」
「へ?山田さん……な、何を……」
いきなりの事に、私が目を白黒させていると、山田さんは続けて大声で叫ぶ。
「他に志願者はいないか?!志願者がいなければ上司である俺がエスコート役を努めさせていただくぞ?お前らもいいよな?!」
突如始まった悪ノリの即興余興に、俺も!俺も!と追随するマネージャー達がわらわらと舞台前まで勢揃いし、一斉に私の目の前に跪いて手を差し伸べる。
どうしていいかわからず、あわあわと立ち尽くしていると、山田さんはウインクしながら回答を促してきた。
これは誰かの手をとるのが正解?
それとも……
それよりも、皆の注目のど真ん中にいるのは居た堪れなくて、早くこの場から去りたい一心で目の前のマネージャー達に言った。
「え?え?えっ……と、ごめんなさい???」
途端にマネージャー達が示し合わせたかのように全員がずっこけ、会場中がどっと笑いに包まれた。
あっという間の出来事に訳もわからず流されたが、どうやら正解だったようだ。
「そういう訳だから、お前ら全員姫のお眼鏡にかなわなかったそうだ!残念だったな!はははは」
心底楽しそうな笑い声を上げると山田さんは、すっと表情を整え綺麗な笑顔を作る。
「それでは、姫君 、参りましょう。」
そう言うと、湧き上がる拍手の中、山田さんは肩を震わせて笑いを堪えながら、私の腰を抱き寄せちょっとした余興の舞台と化した広場から、私を壁沿いに移動させた。
「くっくっくっ……しかし、お前、サイコーだわ。」
目的の場所に到着すると、私を壁に寄りかからせながら、山田さんは楽しそうにくつくつと思い出し笑いをする。
私は何がなんだかわからず、怪訝な視線を山田さんに向けたが、山田さんは、はははは、と言いながら私の頭をぽんぽんと撫でるだけだった。
なんでいきなり即興で余興?と思ったが、山田さんの事だからきっと計算のうち…
あの場で倒れそうになった私を支える為とはいえ、私を抱き留めた事が、歪曲して弦に伝わるのを防いでくれたのだろう。
もしくは、私の絶望に捕らわれていた意識を逸らす為に……
何れにしても、山田さんは気を利かせてワザとああいう余興に仕立てたんだと思う。
そして気が付くと今しがたのドタバタ騒動で、先程まで絶望で曇っていた私の思考が、薄らと晴れ始めていることに気が付いた。
少し心に余裕が出ると、先程の山田さんと弦の言葉が頭に浮かんだ。
『ちったぁ猫実の事信用してやれよ。』
『俺は何があっても絶対に名月と別れないよ。それこそ、浮気されたとしても。』
今私が何を思って悩んでも、弦の心は弦の物。
私がいくら落ち込んで後悔したって解決しない。
その言葉通り、私は弦の事を信じて帰りを待つしかないのだ。
私が目を瞑り、短く嘆息すると、私の考えを読んだのか、隣でポツリと山田さんが呟いた。
「……猫は大丈夫だ。」
信じたい……
でも怖い……
弦の気持ちがわからなくて不安に押し潰されそうだった。
◇◇◇
ザワザワと余興の興奮が覚めやらぬ中、司会者は、予定していなかったマネージャー陣のサプライズ余興だったと案内し、次の新卒社員代表挨拶へと移行させると、徐々に会場の熱も治まっていった。
新卒代表の挨拶をぼぅと眺めていると、ひとり、またひとりと支社採用の新卒社員が今日で最後だから、と挨拶にやって来る。先程からひっきりなしにやって来るので、落ち込んでいる暇等なく、崩れて折れてしまいそうな心を何とか奮い立たせて、笑顔で対応した。
その間、山田さんは黙って私の側を離れず付いていてくれた。
やがて、新卒代表挨拶も終わり、司会者の挨拶と共に、壮行会は閉会を迎え、各自自由解散となる。
多くのメンバーが他で飲み直したり、帰路に着く為に会場を後にしていく中、山田さんいわく、一営マネージャー陣はこの後、会社で借り上げた部屋に食べ物を運んで貰って、反省会を兼ねた酒盛りをするそうだ。
寝耳に水の事で全く聞いてなかったので、吃驚して訊ねると、山田さんはニヤニヤと笑いながらな尾篭な話をしてきた。
「そりゃそうだ。どうせこの後は猫としっぽり…だろ?誘うのは無粋ってもんだわ。」
しっぽり……か。
言い方はさて置き、確かにそうなる可能性は高かったが……
こんな事になった今はどうなるかわからない。
弦はまだ森川くんの所なのだろうか。
ここにはまだ帰ってきていない……筈だ。
もしかしたら、私に愛想を尽かしてもうここには帰ってこない……?
最悪の考えが頭を過ぎり、また気持ちがどん底まで落ちる。不安に押し潰されそうになり、涙が滲んで来るが、私は役職者だ。ここで泣き崩れる訳にはいかない。
泣きそうなのをぐっと堪えて笑顔を作ると、堪えた涙で鼻の奥がツンとしてくる。
耐えろ…耐えろ……
耐えようと思えば思う程、じわじわと涙が湧き上がってくる。
そして、涙が零れそうになったその時、目の前の視界が何かに遮られた。
「仲原……新卒が見ている。今は堪えろ。」
頭の上から山田さんの低い声が聞こえた。
見上げると、私の前に壁になった山田さんが眉を顰めて困った様な顔で私を見下ろしていた。
「は、はい……すみません。」
私はハンドバッグからハンカチを取り出し涙を拭くと、にっこりと笑顔を作り、山田さんに答える。
山田さんは、私の頬をするりと撫でたかと思うと、ぎゅっと抓った。
「い、いひゃい……」
「ちっとは成長したかと思ったのに、泣き虫は相変わらずだな。」
「もほ……なんれすふぁ、ふぁなひへくらふぁいぃ!」
「はははは、間抜け顔だな。」
痛みでポロリと涙が零れると、山田さんはふっと笑い、身体を離した。
もしかしてこれも……
きっと、山田さんは私が抓られて泣いた事にしてくれたのだろう。
山田さんは、私が入社2年目の時にドイツのフランクフルト支社から戻ってきてから、ずっと私の直属の上司だ。
普段は適当でお調子者なのに、困った時にはさりげなくフォローを入れてくれる、優しさに溢れる最高の上司だと思う。
私も何度もそのフォローに危機を助けられた事があるし、そして、今日も幾度となく助けられた。
山田さんは適当に見えるが、仕事出来るし見た目もワイルドなイケメンだ。日本語の他に英語、ドイツ語、フランス語、中国語と5ヶ国語を話すマルチリンガルなクレバーな人で、優しく気が利く…実際、ファンも多いが浮いた話は全く聞かない。これで、何故未だに独身なのか謎だ。
そんな事を考えながら、横の山田さんをちらりと見ると、物憂げな顔をして何かを考え込んでいるようだった。
感謝を伝えたかったが、話しかけるのも不粋だなと思い、ヒリヒリする頬を撫でつつ、山田さんの気遣いと優しさに心の中で感謝をしていると、不意に支社メンバーのひとりに声を掛けられた。
「仲原さん!この後支社メンバーで飲みに行くんですが、一緒に飲みに行きませんか?」
支社メンバーは明日明後日で借り上げた宿舎を出て、月曜日から支社に出勤となる。
今後出張や研修等で会うこともあるだろうが、実質は今晩がみんなが揃う最後の夜だ。2ヶ月半にも及ぶ共同生活の積もる話もあるだろうし、そんな大事な夜に上司である私が参加するのは、不粋以外の何物でもない。
「ありがとう。だけど、同期の繋がりって一生ものだから、その大事な場所には私は場違いな気がする。だから、今回は遠慮させて貰うね。」
私がにっこりと精一杯の笑顔で固辞を伝えると、彼もにっこり笑って握手を求めて手を差し出して言った。
「わかりました。2週間、本当にお世話になりました。また、会える日を楽しみにしています。」
「うん、こちらこそ。これからの活躍を陰ながら応援しています。」
私が彼の手を取ろうとしたその時、私を呼ぶ聞き慣れた声が聞こえた気がした。
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