【R18】黒猫は月を愛でる

夢乃 空大

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番外編

独身最後の夜~男の友情~

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「お疲れ。ようやく肩の荷がおりたな。俺ら。」


 猫実は感慨深そうに言うと、乾杯を示唆して、手元の生ビールのグラスを俺に向けて差出してきた。


「おう。そうだな。まぁ、俺らマネージャーは何もしてないけどな。」


 俺は自分のグラスと猫実のグラスをカチンと小気味良い音を立てて軽く合わせ、アイコンタクトを取る。
 俺の言葉に猫実は苦笑いを浮かべて短く嘆息すると、琥珀色のビールをゴクリと喉を鳴らして一口飲み下した。

 この日は金曜で、漸く長かった新卒社員の研修が終了し、バタバタだったが、来週から現場に送り出す為の最終調整も無事に終わった。
 そして週が明けた来週からは、新人も含めての通常業務に入るので、俺達マネージャーが本格的に忙しくなるのは、この後だ。

 だからその前にと、猫実から呼び出されたのだが、何の話かは、大方予想がついている。


 多分…今日が独身の猫実と飲みに行く最後の日になるのだろう。


「はは、確かに。俺らが大変なのは来週からだな。」


 猫実は頷きながらそう言うと、目の前にあるこれでもかと言う程に、山盛りに皿に盛られたアボカドクリチーのわさび醤油和えをピックに刺して口に運んだ。そして、すぐに猫実は驚嘆の声を上げた。


「んっ…なんだこれ?!うまっ。」

「だろ?止まらねぇよな。」

「……うん。お前が山盛りオーダーする理由がわかるわ。是非、今度名月にも作ってもらおう。」


 そう言って、猫実は今まで見た事もないような蕩けてしまいそうな表情で、幸せそうに頬を綻ばせた。
 その顔を見て、思わず、俺の頬も緩む。


 猫実との付き合いを振り返ってみると、猫実とは中学からの腐れ縁で、なんの縁なのか同じ会社に入り同期として連んできたのだが、期間にすると、かれこれ20年の付き合いになる。

 20年……改めて考えると、長い付き合いだ。

 見た目良し、成績良し、人当たり良しな猫実は、昔から何でもスマートにこなす人たらしな所があるが、その癖、他人に興味はないし、必要以上に興味を持たれる事を嫌う野良猫のような面倒臭い奴だった。
 それでも何故か人を惹きつける魅力があるのか、男女問わずモテるため、友人も女も取っかえ引っ変えするような遊び人だった。
 まぁ、俺もその魅力に魅了されたひとりではあるのだが。

 色々あって、一時期は没交渉になった時期もあったが、偶然、同じ会社に入社したのがきっかけで、また友人関係に戻った…と言うか、上辺だけでなくもっと深く付き合える、真の友人となれたというのが正しいな。

 あの偶然があっての今の関係だ
 本当にあの時、偶然出会えた事には感謝しかない。

 まさかこうやってタバコを吸いながら、他愛のない話をしてグラスを傾ける…そんな穏やかな時間を猫実と一緒に過ごせるようになるとは、以前の俺は想像ができただろうか。
 そう考えるとなんだか不思議な気分だ。

 そして、そんな人に興味のなかった野良猫の猫実が、恋をして、6年間の想いを実らせて愛を知り結婚をする。

 いい大人が6年間も片想いをして、ピュアっピュアな初恋を実らせたのは5ヶ月程前の話。

 長い間片想いをしていたせいなのか、想いを告げてからの囲い込みと展開の速さには、正直吃驚したが……
 そうか…だれにも懐かなかった野良猫猫実も、とうとう心を許せる人を見つけたんだな……

 徐に目の前に置かれた婚姻届を見ると感慨深く、涙が込み上げてきて鼻の奥がツンとしてきた。


「やっと…だな。結婚おめでとう、弦。」

「あぁ、ありがとう。」


 俺の言葉に、猫実はとても幸せそうに破顔した。

 俺はそんな猫実を見ることが出来て、心の底から嬉しかった。
 猫実の過去を知っているからこそ、コイツには幸せになってもらいたい、そう願ってきた。そして、それが漸く叶おうとしている。
 ゆるゆると喜びが押し寄せてくると、堪えていた涙が再び込み上げてきて、ゆらゆらと視界が歪んできた。

 あ、どうしよう…これじゃサイン出来ないじゃないか。


「なぁ、俺なんかが証人欄にサインしてもいいのか?もっと大事な人とか…」


 溢れる涙を堪え鼻を啜りながら訊ねると、猫実はふわりと微笑みながら頷き、ペンを差し出して言った。


「俺なんか、じゃないよ。お前がいいんだ。ひとりは慣例通りに本部長に頼むとしても、もうひとりは瀬田…お前以外に頼むつもりなんて最初はなからなかったよ。」


 その言葉から猫実の俺への確かな友情を感じ、長年、俺からの一方通行だと思っていた友情がそうじゃなかったという事を言外に知らされると、その事実がガツーンとダイレクトに胸を打った。
 そして、押し寄せた歓喜の感情が胸をいっぱいにし、溢れて涙腺が崩壊すると、それまでなんとか堪えていた涙が眦から零れてぱたぱたと頬を伝い、流れ落ちた。


「……っは?あれ?…えっ、何だこれ?」


 その様子を見ていたママが、猫実のギムレットを持ってくるついでに熱いおしぼりを持ってきてくれた。猫実は横からおしぼりを受け取り、それを適温まで冷ましてから俺に渡してくれる。

 俺はおしぼりを受け取ると、顔をガシガシと拭いた。それを見た弦は苦笑いしながら、運ばれてきたギムレットのグラスを煽ると、ふぅと短く息を吐きふっと笑み呟いた。


「なんでお前が泣くんだよ。」

「なんでだろうな…。俺にもわかんねぇよ。でも…俺の、一方的な片想い…じゃ…なかったんだな…」

「はぁ?片想いって……あぁ、そっか…そうだよな。」


 猫実は意味を理解すると、盛大な溜息を吐いて俺の言葉を受け止めると、俺の目を見て優しい笑みを向けて、諭すような口調で俺に語りかけた。


「片想いなんかじゃないよ。お前は俺の"親友"だ。俺と親友になってくれてありがとう。」


 "親友"

 ずっと俺は猫実の特別になりたいと思っていたけど、とっくになれていたんだな……

 猫実の言葉の重みを噛み締めると、一度引っ込んだはずの涙が再び溢れ、俺は馬鹿みたいに男泣きに泣いた。


「…ありが、とう……」

「いや、こちらこそ……っていうか、いい加減泣きやめよ。」


 猫実は少し呆れたように笑い、タバコを差し出しすと、自分も咥えたタバコに火をつける。

 俺は受け取ったタバコに火をつけ、落ち着かせるように深く吸い込んだが一向に涙は止まらず、タバコの甘くて苦い味と香りに余計に感情を揺さぶられ、嗚咽が漏れた。


「無理……それ、に……お前が……し、幸せに、なっ、って…くれて……ヒック…俺…俺……本当に…ヒック……うれ、嬉しいんだ……」

「あぁ、はいはい。頼むから泣き止んでくれ……はぁ、なんだ、これは俺が悪いのか?勘弁してくれよ。」


 猫実は、宥めるように俺の背中を摩り、タバコの煙を吐きながら苦笑いして言う。


「……るせぇ。と、止まん、ねぇ…んだっ……よっ!ヒック…」

「渉…ありがとな。お前がいてくれてよかったよ。お前がいてくれたから、今の俺と名月があるんだ。本当に感謝してる。」

「げ、弦っ……」


 その言葉で、猫実と仲原さんのそれまでが走馬灯のように俺の脳内を駆け巡り、再び涙腺が崩壊する。
 ママは俺にお冷のグラスを渡しつつ、その様子を見て若干呆れ気味に言った。


「渉くんの泣き虫って、いい歳して未だに健在なのねぇ…」


 ママの言葉に反応した猫実が片口角を上げてニヤリと笑った。


「へぇ、瀬田ってクールな顔してるのに実は泣き虫なんだ…そう言えば、結婚式の時、嫁さんじゃなくてお前が泣いてたなぁ。それも号泣。」


 猫実の揶揄うような口調に、先程まで感じていた喜びと幸福が一気に吹き飛び、涙が引っ込んだ。


「カズくん…ちょっと黙って。泣き虫だったのは中学上がるまででしょ。それから、弦もそんな事思い出さなくていいから。」

「お、泣き止んだじゃん。」


 俺が真顔で突っ込むと、猫実は楽しそうにくつくつと喉を鳴らして笑った。

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